Sweetweddingdays5

 ブレーキの音。ついでバンと開いたドアの音。そして少しの間を置いて閉じたドアと遠くなっていくエンジン音。
「よぉ、遅いお帰りで」
 エレベーターのボタンを押して、下りて来たそれが開いた途端聞こえてきた言葉に、有栖は弾かれたように顔を上げた。
「火村!?」
 それにニヤリといつもの笑みを浮かべながら、火村は茫然としている有栖の腕をグイと力任せに引き寄せてエレベーターの狭い箱の中に引きずり込んだ。
「!何するんや!おい!」
 背中で閉じたドア。一瞬の間を置いてウィィンと低く唸るようにエレベーターは上昇していく。
「・・・・今日は来られなかったんとちゃうんか?」
 腕を掴まれたままの重苦しい沈黙に耐えきれず口を開いたのは有栖だった。
「来られないと好き勝手をするわけだ」
 それにサラリとそう返した火村に、有栖は俯き加減だった顔を上げた。
「!それってどういう・」
「浮気はしない約束だっただろう?」
「何言うとるんや!」
 怒鳴った途端カタンと小さく揺れてエレベーターが7階に止まった。
 開いたドア。
「!!火村!」
 けれど掴んだ手を放さないまま、乗り込んだ時と同じをように有栖の腕を引っ張って火村は廊下を歩き始める。
「危ないから放せ!」
「あんまり大声を出すと何事かと思われるぜ?」
「・・・・・」
 確かにまだそれ程遅い時間ではない。いつもの自分であれば宵の口以前の時間だ。こんな廊下で大声を上げていれば何事かと覗く人間もいるだろう。
「・・自分で歩けるから放してくれ」
「もう着いた」
 そう言うと火村はポケットの中から合い鍵を取り出してドアを開けた。そして次の瞬間、掴んだままの手を又しても引っ張って、暗い玄関の中に有栖の身体を押し込める。
「!うわっ!!」
 ガタガタと何かが倒れる音がした。
 暗闇と足元の悪さに、皮肉も掴まれている手だけが頼りになって、思わずもう片方の手で、火村のジャケットらしきものに縋るようにしがみつく。
「何すんねん!!」
「酔いは?」
「冷めたわ、アホ!!」
「いい大人が戻すまで飲み食いするんじゃねぇよ」
「!なんで・・あ、もしかして強制送還て・・君、朝井さんに電話」
「馬鹿、全部お前のせいだ」
「は?」
 どうも会話が噛み合わない。というか理解できない。
 なぜ酔っていることや、吐いたことを火村が知っているのか。それよりもなぜ火村がここにいて、そして有栖がタクシーで帰ってくるのを待っていたようなタイミングで下りてきたのか。そして帰り際、何となくグチャグチャとしているのだが、朝井の言っていた言葉の意味は何だったのか。
 そんな有栖の思考を遮るように、火村が唐突に口を開いた。
「学会は神戸であったんだ」
「・・・うん・?」
「思ったよりも早く終わりそうだったから休憩の度に電話をかけた」
「・・・うん」
「でもこっちは話し中だったり留守電だったり、携帯は電波が届かないの繰り返しだ」
「・・・・・・」
 ああそう言えば、朝井に言われた豚トロのうまい店を調べるためにネットを使っていたと有栖はまだ少し酔いの残っている頭でぼんやりとそんな事を考えた。
 有栖の家はそんなに頻繁に使うわけではないからとアナログ回線で、インターネットを使っていると電話は話し中になってしまうのだ。そして焼き肉屋は地下の店だった。確かに電波は届きにくい。
「・・・ごめん・・朝井さんから修羅場が明けたから焼き肉食べに行こうって電話があって・・・」
 しどろもどろに言い訳めいた言葉を口にした有栖に火村は腕を掴んでいた指に少しだけ力を込めた。
「!・・・いっ・」
「それで大阪まで来て、ようやく繋がって出たと思えば聞こえてきたのは女の声だ。その時の俺の気持ちが判るか?アリス」
