誰ヨリモ君ヲ愛ス14

「おはようございます。有栖川さん。よぉ眠れましたか?」
「・・・・お陰さんで。毛布か何かあればもっと快適なんやけど。ついでにこれも外してくれへんか?」
 ジャラリと鳴った腕の輪っか。すでにところどころ擦れて赤くなっている手首がひどく痛々しい。それを見て男はスッと瞳を眇めるとついでニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「それは出来ません。それにしても、警察も、あんたの友達もほんまに無能や。幾つも贈り物をしたっていうのに、まぁだ気付かへん。このままやったら計画を変更せなあかん」
「・・・・計画って何や」
「ああ、あんたにも協力してもらわなあかんのやけど、今は言えません。まぁ、でももうすぐや。強情を張っとるけどあんたもそろそろ限界やろ?あの男が来る前に死なれたら困るんや」
「一体何を考えているんだ?」
 有栖の言葉に男は僅かに眉をひそめた。
「・・今は言えん言うた筈や」
「あんた、どうしてそないに火村の事を恨んでるんや?」
「・・・・・・・」
「火村が関わった事件の犯人・・なわけやないんやろ?犯人の知り合いとかなんか?それとも」
「・・・・関係ない」
「今までの贈り物てなんや?・・・大阪や、京都の殺人事件はあんたの・・・」
「・・・・・しい・・」
「ほんまに人殺しをしたんか?それを火村に贈ってたんか?何でそこまでせなあかんのや!何の為に」
「喧しい!!!」
 狭い部屋に響く怒鳴り声に有栖はビクリと身体を震わせた。
 けれどここで引くわけにはいかないのだ。
「・・・・・何の為にそんな事をするんや」
「・・何の為?あの男が憎いからに決まっとるやないか!何も分からんくせに横からしゃしゃり出てきて得意顔で犯人を暴き立てる!大切な者を失った悲しみや苦しみをあいつも・・あの男も味わったらええんや!!」
 今までの妙な丁寧語をかなぐり捨てて男はそう言うと一度言葉を切って、次に睨みつける様にして口を開いた。
「気ぃが変わったわ、有栖川さん。無神経にそうして尋ねるあんたは確かにあの男の仲間や。一緒に現場に行く事もあるんやから半分同罪やろ?」
 言うが早いか有栖の溝落ちに男の拳が埋まった。
「・・・ぐぅっ・・!!」
 ヒクリと身体が引き吊る。
 クラリとする頭。
 男の言う通り、もう何日もまとも寝ていない上、食事も満足にとっていないのだ。有栖の身体は有栖本人が思っている以上に限界が近づいていた。
 膝をついて床に倒れ込んだ身体を足で転がす様に蹴り付けて男は1度部屋を出るとすぐに戻ってきた。そうしてどこからか調達してきたロープで有栖の身体を縛る。ギリリと締めつけられて腕に食い込む硬い感触。
「!・・うあぁぁ・!」
「痛いか?痛いやろなぁ。みんなあの男のせいや」
「・・・ふざけるな・・」
「もうすぐ終わりや。けどな、あの男の仲間であるあんたはそう簡単にラクにはしたらん」
 囁く様にそう言って男はロープで縛った有栖の身体を残りのそれで椅子に括り付けた。
「・・ほんまは一つ仕掛けをするだけの筈やったんやけどな」
 言いながら手錠の嵌られた手の、赤く擦れたその手首に当てられたナイフ。一瞬の間をおいて冷たいそれがゆっくりと滑る。
「−−−−−−−−−!」
「お望み通りこれは外してやるわ」
 カチャリと外された金属の輪。
 けれどそれの代わりに、流れ出す赤い筋がまるで何かの戒めのように有栖の右手を飾って行く。
「さほど深い傷やなくともここの上を縄で縛っておくと傷口が乾かずにずっと血がとまらんそうや」
「い・ああぁぁぁぁぁっ!!」
 すでにどこかに用意をしていたらしい荒縄が傷口をこすり悲鳴が上がる。手が置かれている膝の辺りに広がり始める赤い、赤い染み。
