誰ヨリモ君ヲ愛ス11

 3日目は何も−−良い事も悪い事も−−なく、有栖が消えて4日目。火村は又大阪府警を訪れていた。
 いっそこの近辺にビジネスホテルを取って、必要な講義の時だけ京都に行く方がいいのかもしれない。そんな事を考えながら火村は“そんなに伸ばすつもりなのか”と自嘲する。
 何かある。
 何かを見落としている。
 それはひどく簡単で馬鹿馬鹿しい事のような気がしていた。が、そのキーワードが何なのか掴めない。
「京都、兵庫の資料が揃いましたので、そちらをあたりながらもう一度、被害者たちの共通項を洗い直していくという事になりました」
 昨日行われたらしい捜査会議の今後の方針を語る船曳の声はいつもの張りがなかった。
 一向に進展しない捜査とマスコミへの対応。そして何より今回はトップシークレットがかかっている。
『捜査に協力をした民間人が逆恨みを受けて事件に巻き込まれている』等という事は外部に漏れてはならないのだ。
 その為に一つの事件であるこれらは表向きには全く単独の事件として扱われている。
「・・・それから、以前火村先生がおっしゃった“場所 という事ですが・」
「警部!又来ました!!」
 言いかけた船曳の言葉を遮る様にバンと開かれた扉と、同時に転がり込む様に入ってきた身体。
「森下!!話し合いの」
「それどころやありませんよ!例の奴が又届いたんです!!」
「!!!」
 目を三角にしてガタリと椅子から立ち上がった鮫山は続く言葉に一瞬火村たちを振り返ると、すぐさま視線を若い後輩に戻して歩み寄った。
「郵便配達か?」
「はい!配達人には捜査協力をいう形で指紋を取らせてもらいました」
 そういう森下自身は捜査で使う白い手袋を嵌めている。
「よし。警部、どうされますか?ここで」
「ああ・・何かを敷いて・・森下、開けてみろ」
「はい」
 白い紙の上でゆっくりと開けられてゆくB5程の紙封筒。それは前回と同様少し膨らんでいた。
「・・・・・・これは・・」
 出てきたのは丸められた布地だった。
「・・・有栖川の・・コートの切れ端・・だと思います。見覚えがある」
 確か、何年か前に東京でパーティーのようなものがあると言って買ったものだ。どうせクロークに預けてしまうのだからコートなんかどうでもいいじゃないかとからかった覚えがある。
「・・あ・・待って下さい。何かまだあります」
 丸められたそれを森下の白い手袋を嵌めた指が広げて行く。
 そして・・・
「・・・ヒッ・−−−−−−−!!」
 小さく漏れた森下の声を責める者は居なかった。
「・・か・鑑識に回せ!」
 上ずった船曳の声。鮫山も又声を失っている。
 それは、指だった。
 布に包まれた、白っぽい芋虫の様なそれを火村はただじっと見つめていた。
「・・作り物です。おもちゃだ」
「おもちゃぁ!?」
 部屋に素っ頓狂な森下の声が響いた。それを聞きながら火村はポケットからハンカチを取り出すとそっと白っぽい物体をつまみ上げる。
「ゴムで出来ている。ホラーショップとかに置かれているものですね。ご丁寧にも切り口には本物の血が塗られていますが」
「!・・すぐに鑑識に回します。森下!」
「はい!」
 呆けていた若者は物凄い勢いで返事をするとそれをそっと持ち上げながら小さく呟く様に口を開いた。
「・・・・・くっそー・・・バラバラになぶり殺しにでもするつもりか・・」
「森下!!」
「は・・あ・すみませんでした!軽率でした!失礼します!」
 ペコリと頭を下げて、森下はほうほうの態で部屋を退出した。
「・・・すみません、火村先生」
「・・・いえ・・それよりも先程言いかけていた続きを聞かせていただけますか?」
 言いながら火村はギリギリと締めつけられるような胸の痛みを押し隠した。
「・は・?・・ああ、えーっと場所ですな。そう、場所に何か法則とか、メッセージのような物があるんやないかって事やったと思うんですが、火村先生の方でそちらは何か」
「・・ああ・・すみません」
「そうですか」
 正直忘れていたのだ。あの日、船曳にそう言って家に帰る途中で片桐に会い、その翌日は有栖のマンションを訪ね、そしてその夜有栖は連れ去られてしまった。その後の3日間はそこに頭が戻らず、船曳に言われなければ思い出す事が出来なかったかもしれない。
「・・・・・・・っ・・」
 そう、確かに自分はそれに引っ掛かっていたのだ。
「一応あの後、それぞれの地区の地図に書き込みをしてみました。もっとも一人目は川を流れて来ましたので場所の特定はまだ出来ておりませんが」
 そう言って船曳は火村の前に何枚かの地図を並べた。
「・・・・市や区を取ればええんですかね。それとも町名にかけてあるんでしょうかね」
「え・・?」
 船曳の言葉に火村は地図を見ながらキャメルを取り出しかけていた手を止めた。
「何ですって?」
「は・いえ・・先生が場所に何かがあるかもしれんとおっしゃっていたので地名の語呂合わせとか、そう言った事なのかと単純に・・・違うんですか?」
「いえ・・確かに・・そうです。そう考えられる」
(寝屋川市・北区・大正区・吹田市・八幡市・・・)
 市や区で何かを伝えているならばそこである必然性はない。
(・・・町名か・・?)
