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赤い繭 13

「・・はい・・ありがとうございました。では明日。失礼します」
 耳に流れ込んできた声。
 ピッと電話を切った音に意識が浮かぶ。
「・・?・・」
「起きたか?」
 聞こえてきた声に顔を上げるとズキリと痛む身体。その途端甦ってきた記憶に有栖の顔に朱が上った。
(何が最後まではしないや、この大嘘つき!)
 少しだけ開いている障子から見えた窓の外はすでに夕日の残骸に藍の帯をにじませている。
(・・役場も終わりやな・・)
 結局しないどころか“おまけ”までつけられて意識を手放してしまったのだ。もっともこの所事件で走り回ったり、余
計な事をぐだぐだと考えていたせいもあるのだろう。不幸中の幸いというか、身体は重いが頭はすっきりしている。
「アリス?」
「起きた。お陰さんでぐっすりと休ませてもらったわ」
「そりゃ良かったな」
 嫌味が嫌味として届かないのはいつもの事である。ニヤリと笑ってキャメルを取り出す男に有栖はそっと身体
を起こしながらどこに電話をかけていたのかと尋ねた。
「長野南署だ。明日行く事になった。勿論その前に役場にも電話をしたぜ?約束通りに有栖川先生の代わりに問い合わせをさせてもらった。可能性としては、紅葉と維茂を祭る大昌寺。あとは資料館のような所でその文献を展示している所はあるが話や語りを聞かせてくれるような場所はないし、そういう人間が居るかは判らないそうだ。鬼無里の方には紅葉の墓がある寺があるらしい。大昌寺同様、話を聞かせてくれるかもしれないが戸隠の役場では答えようがないだとさ」
「・・そうか」
「明日、鬼無里に行くのか?」
「うん」
「大昌寺の方はどうするんだ?」
「そっちもそうなんやけど、何や鬼無里の方が気になる。一緒に行くか?」
「いや、警察に行く予定だし別に調べたい事がある。三好刑事が車でこっちに回ってくれるそうだから」
「さっき言ってたのもう判ったんか?」
「まだだ。何分14年前の事件だからな。明日には答えを用意しておいてくれるそうだ」
「じゃあ、別に調べるって他にも何かあるんか?」
「・・・ああ。それより、お前今回紅葉の話を聞くとか、聞いたっていうのをそんなに言い回ったのか?」
「へ?」
 突然の話題転換に有栖は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。けれどそれに構わず火村は言葉を続ける。
「噂を聞いたって言ってただろう?そんなに噂になる程、紅葉の伝説はどこで聞けばいいのか尋いて回ったのか?」
「そんな・・別に・・」
 問われて有栖は記憶を辿った。蕎麦屋ではキャンプ場と牧場の話がメインだった。特に伝説の話を出した覚えはない。聞く前に話をしたのは、田部井夫人を紹介をしてもらった菜月と、帰ってきた時に会った足立と翌日、火村と一緒に立ち寄った蕎麦屋で、菜月に紹介をしてもらったと簡単に話題に出した克彦だけだ。
 そう告げると火村は眉間に皴を寄せて再び口を開く。
「3人、しいて話をしてくれた田部井夫人を入れて4人。それだけでどうしてそんな噂になるんだ?」
「どうしてって・・」
 そんな事は有栖自身が聞きたい位だ。困惑したような有栖に火村は今度はきっぱりと言い切った。
「誰かが吹聴したんだ。そんな男が居たと」
「何で?・・」
「14年前の迷宮入りしそうな事件と結び付けさせて捜査の混乱を狙っているか、本気で呪いか祟りだと村の連中を煽らせているか」
「前者は判る。でも後者は?」
「閉鎖されたような村で起こったとんでもない事件。それはもしかしたら鬼の祟りか、呪いかもしれない。頭が古くて固
い連中はどう思うかな?」
「・・・・関わりたくない」
「そう。自分に祟りがふりかかったら大変だからな。だから何かおかしいなと思っても、気付いても、何も言わない。そ
うこうしているうちに今回の事件も迷宮入りだ」
「・・・そんな・・」
 では敢えてバラバラにした意図はそういう事なのか?
「それだけじゃない気がするがまだ何とも言えない」
 取り出したまま指で弄んでいたキャメルを口に銜えて火村はカチリと火を点けた。特有の香りが部屋の中に広がる。
「・・もう一ついいか?」
「何や?」
「お前がグダグダと下らねぇ事を言ってただろう?あれはどこからどう出た話なんだ?」
 真っ直に見つめてく眼差しに有栖は一瞬だけ気まずそうに眉を寄せて渋々と口を開いた。
「前にも言うたやろ?鬼無里の帰りに足立さんに会うて警察に行ってたって話を聞いて、14年前の話になったんや」
「それは聞いた。でも、その時点ではあそこまで煮詰まっていなかっただろう?俺としてはその日に死体が発見されるっていうのがあまりにも出来過ぎて気に入らねぇんだけど」
「じゃあ、足立さんが犯人やって言うんか!?」
「先走るなよ、アリス。それは俺の単なる感想だ。それでどこをどうしてああなったんだ?」
「・・・えーっと・・その後八木さんに会うて、現場に足立さんと一緒に行って、警察に行って・・・・その時もちょっとは思ってた。だから、彼を一人では行かせたくなくて警察まで同行して、君にも来て貰うたんや。・・あれ?・・でも・・翌日八木さんの話を聞きに行って、足立さんと同じやなって思うたら切なくて・・・。そうや、もしかしたら俺だったかもしれへんと思うたんや」
「どういう事だ?」
 吸いかけのキャメルを灰皿の中に押し潰して、火村は有栖の顔を射るように見つめた。
「あのな、あそこで発見したのはもしかしたら俺だったかもしれへんのや。・・って言うか、その可能性もあった」
「だからどういう事なんだ」
「急かすな。あの日の予定は紹介してもらった田部井さんの家に話を聞きに行くのと、キャンプ場と牧場に行くのと2つあったんや。で、菜月さんが田部井さんの方に何時頃行くのか電話を入れておいてくれる事になってて、雪が降るって教えてくれたんや」
「日本語を話せ。文筆業者!」
「やかましい!せやから、どっちを先にしようか思っていたら今日は雪が降るらしいっていう予報が出てて、鬼無里は距離があるから帰りが遅くなると大変やないかって。菜月さんがそっちを先にして牧場をキャンプ場は戻ってきてから行ってもいいんやないか言うてくれたんや。もっともそっちも天気が悪くなると困りますねって言うてたんやけど」
「・・・て事は飯田菜月がそう言わなければお前が“達磨”を見つけていたかもしれなくて、八木や、足立の立場が自分だったかもしれないと見事な感情移入をしたってわけか」
「・・・そういう・・事も多分にある・・と思う」
 オズオズとした有栖の言葉に火村は人差指で唇をなぞり始めた。彼が考え込む時の癖だ。
「火村?」
「もう一つ調べたい事が増えたな」
「何や?」
「言わない」
「!!何で!?」
「また余計な感情移入をされると困るからな」
「あのなぁ!」
「とにかく、鬼無里に行って話を聞いたら俺の携帯に連絡しろ。いいな?宿に戻らずに連絡を寄越すんだ」
「・・・・・判った」
 どうしてなのか問えないままうなづいて、ふと視界に入った窓の外。
 すでに宵闇の中に沈んでしまったそれを見つめる有栖の耳に、やがて、火村の「嫌な事件だ」という呟きにも似た声が聞こえてきた。


少し動き始めている・・・ような感じかな。さてどうなるか・・