誰ヨリモ君ヲ愛ス13

 夜が明ける。
 有栖が連れ去られてから5日目の朝が訪れる。
「・・・・・・・・・」
 結局一睡もせずに、大阪府警の一室で夜を明かしてしまった。
 けれど、その方がまだいい。火村は疲れた瞳をそっと閉じて息を吐いた。
 あの日から火村は毎晩の様に浅い眠りの中で夢を見た。
 −−−−−赤い海に眠る、白い顔の有栖。
 昨日送られてきた、コートの切れ端に包まれた玩具を見た瞬間、森下が声を上げていなければきっと火村自身が我を忘れて、あの夢を見た時と同じ様に叫び声を上げていただろう。
“バラバラになぶり殺しにでもするつもりか・・ ”
「・・・・・・・っ・・」
 そんなことはさせない。
 絶対にさせない。
 だから一刻も早く見つけてやらなければならない。
 火村が火村でいられるうちに。
 そして・・有栖が有栖であるうちに。
「・・・・っくしょう・・・!」
 犯人からの挑戦とも言えるそれは一向に解ける気配を見せていない。多分、気が付けば絶対に馬鹿馬鹿しいと思える程単純なものだと火村は思っていた。
 けれどそのきっかけが掴めない。
 キーワードに気付けない。
 1人目は寝屋川市の古川。付近の町は高柳・上神田・成美町。
 2人目は北区・末広町。道の向かいには扇町が広がっている。
 3人目、大正区・鶴町。ここはほぼ中央が事件現場。
 4人目、吹田市朝日町。同上。
 そして5人目は京都に入り、八幡市・内里古宮。
「・・・・末広、鶴、朝日で“めでたい なんて『あいつ』の思考だな」
 すでに2箱目も半分に減っているキャメルに手を伸ばして火村はそれに火をつけた。
「高柳・・神田・・」
 幾度繰り返したか判らなくなって、呪文の様になってしまった固有名詞。
 始めは名前が出来るのかと思ったのだ。
 けれどうまくいかず、場所を表しているのかとも考えた。
 そうして次々に、何かの語呂合わせか、これらの町に共通の何かがあるのか、本当に町だけなのか、市や区とも考え合わせるのか、5つをつなげるのか、個別に考えるのか・・・。
 考えれば考える程可能性が無限に広がって行く。それは確かに途方もない作業だった。だが、しかし、そう思えたとしてもこれが、今現在の火村にとっては有栖につながる、おそらく一番の近道なのだ。
 だから・・・解かなければならない。
「・・成美・・末広・・鶴・・朝日・・」
 紫煙がたち上る。
「・・線で結ぶと何か出るのか?・・・違う・・な・・。やっぱり地名にこだわるべきか」
 ガシャガシャと片手で髪を掻き回して火村は再び地図に目を落とした。
「・・・・朝日町・・・京都に入って・」
 その瞬間、火村の脳裏にふと有栖の声が甦った。
“夕陽丘の裏側に旭町があるなんて下手な駄洒落みたいやろ?”
「−−−−−−−−−!?」
(・・何・・だ?)
 火村の中に何かが引っ掛かった。
 なぜ今、そんな事を思い出したのか。
「・・・朝日町・・?」
 それは何の時にした会話だったのか・・・
 ポツリと口に漏らして火村は記憶を辿る。
“そんなの珍しくもねぇ名前だろ?全国どこにだって転がってるさ ”
“せやけど、セットって言うんが中々珍しいねん ”
(違う・・この前に何か話をしていたのだ)
「・・・・事件の話だ・・」
(何のだ・・?)
“−−−−−−の事件やと思うてたら・・・すぐ裏に住んでたなんて・・”
「・・・・・・・・・」
“復讐の為に人を殺すって”
“どんな理由があっても、殺人は殺人だ。犯した罪は償わなければならない”
“・・・・・・そうやな”
 煙草をすでに満杯の灰皿に押しつけて、火村はバラバラと天王寺周辺の地図をめくった。確かに公園を挟んで向かい合う様に位置する夕陽丘と旭町。
 旭・・字が違う。けれど・・・。
「・・・・っ・」
 そのまま今度は兵庫県警から送られてきた資料をバラバラとめくって火村はようやくそれを見つけた。
「・・・・・これか・・」
 それは兵庫県尼崎市で起こった事件だった。
 死んだ恋人の為に“復讐”という動機で殺人を犯した男。
 事の始まりはよくある遺産相続の争いだった。
 離婚をして実家に戻り、すぐに他界をしてしまった長女の一人娘。資産家である老人が遺言でその孫娘に全ての財産を贈与した。それが悲劇の幕開けで、やがてノイローゼになった娘が運河で水死体で発見される。捜査の結果、事故と断定。が、しかし、少女は殺されたのだと主張する者が居た。
 それがこの事件の犯人で、娘の恋人だった志方直樹−−−当時21才−−−である。
 志方は警察に再三それを訴えるがすでに捜査は終了していると相手にされず、自ら恋人の仇を討ち始めた。まず彼女の叔父に当る今井義照を撲殺。続いてその妻である冴子を絞殺。その後叔母にあたる安永光江を安永宅のナイフで刺殺して大阪市内に逃亡した。
 事故と断定された、志方の恋人の名前は今井成美。
「−−−−−−−−−−!!」
“お前なんか・・お前なんか何も判らないくせに!!”
