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赤い繭 20

「痛むか?」
「平気や」
「・・・ったく・・無茶しやがって」
「そんなん!・・・・・それは・・その・・・ごめん」
 とりあえず病院に行き、その後警察で事情聴取を受け、有栖を火村が長野南署に近いビジネス系のホテルにチェックインをしたのは日付が変わる少し前の事だった。
 有栖の頭の怪我の事と、戸隠での騒ぎを考えて竹本警部等がとっておいてくれたのだ。戸隠の旅館の方には明日、荷物を取りに行く事を電話で伝えてある。宿の主人はそれ以上の追求は何もしなかった。
「・・・・菜月さんはどうなるんやろ」
 白い包帯を頭に巻いて−−本人は大袈裟で嫌だと抵抗したのだが−−有栖はベッドの端に腰掛けたまま、呟くようにそう口にした。
「さぁな・・飯田克彦のアパートから自白を記した遺書と干乾びた右手首が見つかったからな。今となっては菜月が犯行に加担していると立証する手がかりもないし。後は菜月自身の自白だな。ただ今の時点での取り調べは難しいだろう。とにかくはっきりしているのはお前を山小屋に軟禁した事と犯人を知っていたのに隠していたという事だけだな」
 菜月は始めに「あの子がそう言ったのならそうなんでしょう」と言ったまま、口を閉ざしてしまっている。
 その後部屋から見つかった克彦の遺書には、殺害も解体も全て自分一人がやった事だとその詳細な様子までが記されていた。14年前のそれは、冬の風景を撮りたいと言ったカメラマンに同行して姉の事で口論となり、子供だと馬鹿にされた事で殺した。倒れて、死んだと思ったのに足が動いたので逃げられたら困ると思って足を切り落とした。切っているうちにどうせだから手も切り落としてしまおうと思った。そうして軽くなったら外に運び出せる。そうすればもしかすると何かの動物がそれを食べてしまうかもしれないと思った。が結局うまく小屋から出せずどうでもよくなったとそこには書かれていた。
 そして今回のそれは時効が近くなってきて警察が騒いでいる矢先、殺した男の知り合いだという男がやってきて姉を脅したので、話しを聞くと呼び出し殺害。遺体をバラバラにしたのは敢えて14年前のそれと同じにして、あの後流れた妙な噂を煽り、捜査を混乱させてしまおうと思った。どちらも顔を潰したのは単に身元を隠す為だとあった。
 警察でその遺書を読んだ時、有栖の脳裏には最後の克彦の言葉が甦っていた。
“全部俺が持って行くから・・・”
 有栖が走った後、菜月の腕の中で瀕死の状態の克彦が彼女何を言ったのかは判らない。もしかすると何も言えずに逝ってしまったのかもしれない。けれど、菜月は何も語らなくなってしまったのだ。まるで克彦自身の繭の中に菜月も入ってしまったかのように。
「くだらねぇ事を考えてるなよ」
 言いながら火村はキャメルを取り出すと向かい側のベッド
に腰を下ろし、次に小さく舌打ちをしてそれを元に戻した。
「・・?・・・吸わんの?」
「・・今日くらいはな」
 何の為にか。一瞬だけ考えるようにして有栖は困ったような表情を浮かべる。
「・・別に・・ええのに・・」
「これ以上馬鹿な頭が馬鹿になると困るからいい」
「あのなぁ・・!」
「危険かもしれないと判っていながら自分からそこに飛び込んで行くのは馬鹿の所業だろう?」
 グッと言葉に詰まって有栖は小さく顔を俯かせた。
 僅かな沈黙。
「なぁ・・・」
「ああ?」
「・・・菜月さんはどうして俺を山の中に置き去りしたんだろう?」
「お前が紅葉の事を調べ直していると菜月から連絡を受けて克彦はこのままでは菜月に目が行ってしまうと思ったんだろう。だからその前に克彦は終わらせなければいけないと思った。それを聞いて菜月がお前がいなくなれば、噂に信憑性もつくし、警察も捜索の方にとりあえずは目が向くとでも思ったか、克彦を説得する時間を少しでも稼ごうと思ったか。いずれにしても推論だけどな」
 キャメルのパッケージを手の中で弄びながら火村はポンとそれをベッドの上に放り投げた。
「・・・・痛むか?」
 繰り返された問いとそっと触れた指。
 僅かな沈黙を落として、オズオズと手を伸ばした有栖を火村はゆっくりと引き寄せる。
「・・馬鹿野郎」
「・・ごめん」
「もうあんなのは二度とごめんだ」
 存在が消されてしまったような部屋を見るのも、他人の血に汚れた青い顔の有栖も・・・。
 言葉にしない火村の言葉を聞いたかのように有栖はクシャリと顔を歪めて、ついでそっと瞳を閉じる。
 重なる唇。
 ベッド腰掛けたままの火村の膝に半分乗り上げるようにして合わせただけのそれはすぐに熱い口付けに変わった。

