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赤い繭 4

『お前、そりゃ一種の詐欺じゃねぇのか?』
 携帯電話から聞こえてくる、ニヤニヤとした笑いが見えるような声。
『大方、ルポライターか何かだと善良な戸隠村の人間は思ったんだろうなぁ』
 更にとどめをさすような物言いに苦い表情を浮かべて、有栖はポツリと口を開いた。
「・・俺は嘘は言うてへんもん」
『ものは言いようだな、アリス』
「・・!火村!」
 間髪入れずに返ってきた言葉にムッとして眉間の皴を深くする。
 確かに蕎麦屋の店主も、足立も、宿を紹介してくれた飯田も有栖の言葉に納得したような、していないような、そんな表情を浮かべて、けれどそれ以上の詮索はしようとしなかった。おそらく、多分、きっと火村の言う通りルポライターのようなものだと思ったのだろう。
 有栖自身もそう思ってくれていればいいと思った。
(これだけ親切にして貰って、紙の上とは言え殺人事件を起こす場所を取材をしているなんて言える筈ないやんか!)
 有栖の声にならない言葉を聞いたかのように耳もとで火村が小さく笑いを漏らした。
『怒るなよ。お前の気持ちも判らなくはないさ。それにこれでも心配していたんだぜ?観光する所もロクにない上、この寒空に野宿かと思って』
「・・・そりゃどうも。お陰さんで立派な旅館が見つかりました。おまけに牧場の方も話をつけてもらえたし、植物園も資料館も見られたし」
『ついでに忍者村の周辺も見てこられたしか?本当に人様のお陰で生きてる奴だよな』
「やかましい!ほんまに口の悪い男やな!人間普段の行いの良さがこういう時に出るもんなんやで。大体そういう君こそどうなんや?さぞかし有意義な学会だったんやろうなぁ」
『そりゃあ勿論。この後に有栖川先生との約束がなければ急性盲腸炎でも起こして帰りたくなる位には』
 意趣返しを狙った言葉は、けれど火村には全く通じなかった。返ってきた毒舌に有栖は思わず口をつぐんでしまう。それに火村が再びクスリと笑った。
『おい、黙るなよ。大阪人』
「・・・あまりのひどい言い種に返す言葉もないわ」
『素直な感想を言ったまでだ。それでエセルポライターの先生の明日の御予定は?』
 どうやら本当によほどの内容だったらしい。こうなれば触らぬ神に何とやらだ。有栖は大人しく答えを口にする。
「キャンプ場と牧場を見て、それから“紅葉狩り の伝説を聞かせてくれる人が居るって言うんで話を聞いて」
『有意義で結構な事だ。まぁ、せいぜい精力的に予定をこなして、俺が行く頃にはそば屋巡り位にしておいてくれ』
「ああ、ついでに山登りでも残しておいてやる」
『・・・涙が出そうな友情だぜ』
「そうやろ?」
 互いにクスリと零れた笑い。ついで耳に響いたカチリという微かなライターの音。瞬間、キャメルの独特の香りが鼻を掠めたような気がして有栖は思わず苦笑に近い笑いを漏らしてしまった。
『アリス?』
「何でもない。じゃあ又、明日にでも待ち合わせ時間や場所を連絡する」
『ああ。頑張って取材をしろよ。出版関係者』
「・・・しつこいのは年を食った証拠やで」
『そりゃ失礼』
「もうええわ。そっちもお仕事頑張って下さい、先生」
 いつもと変わらぬ他合いのない言葉の応酬。
 訪れた僅かな沈黙。
『おやすみ』
「・・おやすみ」
 火村の短い言葉に同じ言葉を返して。
 そうして次の瞬間、ピッと小さな音を立てて切れた電話を持ったまま、有栖は畳の上に敷かれた布団にコロリと転がった。途端に視界に入る冴々とした白い月。
「・・明日も晴れそうやな・・」
 静まり返った部屋に小さな声が響く。

こうして戸隠村での一日目は静かに幕を降ろした。