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Gloria 4

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 例えば木々の芽が少しだけ赤みがかってきたり、空の色が柔らかな色をにじませ始めたり、日の沈む時間が少しづつ少しづつけれど確実に遅くなったり・・・・時間は確実に過ぎて、季節を変えて行く。
 有栖がここ夕陽丘のマンションに帰ってきてから2週間の時が流れていた。
「どうしても抜けられない学会なんだ。大人しく家にいろよ。ふらふらするんじゃない。判ったな」
「同じような事を何度も言うてないでとっとと行けや!時間に遅れるで」
 ブツブツと言う有栖に一瞬目を眇めて火村は大仰な溜め息をついた。
「ここまで言わなきゃ判らない奴がいるから言ってるんだよ俺は。大体な30も遠に越えた大人が迷子になる。お前じゃなきゃ出来ねぇよな」
「やかましい!!ちょお考え事してたら判らんとこに出ただけやん!それをねちねちグチグチと」
 そうなのだ。つい5日前、この辺ももう少し知らなければと思い立って有栖は散歩がてらにマンションを出て、帰り道が判らなくなってしまうという大失態を犯したのだ。
 判らなくなった時点でタクシーに乗るなどすればよかったのだが、パニックをおこした頭でそんな事が思い浮かぶ筈もなく
「確かこっちだったはず」等と歩いてしまったのが又まずかった。しまいに距離も方向も何もかも全く見当がつかないという所まで追い詰められて、有栖はとっぷりと暮れた見知らぬ町中で火村の携帯を鳴らしたのだ。
 丁度マンションに帰ってきて、有栖のいない事に青くなっていた助教授は有栖の口にした幾つかの情報で、心細げな顔をして待っていた彼を見事に保護した。
 それ以来、火村は事とある毎にそれを話題に上らせるのだ。
「とにかく、2日だ。あさってには帰ってくる。それまでの飯は冷蔵庫の作り置きと店屋物で済ませろ。誰が来ても不必要にドアを開けるな。散歩がしたいなら帰ってきた後にたっぷり連れて行ってやるから」
(・・・・・俺は留守番をする子供か・・ )
 胸の中でそう呟きながら、けれど先日の自分の所業に何も返せない有栖を見つめて火村はクスリと小さな笑いを漏らした。
「火村?」
「土産を買ってきてやるからよ」
「あ・あのなぁ!俺を何やと思うてるんや!?」
「アリスはアリスだろ?じゃあな」
 笑って軽く手を上げて後ろを向いた身体がドアの向こうに消える。ふいにシンと静まり返った室内。
 その中で一つ息を吐いて有栖はポリポリと頭をかくとシンクにつけてある食器を洗うべくキッチンに向かって歩き出し、その途端鳴り出した電話に慌ててリビングに戻ってきた。
「はいはい・・と・・・はい、有栖川です」
『有栖川さんですか?珀友社の片桐です。』
 有栖の脳裏に九州の病院であった人の好さげな男の顔が浮かんでくる。
「あ、ああ。・・どうも」
『御無沙汰いたしております。いかがですか?』
「えっと・・・相変わらずです。すみません」
『いえ、有栖川さんが謝られる事じゃありませんよ。病院の方には行かれているんですか?』
「ええ。ただ病院に行って治るものでもなくて・・単に検査をしてあとは療養って感じなんですけどね」
『そうですか。・・・・有栖川さんも色々と大変な事もあると思いますが頑張って下さい。もし何かで東京に来るような事がありましたらいつでも連絡をして下さい』
「ありがとうございます。ただそれは当分無理やないかと」
『え?』
「・・実は外出禁止令を出されとるんや』
『はぁ・・?』
 訝しげな片桐の声に有栖は5日前の出来事とその後の火村の事をかいつまんで話をした。
『それは・・火村先生の気持ちも判りますね』
 クスクスと耳を打つ笑い声。
「片桐さんも火村の味方なん?話して失敗やったなぁ」
『・・でも・・・有栖川さんらしいですね』
「え?」
『いえ・・別に悪い意味で言ってるんじゃないんですよ。ただ何かホッとしたって言うか。記憶はなくても有栖川さんなんだなぁって』
「・・・・・何や、馬鹿にされてる気ぃがするんやけど」
『とんでもないです!とにかくゆっくり休まれてもし何かを書きたい気持ちになりましたらプロットとかFaxして下さい。読ませていただきます。先生を待っている読者がいますから』
「・・・・・・ありがとう」
 ピッと小さな音を立てて切れた電話。
 それをしばらく見つめて有栖はウンと伸びをした。
「・・・・待ってる・・か・・」
 ポツリと落ちた言葉。そして次の瞬間、有栖はゆっくりとキッチンに向かって歩き出した。


またしても短い・・・・。でも次は長い回になるよん。