(あの男だったのか・・・・)
 火村は眉間に皴を寄せた。
 が、しかし、この事件は1年半前のものである。
 逮捕され、すでに刑務所で服役をしている筈の志方に今回のこの事件が実行出来る筈がない。 けれど・・でも・・・。
 この綱を離してはならないと、たぐり寄せて行くべきだと、何かが火村に告げていた。
 そして、今はその感覚を信じる以外にない。
 内線のボタンを押すといくらかの間を置いて宿直らしい刑事の声がした。
「・・・火村です。捜査1課の船曳班の刑事を。大至急調べて戴きたい事があるんです」
 受話機を置くと僅かな時間でバタバタと廊下を走る音が聞こえきた。ついでノックと同時に開かれたドア。
「おはようございます!何でもおっしゃって下さい!!」
 入ってきたのは少しヨレったアルマーニのスーツを身につけた森下だった。どうやら船曳に言われ泊まり込んでいたらしい。
「早朝から申し訳ありませんが至急照会してほしい事件があります。これとこの志方の件に絡む今井成美の事故について」
「えーと・・兵庫県警の・・所轄は尼崎西署ですね。判りました。すぐに詳しい調書を送らせます」
「ああ、それから。この志方直樹の縁故関係もあたって下さいますか」
「判りました。他には?」
「町名まで載っている尼崎市の地図を」
「はい!!」
 再びバンと勢い良く開かれたドア。
 動き出した・・・と火村は思った。
 まだ何もはっきりとしたものはないけれど、1ケ月間動かなかった事件が確かに、今、ゆっくりと動き始めた。
 成美町・・・今井成美。
 一つ目のヒントは“名前”だった。
 この事件のきっかけになる少女の名前。
 そして、彼女は一昨年に水死をしていた。
 第一の被害者の死因は水死。手にしていたのは一昨年出された本の端である。
 揃い始めている符号はまだある。
 成美の叔父は撲殺。二人目の被害者も撲殺。こちらが握っていた資料も一昨年のもので、志方自身が事件を起こしたのも成美の事故と大きな差のない、一昨年の事だった。
 そして更に、その妻は絞殺。三人目の被害者も絞殺。成美の叔母は刺殺。四人目も刺殺されている。
 不幸なメッセンジャーたちは過去の事件を火村に伝えていたのだ。そうしてきっとこの5つのヒントを解けば犯人が現れる。
「・・・・本当に・・恐ろしい程馬鹿馬鹿しい真似をしてくれるじゃねぇか・・」
 湧き上がる怒りにも似た思いをそのままに火村は低く唸る様にそう口にした。
 その途端、再びバタンと開いたドア。
「調書は手配をしてきましたのでもう少し待って下さい!志方の縁故関係については今問い合わせ中です!地図はとりあえずこれを!」
出された地図を受け取ると火村は尼崎市のページをめくった。
「・・・・・・何が判ったんですか!?」
「まだ何も判りませんよ」
 息を弾ませつつ、小声で尋ねてくる森下に火村は素っ気無くそう答えた。けれどそんな事でめげていては本庁の刑事などはやっていられないのだ。
「あ、班長たちには連絡をとりましたので、すぐにこちらに来ると思います」
 にっこりと笑っての次の台詞に火村は「ご苦労様」と声をかけた。それに気を良くして森下は調書が届いているか見てきますと来た時と同様バタバタと部屋を飛び出して行った。
 訪れた静寂。
 火村の視線はすでに地図の上にあった。
 尼崎市・・・第一の殺人、今井義照の殺害現場は今井自身の住む同市内の西難波町。が、しかし・・・・。
「・・・・・・見つけた・・」
 尼崎港のすぐ隣。
 瞳に飛び込んできた見慣れた固有名詞に火村は思わずそう呟いていた。
 末広町・扇町・・・・・そしてその上に鶴町。
「・・・・第2ヒントと第3ヒントの答えか・・」
 ドクンドクンと鼓動が早まる。
 調書が届けばもっとはっきりする筈だったが、ここは多分おととしの事件に関係している場所なのだ。
 おそらく、これはあくまでも仮定だが、末広町と扇町に挟まれた運河に少女は浮かんでいたのだろう。
 そして、その上に位置する鶴町が住んでいた所、あるいは殺害現場と志方が考えた所だ。
 更に、第4のヒントは解けている。朝日町・・旭町。志方が住んでいた街である。
 身体の中を血液が逆流して行くような、全身が総毛立つ、そんな感覚が火村を襲った。そうしてその次の瞬間、聞こえた声。
“火村!”
 何度も、何度も、まるで火村自身の懺悔の様に繰り返し浮かぶ泣き出しそうな有栖の顔。
“君こそを隠しとるんや? ”
 そう言った顔は捨てられた子供のようだった。
“俺はそんなに弱い人間なんか?”
