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赤い繭 12

「気にするな」
「・・・・・・うん」
「本当の事を言われているならともかく根も葉もない事を言われて気にするのは馬鹿だ」
「・・・・うん」
 有無を言わさず運転席に座った火村に、助手席に腰掛けた有栖はぼんやりと同じ言葉を繰り返す。流れてゆく見慣れてきた風景。
「・・・煙草を買うてる時」
 ポツリと呟くように有栖が口を開いた。
「ああ?」
「君が自販機でキャメルを買い込んでいる間、へんな噂を聞いたんや」
「くだらねぇ噂なんか覚えてるんじゃねぇよ」
 吐き捨てるような火村の言葉に、けれど有栖は言葉を続ける。
「・・・前に殺人事件があった時も、どこかの男が紅葉狩りの伝説の話を聞いて居たって」
「・・・おい・・」
「今回もどこかの男がそんな話を聞いていたって」
「・・・・アリス」
「紅葉の祟りかもしれへん言うてた」
「本気で言ってるなら車から叩き出すぞ?」
「俺が借りた車やで!?」
「ふざけた事をほざいているからだ!」
 怒りも顕に、火村は宿の駐車場に車を滑り込ませて停めるとバンとハンドルを叩いた。途端にパァッとクラクションが鳴る。
「さっきも言った筈だ。紅葉の伝説が引き金なら殺されているのはお前だ!」
「せやけど!・・・せやけど・・・事件は起こっているやな
いか」
「偶然だ」
 今度は切り捨てるようにそう言って火村は車から降りた。それに続くように有栖もまた外に出る。
 車を挟んで向き合う二人。
 先に沈黙を破ったのは苦虫を噛みつぶしたような顔をした火村だった。
「昨日からお前はおかしい。何を考えている?」
 真っ直に見つめてくる瞳。それが苦しくて有栖はフイと視線を外す。
「アリス」
「・・・・別に・・」
「なら何で足立さんに会わずに帰ったんだ?」
「それは・・・それは俺は一度話を聞いとるから・・」
「発見者の話を聞くのは捜査の初歩だ」
「!!」
「何度も聞いて間違いがないか、食い違うものはないか確かめるのも大事な事だとお前の書く“探偵”もそうしているんじゃないのか?」
「・・・・火村・・」
「そういう事だろう?アリス。センチメンタルな感情に引きずられて捜査が出来ない助手ってぇのは小説の中ならそれはそれで面白い役かもしれないが、犯人が捕まらなければ何も終わらないし、始まらない」
「そんなん!そんなん言われんでも判っとるわ!!けど、忘れたいって気持ちはどうなるんや?事件に巻き込まれて傷付いて、さらに捜査で傷付けられた人の気持ちは・・」
「忘れてそれですむのか?それで本当に忘れられるのか?それがそいつの望む事なのか?」
 たてつづけの質問に有栖は唇を噛み締めた。
 昨日胸の中にモヤモヤとしていた感情。それは感じても口にしてはいけないものだと、それ以上は考えるべきものではないというものの筈だった。
 どちらの言い分も自分にはどうこう言えるものではないと判っていた筈なのに。
「そうして今日は“伝説・祟り”説か?恐れ入るよ。いつからファンタジーやホラーに転向したんだ?まさか本気で伝説
だの、呪いだの、祟りだのと信じているわけじゃないだろうな?本当に恐ろしいものはそんなもんじゃないぜ。本当に恐ろしいのは生きている人間だ。今回のこの事件も、14年前の事件も、生きている人間が起こしたものだ」
「・・・・・・・・・俺は・・」
「少し頭を冷やせ。それでも伝説だなんだと言うようなら大阪に帰って新たなジャンルの仕事でもしろよ。先生」
 言い終わると同時にクルリと踵を返して火村は宿とは反対の方向に歩き出した。
 小さくなってゆく後ろ姿。
 その背中を見つめて有栖は深く息を吐く。
「・・・これじゃ馬鹿やって言われてもしゃあないな・・」
 言いながら広がる苦い思い。
 突然の中傷じみた言葉に驚いて、言ってはいけない事を口にして、言わせてはならない事を口にさせてしまったと有栖は再び息を吐いた。
 火村の言う通りなのだ。何度も何度も繰り返しながら捜査は進んでゆく。警察が発見者を傷付けているわけではなく、巻き込んで傷つけているのは、その犯罪を犯した人間なのだ。それなのに・・・。
「・・・ほんまに・・役立たずの助手や」
 傷付けてしまったかもしれないと有栖は思った。
 犯罪の中に身を置く彼を守りたい。例えそれが出来なくてもせめてそばに居たい。そう思って彼の隣に居たというのにこのザマだ。
「・・・・整理し直しやな」
 とにかく、自分が判っているものを整理して書き出してみよう。そこから何かが掴めるかもしれない。
 何かがふっきれたように宿へと向かい、有栖はそのままだかだかと自分の部屋に戻った。
 そうしておもむろにペンと原稿用紙−−−とりあえず持ってきてみた−−−をテーブルの上に置き、思いつくままに書き出して見る。
(・・・・まず14年前、事件の2日前に戸隠の伝説を聞き回っていた男が居た。それから、2日後事件が起こる。翌日
の2時に足立さんの他2名によって発見。左足が小屋の外に出ていて、右足と左手は身体と一緒に小屋の中にある。後日右手が手首から先を切り取られて発見・・っと・・)
「ここですでに疑問が出ると・・」
 なぜ男は戸隠の伝説を聞いていたか。
(俺は小説に使えないか聞いたんや。ならこいつは・・・)
 男の職業が関係するのか?単なる趣味なのか?それも又メモ書きするように書きとめて、有栖は更に疑問
を上げる。
 男はどうやって小屋に行ったのか?
