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(何やねん、何やねん、何やねん〜〜〜〜〜!!!)
 キャンパスの中をずんずんと歩きながら有栖は胸の中で叫び声を上げていた。
 何がどうなったのか、何を言われたのか、全く、さっぱり判らない。判っているのは何かがおかしい事と、火村に好きだと言われてキスをされた事だけだ。
「・・・・・」
 そう思って有栖は勢いに任せて動かしていた足をピタリと止めた。
「・・・そうや・・キスされたんや・・」
 口に出してみるとそれは更に現実感を伴った。そうして甦ってくる先程のパニック感。
(・・・何で・・)
 耳の奥に甦る低い声。
『・・好きだ』
 そう、火村は確かにそう言った。
 と言う事は、つまり・・そういう事なのだろう。
 火村は男で、自分も男だ。だから・・・。
「・・・ホ・モ・・?」
 思わず小さくなる声。
 もしかして今まで自分は気付かなかったけれど、火村にはそう言った性癖があったのだろうか。
 けれど、でも、噂では結構うまく女性と付き合っていると聞いた事もある。それは単なる噂だったのだろうか。それとも・・・。
「・・・バイ・・って事やろうか・・」
 ヒクリと顔を引き攣らせて、更に小さく呟くようにそういうと、有栖は止めていた足をゆっくりと動かし始めた。
 とにかく頭の中には収まりきらないような疑問が渦を巻いている。
火村に好きだと言われ、キスをされた。
 それは間違いがなかった。
火村にそう言った趣味があった事は知らなかった。
 これもまぁ、真実かどうかは別として、有栖自身が知らなかったと言う意味では間違いはない。
 けれどどうもおかしな事がある。
 確か火村はあの男にもとか、誰にも渡さないとか、共有しないとかそんな事を言っていた気がするのだ。という事は・・・。
「どう言う事や・・?」
 それに誰かを待っている・・そんな事も言われた。
「・・・・書庫で誰を待つんや・・?」
 どうもおかしい。やっぱりおかしい。もしかしてそれはこのところ感じていた火村への違和感と関係があるのだろうか。
 眉を寄せて有栖は視界に入ったベンチに腰を下ろした。
 そうしてゆっくりと冬晴れの空を見上げてみる。
『・・好きだ』
 どうして火村はいきなりそんな事を言い出したのだろう。
『・・・一緒に居たいなんてあの男にもそんな事を言ったのか?』
 あの男とは誰なのだろう。
『俺はお前を誰かに渡すつもりはない』
 渡すも渡さないも、誰かというのが判らない。
『誰かと共有するつもりもない』
 もしかすると火村は自分が誰かと付き合っていると思っていたのだろうか。
「誰とも付き合うてないのはよく知っとる筈やのに・・」 そう呟いて有栖は自分の言葉の情けなさに気付いてはぁと溜め息をついた。そう言う事ではないのだ。
 そうではなくて・・・。つまり、その言葉は彼の独占欲のようなものなのだろうか。
 火村は本気で火村は有栖を好きだと言い、独占欲を剥き出しにしてキスをしてきた・・・。
「・・・・・なんでここで赤くなるんや、俺」
 自分で自分にそう突っ込みを入れて有栖はもう一度空を見上げた。冬とは言ってもやはり太陽の光は眩しい。
「・・・・確か火村もこんな事してたな・・」
 もっとも彼は煙草を吸っていたし、確か夕暮れも終わりかけた時だった。
 彼はあの時、何を考えていたのだろう。
 何だかひどく切なげに見えたのは有栖の見間違いだったのだろうか。
 それがもしかして自分の事を考えていたのかもしれないなどと思ってしまうのは自意識過剰というものだろうか。
 火村は・・・いつからそんな風に思っていたのだろう。
「・・・・・あ・・」
 その瞬間、有栖は小さく声を上げた。
 もう一つ大切な事に気付いたのだ。
 どうして自分は同じ男である火村から好きだと言われて、キスまでされて、驚いて、悲しくて、どこか裏切られたような気持ちにはなったものの、なぜ気持ち悪いとか、冗談じゃないとは思わなかったのか。
「・・・・・・」
 それどころか彼は本気で言ったに違いないなどと思っているこの事実は何なのか。
「・・・・・・俺は・・」
 本当にとんでもない事に気付いてしまった。
 だが、確かに考えなければならない事だった。
 今の時点でも自分は火村と二度と会わないという気持ちも、付き合いを止めたいと思う気持ちもないのだ。
「・・・どないすればええねん・・」
 ポツリとそう呟いた途端、何故か先刻の大谷の言葉が頭の中に浮かんだ。
『睨まれた気がするんやけど・・』
 何となく《誰か》のうちの一人が見えた気がして有栖は小さな眩暈を感じた。
「・・何で男を睨むんや、アホゥ・・」
 どうしてかは判らないが、火村は有栖も男と付き合うような人間と思ったのだろうか。
「・・・・・で、どうしてそれには素直に気色悪いと思うんやろ」
 考えれば考える程ドツボに嵌っていく気がして有栖はベンチから立ち上がった。
 時間は丁度12時。今日は3限に講義が入っているがとても受けられそうにない。
 考える時間が必要だ。
「別に逃げるわけやないで!」
 いきなりのその言葉に通りがかった名も知らぬ学生がビクリと身体を震わせて周りを見まわしていた。
 無論そこにはその言葉を向けられるべき人間はいない。
「今日は・・帰るだけや・・」
 いいわけがましいとは自分でも思ったが、さすがに今日は火村ともう一度顔を合わせる気にはなれなかった。
「・・・ほんまに・・逃げるわけやない・・」
 聞こえる筈のない言葉をもう一度口にして・・・。
 有栖は大学を後にした。


火村ホモ疑惑・・・(爆)