“俺はそんなに頼りない人間なんか?”
 違うのだ、と火村は思った。
 そんな風に思ってはいないとも、もう何度も思ってきた。
 ・・・ただ・・・
「どうしても・・守りたかったんだ・・!」
 だから・・・待っていろ。
 必ず助けてやる。
「来ました!火村先生!志方直樹と今井成美の調書です!!」
 三度走り込んできた森下。その後から、大きな腹を揺らして船曳が入ってきた。
「・・火村先生出ましたか?」
「・・ええ・・・恐らく・・」
 短く答えながら火村は調書と地図を照らし合わせる。
 考えていた通り成美が水死体で発見された場所は末広町と扇町の間だった。
 更に成美の実家は鶴町。
 これで4つのヒントがクリアーされた。
 残りは一つ。
 が、送られてきたもう一つの調書がそれを拒んだ。
「火村先生、志方は2ケ月程前に獄中で病死をしとります」
「病死!?」
「はい・・」
 船曳の言葉に送られてきた資料を見ると確かにそう記されていた。元々志方自身には−−脱獄していない限り−−無理な犯行だったからこそ縁故関係も当らせたのだが・・・・。
「病死・・か・・」
「森下!縁故関係の資料はまだか!」
「はい!今!!」
 走ってゆく森下の背中から視線を外して船曳は火村に向き直った。
「これで“1ケ月以前の動機”も確定ですな。犯人は一昨年の事件で逮捕をされた志方直樹が2ケ月前に死亡したのをきっかけに、この復讐・・いえ、逆恨みのシナリオを思いついたという訳です」
「・・ええ・・・おそらく・・・」
 それは、多分間違っていない。
 けれど・・・。
(まだもう一つのヒントが残されている)
 窓から差し込む朝の光。
 容赦なく時間は過ぎてゆく。
 5日・・・もう5日も経っているのだ。
 だから早く・・・!
「警部!志方に兄弟はいません。両親は離婚しており、母親と暮らしておりましたが、志方が大学に入った年に他界しています。親類関係もそんな状況ですので付き合いがないような状態だったようです」
 入ってきた途端の言葉に火村はすかさず問い返した。
「志方の在学していた大学というのは?」
「え・・えーっと・・・ちょっと待って下さ・・あ・**大学です。社会学部」
「社会学部・・・」
 これで又一つ謎が解ける。
 被害者たちの手にしていたメッセージは志方自身が手に入れられる物だったのだ。
「父親の方は?」
「は・はい・・・・あ・・ありません・・」
「何やと!?」
「両親の離婚が志方が8才の時でして・・・・この資料には記されておりません」
「すぐに調べろ!大学での交友関係も、服役中に面会にきた者が居らんかったかも調べるんや!」
「はい!!!」
 一喝されて朝から走り通しの若者は又しても部屋を飛び出して行こうと踵を返した。それに火村が声をかける。
「森下刑事!」
「え・・あ・はい!」
「志方直樹の元の名前は?」
「え?」
「母親に引き取られて育てられていたならば『志方』はおそらく離婚した母親の旧姓でしょう。元の、8才以前の名前は判りませんか?」
「・・・は・・い・・・えー・・・ああ、ありました。宮里。宮里直樹です」
 宮里−−−−−−−・・・八幡市・内里古宮・・・・
(5つ目は“名前”か・・・)
 1つ目が“名前”2と3と4がそれぞれに関連する“場所”。
 そして5つ目は“犯人自身の名前”が隠されていたのだ。
「・・確かに・・・・馬鹿馬鹿しい程単純なヒントだな・・」
 犯人はずっとずっと火村に気付けと言っていたのだ。
 自分の名前まで明かして。
「父親の、志方直樹の父親、宮里の行方を調べて下さい。他は結構です」
「判りました!!」
 返事をしながらすでに走り出す森下。
 入れ替わりに鮫山が入ってきたのをきっかけに船曳が1課に場所を移そうと火村に声を掛けてきた。
 確かにこれ以上森下を走り回らせるのは酷である。
 部屋を出る間際、一瞬振り返った部屋の窓から見えた朝の街。
(・・アリス・・)
“火村!”
(・・・・アリス・・!)
 泣きだしそうな顔はもうたくさんだった。
「・・笑い顔を忘れそうだぜ・・?」
「火村先生?」
 ポツリと呟いた言葉にいぶかしげに返された声。それに小さく首を横に振って。パタンとドアを閉じて。

 そうして30分後。
 朝から走り回っていた若者は裏返るような声を上げて火村の待ち望んでいた事実を告げた。
「判りました!宮里啓一。49才。昨年の末までは食品関係の輸入業を行っていました。その中にはワインも含まれます!」
 全ての点が一つの線になった。
「至急宮里を手配しろ!尚、宮里は拉致・監禁の容疑もある。人質の安全を第一に、ええな!?」
「はい!!」
 船曳の声に返ってくる声を聞きながら火村は事件が一気に結末に向けて流れ出したと感じていた。


さぁ、犯人が分かったぞ!!
もう一息だ〜〜〜!!