誰ヨリモ君ヲ愛ス10

 すでに半分近くの葉を路上に落として、寒そうに空に枝を伸ばす街路樹たち。
 つい先日までは紅葉の見頃がどこだと騒いでいたテレビも今は師走に向けての景気対策だの、社会情勢だのと相変わらず進展のない事を流していた。
 秋は駆け足で通り過ぎて冷たい冬を連れてくる。
 有栖の失踪から丸1日が過ぎ、2日目の午後。大阪府警にとんでもない物が届けられた。
 消印は京都・出町局。英都大学のすぐそばである。
「・・・鑑識の結果、間違いなく有栖川さん本人の物です」
「・・・・・・・・」
 切り落とされた髪とむき出しのティッシュの束に付着した、すでに渇いて変色した血。
 午後一番で呼び出しを受け、火村はすぐに大阪にやってきた。
 ちなみに昨日も来たのだ−−−−−−−−。

『・・・すみません。このような事になって・・』
 見知ったマンションを背に小さく頭を下げた船曳を見て火村はそれが現実である事を感じた。
『・・エントランスのゴミ箱に火をつけた様です。そして、こちらが3階と5階に置かれとった発煙筒です』
 火村が到着するまでに判っていた事は、色々とあった。
 有栖が3階までは隣人と一緒に非常階段を降りてきていた事。
 何かを聞いてそこから一人になった事。
 エレベーターが細工をされていた事。
 地下駐車場から車で連れ去られたらしい事。
『消防隊が到着してエントランスのボヤを消し、更に上の階の消火活動をしようとして3階と5階で発煙筒を発見して、不審火と悪質な悪戯として警察に通報する。そうして警察が到着した頃に有栖川さんが居ない、煙に巻かれたんやないかって途中まで一緒だったという女性が騒ぎ出したんです。が、いくら捜しても姿はない。部屋に戻った形跡も、ありませんでした』
 大阪府警捜査一課のハリキリボーイは手帳を広げながら苦い表情をして更に説明を続ける。
『エレベーター付近に発煙筒が置かれていました。又、火災警報が鳴ってもエレベーターの非常停止が効かん様になっていました。とにかく5階の廊下に煙が立ち込めていたので、その階とそれ以上の階の人間は外の非常階段を使いました。4階は中階段を3階の煙が上っているのでこれも然りです。3階は中央のエレベーター付近がひどいのでその辺りには近づかず、2階は中階段と非常階段を使って避難をしています。エレベーターを使う者はいません。かくして3階でエレベーターに乗せられたらしい有栖川さんはそのまま地下駐車場に降ろされ、車に乗せられて野次馬たちに紛れて連れ去られてしまった・・・らしいです』
 後半は仮定の言葉が多くなった。けれどそれはほとんど当っているのだろうと火村は思った。
『とりあえず、マスコミ関係はボヤと悪質な悪戯という事だけで有栖川さんの件は伏せてあります』
 少し疲れたような、苦い表情でそういう船曳に火村は小さくうなづいた。
 そうしてその後、僅か半日ぶりで訪れた有栖の部屋で火村は事件の記事がスクラップをされているのを見つける。
 隠しても、隠しても、有栖はいつの間にか、半ば無意識のうちにそれに気付いてしまうのだ。
『・・・・アリス・・』
 ポツリと漏れた声。
 主のいない部屋の中で火村は遣り切れないような気持ちでやりかけのそれを見つめた−−・・・

「・・・火村先生?」
「・・ああ、すみません。それで、宛名書きから例の事件の犯人と断定出来る訳ですね」
「そうです。これで犯人が先生と有栖川さんが関わった事件を逆恨みして犯行を起こしたとはっきりした訳です」
「・・・・・1ケ月・・いやもう少し前あたりに何かあった奴はいませんでしたかね」
「は・・?」
「事件はいずれも約1ケ月前から始まっている。一人目の被害者が殺され、時期を同じく有栖川への無言電話。それ以前に何か犯行を起こすきっかけになるような事があった・・もしくは過去のその辺の時期の事件であった事を引っ掛けている」
「・・・・・・資料をあたらせます」
「お願いします」
 とにかく犯人につながる様なものを火村も、警察もまだほとんど掴んでいない。全てが仮定なのだ。考えられるものをあたって消去してゆく。今はそれしかない。テーブルの上に置かれた、透明の袋に入れられた髪の毛と、同じく袋に入れられているテイッシュで拭き取られた僅かな血。
「・・・・・・・っ・・」
 僅かであろうとなかろうと有栖が傷付けられている。それは事実だった。火村の中に苦い思いが浮かんでくる。
“俺は守られなきゃならんような、そんな弱い人間なんか”
 それでも、何でも・・・どう言われようと守りたかったのだ。何に代えても・・・例え、火村自身の命と引き換えても守りたかった。もっともこんな事を言えば火をふくように怒り出すだろうが。
「・・・・・・今日は、これで失礼します。家主がしばらく娘夫婦のところに厄介になると言うので、送りに」
「ああ・・そうですか。それでは又何かありましたらすぐにお知らせします」
「・・・これ以上何も起こらないのが一番いいんですがね」
「ごもっともです。今の時点でこの通りですから、これ以上何か起こられたら身が持ちません」
そう言って微かに笑うと船曳は見事な腹をポンと叩いた。
「今度は何かを掴んだというお知らせをしますよ」
「期待しております。では」
 ペコリと頭を下げて火村は会議室を後に、駐車場に向かって歩き出した。
「・・・・・・・」
 カツカツと足音が響く。
 船曳に言った通り、下宿先の家主である篠宮時江は夕べ火村に笑って話を切り出した。
“しばらく娘夫婦の所に遊びに行こう思うてるんよ。ウリちゃんたちは近所の方が預かってくれはる事になっとるから”
「すみません」と頭を下げた火村に彼女はコロコロと笑って。
“何で火村さんが謝るん?うちは遊びに行くんえ? ”
“土産を買うてくるさかい、楽しみにしとってな。有栖川さんにもいつも旅行に行かれる度に貰うてしまうから何か買うてきます。渡してくれはりますやろ?
「・・・・・・・」
 彼女は多分、何かを気付いているのだろう。
 そして先日の一件もあって火村に迷惑をかけない様にと言い出したに違いない。
 車に乗り込むと火村はすぐにエンジンをかけてアクセルを踏んだ。連日の京都・大阪間の往復に無茶をするなと文句を言う様に低く唸って走り出す愛車。
“火村!”
 あの日から、現れるのは泣き出しそうな顔ばかりだ。
 それを払うと赤い夢が浮かんでくる。
 そして夢の中の白い顔はやがて、あの日・・・理不尽な怒りに任せ、腕のぬくもりさえも与えずに抱いた・・・あの夕日に照らされて赤く染められて泣いていた顔にスライドする。
(・・・・アリス・・)
 あのままマンションに居れば。
 あんな風に冷たい言葉で置き去りにしなければ。
 電話の音にあれ程怯えていた有栖を目の当たりにしながら、自分は有栖の口にした言葉の端を取って、怒って、奪って、そして放り出したのだ。
(・・・・・アリス・・・!)
 とにかく、何か見逃している事がある筈だった。
 犯人はまったく手がかりを残していない訳ではない。
 幾つものそれを、気付けとばかりに提示しているのだ。
「・・必ず、助けてやる・・だから・・」
 −−−−無事で居てくれ。
 祈るような言葉は、けれど胸の中だけで、火村自身の声で紡がれる事はなかった。


メロメロの火村。追いつめられていくって感じって実は好きなんだ。ふっふっふっ・・・