「・・っ・・女って・・あれは」
 何となく分かってきた。多分自分がトイレに行っている時に火村からの電話が入ったのだろう。そしてどういう事でそうなったのかは分からないが、小夜子がそれをとり火村と話をしたに違いない。だからこそ火村は自分の帰宅を予測でき、小夜子が強制送還だと言ったのだ。
「・・なぁ、アリス」
 言いながら耳元に、首筋に、掠めるように触れる吐息。
 そして壁に押しつけられたままゆっくりと動き出した手に有栖はビクリと身体を震わせた。
「・・火村・・っ・・」
「浮気はしない約束だっただろう?」
「・・っ・別に・・浮気とかそんなんやな・・っ・や・火村・・っ」
 セーターの下、スルリとスラックスから引き抜かれたシャツ、そして当たり前のように腰から背中を辿り始める手の平に有栖は小さく息を呑んだ。
「・・っやだ・・冷たい・・って」
「そうでもないだろ?それにすぐそんな事は気にならなくなるさ」
「あ・ほ・・ぅ!そういう問題とちゃう・・っん・やめ」
「大声出すと外に聞こえるかもしれないな」
「ならすんな!」
「馬鹿。だからこそだろう?頑張って仕事をして、こうるさいじじぃたちの小言にも耐えて。それで、もしかしたら会えるかもしれないと思ってたら“旦那”は外でベロベロになっていた。しかも女付きだ。こりゃもう切れるしかないだろう」
「!誰が女付き・・っん・・や・・ぁ・やだ・や・!」
 ジッパーを下ろして入り込んできた大きな手がゆっくりとそれを揉みしだく。ビクビクと震える身体。
 玄関の壁に押しつけられるようにして抱き締められながらの愛撫はひどく苦しくて、何よりドア一枚ですぐに外だという事実が、有栖の気持ちを更に追いつめていた。
「・・やだ・・火村・・っん・・やめて・く・れ・」
「やめない」
「!あ・・んぁ・・っふ・ぅ・・う・」
 思わず両手で塞いだ口。それに気付いて火村はその手をすぐさま剥がして口づけた。
「・・・んん・・っ・・ふ・・っ」
 シュルリと抜かれたベルト。
 落とされたスラックス。
 器用に下げられた下着。
 ひどく無防備になってしまった下半身に、けれどどうする事も出来ず、有栖は口づけの息苦しさに眉を寄せた。 途端に頬を伝って涙が流れ落ちる。
「・・・・っ・・・くるし・・」
「・・・・・・・」
「・・ひむ・・っん・・」
 キリもなく離れては塞がれて繰り返される口づけ。その間にも股間を嬲る手は一時も止まらない。
「・・や・・め・・お願・ここじゃ・・や・・」
 もしかしたら今、誰かがこのドアの向こうを通るかもしれない。
 おかしな物音に、そして漏れ落ちてしまう声に気付いてしまうかもしれない。
「・・火村ぁ・・」
 熱くなってしまったそこを、押しつけるような形になりながら、有栖は目の前の身体にしがみついていた。
「・・・ほんまに苦しい・・これ・・きつい・・」
「・・・・・・・・」
「また吐く・・かもしれへん」
「・・・・脅す気か?」
「あほ・・。そうやなくて・・。向こう・・行こ・・?」
 言いながらまだ片足に靴が残っている事に今更ながら気が付いて、有栖は自分の格好の凄まじさに顔を赤くした。そんな有栖を見て火村は口の端に小さな笑みを浮かべる。
「いいぜ。じゃあ、風呂場に直行だ」
「!火村!?」
「お前、気付いてないのか?凄い匂いだぜ?」
「え・・・?」
「焼き肉と酒と煙草と香水」
「・・・・・・・」
「全部綺麗に洗い流してやるよ。それに風呂場なら吐いたってノープロブレムってヤツだ」
「・・・・・え・ちょ・・火村!」 
 ヒョイと抱え上げられた途端、廊下にポトリと落ちた靴。脱げ落ちたままのスラックスと、スルリと抜かれて放り投げられた下着を玄関先の床に残したまま、有栖は風呂場へと強制連行されたのだった。