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赤い繭 11

「わざわざ御足労願って恐縮です。こちらが14年前の資料です」
「ありがとうございます。拝見させて戴きます」
 きちんとファイルされたその表紙に書かれている“戸隠山小屋バラバラ殺人事件”の文字。
 昨日も訪れた長野南署の会議室で火村はパラリと調書をめくった。それを横で覗き込むように有栖も又書いてある文字に目を走らせる。
 調書の内容はこうだった。
 12月×日、午後2時。戸隠山の登山小屋で人間の死体らしいものがあるという通報により、中社前の派出所と、村役場前の派出所からそれぞれ1名づつの巡査が現場に向かう。発見者は3名。役場に勤め、山小屋の管理を任されていた足立康平(32)と、同日日帰り登山の申請をしていた山中隆(27)・河西光俊(34)である。
 3人は昼過ぎに登山道で合い、顔見知りと言うこともあり一緒に小屋まで行き遺体を発見した。
 死因は出血死。頭部を鈍器のような物で殴られたのが致命傷と考えられる。遺体は屶のようなもので切られた後、引きちぎられたような形跡があった。生体反応が出ている為、解体は殴られた後すぐに行われたらしい。
 性別は男。血液型はA型。身長は170前後。中肉中背。年齢は20代から40代前半。顔は判別不可能な程潰されており、頭部および胴体、右足左腕は小屋の中に、左足は小屋の外に、そしてなぜか手首から先が切り取られた右腕が、後日雪に埋もれた林の中から発見された。いずれも身体的な特徴はなく、身元が判るような遺留品はなかった。非常に、今回の事件と似ている。
「被害者は旅行者の可能性はなかったんですか?」
 火村の問いにその事件を担当したという同署の小山内警部補は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「それが、今回のヤマとは違ってスキーシーズンが到来しておりまして、毎日入れ替わり、立ち替わり、新しい旅行者が訪れているという状況でどうにもこうにも。唯一掴んだ情報がこれですが、それも又あやふやで・・」
 言いながら指差された所に書かれていたのは町中の噂だった。曰く−−−−その事件が起こる前に戸隠の伝説を聞き歩いていた男がその位の年格好だった。が、その男がどこの誰で、どこに泊まっていて、あるいはどこから来て、何の為にそんな事をしていたのかという事は全く判らず、ただの噂として処理するしかなかったようだ。
「全くどこから聞きつけてきたのか、14年前のこの件まで持ち出されて今日は朝からマスコミ対応です」
 うんざりしたような口調でそう言って竹本警部が苦い笑いを浮かべた。
 有栖たちがここに来るまでも、いくつかのテレビ局の取材らしい一行とすれ違った。今頃戸隠村は季節外れの有り難くもない賑わいを見せているのだろう。
「この噂の男の事はこれ以上判らなかったのですか?」
 来る途中の自販機でお目当ての煙草を買い込んだ火村が新たなパッケージを惜しげもなく開いて中の一本を取り出す。カチリと点けられた火。
「証言は5件程上がっていましたが、いずれも道を尋かれる程度に戸隠の伝説はどういうものがあるのかとか、紅葉の伝説は誰に聞けば教えてもらえるかといったようなものでして珍しい事を尋くと記憶には残っていたらしいのですが、何分スキーシーズン中の事で顔もうろ覚えと言った者が大半でした。まして素姓、名前などは・・」
「聞かない・・か・・」
「はぁ・・」
「宿泊施設ではそう言った証言は上がらなかったんですか?そこの宿泊客やったら顔はともかく名前が判るでしょう?」
「それが、旅館、民宿、ペンションのいずれの施設からもその手の証言はありませんでした」
「尋ねられた人間というのはその問いを同じ日にされているんですか?それから証言者たちが男に尋ねられた場所は?」
「えー・・っと・・・日にちはっきりとしません。事件が起こる2.3日前位というもので、はっきりと何日に尋ねられたという事は覚えていない者がほとんどでした。唯一はっきりしていたのは中社前の土産物屋の店員で、何でも目の前の駐車場で接触事故があった日だったとか。調べてみましたら事件の2日前の事でした」
「では、噂の男は2日前には戸隠に居たという事は確かなんですね」
「はい。ですから、その男がその日たまたま通りかかっただけのいわゆる日帰り客だったのか、又は戸隠内に知り合いの家があり、そこに泊めてもらったのか、それともただ単に宿では話題に出さなかっただけなのかは判りません」
「なるほど・・」
「ああ、それと証言者の場所でしたね。えーっと・・宝光社の辺りで1人、中社の近辺で3人、奥社の手前に1人。いず
れも蕎麦屋や土産物屋と言った店の従業員です」
「まるでお前みたいな奴だな」
「・・言わんといてくれ。俺もそう思ったところや」
 振り向いた火村に有栖は思わず眉間に皴を寄せて小さく俯いた。
「しばらくは被害者の身元確認を重点においた捜査とマスコミ対策の両面に気を遣いそうです。先生方はいつ頃まで戸隠の方に?」
「予定では今日帰る筈だったのですが、もう少し・・」
 チラリと視線を向けた火村に有栖も又小さくうなづいた。このままでは帰れない。とは言っても勿論、事件が解決す
るまでというわけにはいかないのだが。
(いつになるか判らんしな・・)
