BEGIN 3

 枝が目立つようになってきた木々。
 気付けば師走に入り、キャンパスの中も何となく浮き足立っている。
 学生食堂の片隅でぼんやりとA定食をつついていた有栖は、らしくもなくはぁと大きな溜め息をついた。
 頭の中によぎるのは『おかしい』という気持ち。
 勿論自分が『おかしい』わけではない。『おかしい』のは友人の火村英生だ。
 もう10日くらい経つだろうか。
 火村は元々はっきりとものを言うタイプの人間である。それなのに、時折何かを言いたげにしているが、何も言わないのだ。
 しかもどこかうわの空で話を聞いていないようなことが増え、更に、これは気のせいだろうとか、気にし過ぎだと言われてしまうかもしれないのだが、自分を避けているような・・・何となく有栖と会う事を火村自身がコントロールしている。そんな印象を受けてしまうのだ。その証拠にこのところ火村に会う回数が減っている。
 いつもいるような所に行っても会えなかったり、いつもは来る筈の講義に顔を出さなかったり・・。些細な事かもしれないが、毎日意識もせずに会えていたものが会えなくなるというのは気になる。知り合って一年半以上になるがこんな事はなかったのだ。
 もっともゼミの方が忙しいような事を言っていたのでそのせいなのかもしれないし、これ見よがしに嫌な顔をされたり、無視をされたりと言う事はないので本当に自分が気にしすぎているだけかもしれない。
 でも、だけど・・・。
「・・・おかしい・・」
 今日だっていつもならばこの学食で約束などしていなくても会えた筈なのだ。それなのに・・・。
「俺・・何か気に障るような事したんやろか」
 あまりそういった事で、何も言わずに人を避けるようなタイプではないが、一体何がどうしたというのだろう。
 今日は火村が法学部の講義に顔を出す日ではない。だからこのまま行けば今日も会わずに終わる事になる。ちなみに昨日も一瞬、擦れ違うように会っただけで、またなと言われてしまった。取り付く島もないとはまさにあの事だろう。
「・・・下宿まで行ったら迷惑やろか」
 ポツリとそう呟いて有栖は箸を置いた。どうにもすっきりしない。どうせ本を借りる約束しているのだ。うまく会えないから訪ねて来たと言ったらどうするだろうか。
 勝手に探して持って行けよと笑うだろうか。それともどうして来たのだと迷惑そうにするだろうか。
「・・・・・・大体グチグチ悩むんわ性に合わんのや」
 何か思う事があるならはっきりと言ってほしい。
 もっともこの時点で火村が思っていた事を有栖に伝えたとしたらきっとムンクの絵画のようになってしまっただろう。
 何時くらいならばいるだろうか。すでにそこまで計画を練り始めていた有栖の耳に聞き覚えの声が飛び込んできた。
「よぉ、有栖川。何をしけた顔をしているんだ?」
「大谷!?」
 呼ばれた名前にヒラヒラと振られた手。
「次の内藤教授、休講になってたぜ?」
「え!ほんまに!?」
「そう。たった今貼り出された最新ニュース」
 ニコニコとしながら大谷は有栖の向かいに腰を下ろした。どうやらバイト代が入ったらしくトレーの上には白身魚のフライが乗っている。
「このところ講義に出てなかったのについてへんな」
「まぁな。でも代返ができるものは頼んでおいたし。有栖川にも世話をかけました」
 サクッと音を立ててフライに齧り付きながら大谷はペコリと頭を下げた。その仕草に思わず笑いを浮かべて有栖は残りのコロッケを口にする。
「具合が悪いわけやないんやな」
「何や俺そんなにひどい顔やったか?」
「うん。腹が痛いのかと思う程度には。なぁ、ところでいつもいっしょにいた奴、今日は一緒やないのか?」
 味噌汁に手を伸ばしながら大谷はそう言った。
「いつも一緒?」
