Valentineの溜め息

「は・・・・?」
 差し出された小さな包みに間の抜けた声を上げたのは英都大学法学部3回生の・有栖川有栖だった。
 夏は釜の底といわれるこの古都は、盆地特有の気候で冬の寒さも半端ではないほど厳しい。
 ピンと一本、何かが張りつめたような冷たさの中で白っぽい雲に覆われた空に向かって伸びる寒々しい桜の枝。
 その木の下で可愛らしいリボンのかかった箱を見つめたまま黙り込んでしまった有栖に、名前も知らないおそらく社会学部なのだろう女性はお怖ず怖ずと口を開いた。
「あの・・・・」
「・・・あ・・」
 動き始めた時間。
 途端に吹いた冷たい風に思わず肩を竦める有栖に構うことなく彼女は言葉を繋げた。
「だから・・こんな事有栖川君に頼む事自体おかしいのは判っているの。でも・・・」
 おかしいと思うなら止めて欲しい。
 大体どうしてこんな所で呼び止めるのか。せめて建物の中ならば風くらいは避けられるのに。
 そんな意地の悪い言葉が有栖の脳裏を過ぎる。
「火村君に渡して。お願い。渡して貰うだけでいいの」
 それは本日4度目の台詞だった。
 勿論同じ人間から言われたわけではない。全て違う人間から聞かされた言葉なのだ。
 胸の中で漏れ落ちるうんざりとした溜め息くらいは許して欲しいと有栖は冷たくなってパリパリとするような頬を微かに引きつらせて口を開いた。
「ごめん。俺、今日待ち合わせあるし、火村と合う約束もしてないんや」
「・・・・・預かるだけもだめかしら」
「・・・いつ渡せるかも判らんし、頼まれ物を持って出掛けるのは・・・その・・・」
「そう・・そうよね・・・・ごめんなさい勝手な事言って」
 ペコリと頭を下げて去ってゆく彼女に、小さく「ごめんな」とだけ口にして有栖は今にも雪が降り出しそうな空をチラリと見上げながら正門に向かって歩き出した。

 2/14。St.Valentineday。

 どこぞの菓子メーカーが考え出したそれは今やすっかり一年の中の重要イベントになり、毎年悲喜こもごものストーリーを生み出している。
 本当にどうしてこの日に大学になど来てしまったのか。
 今日こちらに来たのは有栖のバイトが休みだった事と、先程から何度も名前の出ている『火村』のバイトが早番だと聞いたからだ。
 社会学部3回生、火村英生。
 彼との出会いは一昨年の5月にまで遡る。他学部である彼が法学部の講義を聴講していた事が始まりである。そしてこの冬、火村との関係は激変した。
 友人ではなく、恋人と呼ばれるものになったのだ。
「・・・・・・」
 思わず赤くなった顔を冷ますようにして吐いた息。
『久しぶりに飲むか?』
 そう言ったのは珍しくも火村だった。
 後期の試験も終わり、大学は春休みに入っている。
 4月までの約2ヶ月間の休暇。
 無論来年の履修票の提出とか、後期の試験でとんでもない事が起こっている時にはそのフォローのためにレポートを書くとか色々あるのだが、おおよそこの時期はバイトに明け暮れる学生達が多い。有栖も火村も後者に関しては必要になる事がなく、自宅通学の有栖も多分に漏れずコンビニでバイトをしていたし、下宿で一人暮らしをしている火村も又幾つかのバイトを掛け持ちしているようで忙しそうだった。
 けれど、でも、しかし、そのまま2ヶ月合わずに来年の4月に大学で会うというのはとてもできそうにない。
 試験が終わって、補講期間が過ぎ、それっきりになっていた所に電話をかけたらこうなった。
 だから今日が世間一般ではどういう日なのか、有栖にとっては全く頭の中になかったのだ。
「・・・・大人しくそのまま下宿の方に行けば良かった」
 ポツリとそう呟いて大学を出ると有栖はそのままバス停へと向かった。
 けれど目当てのバスはまだ来そうにない。腕時計に目を走らせても火村のバイトが終わる時間はまだもう少し先だった。
 そんな事はないとは思うが今日伝言を断ってしまった彼女たちに万が一彼の下宿近くでウロウロしているところを見られたらとそんなくだらないことまで考えて有栖はバス停を素通りして行き馴れた喫茶店に足を伸ばした。
 つい先程まで寒空の下で話をしていたせいか、ひどく暖かいものが恋しくなっていた。
 何か飲んで、少し気分を落ち着けて、それから北白川にある火村の下宿に向かっても十分間に合うだろう。
「・・・・・バレンタインデーか・・・・」
 フワリと白い息が浮かんで、消える。
 脳裏に甦る色とりどりにラッピングされたチョコレート。
「・・ほんまに自分がこんなに焼き餅焼きで狭量だったなんて知らんかった・・」
 ふぅと一つ溜め息をついて、有栖は歩く足を少しだけ速めた。


 



あはははは・・・続いちゃった・・(;^^)ヘ..
お分かりの方はお分かりだろうと思いますが、「百の溜め息〜」の二人です。
学生時代の二人。なんか嵌っているなぁ・・・・