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「・・・っ・・」
「・・・・・」
「は・・っ・ひ・むら・・っ・」
 スルリと唇を割って入り込んできた舌。
 不安定な態勢に思わず身体を引くと、そうはさせじと抱き締める腕の力が強くなる。
「ん・・ぁ・・」
「・・アリス・・」
「・・っ・・」
 角度を変えて更に深くなる口付け。
「・・・・アリス・・」
「ひ・む・・らぁ・・」
 有栖が火村たちと再びその場に辿り着いた時、克彦はすでに帰らぬ人となっていた。
 その身体を抱き締めながら、菜月はひどく、ひどく愛おしそうに血で汚れた彼の頬を指でなぞる。
“ばかね・・どこにも行かないよ。あんたをおいてどこにいくの?一緒に居ようね。ずっと・・ずっと一緒に居てね”
 瞬間、有栖の脳裏に見たこともない伝説の鬼女・紅葉が彼女とダブった。
 京を追われ、村に幽閉され、狂って夜な夜な村人たちを苦しめたという紅葉。
 菜月の母、江美子の事を聞いた時も思ったけれど、菜月もまた都からこの村に戻って、この村に縛られ、そして狂ってしまった紅葉だったのだ。
「・・・菜月さんも・・彼を愛していた・と思う」
 くちづけを解かれて、まだ上がっている息の中で有栖は突然そう言った。
 火村はそれに苦い笑みを浮かべただけで何も言わずに有栖のシャツに手をかけた。
「・・・血の繋がった姉弟が愛し合うっていうのは・・そんなに背徳的な事なんやろか・・」
 顕にされた肌に触れる長い指。
「さぁな・・・」
「・・・ぁ・・」
 思い出す、白い雪の上で愛しい男の血を浴びてユラリと立ち上がった彼女が、刑事たちと一緒に歩き出した途端振り返って見せた壮絶なまでの鮮やかな微笑み。あれはどういう意味なのか。
「・・・・もう考えるな。忘れちまえ」
「・・・それでいいのかって・・言うたくせに・・!」
「今回は俺が許す」
「・・勝手・・ばっかり・・んぁ・・!」
 頭の傷を思ってか、火村は有栖ベッドに押し倒す事はしなかった。膝の上に座らせるようにして肌を辿る手と唇に有栖は赤い顔を微かに歪める。
「・・っ・・火村・・」
「とんでもねぇ事に巻き込まれやがって・・」
「な・・に・・あっ・・あぁっ・・」
「全くとんでもない休暇だ。おまけに大延長で、大学をクビになったら責任を取ってもらうからな・・」
 言いながら火村の手が熱くなり始めた有栖自身に触れた。
 途端にビクリと震える身体。
 白い・・白い雪の上に転がった赤い大きな繭。
 罪も、過去も、何もかもを自らの繭の中に封じ込めた男と母親と同じ轍を踏みかけて狂った、伝説の鬼女に似た女。
「や・・あぁっ!・・・・待って・」
「ちょっと腰を上げろ。これじゃ脱がせられないだろ」
「そんなん・・あ・あぁ・・」
「それとも四つん這いになるか?」
「あ・・アホ!・・」
「仕方がねぇだろ。頭の後ろにでかいたんこぶを作ったお前が悪い。寝転がれないなら、後は乗るか、それかのどっちかだ。選ばせてやるよ、どっちがいい?とりあえずはどっちにしてもズボンを脱がなきゃ話にならないけど」
「サイテーや!!・あ・・ぃ・ああっ・!」
「このままじゃお前も俺も辛いだけだろう?」
 すっかり形を変えたそれを掴まれて有栖は赤い顔で火村を睨む。
「ああ、立ってやるってテもあるか」
「!!・・変態!!!」
 怒鳴った有栖に火村の笑いが落ちる。
 こんな風でいい。このまま変わらなければいい。湧き上がるそんな思いに胸の中で苦笑して火村は素早く有栖のスラックスを下着ごと落とすと、そのまま足を抱え上げるようにして一気に奥まで貫いた。
 瞬間、悲鳴にも似た声が部屋に響く。
「おいおい、夜中だぜ?いくら閑散期でも人が泊まってないわけじゃないだろ?」
「自分が・・あ・・・った・くせ・に・!」
「まぁ、後は両隣に宿泊客が居ない事を祈るばかりってヤツだな」
「・・・人非人!!」
「・・言ったことを後悔するぜ」
「っ・!・あ・・やぁぁ・・ああ!」
 低い火村の声に有栖の甘い声が重なった。


何も言うまい・・・・。一気にラストです。