「ああ。社会学部の奴やったけ?」
「ああ、火村の事か?いつも一緒ってそんな事はないけどこの所ゼミの方が忙しいみたいやな。レポートとか言うてたきもしたし。他学部やからその辺のところは判らんけど」
「ふーん・・。やっぱり頭のいい奴は期待も大って事なんかなぁ。結構有名な奴やってんなぁ、あいつ。俺はよう判らんけど前にそう聞いたわ。大変やなぁ」
 しみじみとそんな事を言う大谷に有栖は少しだけ呆れたように口を開いた。
「何言うてんねん。俺らのとこもレポートあるで?」
「え!うそ!」
「柏崎ゼミやろ?この前、安田が詐欺やとかなんとか言うてたで」
「それがほんまやったら確かに詐欺や。柏崎ゼミはレポートがないって言われとったんや。あちゃー・・参ったな。有栖川は笹本やったけ?」
「うん。レポート発表は1月の頭や」
「・・・・・うーん・・まずい。まずはテーマを聞かなあかんし。ゼミは出るようにしとったんやけどなぁ。この前言うたんやろか。まいったなぁ・・誰か捕まるかなぁ・・」
 はぁと落ちた溜め息。だがこればかりはどうする事もできない。
「柏崎ゼミって他に誰がいたっけ?」
「え?ああ・・田口とか森宮とか金崎とか中本に、吉原に」
「吉原は***を選択しとるで。次が休講になったから間が空いてしもうたけど割合きちんと出る奴やから教室に行けば会えるんやないか?」
「!そっか!けどなんで吉原がそれを選択しとるのを知ってるんや?」
「俺も選択しとるから」
「・・・・へ・・」
「ちなみに俺は間が空いたからどうしようかなぁと思うてたんやけど」
 残りのコロッケを口にしながら真面目な顔をしてそういう有栖に大谷はクスクスと笑い出してしまった。
「・・・なんか・・有栖川のそういうとぼけたようなところ、好きやなぁ、俺」
「とぼけたってなんや、とぼけたって」
「はははは・・・怒りなや。アジフライやるから」
「いらんわ、アホ!」
「遠慮するなよ、ほらアーン」
「気色悪い事すんな!」
 思わず赤い顔で怒鳴る有栖に今度こそゲラゲラと笑って大谷はつまんだそれをパクリと自分口の中に放り込んだ。
「そうそう、それでなくちゃ。元気がないのはらしくないで?ほんまに悩み事があるなら相談にのりますぜ。色々お世話になりましたし」
 もぐもぐと口を動かす大谷に有栖は一瞬火村の顔を思い浮かべて、首を横に振った。この男に「火村がおかしい」と言ってもどうなるものでもない。下手をすればそんな風に考えるお前がおかしいと言われかねない。
 少し会えないくらいで何故そんな風に思うのかと言われてしまえば何と言い返していいのか判らなくなってしまう。
「別に何ともあれへんよ。今年のクリスマスもまた侘しい事になりそうやなぁと思うてただけや。そっちはうまい事稼げたんやろ?プレゼント資金」
「あ〜〜・・稼げた事は稼げたんやけど元の木阿弥ちゅうか・・あんまりバイトバイト言うてたらどうも浮気しとるんやないかって思われたらしくて・・」
 困ったようにそう言って最後の一口を口に入れると、大谷ははぁとらしくもない溜め息をついた。
「なんや、せやったら悩みがあるんわ俺やなくて君の方やないか」
「うううう・・・けどもうちゃんと軍資金は出来たから。クリスマスも大晦日も正月もちゃんとバイトは外したし。明日は会う事になったし」
「まぁ、頑張ってくれ。その日の予定がちゃんと埋まる事を願っているよ 
「・・・なんちゅう縁起でもない事を」
「願ってるって言うたやないか」
「いや、心の裏の声が聞こえた・・」
「アホか!」
 食堂の隅で延々と続けられるどこか漫才めいたやりとり。それを出入り口のところで見つめて、イラつくような表情を浮かべた火村が、クルリと踵を返した事を有栖は気付かなかった。


若い感じですねぇ…。