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Gloria 8

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「・・・い・ぁ・・あぁ・!」
 ゼイゼイという荒い息に混じって切ない声が漏れ落ちる。
「・・・ぅ・・ん・・ぁ・ひむ・らぁ・!」
 胸に落とした口付けにビクンと震えて跳ねる腕の中の身体。
 もう幾度も抱いたその身体は、けれど抱くたびに愛しさが増して離せなくなって行く。
「・・いや・やぁ・・俺ばっかり・・・ずるぃ・」
 すでに一度達して敏感になった肌を追い詰めるような愛撫に有栖が涙ながらの抗議をする。
 そう、火村はまだネクタイとシャツのボタンを幾つか外しただけで服を着ているのだ。
 ギュッとシャツを掴む指をクスリと笑って剥がして口付けると涙の浮かんだ目もとに口付けを落として火村は「これじゃ脱げねぇよ」と言い返した。
 寝室の窓から微かに差し込む夕暮れの名残り。
 すでに宵闇の中に沈んで行きそうな部屋の中でせわしない息が響いて落ちる。
「・・・好きや・・あ・好き・・ぅん・・」
「アリス・・」
 パサリとベッドの下にシャツが滑り落ちた。
 ついで落とされてゆく服に有栖はフイと横を向いた。
「・・・アリス・・」
「・・火村ぁ・・」
 重なってきたぬくもりに縋る様に伸ばされた手を受け止めて火村は有栖の首筋に顔を埋める。
「・・・・アリス・・アリス・・」
「ん・・っ・」
 耳たぶに、顎に、喉もとに舌を這わせて口付ける。
「・・は・あ・・あぁ・」
 スルリとシーツとの間に手を滑り込ませて背中のラインを辿るとかぶりを振ってパサパサと髪が揺れた。
 鎖骨の辺りに、胸元に、脇腹に、肌を辿って降りて行く唇。
「も・・い・・から」
 赤い顔で小さくそう口にした有栖に火村は少しだけ苦い笑みを零す。
「いいわけねぇだろ。ここはまだ何もしてねぇよ」
「!!あぁっ!」
 いきなり触れてきた指にひどい事をされたかの様に声を上げた有栖を見て火村はもう一度クスリと笑う。
「こんなのでやったら明日お前起き上がれなくなるぞ」
「・・・・・せやって・・お前まだ・・」
 ますます赤くなる顔と小さくなる声に火村は腕の中の身体をギュッと抱き締めた。
「気にするな。後でたっぷりさせてもらうさ・・」
「!!!この淫乱助教授!!」
「でもそいつが好きなんだろ?」
 ニヤニヤと笑う顔が憎たらしい。
「・・・別に俺は淫乱なんが好きなんやない!」
 言い訳にもならない言葉を口にする有栖を火村はもう一度ギュッと抱き締めた。
「続きをしようぜ・・?」
 囁く声にビクリと震えた愛しい、誰よりも愛おしい身体。
 そして、次の瞬間火村の腕の中で赤い顔がコクンと小さくうなづいた。
 
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「申し訳ありませんでした。・・・はい・・ええ・・はい。失礼します」
 すっぽかしてしまったフィールドを詫びて電話を切ると火村はそっと寝室のドアを開けて有栖の眠るベッドの枕元に腰を下ろした。
 サイドランプのぼやけた明かりに照らされた横顔。
 その寝顔を見つめて小さく溜め息を漏らす。
“好きや・・火村・・好き・・” 
 抱き合っている間中譫言のように繰り返された甘い言葉。
 それは目も眩むような歓喜を火村に与えた。
 ずっと欲しかった・・有栖からしか欲しくなかった言葉だった。けれど・・・。
 このままで済む筈がない事も火村には判っていた。
 罪は必ず裁かれるのだ。
 今まで火村自身がそうしてきたのだ。
 犯罪を犯した者に対していっそ冷酷なまでに。
「・・・・・っ」
 幸福と絶望。
 それは何と危ういものの上に成り立っているのだろう。
(・・・アリス・・)
 額に手を当てながら火村は昏い微笑を浮かべた。その途端。
「・・・・眠れないんか?」
「!!」
 聞こえてきた声に慌てて顔を上げる。眠っているとばかり思っていた有栖がじっとこちらを見つめているのに気付いて火村は胸の中で思わず舌打ちをしてしまった。
 見せなくていいものを見せてしまったという失敗と後悔の念が広がってゆく。
「・・・・起こしたか?」
 問いかけに全く答えにならない言葉を口にして火村はそっとかがみこむ様にして有栖の目元に口付けを落とした。
