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赤い繭 14

 雪に染まった畑と山々。
 夕べ遅くなってから本格的に降り出したらしい雪は今朝がたまで降り続き、辺りの風景を白銀に変えた。
 戸隠に本格的な冬が訪れる。これからは、この風景が当り前のものになってゆくのだろう。そうして遅い春の訪れを雪解けから一斉に咲き始めるという花々たちと共に待つのだ。
 「これで温泉がありゃもう少し観光客の動きも違うんだろうけどな。まぁ、誰かさんから風呂に入れないとか文句を言われないから、それはそれで良しだけど」とわけの判らない事を言う助教授に結局夜も押し倒されて、朝は本当に起きるのが辛かった。まるで戸隠に来た日のようだと車の中で心なしか赤い顔でブツブツと文句を言いながら有栖は鬼無里へと進んでゆく。
 出掛けに火村は念を押すように「連絡を入れろよ」と言った。それがどういう意味なのか有栖には判らないが、火村は何かを掴んでいるのだろう。それが今日警察に行く事ではっきりするのかもしれない。
“また余計な感情移入をされると困るからな ”
 不意に耳に甦る火村の言葉。
 何かのヒントだったのかもしれないなと思いながら有栖は緩やかなカーブを切る。
 見えてきたのは見覚えのある茅葺き屋根の家。
 せめて電話で連絡をと言った有栖に火村は「菓子折の一つも持って突然行けよ。この間はありがとうとか何とでも言えるだろう?」と言った。
「・・あいつは一体何を隠してるんや?」
 今日はちゃんと話を聞かせて貰おう。そう自分の中で決めて有栖は静かに車を停めて外に出ると門の中を覗き込む。その途端。
「・・!・あら・・貴方は」
「お早うございます。朝っぱらから突然すみません。先日はありがとうございました。今日はお礼かたがたお茶でもご一緒にと思いまして」
 言いながら上げて見せた和菓子の包み。次の瞬間、庭を掃いていた老婦人は頭にかぶっていた日本手ぬぐいを取って柔らかな笑みを浮かべた。
「まぁまぁ、若い方からのお茶のお誘いなんて何年ぶりでしょう。どうぞ上がって下さい。とっておきの日本茶を淹れま
しょう」
「ありがとうございます」

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「こちらが昨日、先生からのご質問の答えです。と申しましても当時はそれに対して特別重視をしておりませんでしたので型通りのものですが」
「いえ、ありがとうございます」
 夕べ雪が降った事が嘘のような晴天。
 青い空に真新しい純白がよく映えて眩しい。資料には死体を解体をした道具は屶のようなものと記されており、刃渡りは約10センチ。頭部の傷は鈍器のようなものとあるが特定は出来ず、屶の裏側(刃のない方)又は角材のようなもの。同じ所を2度強打しているので凶器の特定はその跡からは難しかったらしい。
「ここにも書かれている通り後頭部のこの辺りをやられているわけですが」
 言いながら小山内警部は首の少し上辺りを触って見せた。
「傷が上からでなく、こう・・何て言うかほぼ真っ直なんです。それは当時の捜査でも話題に上がりまして。先生にこん
な事を言うのは口はばったいんですが、普通こう言った凶器
を使う時は降り下ろす形になります。するとこうなります。傷はこう出来るわけです」
 長野南署の老刑事は右手で拳を作り、左手でそれに向かって降り下ろした。上からぶつかる。
「しかし致命傷になったこれはこういう感じなんです」
 今度は左手の拳にほぼ水平に右手をぶつける。
「しかも、傷口はほぼ真っ直ですが降り下ろした時のようにた様に上から入っている」
「身長ですか?」
「ええ。そう背が高くない。どちらかと言えば低い者の犯行ではないかという話も出ました」
「なるほど」
 短くそう答えて火村は再び資料に目を落とす。
「・・・手足の切り方はいずれも1回ではありませんね」
「ええ。使っているものが屶だろうという事だったのでその点はあまり重要視されなかったんです。それよりも他の点が気になって」
「今の事ですか?」
「それもありますが、後ほど県警本部の竹本警部からお話があると思います。それよりも、なぜ火村先生はこの事に関心を抱かれたんですか?」
「いえ・・1回である程度を切り落としているならばそれなりに力のある人間でないと出来ないと思ったんですが、今回
のこれならば、さほど力のない人間でも出来るなと思ったので。しかも結局屶だけでは切り落とせず残りは引きちぎっている面も僅かだけれどあります。面倒になったのか、うまく屶が使いこなせなかったのか」
「・・・なるほど」
 先程の火村の言葉を今度は隣にいた若い三好が口にした。
「山小屋までの道はどのようになっていますか?」突然変わった話に小山内は慌てて「地図」と言って三好を走らせた。その後ろ姿を見送りながら火村は更に言葉を続けた。
「それからもう一つお願いがあるのですが」
「何でしょうか?」
「事件に関わりがあるのかどうかは全く判りませんが、この二人の事を調べていただきたいのですが」
差し出されたメモ書き。
 そこに記された名前を見て、もう一度火村を見ると、小山内警部はコクリとうなづいた。
「判りました」
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. 車を再び戸隠に向けながら有栖は今し方尋いたばかりの話を思い出していた。