(呼び出された。小屋に行く必要があった。小屋に寝泊まりしていた・・・・これなら宿を使わずにすむけど、代わりに
寝袋か何かの相当な装備が必要や・・・)
 そう、季節は真冬なのだ。何の備えもなく山小屋に寝泊まりは出来ない。大体蕎麦屋の店主も言っていた通り、戸隠は冬山登山には向かない山なのだ。
「・・・・どこかの宿に泊まったか。来てそのまま山に登ったかのどっちかか・・・何の為に登ったんや?」
 登りたかったから。仕事の関係で登った。
「・・・・・・・・・・うーん・・・・保留。で、次は、何故死体はバラバラにされたかって・・これはさっき火村も言うてたやろ?それと、右手首がないのはなぜか・・・獣にでも食われたんやろか?・・・ああ、でも切り取られたって言うてたし、犯人が持ち去ったんやろか?」
 何の為に・・・・・・?
 疑問だらけの原稿用紙を裏にして有栖は今度は今回の事件について上げてみる。
(今回の被害者も不明。14年前と同様手足を切断されて顔を潰されている。左腕は犬が持ち去った可能性大・・)
「疑問点は・・なぜバラバラにする必要があったのか?14年前の事件との関わりは?男は何の為に戸隠を訪れたのか?なぜバンガローで殺されたのか・・・そういえばバンガローは誰が管理しとるんやろ?」
 確か八木は同じ村営とは言ってもキャンプ場と牧場は係が違うと言っていた。いつバンガローの点検をしたのかは警察がもう確かめているだろう。聞いておくべきだった。
「うーん・・ほんまに何も判っとらんな。14年前の事件と結び付けるなら火村の言う通り、時効成立がらみの同一犯の犯行の可能性が強いか・・」
 サラサラと思いつくままに書き込んで、文字だらけに原稿用紙を眺めると有栖はそのままコロリと畳の上に転がった。視界に入る、白く煙る窓。外の気温はどんどん下がっているらしい。火村はどこで何をしているのだろう?
「・・・・・帰ってきたら謝らなあかんな」
 バツが悪そうに顔を歪めて、有栖はゆっくりと畳の上から起き上がった。その瞬間ふと脳裏を新たな疑問が掠める。
「・・そう言えば14年前の男は紅葉の伝説を聞いたんやろか?それとも聞く前に殺されてしもうたんやろか・・」
 それは何だかひどく大切な事のように思えた。聞いたとしたら誰に聞いたのだろう?
 自分は菜月に紹介された老女に聞いたが、その伝説を語り聞かせてくれる人間は他には誰がいるのだろう?
