Sweetweddingdays

「ちょ・・待って・・・も・・」
 途切れ途切れになる言葉。
「も・もう・・あかん・て・・」
 忙しない息の中、けれど勿論そんな言葉は聞く気がないと言うように肌の上を滑る大きな手。
「や・」
「嫌じゃねぇだろう?」
「!勝手に決めつけるな!・・っ・あ・あん!」
「決めつけているんじゃなくて訂正してやっただけだ。“嫌”じゃなくて“いい”の間違いだってな」
「ふ・ふざけるな!・・っ・ん・ぅ・・!」
 その途端うなじに唇が触れて、ビクンと身体が震えた。
「・・やぁぁ・・!」
 背中から覆い被さるようにしながら前に伸ばされた手が、再びそこをやわやわと握る。
「あ・ああ・・は・あ・・」
 ヒクリと引きつる喉。 
 額に滲んだ汗が鼻筋を通ってつぅっと流れ、目尻にジワリと涙が滲む。
「な?“いい”・・だろう?」
「あほぅ・・・」
 すでに何度か射精(い)っているのに、またしても熱くなり始めたそれに容赦なく絡んでくる長い指。しかもその指は当然のように奥にも触れてきて、思わず小さな声を漏らしてしまった途端、微かな笑い声と共にとんでもない言葉を口にする。
「・・・濡れてる」
「!!誰のせいや!誰の!」
 カッと赤くなった顔。
 そう。言うのも恥ずかしいのだが、自分は女ではないのだから勝手に濡れる筈がないのだ。
そんなところが濡れるような事をした馬鹿がいるからそうなっているわけで、それをどうしてその張本人から指摘されなければならないのか。
 言いながら首を捻るようにして後ろを振り返ったが、背中から抱き込まれ、腰だけを引き上げさせられたような格好では意地の悪い声の主の姿を見る事は出来ない。
 恥ずかしいのと口惜しいのと、そして、そろそろやばい事になってしまいそうな高ぶりに小さく唇を噛むと再び後ろから声が聞こえてきた。
「怒るなよ。喜んでるんだぜ?これならもういつでもOKだな」
「変態!」
「失礼なヤツだな。こんなに尽くしているのに」
「誰が・っ・や・あ・・卑怯者ぉ・・」
 少しだけ止まっていた指がゆっくりと動き始めてビクビクと身体が震える。
「尽くしているだろう?なんてったって週に一度の逢瀬だからな。一週間分たっぷりと。ついでに次の時まで忘れられないように」
「あ・・誰が・・今更忘れ・・」
「それに間違っても浮気なんかされないように」
「・・浮気・・って・・あ・ん・・」
「通いの“嫁”は色々気苦労も多いんだよ」
「・・だから・・それは・・も・・あ・あ・」
 部屋の中に再び響き始める甘い声と忙しない息。そしてそれに重なる粘着質な音。
「は・ぁ・あ・・あ・」
「・・・いい、か?」
「・・・・・」
 耳元で囁くように告げられた言葉。それが何に対して言っている言葉なのか。先刻と同じ言葉をなぞっているのか、それとも別の意味の言葉なのか。一瞬だけ考えてしまった途端、すっかり勃ち上がり、先走りで濡れたそれから指が離れた。
「・・ぁ・・」
 思わず漏れ落ちてしまった小さな声。
「・・何だ?」
「・・・・・」
「いい、だろう?アリス」
 ドクンドクンと鼓動が早まる。
 高まっているそこがあと少しの刺激を欲しがっている。
「アリス?」
「・・・・・・・」
 多分分かって言っているのだ。
「どうなんだ?」
 後ろの顔は見えないが、その表情は容易に想像出来る。
伊達に長年の付き合いがあるわけではないのだ。もっとも、こんな“付き合い”をするようになったのはまだ数年の事なのだが・・。
「・・ひ・っ!」
 けれど次の瞬間、逸れてしまった思考を見透かされたように猛ったそれを引き上げさせられたままの尻の狭間に押しつけられて、有栖はビクリと背中を震わせた。
 その様子を見つめながら、離れた指が一瞬だけ取り残されてしまった欲望を掠めて触れる。
「!ゃ・!!・」
「嫌なのか?」
「・・・・・」
「アリス?いいんだろう?」
「・・・っ・・」
 これでは本当に堂々巡りだ。
 胸の中に落ちた溜め息。
 一体全体これのどこが“尽くしている嫁”の姿なのだ。「母音2つだけだぜ?しかも同音」
「!!!」
「・・本当に報われないよなぁ・・」
 わざとらしい言葉と共に落とされた大きな溜め息。その途端有栖の中で何かがブチッと音を立てて切れた。 
「やかましい!毎週毎週ここぞとばかりに押し倒してくる“嫁”に文句なんか言われとぉないわ!尽くしてるなら、最後までちゃんと尽くせ!!」
「・・・・・・・」
 再び落ちた沈黙。
「・・・今時亭主関白は流行らないけどな・・」
 けれどそう言う声はどこか楽しげで、何故と思った瞬間、クルリと身体を返された。
 そうして向き合う形になった顔が、見慣れた人の悪い笑みを作る。
「・・ひ・・火村?」
「さてと、それじゃあリクエストも出たところできちんと最後まで尽くさせて貰いましょうか」
「!!!」
 どうやらこれでもかと言うほど墓穴を掘ってしまったらしい。
 ヒクリと引きつった顔。
「や・・め・・ひむ・・あ・あぁぁぁぁ!!」
 そうして次の瞬間、有栖の声が部屋の中に響き渡った。   
 