 その腕の中で有栖は小さく首を横に振った。そして。
「・・・・・嫌な夢でも見たんか?」
 重ねて問いかけてきたその言葉に火村は思わず苦笑をしてしまった。目の前にいる有栖は火村の夢の事など全く知らないというのにそんな事を聞いてくるのだ。
「・・・いや。それより大丈夫か?」
 何を言われているのか判らないという有栖の顔にクスリと笑い声を漏らして火村は肩を抱いた手に少しだけ力を込めた。
「ちょっと無茶したからな」
「!」
 途端に赤くなる顔と絶句してしまうその様子が愛しくて又クスクスと小さな笑いを漏らす。
 穏やかな、穏やかな時間。
「・・・・・・っ・・」
 けれど、何故か不意にそれが息苦しいほど切なくなって火村は思わず横になっていた有栖の身体をギュッと抱き締めた。
 有栖が自分自身が消えてしまうのを恐れていた様に火村も又この時間が消えてしまうのを恐れていたのだ。
 思い出して自分を断罪してほしいという思いと何も思い出さずにこのままこの腕の中に抱き締めていたいという相反する二つの思い。それは確かにどちらも火村の本当の願いだった。
「・・火村?」
 耳を打つ不思議そうな有栖の声。
 しかしそれ以上火村の突然の行動を追求する事はなくやがて有栖はゆっくりと火村の背中に腕を回した。
「・・・・好きや」
「・・・・・・」
「好きや、火村・・」
 十数年来隣に居た“有栖”と同じ声で、同じイントネーションで“有栖”が言った事のない、言う筈のない言葉を口にする有栖。
「・・俺はそんな事を言って貰えるような人間じゃねぇよ」
 ポツリと漏らした火村の言葉に有栖は少しだけ瞳を見開いて次にフワリと笑みを浮かべた。
「それでも、好きや」
「・・・アリス」
「もういいねん。火村が俺を嫌いでも、前の俺が好きなんでもそれでも俺は火村が好きやから」
 笑いながらのその言葉は、決して自棄になったものではなくけれどどこか淋しげな響きを持っていた。
 それに火村はクッと唇を噛み締める。
「・・・嫌いなわけないだろ」
「うん・・」
「嫌いだったらこんな事はしない」
「うん・・」
「アリス・・!」
 返事は返ってくるけれど、その言葉が有栖に届いていない事が判り過ぎる程判って火村はたまらずに腕の中のぬくもりを掻き抱く。
「・・俺は・・!」
「・・・火村・・?」
「・・俺が・・罪を犯しているとしたら・・」
「・・火村!?」
 寄せられた眉と驚いた様な声に火村は慌てて腕の力を緩めた。
 これは自分の罪なのだ。
 彼に言っても仕方のない事なのだ。
「・・・・罪を・・犯したんか?」
 小さな問いかけに火村は微かに苦い笑みを浮かべながらそっと身体を起こした。
「忘れろ」
「・・・・警察に追われてるんか?」
「・・・・・」
「火村」
「忘れろ」
「嫌や・・!・・追われているんか!?なぁ?」
 半分身体を起こして有栖は横を向いてしまった火村の腕に縋る様にしながら今にも泣き出しそうに顔を歪める。
 その顔を見つめて火村は己の浅はかさに舌打ちをしながらそっとかぶりを振った。
「・・・・追われてはいない。俺の犯した罪は法で裁けるものじゃない。俺を裁く事が出来るのはたった一人だけだ」
(お前だけだ・・・)
「・・火村・・」
「忘れろ・・」
「・・・・・・」
「忘れてくれ・・・」
 抱きついて来る様に再び背中に回された腕のぬくもりが暖かくて、切なくなる程優しくて、火村は救われてはならない筈の自分が救われている、そんな気がした。
「・・・・お前が・・どんな罪を犯したとしても、俺はお前が好きやで・・・」
「・・・・・っ・・」
「ほんまに好きや・・・」
 トクントクンと鼓動が重なる。
 その優しさに瞳が熱くなる。
「・・アリス・・」
「せやから、俺も共犯者になったる」
「アリス?」
「一人で背負うたら大きい罪も二人で背負うたら少しは小さくなるやろ?そうしたらきっと罰も軽うなるよ。なっ?」
「・・・・っ・!!」
 火村の犯した罪が何なのかも判っていないのに、知り様もないのに、それでも全てを判っているかの様にそう言って抱き締めてくる有栖が愛しくて、たまらない程愛おしくて。
「好きだ・・!・・アリス・・お前が好きだ・・!!」
「・・・火村・・」
「記憶があろうがなかろうが、お前が好きだ。愛してる」
 腕の中で驚いた様に見開かれた瞳が、ゆっくりと幸せそうな微笑みを浮かべるのを火村はじっと見つめていた。
「・・すごい殺し文句やな」
