誰ヨリモ君ヲ愛ス5

「昨日発見された被害者の身元が割れました。そしてこれが被害者の右手に握られていた物です」
 言葉と同時に取り出された“手がかり”
 透明のビニールに入れられている、もう見慣れてきた紙片。
 3人目以降は同じ文面になったらしい。
 −−−−−H.Hに捧ぐ
 火村がこの件で初めて呼ばれた3日後に4人目の被害者がやはり大阪で見つかった。
 −−−−刺殺。つまり、鋭利な刃物で刺された為の出血多量が死因である。そうしてそれから僅か2日。つまり昨日。5人目の被害者が京都で出たのだ。
 今度は毒殺だった。
 毒物はオーソドックスと言えばオーソドックスな青酸化合物である事がすでに分かっている。
「今回の仏さんが京都の方なので、公にはそれぞれの殺人事件として扱われとりますが、内部では合同捜査という形が取られる事になりました」
「・・・そうですか」
 船曳の言葉に小さくそれだけを返して、火村はキャメルを取り出して銜えるとそっと火をつけた。
 ゆらりと立ち昇る紫煙。
 その白い煙を見つめながら、船曳は脇に控えて居た鮫山が差し出す厚みのある資料をテーブルの上に置いた。
「大阪で火村先生が関わられた事件です。京都でも被害者が出たという事で、範囲を京阪神に広げて現在引き続き調査をしとります」
 僅か1週間足らずの間にここまで調べるのは容易な事ではなかったに違いない。無言のまま手に取って火村はパラパラとそれをめくった。
「・・・・・・・・」
 めくる度に出てくる『過去』と、そして『過去たちの現在』。
 ここにあるものは火村にとってすでに『過去』のものだった。けれど『過去』は決してそこで途切れてしまった訳ではなくて『現在』に続いている。そう、この中にはまだ裁判が行われている事件もあるし、服役している者もいれば、すでに出所している者もいる。
 が、しかし『現在』がどうであれ、それが火村の中で『過去』であるという事実は変わらない。
 罪は裁かれるべきもので、犯した罪はいかなる理由があろうともそれが『罪』である事に代わりはない。火村はそう思っていた。だからこそ、それを告げてきたのだ。そして今も・・・そうしているのである。
 “あちら側”に渡ってしまった人間に対して“こちら側”にとどまっている自分がそうするべきなのだとして。
「とにかく殺害方法があまりにもマチマチでして、この資料から容疑者を特定することは今の時点では不可能と言っても過言ではありません。それどころか犯人が単独犯なのか、それとも共犯者が居るのかすらも判らんのです」
 船曳のどこか疲れたような言葉に火村は短くなったキャメルをギュッと目の前の灰皿に押しつけた。
 確かに薬物服用の水死に、撲殺、そして絞殺、刺殺、毒殺とくれば“殺人見本”を作っているとしか思えない所業である。
 全く違う過程で作った死体を彼−−−あるいは彼女−−−は火村に捧げ続けているのだ。おそらく、多分、火村自身が気付くまで。
「被害者たちの共通項は未だに見つかりません。それぞれの交友関係もあたっておりますが・・・・今のところこれと言ってお伝えできるものはありません。火村先生の御本や論文のコピーの入手経路については現在調査中です」
 結局−−−何ひとつ判っていないのだ。
 けれどそれは言葉にせず、火村は新たなキャメルを取り出すと指に挟んだまま、もう一度厚い資料に目を落とした。
 船曳が先刻口に上らせた様に、本の方は学内の購買部にある書籍コーナーで購入する以外は十中八九注文して取り寄せるという形になる筈だ。が、しかし、それでも相手が不特定多数であるという条件には変わりなくここからの割り出しは難しいだろう。一方論文のコピーは−−−勿論学会用の資料に載せた簡単な概略のもので論文自体ではない−−−その参加者を当って行くしか今のところ手立てはない。が、当初は入手が困難だと思ったのこれも、考えてみれば学会資料を学生たちに解放しているゼミもあるので、おそらくこちらに関しても収穫は薄いと思われる。
「・・大阪から京都に場所が移ってきたという点ではどう考えられますか?」
