誰ヨリモ君ヲ愛ス3

 パラパラと色付いた葉が舞い落ちる。
 ついこの間までは、真夏のそれとは少し異なるどこか落ち着いた色の緑で被われていた木々が、今は半分以上を黄色や紅色やセピア色に変化させていた。もう少しすれば全ての化粧を終えるだろう。そうしてそのそばから、日毎に冷たくなってゆく風が、少しづつ、けれど確実にその衣を削ぎ落とし、凍てつく冬を連れてくるのだ。
 ユラリと立ち上る紫煙。
 それに呼応するかの様に、又一つ葉が舞い落ちる。
「・・・・・・・っ・」
 京都の街は今、紅葉めあての観光客で溢れ返っていた。
 異常気象だなんだと騒いでいた割に、今年の紅葉は例年のそれと大差はないとテレビ画面の中でアナウンサーが騒いでいたのは2.3日前の事だったか。
 その騒がしい京都を離れ、火村はすでに来慣れた大阪府警本部のビルの一室に居た。
 銜えた煙草はすでに3本目である。
 窓から視線を剥がして火村はテーブルの上に置かれていた灰皿にゆっくりとそれを押しつけた。
 その途端カチャリと開いたドア。
「お呼びたてした上、お待たせして申し訳ありませんでした。火村先生」
 言いながら入ってきたのは太鼓腹とトレードマークのサスペンダーですっかり馴染みになった捜査1課の船曳警部だった。その後に資料を抱えた鮫山警部補が続く。
 パタンと閉じられたドア。
 「どうぞ」と勧められた椅子に腰を下ろして火村はおもむろに口を開いた。
「いつものフィールドとは少し違うというのはどういう意味ですか?」
 いきなりの話の切り出しに、けれど驚いた風もなく船曳は禿げ上がった形の良い頭を撫でると少しだけ困ったような笑みを浮かべた。そうしてそのまま鮫山にチラリと視線を送る。それを受けて鮫山は持っていた資料を机の上に広げ始めた。
「まずはこちらをご覧下さい」
 並べられたのは数枚の写真だった。そこにはもう幾度見てきたか判らないような“現場”の記憶が残されている。本来ならば見慣れている等という表現はおかしいものなのだが、火村にとってその写真は見慣れた−−−ただ被害者と言われる被写体の顔がすげ替わっただけの−−−もの
だった。そう、特別変わった事など何もない・・。
「10日前に上がったホトケさんです。直接の死因は水死ですが致死量の睡眠薬を飲んどりました。死後1週間以上が経過し遺体の損傷もかなりなもんです」
「自殺ではないんですか?」
「我々もその線で捜査をしておったんですが」
 絶妙のタイミングで次の被写体が並べられる。
「こちらは6日前に発見されました。ご覧の通り顔を潰されとるんで身元の確認に手間取りましたが捜索願いが出されておる中の一人に該当される点が何点かありまして。かかりつけの歯科医の方から出されたレントゲンで確認したところ一致いたしました」
「身元の判るような物は全て持ち去られていた訳ですか?」
「まぁ、犯人が意図してそうしたのかどうかは判りませんが身元が判るような物はありませんでした。そして」
 トランプの七並べの様に写真がどんどん増えてゆく。
「一昨日出ました。絞殺です」
 確かに首にくっきりと跡が残っていた。
「地域はバラバラ。死因もそれぞれに『薬物服用の上、水死』『撲殺』『絞殺』とバラエティに富んでいる。しかも今の所ガイシャ達に接点は何もない」
「・・・・という事はこの事件に関連性がある・・つまり同一犯の可能性があると?」
 火村の抑揚のない問いかけに船曳は「そのようです」と曖昧な返事を返して写真の横に被害者たちの調書を置いた。
「現在判っている事はこれだけです」
 短い言葉を受けて、火村はパラパラとそれをめくる。
 確かに住所も、勤め先も、年齢も、そして性別は男が二人に女が一人であり、しかも死因がそれぞれ違うというのであればこの紙の上からでは接点のつけようがない。強いて何か共通点を挙げるとすれば“特別な事がない”という事だけだろうか。
 一体どこから同一犯の可能性が・・・
 そう思った途端船曳が再びゆっくりと口を開いた。
「被害者たちに心当りはありませんか?火村先生」
「・・・・・・・」
 けれどそれは火村自身が全く考えてもいない言葉だった。
 一瞬言葉の意味をうまく理解することが出来ずに思わず小さく寄せられた眉。
 けれど次の瞬間、火村の脳裏に今日の呼び出し方の不自然さが甦った。
“いつものフィールドとは少し違うのですが、お越し願えますか?”