「・・・・・・調べてみる価値はありそうやな」
 言うが早いか立ち上がると有栖はスタスタと部屋を出た。火村に先に会えば、火村にこの疑問をぶつけてみよう。
そして、菜月に先に会えば菜月に聞いてみればいい。
「あ・・・」
 はたして、目の前に見えたのは、厨房の方から歩いてくる仲居姿の飯田菜月だった。
「菜月さん!」
「あら、有栖川さん。今日は又早いお戻りですね。どちらを回られたんですか?」
「え・・えーっと・・大した所は・・・それよりちょっとお聞きしたい事があるんですけれど」
「何かしら?」
 小さく子首をかしげるような仕草をする菜月に有栖は先ほどの疑問を口にした。
「この前紹介してもらった田部井さんの他に紅葉の伝説を語って聞かせてくれるような人や、紅葉の伝説に詳しい人っていうのは居ませんか?」
「・・・・あの・・・田部井のおばあちゃんの話はあまり参考になりませんでした?」
 有栖の問いにおずおずとそう問い直して、菜月は少しだけ顔を曇らせた。それに慌てて有栖は言葉を繋ぐ。
「ちゃう!・・ああっと・・そうやなくて・・えっと・・他にもああいう風に語ってくれるような人が居るんかなぁって単純に思っただけで」
「語るって言っても田部井さんも語りを仕事にしているわけではないんですよ。遠野でしたっけ。そういう語りを観光の一つにしているのは。でもここではそういうのはあまり・・申し訳ないんですが、私の知る範囲では」
「そうですか。それやったら14年前も同じようなもんですよね?」
「14年前?」
「あ・・いえ・・あの・・」
 言った途端有栖は馬鹿な事を質問したと思った。
 20代中旬から後半だろう菜月の14年前は中学生あたりだ。その頃にそんな事を気にする筈がない。
 訪れた気まずい沈黙。
 けれどそれを破ったのは菜月の小さな笑い声だった。
「菜月さん?」
「有栖川さんって考えてる事が顔に出るタイプですね」
「・・は?」
「今、私の年の事考えたでしょう?」
「い・・いえ・・その・・」
「私、多分有栖川さんと同じ位か、もしかすると有栖川さん
よりもお姉さんかもしれないです」
「えっ!!そんな事はないですよ!」
「そうかしら。だって14年前、私は高校を卒業する年だったもの」
「・・・・え・・・」
 思わず絶句してしまった有栖に菜月は「計算してますね」と又笑った。
「・・・あー・・それやったらやっぱり私の方が年上です。大学2年でしたから」
「そうですか。お若く見えますね」
「いえ、菜月さんほど・・すっ・・すみません!!」
「いやだ、有栖川さん」
 真っ赤になって物凄い勢いで頭を下げた有栖に菜月は今度こそ声を立てて笑い出してしまった。
(・・・・アホか俺は・・・)
「・・それで、どうしていきなり14年前なんですか?」
 まだクスクスと笑いを漏らしながら菜月は有栖に向かって2度目の問いを投げかける。
「特に理由は・・・・・ただ何となく・・」
 さすがにその理由を答える事は出来ず、有栖は言葉を濁して、もう一度ペコリと頭を下げた。
「あの・・色々と変な事言うてすみませんでした。気を悪くなさらないで下さい」
「いいえ、とんでもないです。お役に立てずにすみません。それに女性にとっては若く見られるのは嬉しい事ですから」
 フワリと笑う菜月に有栖はホッとして顔を上げた。紅葉の事は観光協会の方にでも問い合わせをしてみよう。
 そう考えた途端、火村が廊下を歩いてくるのが見えた。
「お連れさまがお戻りですね」
「ええ」
 その言葉を合図にするかのように菜月は小さく頭を下げると廊下を火村の方に向かって歩き出した。すれ違う瞬間小さく下げられた頭と「お帰りなさいませ」という声。遠ざかってゆく背中と、真っ直に近づいてくる男を視界の中に入れながら、有栖はただそこに立ち竦んでいた。
 そして。
「・・・お帰り」
「・・ああ」
「さっきは悪かった」
「えらく素直じゃねぇか。大雪でも降らす気か?」
「!!」
 ニヤリと笑った顔。
「ほんまに口の悪い男やな!!」
「お誉めいただいて恐縮ってヤツだ」
「誰も誉めとらんわ、アホ。それより話したい事がある」
「色っぽい話ならいつでも聞くぜ」
「言うてろアホんだら!!」
 赤い顔でそう怒鳴り返して、次の瞬間、有栖は火村に並ぶようにして歩き出した。

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「ふーん・・・紅葉伝説ねぇ。こだわるじゃねぇか」
 いつにも増してキャメルの量が増えている火村の言葉に有栖はコクリとうなづいた。
「うん。せやけど何か気になるんや。とりあえずこの後役場の方を当って、収穫がなかったら明日はもう一度鬼無里を訪ねてみる」
「14年前にこんな風に紅葉の話を聞かせた事はないかを確かめるのか?」
「何の収穫もないかも知れへんけど」
「行ってみる程度の価値はあると・・・」
「ああ」
 フワフワと浮かぶ白い煙。
 そのまま黙って煙草をふかす火村に有栖は少しだけ困ったような表情を浮かべた。そして。