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『紅葉伝説は謡曲にもなっていますし、歌舞伎の方でも扱われておりますから、それなりに資料といいますか、文献もあるでしょう?まぁ、そんなに沢山ではないと思いますけど。ですからこちらに訪ねられてまで話を聞きたいとおっしゃる方はあまりいらっしゃいませんね』
 過去に自分と同じように話を聞きにきた人間は居なかったかやんわりと尋ねた有栖に夫人は小さく笑ってそう言った。それに有栖は少し困ったような照れたような笑いを浮かべて思わず「すみません」と口にしてしまった。
『あらあら、それでも全く居なかったというわけではないんですよ。貴方の様に熱心な方も勿論いらっしゃって、紅葉のお墓のあるお寺さんをお参りしたり、そこの住職さんからお話を伺ったりした方とか、ご紹介されて訪ねて来られた方もいらっしゃいましたよ。ごめんなさい。変な言い方をして』
 「いえ」と幾分恐縮する有栖に夫人は言葉を続けた。
『そうですねぇ・・多くはありませんでしたけど主人が亡くなる前までは主人がお話をしたり、主人の都合がつかない時
は私が話したり。どちらかといえば、紅葉の話というより誰かとお話をする機会として楽しんでいた部分もあってね。ああ、そうそう。貴方と同じように菜月ちゃんから紹介された方もいらっしゃいましたよ。何でも雑誌の編集をされている方だとか。ご自分で写真もお取りになるっておっしゃっていたかしら。高校生の菜月ちゃんがひどく憧れたような顔をして“紅葉の話を聞きたいっていう人がいるんだけど、話してあげてくれる?”って来てね。私がお話をしたんです』.

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 胸が騒ぐ。言葉には表せない嫌な気持ちがモヤモヤと胸の奥に湧き上がる。
 見えてきた戸隠の町並み。
 そう言えば火村に連絡を入れていなかったと有栖は少しだけ考えて車を路肩に止めた。
 話を聞いてすぐにではないが、宿に帰る前なのだから約束違反にはならない筈だ。
 取り出した携帯で、短縮で登録してあるナンバー押す。僅かなコールで聞こえてきた声。
『火村です』
「俺や」
『ああ・・話は終わったのか?』
「うん」
『その分じゃ何か収穫があったようだな』
「まぁな。ちょっと電話じゃ話したくない。そっちは?まだかかるんか?」
『ちょっとかかりそうだ。こっちに来るか?』
「んー・・」
 考えていた途中で後ろからクラクションがなった。元々あまり広くない道幅である。反対車線に大型のトラックが通れば、後ろがつかえるのは当然だ。
「あかんわ。道が混んできた。とりあえず宿で待ってる。終わったら電話してや。迎えに行ったるわ」
『・・・・・・どこにも出るなよ』
 僅かな間をおいて返ってきた言葉。多分、火村も同じ事を感じているのだろう。今の有栖にならそれが判る。
「判った」
 電話を切ってすぐに車を発進させた有栖の脳裏に再び先ほどの記憶が甦る。
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『え?菜月ちゃんとどういう関係って・・・別に孫じゃありませんよ。菜月ちゃんのお母さまを私が良く知っていたんで
す。そりゃもう小さい時からね。これは私が話していい事か・・・その・・菜月ちゃんのお母さんはこの村で生まれ育っ
たんですよ。でも両親の反対を押し切って東京に出て、かけおちっていうものですか。ただねぇ、何があったのかはあまり・・・東京から帰ってきた時は菜月ちゃんを連れていました。小さな村ですからせめて隣の村でって。ご両親の勧められた人と再婚してねぇ。それで克彦ちゃんが生まれたんですよ。ただ運が悪いって言うか再婚した相手も早くになくなってしまって。その後にはお祖母さま、そしてお母さまの江美子さん自身も菜月ちゃんが高校生になった時にね。お祖父さまの安三さんも菜月ちゃんが高校を卒業する年には亡くなったから。あの姉弟は人の縁が薄い分優しくて本当に仲の良い子たちなのよ』

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何が、どうとは言えないが胸の中に何かがチクリと刺さっている。そんな気がして有栖は小さく顔を歪めた。
「・・・紅葉やな・・」
 菜月の母親の話を聞いた時有栖は何故かそう思った。鬼無里に生まれ、東京に嫁ぎ、帰ってきた菜月の母。閉鎖
された空間の中、更に両親のあてがった再婚相手という枠に押し込められて日々を暮らす。
 これは単なる想像に過ぎないが、口の端にのぼっただろう両親のグチめいた非難の言葉。そうして再婚相手までもが死んだとしたら、それはすべてが彼女のせいになったのではないだろうか?
 両親に、世間に、責められながら死んでしまった女性。それはどこか、あの二人の紅葉に似てはいないだろうか?
それとも助教授に言わせればただのセンチメンタルな戯れ言になってしまうものだろうか。
 とにかく・・と有栖は思った。とにかく宿に帰って大人しく今後の事を考えてみよう。昨日火村が言った通り、例の“噂”を流せたのは4人。勿論、その4人が“噂 として話したわけでなく、単なる世間話の一つとして話題に乗せた事をどこかの誰かに利用されて“噂”になったという可能性もある。
 件の蕎麦屋の前を通過して、結局一度も足を踏み入れる事のなかった宝光社の前を通り過ぎると、中社前の宿まではあと僅かだ。
 赤に変わった信号に有栖は車を止める。
 そう言えばこの信号は昨日も引っ掛かったなとふとそんな事を思ったその瞬間。
「!!」
 有栖は前方に見知った顔を発見した。


あちらこちらに話が飛んでいる感じですが判りますでしょうか?