 そう。船曳は確かそう言ったのだ。その意味は−−−−−−。
「・・・・成程。どういった経緯でそうなったのかは判りませんが、私が容疑者の可能性がある。という事ですか?」
 場に不釣り合いな程冷静な、けれどどこかに嗤い含んだ様な声だった。が、その途端船曳が大きく破顔する。
「もしそうでしたら先生をお呼びする前にもう少し状況証拠を固めております。お越し戴いた理由はどちらかと言えばその反対です」
「反対・・?」
 火村の短い問いにコクリとうなづいた顔はもう真顔に戻っていた。そうしてそのまま船曳は再び鮫山に視線を送った。
 その途端、今まで黙ったままだった警部補がビニール袋に入った紙片を取り出して口を開く。
「一人目の被害者の上着のポケットに入っていました」
 ちぎれたような小さな紙切れ。
 それは何かの本の切れ端の様だった。
「・・・これは・・」
「はい、先生のお書きになった本の一部です」
 鮫山の言葉に火村はもう一度それを見た。
 正確に言えば、火村が書いた部分もある本である。
 火村を助教授に推挙をした教授との共著なのだ。現在は講義の教材の一部として使っているがあまり一般的に出回っているものではない。専門書の部類に属する物である。
 黙り込んでしまった火村に鮫山は2つ目の袋を取り出した。
「二人目の被害者が握っていました」
 先刻のものと同じ様な小さな紙片。
「一昨年の学会で先生が発表された論文・・・のコピーと思われます」
 火村が口を開く前に鮫山が注釈をつけた。
「・・・・・そのようですね」
 そう・・確かにそれは火村が手掛けた論文の写しだ。だがしかし、これは1つ目の物に比べれば遥かに入手が難しい筈だ。
 どこかでこれを、講義の資料として用いただろうか?
 頭の中で火村は記憶の束をめくり始めた。
 けれどその答えが出る前に鮫山は3つ目のそれを取り出した。
「三人目の被害者の口の中に入っていました」
 異常な状況をサラリと口にして鮫山はその袋を差し出した。
 それを火村も又、無感情に限りなく近い表情で受け取る。
「・・・・犯人の手書きですかね」
「何とも言えませんがその可能性もあります」
 慎重な一言だった。
 そう、それは今までのものとは少し異なっていた。
 紙片には活字でない文字、つまり手書きだろう文字が書かれているのだ。
 −−−−−H.Hに捧ぐ
「この3枚の紙切れが唯一の手がかりです。その手がかりから我々は“火村英生”という人間を導き出しました。もう一度お聞きします。この被害者たちに見覚え、又はこれらの名前に聞き覚えはありませんか?」
 船曳の言葉に火村はチラリと写真と調書に視線を走らせ「ありません」と答えた。それにどこか苦しげに眉を寄せて船曳は言葉を続ける。
「もうお判りと思いますが、犯人は火村先生をターゲットにしておると考えられます。正直に申し上げれば、この被害者たちは単なる、不幸な“メッセンジャー”に過ぎないという見方が強まっておるのです。ですからもう一度、敢えてお聞き致します。被害者たちに心当りはありませんか?」
「残念ながら」
 間髪入れない火村の答えに船曳は深い息をついた。
 そして火村から視線を外さないまま再び口を開く。
「では質問を変えます。犯人に心当りはありませんか?」
「・・・・・・・」
「このところ何か身辺で変わった事はなかったでしょうか?電話、手紙、視線・・何でも構わんのです。犯人は明らかに火村先生を名指ししとります」
 抑えたような口調と裏腹に大きな手がバンと音を立てて3枚目の紙片の入った袋の上に落ちた。指の隙間から見える『捧ぐ』の文字。
「・・・心当りが多すぎて目も当てられませんね」
「火村先生・・!」
「申し訳ありませんが、今現在、私の手元には何のカードもありません。変わった事・・・そう、脅迫めいたものも、不審な影も何もない」
「そう・・・ですか」
 落胆を隠し切れず船曳は肩で一つ息をついた。
 そうして何かのまじないの様に禿げた頭を1度、2度とゆっくりと撫でる。
「・・・・・・現在、ガイシャたちの交友関係と共に、過去に火村先生が関わられた事件を片っ端から調べ直しております」
「・・・・・・・」
 それは勿論100も200もあるわけではないが、容易でない作業である事は間違いない。しかも犯人は過去の犯罪者たちだけとは限らないのだ。火村が彼等につきつけた『犯罪者』の刻印に対して、火村を恨んでいる人間は−−−こんな事件を起こしてしまう程という点で幾分絞り込めるかも知れないが−−−彼等の肉親・恋人・友人等々、疑えば疑うだけ出てくるだろう。いくら何でもそこまでは現時点で警察の手は届きようがない。
「くれぐれも身辺にお気を付け下さい。何でしたら1人・2人つけても」
「いえ、それには及びません」
 言いかけた船曳の言葉を火村はきっぱりと打ち切った。
「私も何か思い当った事があればすぐにお伝えしますので」
「・・・・・・・・・・・」
 訪れた僅かばかりの沈黙。
「・・・・判りました。それではよろしくお願いいたします。私達も一日も早い犯人逮捕に全力を尽くします」
 決まり文句のような言葉に、けれど深々下げられた頭。
 それを見つめながら火村は胸の中に湧き上がってくる、恐怖とも、苛立ちともつかない、形のない“何か”をひしひしと感じ始めていた。


さて事件が起こりました。ふふふふ・・・。結構こういうのって好きなんですよね。