BEGIN 9

.

「ちょっと、顔貸してくれるか?」
 有栖に告白をしてから4日。
 その4日間、完全と言っていい程火村の前に姿を見せなかった有栖の言葉に、火村は表情を変えないまま「判った」と口にした。
 恐らく火村の出ている講義を調べ、それが終わるのを待ち構えていたのだろう。廊下に出た途端のその言葉に一体何事が始まるのかと周囲の学生達が見守る中、その視線を全く気にする事なく有栖は踵を返して歩き始める。
「・・・どこに行くんだ?」
 歩きながら火村が尋ねる。
「判らん。けど君の部屋は御免や。それから書庫も」
「・・・・・」
 ようするに警戒をされているのだと思って火村は口の端を少しだけ上げるようにして笑うと、そのまま黙って有栖の後をついていった。
 有栖はどうやら空部屋を探しているらしかった。確かにこの間の話をするのならば学食や学生会館というわけにはいかないだろう。
 社会学部棟から法学部棟の方に。やがて電気の消えていた小さな教室を見つけるとドアを開けて中へと入る。
 カチリと点けられた明かり。そうして青い空と寒々しい枝を映す窓に近づくと有栖はカタンと机の上に腰を下ろした。そして。
「・・・・この間の話やねんけど」
 いきなり話を切り出し始める。
 それに「ああ・・」と答えて、火村もまたそのそばの机に腰を下ろした。
「考えたんや・・」
「ああ・・」
 繰り返された短い返事。
 多分そうだろうと火村は思っていた。元々がすんなりと受け入れられる話ではないのだ。しかも自分は無理矢理キスをして告白をしている。すぐにも「ふざけるな!」と言われたり二度と口を聞いて貰えなくなってしまったとしてもおかしくはない。
 考えたと言って、こうして話をしているだけでも有栖らしいといえば有栖らしい行動なのだろう。
 そう、これからが問題なのだ。
 どういう答えが返ってきても自分はもう有栖川有栖と言う人間を手放す気はない。
「一つ確認しておきたいんやけど、あれは・・・その・・好きって言うのは冗談とか、からかったとか言う事じゃないよな・・?」
 だが聞こえてきた言葉は火村が思ってもいなかった言葉だった。
 まさかここにきて冗談にされるとは思わなかった。思わずムッとした表情を浮かべて火村は口を開いた。
「お前は冗談でそんな事を言うのか?」
「俺の話やない。君の話や」
「同じだ。冗談で同性の友人に告白して、しかもキスなんかするか」
「・・・・そうか・・そうだよな・・。うん・・」
 頷く有栖に火村は小さく眉を寄せた。
 話と言うのはもしかして冗談にしてくれという事だったのだろうか。
「・・・アリス」
「ちょっと待った。まだ俺の話が済んでない。えっと・・それから、あの男とか誰かって誰や?」
「え・・?」
「言うてたやろ?あの男にもとか、誰かにどうとか、共有が何だとか。さっぱり判らんから具体的に【誰か】を思い浮かべてるなら聞いておこうと思って」
「・・・・・・・」
 しかもこんな展開になろうとはそれこそ考えてもみなかった。あの男が誰なのか、火村の方が聞きたいのだ。
「大谷は・・あの書庫の前で会った奴やけど、あいつはただの友人やで。その他に君が疑っていた奴って誰や?俺はそんなに・・お・・」
「・・・・・お・・?」
「・・だから!男にウケるような、そう言うタイプに見えるんやろうか!?せやから君はそないな事を言うんか?」
「・・・はぁ・!?」
 どうにも話がおかしな方向に向いてきた。
 この4日間、自分は男ウケするようなタイプなのか、有栖がそんな事を考えていたとは夢にも思わなかった。
 第一今の言い方ではまるで・・。
「・・俺は別に男が好きなわけじゃない!」
「そんなん俺かて同じや!したら何で君は俺が好きなんて言うんや!」
「それはお前だからだろう!?」
「ならなんで俺が!・・・俺が男と付き合っているような事言うんや!俺は・俺は・・・男と付き合うた事はないしあの男とか、誰かとか、共有とかそんな事言われるのは心外やし・・そんなん考えただけでも気持ちが悪い!」
