Sweetweddingdays3

「・・・・気が抜ける」
 多少焦げたトーストをボソボソと口に運びながら、有栖はポツリとそう呟いた。
 点けっぱなしのテレビ画面では小難しい顔をしたコメンテーターたちが世界情勢についてのウンチクを語っている。
 消化に悪そうだと思いながらもチャンネルを替える気力も、いっそテレビを消してしまおうという気力も、何よりこのトーストだけの貧しい食事に消化も何もあったもんじゃないという思いに有栖はもう一度はぁと溜め息を落とした。
 火村から週末は来られないという電話が入った時点でこの事をまず予測すべきだった。
 なんでそんな事で電話を寄越すんだとか、浮気って何や!と思う前に、この起こり得るだろう問題を考えなければならなかったのだ。
 そう、この所火村が完璧に食事の管理をしていたので気づけなかった、もとい気にしていなかったのだ。
 自分で言うのもなんだけど、本当にこの生活パターンに慣れすぎてしまった。ほんの一ヶ月ちょっと前までは週末に一人で食事をするのが当たり前だったのに、今は何故か物足りない。しかも、これまた口にするのも恥ずかしいのだがいつもと違って身体が軽いので、妙に早く目が覚めてしまった。今までのパターンならばまだベッドの中で爆睡中だ。
『一応“浮気はしないぜコール”は入れるだろう?ああ、それとも“浮気はするなよコール”か?』
 不意に耳の奥に甦るあの日の電話。
「・・・・ったくそんな事よりも食べ物確保の指示出しでもしとけ、アホ」
 それはそれで大の大人としてどうかというものなのだが、この生活に慣らしたのは火村なのだ。せめてそれくらいは予測してくれてもいいだろう。そんな事を考えならが有栖はトーストの最後の一口をコーヒーと一緒に流し込んだ。
「・・・・あーあ・・とにかく何か食べ物買うてきて。
夜はどこかに食べに出ようかなぁ」
 再び溜め息混じりの零れ落ちた言葉。その途端。
「!?」
 鳴り響いた電話にビクンと身体が震えた。まさかと言う思いともしかしたらという思いが胸の中で交差する。
 仕事だと言っていた。学会で来られないと。でも自分はどこで学会が行われるかを聞いていない。もしかして、けれど、でも、だけど・・・・。
「・・・はい?」
『あ、有栖川センセ?』
「朝井さん?」
『ビンゴや。ところで今暇?仕事は?締め切りいつ?』
 立て続けの質問に有栖は一瞬言葉を詰まらせて、小さな溜め息を漏らした。
『何やの、失礼な奴やね、溜め息なんかついて』
「いきなりの質問の波に驚いて息を飲んだだけですよ。けど、ほんまにどないしたんですか?確か朝井さん修羅場ってるってちょっと前に聞いたんですけど」
 京都在住の先輩推理小説家、朝井小夜子は有栖のその言葉に受話器の向こうでフッと笑った。
『有栖、明けない夜はないように、明けない修羅場はないんやで。脱稿記念や、付き合いなさい』
 有無を言わせぬ言葉。同じ職業をしている者にしか分からないだろうこの開放感。思わず小さな笑いを漏らして有栖は「おめでとうございます」と口を開いた。
『おおきに、ありがとう。ところであんたの方は?珀友社の方でなんか書くとか書かないとか聞いたんやけど』 「ああ、そっちの方は長編でまだプロットのOKが出た段階です。その前に雑誌の方の短編が入っているんですけど、それは後もう少しで」
『好都合やないの。それやったら火村センセも誘って久しぶりに3人で騒ごう?』
「・・・あー・・火村は今出張に行ってるらしくて」
『あら、どこに?』
「さぁ・・学会とか言うてましたけど」
『ならしゃあないわね。有栖だけで我慢するわ』
「どういう意味ですか!?」
『あはは・・怒りなや。したらどこに行こうかな。焼き肉が食べたいの』
「焼き肉ですか?」
『そう。豚トロのおいしい所。時間までに調べて連れてって頂戴。6時前にはそっちに行けるから場所が決まったら最寄り駅を携帯に連絡して。じゃあまた後で』
「ちょ・朝井さん!?俺豚トロのうまい店なんて・朝井さん!」
 切られた電話。すでにツーツーという無機質な音を流している受話器をのろのろと元に戻して有栖は大きな溜め息をついた。
 自分の周りにはどうしてこうも強引な人間が多いのだろうか。
「・・・・ぐるナビで調べるか・・・」
 とにもかくにもこれからの予定は決まった。
 どうせ外に出ようと思っていたところだ。それにどうせなら一人で食事をするよりも誰かと食事をした方がいいに決まっている。
 そう思いつつ、何となくもう一度だけ小さく溜め息をついて、有栖は書斎へと歩き始めた。
 