 火村は唇に当てた人差し指をゆっくりと動かし始める。
 それを船曳と鮫山は黙って見つめた。
「・・・・死体が上がったのが高柳、川向こうが上神田、その上が成美町・・」
 寝屋川市の町名だった。
 それよりも上流になると古川は死体を遺棄したらすぐに判ってしまうような小さなものになってしまう。
「高柳・神田・成美・・・名前か・・?」
 もはや、自分たちの入る隙はない。
 船曳たちはそっと顔を見合わせると音を立てない様にゆっくりと立ち上がった。
 その途端小さなノックが聞こえた。
「・・はい・・」
「すみません・・・失礼します・・」
 ドアを細く開けて顔を出したのは先刻の、第1課のハリキリボーイ森下だった。
「何や、森下。もう鑑識の結果が出たんか?」
「・・いえ・・それはまだ・・・そっちやなくて、先ほど班長たちに伝える事があったのを思い出しまして」
 そちらを言いに行こうと思っていた所に荷物が届き、ああなってしまったのだと森下は恐縮したように部屋に入ってきた。
「・・あれ・?・・火村先生」
「ああ、何か思いつかれたらしい。それで、言い忘れたんは何や?」
 鮫山の言葉に森下は火村から視線を剥がしてパラパラと手帳をめくった。
「えーっと・・被害者たちの共通項が出ました」
「何やと!!」
「でも・・・あの・・・」
「はっきりせんか!それで!?」
「・・・・あんまり関係ないかなとも思うたんですけど、小さな事でも報告するように言われておったし・・」
「何でもええから、それは何なんや!」
 船曳の焦れたような声に森下は小さく肩を竦めるようにして口を開いた。
「・・・・・・ワイン好きやったんです」
「・・・はぁ・・?」
「せやから、全員結構なワイン好きで色々なワインを集めたり見つけたりして、それで、インターネットとかで」
「森下!!!」
「せ・せやからあんまり関係ないかもしれんて」
「いや、それはもしかしたら大きな収穫かもしれませんよ、警部」
「火村先生?」
「森下刑事、それをもう少し詳しく聞かせて下さい」
「あ、はい!」
 火村の言葉に若い刑事は嬉しそうに返事をして手帳のページをめくった。
(・・・・・もう少しだ・・)
「・・・それで、この線から当ったら何日か前にそういえば珍しいワインを見つけたと同僚や家族に漏らしていた者が5人中3人居ったらしいです。こちらは所轄からの報告なのでもう一度確認をすればはっきりとした事が判ると思います」
“火村!”
 泣き出しそうな傷付いた顔が脳裏に浮かんだ。
 それをそのまま抱き止める様に火村は胸の中で呟いた。
(・・・もう少しだ。もう少しで助けてやる・・)
「先ほど資料の中でワインに結び付くような奴が居らんか当ったんですが、そちらは駄目でした」
(・・・多分、何かは見えて来ている)
「・・・・そうですか。判りました。ではとりあえず警部、先程申し上げた1ケ月より少し前。あるいはその月に何か特別な意味がありそうな件をピックアップしておいて戴けますか?」
「判りました。早急に調べます」
「それからもう少しここをお借り出来ますか?一度京都に帰ってしまうと又出てくるのが手間なので」
 そう、今はその時間も惜しい。
 何かが火村の中で形になりかけている。
 それを一刻も早く形にして有栖を取り戻さなければならない。
「どうぞ、お使い下さい。後でお茶位はお出し致しますよ。出前も取れます」
 にっこりと笑った顔が有り難い、と火村は思った。
 出て行く3人。パタンと閉じられたドア。
 訪れた静寂。
「・・・・待っていろ・・」
 それは有栖に向けられた言葉か、それとも犯人に向けられたものなのか、火村はそのまま広げた地図に瞳を落とした。


さぁ、謎解きだーーー!