「・・・馬鹿。本当の事を言ったまでだ」
「うん。俺も好きや。愛してる。火村に出会えて良かった」
「アリス・・?」
「朝まで一緒に居て。俺、明日はきっと起き上がれんやろうから起こさず出かけてええからな。明日は一緒に行けへんけど今度はお前のフィールドに連れてって」
 それはこれからの事を語っている言葉なのに何故か胸の中に不安な何かが広がってゆく気がして火村はそれを振り払う様に口を開いた。
「一緒にフィールドに行く前に花見に行こう、アリス」
「花見?」
「この前言ってただろ?桜が咲いたって。京都でもいいし、ああ・・造幣局の通り抜けが始まったら一緒に行こう」
 フワリと又有栖が笑う。
 けれどその微笑が儚くて火村は抱き締めた腕に力を込める。
「・・どないしたんや?火村?」
「・・いや・・お前がいなくなる様な気がして・・」
「アホやなぁ、居らなくなるわけないやろ?だって俺は火村の共犯者になるんやから」
 クスクスと耳を打つ笑い声。
「花見かぁ・・・ええなぁ。ちょっと前に高知の方はもう咲いてるってニュースで見てな、実はちょっと行きたい思うててん。約束やで、火村。連れてってな」
「ああ、約束だ」
 返した言葉に有栖は満足げに笑って、次に何かに気付いた様に慌てて口を開いた。
「あかん、身体がすっかり冷えてしもうたやん。早よ入り!」
 バサリと開けられた布団。
 思わず苦笑に近い笑みを漏らして中に滑り込む様にして入ると火村は有栖の身体を引き寄せた。
「・・・冷たい」
「すぐに慣れる。それとももう一度熱くなるか?」
「・・アホ。身体が持たんわ」
 言いながら腕の中に潜り込んでくる身体を抱え直して、火村はそっとこめかみに口付けを落とした。
「おやすみ、アリス」
「・・・おやすみ、火村」
 見つめ合った瞳と瞳。
 引き合う様にして吐息を重ねて口付けて。
「・・・・・・好きや・・」
 そうして二人は抱き合ったままゆっくりと瞳を閉じた。
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 翌日。
 フィールドから戻ってくると有栖はまだベッドの中にいた。
 流石に飽きれて揺り起こすと不満げに上がる小さな声。
「アリス・・・いい加減にしろ!夕食も食わない気なのか!?」
「・・・・夕食・・?」
 その言葉で起きるのがあまりにも有栖らしくて火村は思わずクスリと笑ってしまった。
「起きろよ、ほら。じゃないと本格的に起こしにかかるぞ?」
「・・・・・火村・・?」
 覗き込んだ顔は呆けた様にキョトンとしていて火村は微かに眉を寄せる。いつかこんな事があった。あの時は・・。
「・・・・何で火村がここに居るんや?・・・それに俺、いつ旅行から帰ってきたんや!?」
「!!」
“・・好きや、火村” 
 瞬間・・脳裏にそう言って微笑った有栖の顔が浮かんで・・消えた。
「・・・・・俺が誰だか判るか?アリス」
「・・・何や、新手の嫌味か?いくら寝ボケてもそんな事が判らなくなるか!・・ったく!火村英生。十数年来の友人で英都大学の助教授。別名『臨床犯罪学者』これでいかがですか、先生?」
 フンとベッドの上でふんぞり返る様にしてそう言った有栖に火村はクシャリと顔を歪めた。
「良く出来ました。お前、これからすぐに病院に直行だ」
「病院!?何でや!」
「・・・・記憶を失っていたんだよ」
「記憶を?」
「・・・・・・覚えてないのか?」
「・・・・嘘やろ?」
「・・・嘘じゃねぇよ。世間じゃ桜が咲いてるぜ?」
“共犯者になったる” 
 どこかでもう一人の有栖の声がした。
 その言葉の通りに、火村を好きだと言った有栖は火村の罪を半分抱えたまま有栖の中に消えてしまったのだ。
 消えたくないと怯えて泣いていた有栖は消され、罪だと判ってそれでもその身体を抱きながら断罪される事と、このまま居られる事を同時に願っていた火村はそのどちらの願いも叶わなかった。確かに大罪の罰は半分に分けられた。
(・・これが俺の罰か・・・)
 そのぬくもりを知ってしまった後で、好きだというその言葉を聞いた後で、何もなかったフリをして彼の側でこれからの時間を過ごして行くのだ。
(・・・・・確かに・・・罰だよな・・)
“好きやで・・火村・・出会えて良かった” 
 声が聞こえる。
 優しい、悲しい声が聞こえる。
(・・本当にそう思うか?・・・アリス・・)
 その答えは今の火村には到底出せそうもなかった。



共犯者・・・・・。