「あ・・・降ってきた」
行きつけになってしまった今出川沿いの喫茶店。
秋から冬にかけて、火村と『恋人』と呼ばれるような関係になるまでは本当によくここに来た。
それ以降は回数的には減ったが、それでも学食で火村と会えないと判っている時や、待ち合わせまでの時間つぶし等で有栖は相変わらずこの喫茶店を使っていた。
大学から少し離れている為か、ここで自分と同じ学生に会う事は滅多になかった。
もっとも1階でも食事が出来るので、わざわざ2階に上がってくる人間というのはそう多くはないのだろう。
今も30席あまりの席には有栖を含めて7.8人の人間が新聞を読んだり、コーヒーを飲んだり、食事をしたりして思い思いに過ごしている。
すでに定位置になっているような道路側に面した窓に向かった4つのカウンター席に座っているのは有栖だけだった。
そこから行き交う車を見つめながら本当に色々な事を考えたと有栖は生クリームの浮いたココアを啜りながらフワフワと落ちてくる白い雪を眺める。
『4時くらいには帰るから下宿で待っていてくれ』
受話器の向こうで火村はそう言った。
一週間ぶりに聞いた声だった。
お互いバイトが入っている事は知っていたから、用事もないのに電話を掛けると言う事がなんとなく躊躇われていた。けれど、シフトの関係で今日が休みになったと判った途端会いたくてたまらなくなった。
会えるならば会わなくてどうすると思った。
だからドキドキしながら電話をかけたのだ。
この時間ならばいるだろうか。
まだバイトに行って帰っていないのだろうか。
今日は一体何のバイトをしているのだろうか。
幾つか掛け持ちをしていると言っていたがどんなバイトなのだろう。
忙しくて身体を壊すようなそんな事にはなっていないだろうか。
そして・・・・火村はこんなに会わずにいて何とも思わないのだろうか・・・・・。
本当に普段の自分ならば『アホか』と思うような事まで考えて背中がムズムズするような気分まで味わいながら1コール、2コール・・・・そして4回目の呼び出し音でいつも聞くより少しだけ低い声が耳に聞こえてきてそれだけで泣き出しそうになりながら「元気か?」と馬鹿みたいな事を言っていた−−−−−・・・。
『お陰様で』
耳元でクスリと小さく笑う声。
『どうした?』
そう切り出しながら火村はすぐに「バイトの方はどうだ?」と有栖の返事も待たずに聞いてきた。
「うん。まぁ・・・・それでな、あさってシフトの変更が休みになったんや」
『へぇ・・あさってか・・・ああ、俺も早番だな。久しぶりに飲むか?』
間髪入れずに帰ってきた答え。
だから判った。多分、彼も同じ気持ちだったのだと思った。
きっと同じように会いたいと思っていてくれた。
フワリと暖かくなる気持ち。
『アリス?』
「うん。そうやな」
『じゃあ、4時くらいには帰るから下宿で待っていてくれ』
「わかった。じゃあ、明後日」
電話を切った後で緩む頬を抑えることが出来なかった−−−−−・・・。(それがまさかバレンタインデーなんて・・・・)
火村は知っていたのだろうか。
無神論者と言って憚らない人間だからそんな事は全く眼中にないのだろうか。
有栖自身バイト先のコンビニでバレンタイコーナーなどとディスプレイをやらされていたにもかかわらず今日の日と結びつける事が出来なかった。
ましてやチョコレートを渡すなどとはつい先程「火村君に渡して」攻撃をされるまでは思いつきもしなかった。
でも、だけど、しかし・・・・。
今日有栖を見かけて言付けを頼もうとした以外にも火村にチョコレートを渡したいと思っていた女性達はいたに違いない。もしかしたら、下宿先まで押し掛けてゆくような押しの太い女性だっているかもしれない。
それに火村がどんなバイトをしているのかは知らないがバイト先で貰っているかもしれない。
何で自分がそんなもんを届けなければならないのか。少しばかり意地の悪い気持ちで「預かれない」と断ってきたが、モヤモヤしたものが胸の中に残っている。
嫉妬か、焼き餅とか、勿論そう言う類の気持ちもあるけれど、何となく・・・・そんな事を全く考えつかなかった自分に『そんなん男なんやから当然や』とか『やっぱりチョコレートを俺は渡すべき何だろうか』とかうまく気持ちがまとまらない。
「・・・・ほんまにこんなのどこのどいつが考え出したんや」
ポツリと拗ねた子供のように呟いて有栖は冷めたココアを口にした。
そうして次の瞬間、そう言えばこれもチョコレートの一種だったと思わず眉間に皺を寄せる。
久しぶりに会えて嬉しいと言う気持ちだけでいたかったと有栖は思った。
会いたいと思っていてくれて良かったとそれだけでいいと思いたいのに。
「・・・・・・・どこかで買って行こうかなぁ・・・」
でも何となく他人から気付かされたのが面白くない。
まして今日、火村の部屋に行って誰かから貰ったチョコレートがあったら絶対に絶対に面白くない。
「・・・・今日でなければ良かったのに・・・」
それならば純粋にただ会いたかったで済んだのに・・・・。
ふぅと零れた溜め息。
他人が聞いたら「アホか」と呆れかえるようなそんな事を思いながら有栖は時計を見てゆっくりと椅子から立ち上がると口の中に残る甘ったるいココアの味を流し込んだコップの水で消して階段へと向かった。
何だか連載(;^^)ヘ..
回るアリスってどうも可愛くて好きなんですよねぇ。
でも今時こんな事考えるやつなんていない。電話のあたりのやりとりで背中がかゆかったのは私だ。