 火村の突然の問いに船曳はいぶかしげな表情を浮かべた。
「と、おっしゃいますと?」
「1人目は殺害現場は特定されていませんが死体が上がったのは寝屋川市の古川。2人目が発見されたのは北区・末広町の空き地。3人目が大正区・鶴町の児童公園内。4人目は吹田市の路上。そして、5人目に京都に入って八幡市」
「火村先生は、どう・・お考えなのですか?」
 一度切った火村の言葉に、今まで沈黙をしていた鮫山が静かに口を開いた。
 慎重な・・・けれど探る様な問いかけだった。
 瞬間、火村の顔に微かな微笑みが浮かぶ。そして。
「これは私の個人的な意見ですが、もしも出発点に何らかの意味があるならば、又は、そのルートに意味を持たせるならば。ああ・・勿論これは仮定ですが、京都に入ってきたというのはここまで来たぞという犯人のメッセージではないかと」
「メッセージ・・」
「ええ。自分は確実に近づいてきている。目的地は目の前に見えてきていると」
「火村先生・・」
 制する様に苦い声を発したのは船曳ではなく鮫山の方だった。
 警部は何かを考える様に黙り込んでいる。
 それを見つめながら、火村は手にしていた煙草をようやく口に銜えると「仮定ですよ」と無感情に付け加えて火をつけた。訪れた沈黙。やがて船曳がゆっくりとそれを破る。
「確かにそれは仮定ですが、今のところ我々にはそれを否定する材料もありません。引き続き捜査を進めながら現場の確定と事件が起こったルートをもう一度見直して資料をあたります。同時に今まで死因がバラバラという観点で見とったものも、なぜ水死が1番でなければならなかったのか等、様々な面から角度を変えてみてゆけば何か糸口が見つかるかもしれませんな」
「・・・・そうかもしれません。私も考えてみます。こちらの資料はお借り出来ますか?」
「どうぞお持ち下さい」
「荷物になりますが」言葉を付け足して鮫山はようやく先ほどの苦い表情を消した。
「場所の意味。殺害方法の意味。そう考え出すとなぜ3人目以降が全て同じ文面になったのか等キリがありませんな。こうなると有栖川さん向きなのかもしれませんね」
 独白のような船曳の言葉は、しまいに微かな笑みを浮かべた語りかけとなった。
 瞬間、火村の脳裏に人懐こい笑みが浮かぶ。
 そういえば、このところ連絡を取っていない。
 あの時に翌週の講義は聴きに来られないと言っていたのだから今頃は何かの締め切りに追われているのだろうか?
「・・・・・そうですね。案外簡単に解いてしまうかもしれませんよ。本や資料は2種類しか持っていなかったから3人目以降は同じなんだとかね」
 部屋の中に零れた笑い。
 そうして次の瞬間、吸っていたキャメルを灰皿に押しつけて火村は最後の煙を吐き出した。
 なぜだか、無性に声が聞きたかった。
 頭に浮かんだ微笑みを間近に見たくて、そして、その温もりに触れたかった。
「・・・・・・・っ・・」
 けれど、おそらく、多分・・・こんな状態を隠して急に訪れたら、妙な所だけ勘の良い恋人は、敏感に何かを感じ取ってしまうに違いない。だから・・・会えない。
「火村先生・・?」
 いぶかしげな船曳の声に引き戻される現実。
「・・ああ・・それでは今日はこれで。何かありましたらすぐに連絡をお願いします」
「判りました。よろしくお願い致します。・・あ、それから火村先生」
 立ち上がりかけた身体を止めて火村は船曳を見た。それに真っ直に返された視線。
「・・・しばらくの間、ご自宅の方を張らせて戴きます。勿論ご迷惑にならない程度にですが」
 僅かな、僅かな沈黙が降りる。
「・・・・・・・・よろしくお願いします」
 そして火村はゆっくりと頭を下げた。
 そう、自分一人だけなら別に構わないのだ。けれど自分が居ない間に家主に何かがあってからでは遅い。
 「送ります」という警部の言葉を、今度は短い言葉で断って火村は大阪府警を後にした。



じわじわと近づいてきたぞって感じでしょうか?
火村のこういう淡々とした感じは結構気に入っています。