「あんまりきつう縛ると反対に止血になってまうからな。少し動くとこすれて傷が開く。そのうち縄自身に血が染み込めば、それ自身がある意味血を外に出す『管』の役目になる。あいつがくるの早いか。あんたの血が無くなるのが早いか。競争やな」
 クスクスと嗤う声が耳につく。
「さて、ほんならせっかくやからあんたの知りたがってた計画も実行しとこうか」
 男はそう言って今度はガサガサと細い糸のような物を取り出した。そうしてそれをそこここに張り始める。
「あんたも小説の中でよぉ使うたりするんやろ?トリック・・言うんやったかな。そんな仕掛けで死ねるってぇのも推理小説家冥利に尽きるってもんや。なぁ」
「・・・アホ・・言うてるんやないわ・・」
「まだまだ元気や。その調子であの男が来るまで生きておくんやで」
「・・・・何で・・」
「あの男があんたを殺すんや」
「−−−−−−−!」
「ドアを開く。血だらけのあんたを見て奴はすぐに助けようとするだろう。とりあえずロープを外そうとするやろなぁ。そしたら終わりや。このナイフが刺さってあんたはラクになれるし、あの男はどういう形であれ、あんたを殺した事になる。初日にあんたが言うた様に三文やろうが、三流やろうがそんなんはどうでもええねん。万が一、あんたがすでにこと切れていたらそれはそれであいつが“間に合わんかった”いう自責と後悔を感じればええ。そうして自分自身を責めて憎めばええんや」
 自棄を含んだ言葉だった。
 暗い嗤い浮かべた瞳に有栖は必死に口を開く。
「あんたは・・」
「・・・・・・・・」
「あんたは誰が守りたかったんや・・?」
「・・・・・っ・!」
 それは突然の、何の脈絡もない問いかけだった。
 けれどその瞬間男は弾かれた様に顔を上げて有栖を見つめた。
 火村が−−−有栖自身には決して言わないけれど−−−妙な所だけ勘がいい思う所以はこれだった。有栖川有栖という人間はこんな風に無意識に、スルリと核心に近い事をついてくる。
「前に言うてたやろ?守ってやれんかったって。自分を責めて憎むんやて。誰の為にこないな事・・しとるんや?」
「・・あんたに関係ないわ」
「・・・・・・俺も、守りたい奴が居るよ」
「・・・・・」
「せやけど・・・ひどい事言うて・・傷付けた事も気付けへんで・・」
「・・・・・」
「失うのは・・悲しいけど、罪を重ねるのはもっと・・・切ないやろ?」
「・・・それが恐かったら始めからこないな事してへん」
「・・・・・今からでも・・」
「あんたには分からんよ。ほんまに一人なった者にしか分からん。失うもんなんて・・何もあれへん。まぁ、せいぜいお友達が早う来てくれて、ラクにしてくれるのを待つんやな」
 男は先ほどまでの暗い、怒りとも憎しみともとれる色を潜めて、代わりにどこか疲れた色を浮かべながら有栖に背を向けた。
 足音が響く。
 ギィッと重い音をたててドアが開いて・・・閉じる。
(・・・・火村・・)
 身体がひどく怠くて、重い気がした。
 ドクンドクンと鼓動が身体中に響いている。
(・・・計画は判ったんやけど・・・やばいわ・・)
「・・・ほんまに・・馬鹿やて・・言われてもしゃあないな」
 声を出すのがひどく億劫だった。
 けれど、でも、ここで死んでしまうわけにはいかない。
 あの狂った男の計画を成功させてはならない。
 火村に、憎しみも、悲しみも、苦しみも、そして後悔も背負わせたくなかった。
 それに自分にはいわなくてはいけない言葉がある。
「・・せやった・・・同じ事思うてるって言わなあかんねん」
 だから、死ねない。
 絶対に、死ねない。
 あの扉を火村が開けた時に、どんな事をしても生きていて、計画を告げるのが今の自分に出来る全ての事だから。
「・・・・・・早く・・来い・・火村」
 冷たい部屋に小さな声が響いた−−−−−−−−。


うおおおおお・・・アリスがぁぁ・・
自分で書いてるのに何て事を・・と思う私って・・・