 
 
 
 
 
 
 そう・・・。それは本当に他愛のない会話から出た言葉だった。
 コンビニ弁当とレトルト食品に店屋物。締め切り間際はそんなものでも口にしていればマシという、相変わらずの食生活を送っていた大阪在住の推理小説作家の有栖川有栖。
 そんな有栖の所にやってきたのは長年の友人であり、数年前から恋人でもあったりする、京都在住の英都大学社会学部助教授の火村英生だった。
 似合わないと言えばこれ程似合わない言葉もないが、その時の火村は有栖にとってまさしく『救世主』だった。
 締め切りが明けて、いくら何でも何か買い物に行かないと不味いだろうと思い始めていた所に、そんな状態を知ってか、はたまた予測してか、火村は食材の詰まったスーパーの袋を持って夕陽丘までやってきたのだ。
 そして持ち込んだそれで当たり前のように彼が作ってくれた夕飯をガツガツと掻き込む有栖に呆れたように火村が口を開いて、交わされたやりとりの中で生まれた言葉・・・
 
「君が女やったら間違いなく嫁さんに貰っとるで!!」
  勿論それを聞き逃す火村ではなかった。
「へぇ、嫁さんねぇ」
「こ・・言葉のあややけど」
「そうか、有栖川先生の嫁選びの基準は料理だったのか」
「いや・・だから・・」
「料理上手な可愛い嫁さんがほしいわけだ」
「あ・・え・・別に・・」
「こりゃ負けられねぇな」
「火村?」
「いいぜ、嫁に来てやっても」
「・・へ?」
「まぁ、本来ならお前の方が嫁だけど」
「!何の話や、何の!!」
「そりゃ勿論、お前が考えてる事で正解だと思うぜ?でもまぁ嫁が押し倒すってぇのも一興だよな」
「アホ!」
「とりあえず、明日から仕事でしばらくこっちの大学に用事があるんだ。昔、世話になった人でどうにも断り切れなくてな」
「・・・・・それが何なんや?」
「だから、その間『お試し期間』って事で嫁になる」
「!!!」
「専業作家と働く嫁。いい組み合わせだろう?」
 そんなあれよあれよと言うやりとりの中、何がどうしてそうなってしまうのか有栖にはまったく分からないままそれは決定事項となり、さっそく火村の言うところの『お試し期間』が始まったのだ。
 掃除、洗濯、食事・・・。
 朝起きれば、全ての事が終わっている。だが、しかし、物事はいいところばかりではない。
 元々夜型の人間と自覚している有栖だが、起きれないのはそのせいばかりではなく、言うのも恥ずかしいが、ようするに“夜”のせいだ。
 自称『嫁』の恋人はきっちりといわゆる“夜のおつとめ”に励んでくださる。
 勿論押し倒されているのは有栖だ。
 大体今までは月イチ、もしくは2回程度で、下手すればもっと間が空く事もざらだったその行為がいきなり毎晩になる事自体が無理な話なのだ。それなのに、当の火村は当然の事とばかりに毎晩挑んできて、更に家事をこなし、そして仕事にまで出掛けている。
 もっとも抱く方と抱かれる方とではダメージが違うと言えばそれまでなのだが、それにしてもタフだと呆れながらも、流され、慣らされて、気付けば一週間。
 『お試し期間』は終わり、火村は京都に帰っていった。
 今度は『嫁』と認めることを前提とした『週末婚』にでもしてみるかとそんな言葉を残して。
 そしてそれに「アホんだら!」と返しながら、何となく週末を待ってしまいそうな自分を有栖はこっそり自覚していたりしたのだが・・・・。
 結果は、この通りである・・・
 
 
 