「なぁ・・」
「ああ?」
 答えながら灰皿の上に押しつけられた、短くなった煙草。
「・・・まだ怒ってるのか?」
 瞬間、新たなキャメルを出そうとしていた手がピタリと止まった。上げられた顔と重なる視線。ついで浮かんだニヤリと音がするような笑みに有栖はヒクリと頬を引き吊らせる。
「へぇ・・一応悪いとは思ってるんだ」
「!せやからさっき謝ったやないか!」
「ああ、そう言えばそんな事も言ってたか。けどな有栖、謝罪は言葉でなく態度で表した方がいいぜ」
「−−−−−−!」
 言うが早いか伸ばされた手が、思わず茫然としてしまった有栖の身体を引き寄せる。
「ひ・火村!ちょっ・アホ!そういう意味やなくて」
「そういうってどういう意味だ?」
「・・っ・・や・役場に行くんやて・言うたやろ!」
「終わってからな」
「!」
 何が終わってからなのか、口にするのも憚られて、有栖は抱き締めてくる男を赤い顔で睨んだ。
 確かに長野のホテルでそういう事はあったけれど、ここに来てからはなかった。もっともそれどころではなかったのだけれど。
「最後まではしない」
「あ・・当り前や!」
「続きは夜のお楽しみってヤツだ」
「!!どスケベ!変態!」
「言った事を後悔するぜ?」
「・・・・・・」
 頬を、耳もとを掠める息にトクントクンと鼓動が早まる。
「・・・・・さっき・・」
「・・・うん?」
 スルリとシャツをまくって滑り込んでくる長い指。
「どこに・・言ってたんや?」
「・・・・気になるのか?」
「・・っ・・ん・・あ・当り前やろ・・」
「コーヒーを飲んでたのさ。この間有栖川先生が一人で楽しんできた、蔵を改造したっていうコーヒー店で」
「・・・は・・人聞きの悪い事・・」
「本当の事だろ?そこで、ちょっと気になる事があって竹本警部に連絡を取っていた」
「気になるこ・・あ・っ・!」
 胸の突起に触れられて有栖は思わず声を上げた。再びニヤリと笑う男。
「結構その気だろ?」
「ア・ホ・・っ・ん・・あ・!」
 ズボンの上から熱を持ち始めたそれを火村が指でなぞる。
「や・・っ・ちゃんと・・答えろ」
「何を?」
 外されたベルト。下ろされたジッパー。
「何が・・気になっ・・あぁ・・」
 下着の中に潜り込んで蠢く長い指。
「や・あ・・あぁ・・火村・!」
「うるせぇな。切り口だ」
「切り・・?」
「ああ。言ってただろう?屶のようなもので切られて、引きちぎられていたって。どの程度、どう切られて、引きちぎられたのか。屶は一回だけ降り下ろされたのか、それとも何度もなのか」
 言いながらも止まらない指と、リアルなその表現に有栖はクシャリと顔を歪めた。
「何だよ、聞きたがったのはお前の方だぜ?」
「あ・それは・・そう・や・・んっ・ふぁ!」
「・・やり辛いな」
「!!」
 その瞬間、伸し掛かられるようにして畳の上に倒された身体。そうしてそのまま当り前にズボンにかかった手に、有栖は思わず息を飲む。
「!・やっ・・最後までは・・せぇへんて・」
「お前が煽るような顔をするからだろ」
「勝手な事ばっかり・・あ・あ・やぁ・っ・!」
「安心しろよ。役場の方には俺が有栖川先生に成り代わって問い合わせしておいてやるさ」
 胸を嬲る舌の動きと後ろを探る指に視界がぶれる。漏れ落ちる、自分のものではないような熱い吐息に、有栖はいつもの事ながら耳を塞ぎたくなった。
「や・・ん・・も・ぅ・・は・っ・ぁ・・」
 こめかみを涙が流れて落ちる。熱くて、苦しくて、息が出来ない。
「・・・いいか?」
「・・そんな事聞くな・・アホ!」
 言い返した言葉と同時に背中に腕を回すと、耳もとで聞こえたかすれるような笑い声。それが少しだけ口惜しくて、有栖は背中に爪を立てる。
「・・・っ・・」
 途端に小さく声が上がった。それに胸の中でざまぁみろと毒突いた瞬間、抱え上げられて広げられた足に慌てて口を開き掛けて・・。
「−−−−−−−!」
 声にならない悲鳴が上がった。
 ヒクリと喉が引き吊る。
「・・アリス」
「!・・いき・なり・・っ・・」
「聞いただろう?いいかって」
「せやって・!・・っ・・・く・ぅ・」
「じゃあもう一度聞いてやる。動いてもいいか?」
「!!・・サイテーや!・・」
「・・あと10秒」
「・・っ・火村!・」
「いーち、にー、さーん・・」
「やめろ、アホ!・おい!」
「ごー、ろーく」
 情緒がないにも程がある、と有栖は思った。勿論情緒があればいいというものではないが、これはあまりにひどすぎる。
「はーち、きゅー・・」
「待て!」
「待てない」
 言いながら掠めるような口付けに有栖は再び声にならない悲鳴を上げた。
「待っ・ほんまに・・あと10秒!」
「・・仕方ねぇな」
 フワリと浮かんだ苦笑に近い微笑み。そうしてきっかり10秒後、有栖の甘い声が部屋の中に漏れ落ち始めた。


区切りがつかなかったのでちょっと長めにお届け♪
戸隠に来てからの初めての・・・・って。有栖も火村もそれぞれに煮詰まっている感じでしょうか。