 
 
 
 
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「・・ったく何をやっているんだあの馬鹿は」
 苛々とキャメルを吹かしながら一向に繋がらない電話を切って、火村はホテルのロビーに設置されている喫煙コーナーのソファにドカリと腰を下ろした。
 最近はどこもここも禁煙で、ホテルのロビーでさえも満足に煙草が吸えなくなってしまった。
 会議の間は、とりあえず吸ってはいけないとは言われていないのだが、パネルディスカッション形式でのパネラー、しかも助教授という自分の立場を考えればスパスパと煙草をふかせる状況ではなく。
 そんなこんなでストレスが溜まりそうな時間もどうにか先が見えてきて、どうやら思っていたよりも早く介抱されそうだと恋人に連絡をとり始めたのだが一向に繋がらない。
 どうせ食べ物が底をついていて、夜は店屋物か外食で済ましてしまうつもりだろうと予測はしていたのだが、昼過ぎにマンションの方にかけた時は話し中で、次の時は留守電になっていた。そうしてすぐさま携帯にかけてみれば電波が云々のメッセージが流れた。
 もっとも休憩時間をぬってかけているので、たまたまタイミングが悪いだけと言えばそれまでなのだが、それにしても・・・である。
(せめて留守番伝言サービスとかにしておけ) 
 短くなったキャメルを吸い殻入れに入れて、火村は時間を確かめて立ち上がった。タイムリミットである。
 とにかく、終わり次第もう一度連絡を取ってみよう。
 行かれないと言ったけれど、会えるのならば会いたい。
 しかもこれが東京で行われているならば乗り越してまでと歯止めも利くが、大阪を通り越して京都に帰るとなれば、明日は大阪から出勤すればいいか・・と思ってしまうのが人情というものだろう。
 馬鹿かと自分自身思いつつも、会えないと思うと余計会いたいと思うし、何より『週末婚』の生活に馴染んでしまった自分がいる。
 まさか1ヶ月程でこんな風になるとは思わなかった。
 今更だと思うのに、それでも止められないと思える。
「・・・本当に・・今更だってぇのにな・・」
 学生時代からの付き合い。
 いつの間にか隣にいることが当たり前になって、なくてはならないような存在になって、何の話題がきっかけだったのか、気付いたら抱き締めていた。柄にもなく好きだと囁いて全てを手に入れた。
 信じられないといった顔も、止めてくれと泣いた声もそして許すように背中に回された手も・・・。
 
『謝るつもりはないからな・・』
『・・・・・今更や、アホ』
 
 あれから数え切れないほど幾度も抱き合った。
 それでも変わらずに有栖は隣にいた。
 そして、からかって、かまって、『嫁』などと馬鹿なことも言って・・・。
「・・・やっぱり何が何でも今日はする」
 何を・・・とは言わずもがなである。
 自分がこんなにストレスと闘い、我慢をして仕事をしているのに、いくら行かないと言ったからとは言え、フラフラと出掛けているのが悪い。
 有栖が聞いたら「理不尽すぎる!」と叫びそうなことを考えながら口の端を小さく歪ませると、火村は携帯をオフにして会議室に向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そうしてその数時間後・・・・。
「おい、どこにいやがるんだ!」
 ようやく繋がった電話にムッとして声を出した途端。
『・・・・・?』
「!!」
 聞こえてきた声に火村は一瞬絶句した。