 
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「おい、大丈夫か?」
 サイドランプの柔らかな光に照らされた室内。
「・・・どの口がそう言うとるんや。見て分かるやろ。最悪や。指動かすのもかったるい」
「そりゃ、お疲れさま」
「ふざけるな!」
 いわゆるところのピロートークはお世辞にも色っぽいというものからはかけ離れていた。
 けれどそんな事は全く気にならないとでも言うように、声をかけた本人はベッドに半身を起こしたまま、落ちていたシャツの中からキャメルのボックスを取り出した。
「・・・・ベッドで吸うな。向こう行け」
「つれない事を言うなよ。一服したら風呂に連れてってやる」
「・・・・・・・・自分で行ける」
「無理だな」
 カチリと響いた小さな音。
「だから吸うなって言うとるやろ!」
「だから一服したら風呂に連れてってやるって言っただろう?ついでにちゃんと洗ってやるから大人しく待ってろよ」
「!いらんわ、ボケ!!大体・・もう・・ほんまに・・」
 言いながらどんどん熱くなって行く顔をどうすればいいのか。そんな有栖に火村はひょいと肩を竦めて白い煙を吐き出した。
「仕方がないだろうが、なくなっちまったんだから」
「!!!ないならすんな!」
 何がなくなったのかは口にするのも嫌だ。
 勿論そんな有栖の気持ちが判るはずもなく火村は更に言葉を続けた。
「あそこまできて止まれるか。だからちゃんと中も洗ってやるって・・ってぇな!おい、危ないから蹴るな!アリス!!」
「最悪や!!」
 これ以上は赤くなれないという程赤く染まった顔を隠すようにして有栖は布団を頭から被ってしまった。 
 そうなのだ。あれから一ヶ月。信じられないことに火村は毎週有栖のマンションにやってきていた。
 そして何が楽しいのか、あの“お試し期間”のように掃除をして、洗濯をして、食事を作って、そうしてこれまた当たり前のように有栖を抱いている。
 はじめのうちは本気で『週末婚』なんてものをやろうと思っているのかとか、一体何を考えているんだとか、いい加減人をからかうのはやめろとか考えていたのだが人間は慣れる生き物だったのだ。
 土曜の夕方に「ただいま」等と言いながら食材の詰まったスーパーの袋を持ってやってくる男に「何がただいまだ!いつからここはお前のうちになったんや!」と食ってかかっていたのは2週目までで、3週目は「よぉ続くなぁ。で、今日の献立は何や?」になってたし、先週は「あー、遅かったなー」などとついつい返してしまっていた。そして今日は火村の顔を見て『ああ、土曜日だったのか』と思ってしまった辺りが思うつぼというか、まさしくこれぞ、週末婚。火村の言う通り、働く嫁と専業作家の旦那のシチュエーションだ。
 だが、しかし、何事にも限度というものがあると有栖は思う。あの“お試し期間”のように毎晩ではなくても週に1度。もしくは日曜日も泊まっていく時には2度。
 しかもその1度が『1度』で終わった試しがないというのが現状で・・・・。
「・・・きっと君は俺の事を殺すつもりなんや」
「ああ?何だって?」
 プカリとキャメルをふかしながら、火村は聞こえてきた言葉に思わず隣に突っ伏している恋人を見た。
「俺は殺すつもりの人間に飯なんか作ってやる趣味はないぜ?」
「そういうのとちゃうわ!そうやなくて・・その・・きついって言うとるんや。今だって怠いし、重いし、翌日も歩くの辛いし。ようやく身体が元通りになってくるとまたやし・・・。前はもうちょっと・・えっと・・そのインターバルっちゅうか・・」
「その時はその時で確か間が空いているのに無茶するなとか喚いてたよな」
「・・・・・・・」
「週一、いいペースじゃねぇか」
 さらりと言い切って火村はいつの間にか取り出したらしい携帯の灰皿にトンと吸い殻を落とした。その瞬間有栖の中で何かがプチンと音を立てて切れる。
「アホ!!せやから週一は週一でも内容やって言うとるんや!やりすぎなんや!大体言いたかないけど、若いっていう年でもないんやし、もうちょっと考えろ!ほんまに腎虚になったらどないしてくれるんや!」
「搾り取られてるのは俺もだろうが」
「!!!下品すぎる!!」
「振ったのはそっちだろう?」
「君が限度を弁えんからや!・ったたたた・・・」
「おいおい、大丈夫か?」
「・・・・うるさい・・どれもこれもみんな」
「俺のせいなんだろ?」
「・・わかってきたやないか」
 ほとんど吸わないうちに短くなってしまったキャメルを灰皿の中に押し込んで、火村は大きな溜め息をついた。
「・・ったく本当に報われないよな。こんな尽くしているってぇのに」
「せやから、尽くし方に問題が・・っうわ!ひ・火村!」
 その瞬間、フワリと抱き上げられた身体に有栖は思わず顔を引きつらせてしまった。
「暴れるなよ。落とすからな」
「だったら下ろせ・・おい・・!」
「うまく歩けないのも、身体が痛くて怠いのも全部俺のせいらしいから責任をとらないとな。それにちゃんと洗わないと明日の朝、腹を壊すぜ?お前だってそれは御免だろう?」
 その悲惨さが分かる過去があるのが辛くて、いけしゃあしゃあとそう言う口が憎い、と有栖は思った。
「・・・・サイテーや・・」
「万全なアフターケアーじゃねぇか」
 そうしてニヤリと笑う恋人、もとい“嫁”の腕の中で有栖はこれ以上何も言えずにガクリと肩を落とした。