 そう。早く解決するに越した事はないが、現時点で被害者の身元すら判っていないのだ。長引く可能性の方が大きい。「また何か判った事がありましたらお知らせ致します」という竹本たちに火村も又「気付いた事があったらこちらも連絡をします」と告げて、二人は長野南署を後にして車に乗り込むと再び戸隠を目指した。
「・・・なぁ」
「ああ?」
「ほんまに14年前の事件と関係があるんやろか?」
 それは有栖が繰り返し、繰り返し考えていた事だった。
「判らないから調べてるんだろう?」
 その問いににべもなくそう答えて、火村はキャメルを取り出す。
「さっきの男の話どう思う?」
「どうって?」
「せやから、殺された男だと思うか?」
「そいつも判らないね。まぁ、その確率があるって事か」
「・・・・・万が一そいつが被害者だとしたら何で殺されたんやろ?」
「お前はどう思うんだ?」
 何か考えたからそんな事を言い出すのだろう?というような火村に有栖はハンドルを握ったまま言葉を続けた。
「よく判らんのやけど、戸隠の伝説を聞いてたって言うのが何かひっかかるんや。何の為にそんな事を聞いていたんや?それに何かのヒントが隠されているとしたら・・」
「忍者が隠した財宝でも出てくるか?」
「あのなぁ!俺は真面目に話してるんやで」
「それじゃあ、真面目に言わせて貰おう。今回の事件と14年前の事件に繋がりがあると仮定して、伝説を聞き回っていた男が被害者だと、これも仮定する。さて、問題です。作家先生の言う通り、戸隠の伝説が何らかの意図をもって前回の事件に絡んでいるとしたら、今回の被害者は誰でしょう?」
「・・・・あ・・」
「気付いたか?」
「・・・・うう・・」
「伝説に何かのヒントがあるならば、達磨になっていたのはお前だぜ?」
「・・・恐ろしい事を平気で言うんやない」
「言い出したのはお前だ。今回の事件が、14年前の事件に関わりがあるとしたら、犯人にとってまずい事が起きたって考えるのが無難な線だろう?」
 助手席のヘビースモーカーの関係上、細く開けた窓から吹き込む冷たい風。後部座席に飛んでゆく白い煙に有栖は一瞬だけ眉を潜める。
「まずい事って?」
「何だと思う?」
 問いかけに問い直されて、有栖はフロントガラスを睨みつけるように前方を見つめた。
 僅かな沈黙。
「時効が成立出来ない事・・か」
「だろうな」
「じゃあやっぱり今回の事件は前回と同一犯なんか!」
「仮説だ」
「でも・・」
「そう。仮説は成り立つ」
 吸殻受けにギュッとキャメルを押しつけて火村はふぅっと白い煙を吐き出した。
「14年前、戸隠に伝説を聞きに訪れた男が殺された。それを知っていた、あるいはその経緯に辿り着いた男が、時効間近に犯人に接触を持ってきた。そして同じように殺された」
「けど、どうして同じようにバラバラにしたんや?普通に殺せば、まぁこの言い方もおかしいけど、バラバラにしなけれ
ば14年前の事件と結びつけられんかったかもしれんやないか」
「バラバラにする意味があった。もしくはバラバラにしなければならない理由があった」
「それは俺も考えた。あとは犯人の性癖って所やろ?」
「ああ。身体的な特徴を隠す為に解体するなら切り離した部位はどこかに隠された筈だ。けれど手足はいずれもそこにある。ただ身体から離しただけだ」
「でも、ちょっと待てよ。14年前の死体では見つかってない部位があるやないか」
 右腕の手首から先だけが見つかっていないと調書には載っていた。それをどう考えるべきなのか。
「それは俺も気になった。けれど今の時点では仮説を立てられる材料がない」
「・・・・・・・」
 見えてきた戸隠の町並み。3日前、こうしてこの村に入ったことがひどく遠い事のように思えて有栖はゆっくりとカーブを切る。
「・・・・・いい人たちばかりやったんや」
「・・・・・・」
「ほんまに自分の事のように相談にのってくれて、考えてくれて、協力してくれる」
「別に戸隠に住む人間が犯人だと決まったわけじゃないさ」
「・・そうやな」
 珍しい、火村の慰めるようなその言葉に有栖は思わず唇を噛み締めた。こんな風ではいけない。こんな事を火村に言わせるようではいけない。
 再び有栖の胸に中に昨日感じた何かが這い上がる。嫌悪感にも、罪悪感にも似た感情。それも消さなければいけない。
「・・・なぁ、そこの蕎麦屋に寄って行かへん?」
「・・また蕎麦かよ」
 うんざりしたような火村に有栖はすでにウィンカーを出しながら真面目な顔で口を開く。
「“郷に入っては郷に従え”や」
「その諺の引用は絶対に間違ってる」
「うるさい」
 いつもと同じのかけ合い漫才のようなやりとりをしながら二人は駐車スペースに停めた車から降りると、初日に有栖が訪れた蕎麦屋の入口をカラリと開けた。
「いらっしゃい!」
 あの日と同じ、聞こえてきた威勢の良い声。店の奥から覗いた頑固そうな店主の顔。
 けれどその数分後、有栖たちは再び車に乗り込んでいた。

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『悪いけどあんたに食わせる蕎麦はないね。人の好意を仇で返すとはこの事だ。あんたがあの無作法な連中を連れ込んだんだろう!しかも警察の連中と一緒に動き回っているって言うじゃないか!何が観光で、出版関係だ!大方週刊誌か何かの三文記事でも書いているんだろう!帰ってくれ!』


14年前の事件のあらましです。ちょっとばっかりリアルな感じでしょうか・・・・・・