「・・・・・」
 これは結構グサリと来た、と火村は思った。
『気持ちが悪い』
 それはようするに先日の火村に対してもそうだと言われたも同然だ。
『冷たかったか?』
『・・・アホ・・も・・ぁ・』
『アリス・・』
 甦るあの日の声。
 今の有栖の言葉を信じるならば、あれは少なくとも目の前にいる有栖ではなかったようだ。
 だがそれならば誰なのか。相手の男は確かに『アリス』と呼んでいたのだ。
 目の前にいる有栖の言葉を疑うのは忍びないし、火村自身何度も違う人間だと思い込もうとした。
 しかし現実的には、同じ大学内に【アリス】と呼ばれる男が他に居る可能性は限りなく低い。
 それとも・・あの事自体が多少時間のずれた白昼夢だったとでも言うのだろうか。
 あの夢のように火村の欲望や歪んだ思いが聞かせた幻だった。そんな事があるのだろうか。
「・・・・気持ち悪い・・か・・」
 さすがにこの先どう言っていいのか。唸るようにそう言って黙り込んでしまった火村を見て、有栖は再び小さく口を開いた。
「・・俺は・・男と付き合うなんて考えた事ない」
「・・・・・・」
「考えた事なかったんや・・・けど・・」
「・・・アリス・・?」
 小さくなってしまった言葉に火村は俯きかけていた顔を上げた。
 重なる視線。
「けど、君に好きって言われたのは驚いたけど嫌やなかったし、キスされたのも何でって思ったけど・・き・・気持ち悪いとは思わんかった」
「!!!」
 形成逆転。棚からぼた餅。終わりよければ全て良し。
 わけの判らない言葉が火村の頭の中に浮かんだ。
 この4日間、後悔はしないと思っていたものの、実際にどこに行っても有栖に会えないという状況を火村なりにどう手を打とうか悩んでいたのは事実だった。そして何より今「気持ちが悪い」等と言われ、覚悟はしていたもののやはりショックだった火村にとってその言葉はまさに救いだった。
「けど考えてみるだけやから!」
「アリス!?」
「・・この4日間なんでって考えた。考えて・・俺は・・俺も・・もしかしたら君の事が好きなんやろうかとも思った。けど」
「けど?」
「・・・・この間みたいな事がしたいのかって言われたら。つまり・・そういう対象として好きなのかって言われたら答えられない」
「・・・・・・」
「せやから君の答えを聞いて考えてみるつもりやった。君がその・・・ホモで・」
「・・・・・・」
 火村の顔が嫌そうに歪められた。
「あ・・いや・・せやからその・・そうやったらで、それで俺の事を同じように思っててそんな風にそう言うてるなら御免だと思った」
「他の野郎なんて冗談じゃない」
 火村の言葉に有栖はコクリと頷いた。
「・・・うん・・だから、考えてみる。君が俺だからって言うなら、なんで俺は君の事は気持ち悪いと思わなかったのか。この気持ちが何なのか・・。ほんまはな・・」
 途切れた言葉。
 やがて目の前の顔が少しだけ赤く染まるのを火村は黙って見つめていた。
「・・・君がほんまの事言うたから言うけど・・、あの時大谷が君の事飲み会に誘ったやろ?何でか判れへんけど嫌で、ついあいつにデートで忙しいんやろって嫌味みたいな事言うてん・・」
「・・・・・・」
 どうやら自分たちはお互いに同じような事をしていたらしい。思わずフワリと笑った火村に有栖もまたクスリと笑ってもう一度ゆっくりと口を開いた。
「せやから、ちゃんと考えるから。自分の気持ちが何なのか、前向きに考えてみる。それが俺の『覚悟』や。今はそれでええやろか?」
 真っ直ぐに向けられた有栖の視線。
 それに火村は笑って「出来れば俺の忍耐が持つうちに」と言った。
 
 
 .

.

.

.

 有栖の『覚悟』と火村の『忍耐』の折り合いがついたのはそれか3ヶ月近く後の、早春と呼ばれる季節だった。
 そうして火村は改めて、有栖がそういった行為が初めて
だった事をしっかりと確認したのだった…
 
 
 


学生時代はここまで。最終(ラスト)は現在に戻ります。