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Greendays 12


『・・・ひ・むら・・ぁ・・』
 耳に残る声。
 忘れるしかないのだと思えば思う程、いっそ鮮やかに記憶の中に甦るそれをイライラとしたようにキャメルを灰皿に押しつけながら振り払って、火村は眉間に皺を寄せたままたった今切ったばかりの電話を睨みつけた。
 電話の相手は大阪府警の船曳警部だった。
 依然室生の行方は知れないが居酒屋で室生らしい男が岡村と話をしていた事と同じくオモトを送った蔵田花園という園芸ショップに注文をしにきた男が室生に似ているという事が新たに判明し、参考人として任意同行出来る事になったらしい。もっとも室生が見つからなければどうにもならないのだが。
「・・・・っ・」 
 小さく息をついて火村は取り出した新たなキャメルに火を点けた。
 有栖が退院して2日。有栖からは何の連絡もない。
 病院にいる時もそうだったのだが、有栖は当たり前だが火村を避けるようになっていた。
 もっともそれは半分は無意識のようなものだろう。
 避けるといっても視線が合わないとか、顔を逸らされる程度のもので、自分とは違った次元で有栖が困惑をしているのだと火村に伝えている。
 おそらく有栖の感情は恥ずかしさと気まずさで大部分が構成されていて、時間が経てば彼はそれを乗り越えてしまうだろう。だがしかし、火村はそうはいかない。
 忘れたくても忘れられずに暗い欲望と共にこれから先も食い破りそうな感情の中で記憶は息づいてゆく。
 こうなる事は判っていた筈なのに、それでも尚触れずにはいられなかったのだ。
 誰にも、自分以外の者には指一本たりとも触れさせたくなかった。
 子供じみた独占欲のツケ。
「・・・・馬鹿か・・」
 長くなりすぎた灰を灰皿に落として、火村はゴロリと畳の上に寝転んだ。
 うるさいくらいに聞こえてくる蝉の声。
 大学はすでに長い夏休みに入っていた。
 だからといって火村たち教職がずっと休みかと言えば勿論そんな事はない。この時間は邪魔をされずに研究や論文に没頭できる貴重な時間となるのだ。
 けれどなんとなく大学に赴く気持ちになれず今日は暑い下宿に残って居た。 
「ニャー・・」
 寄ってきた飼い猫に火村は吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。それを見て構って貰えると判断したのか1匹のみならず3匹共が火村の身体の上に飛び乗ってきた。
「・・いててて・・ウリ、頭の上は止めろ・・っ・桃・服で爪を研ぐなよ」
 言いながらも本気で抵抗をしない主人に3匹は嬉々としてじゃれる。
 噛んだり飛び乗ってきたり軽く爪を立ててみたりする3匹の“遊び”を適当にかわしながら火村は再び思考の海に沈んで行った。
 室生が有栖に告げたという言葉。
『知らないと言う事も罪になると思う』
 それを聞いた途端、火村は室生が有栖をターゲットにした半分の意味を悟った。
 室生は彼女に対して毒草について尋ねた有栖の無神経さが許せなかったのだ。
 勿論有栖は彼女の婚約者が毒物で事件を犯した事など知らなかった。 けれどそれだけではなく、有栖は彼を捕まえる側に居た人間だった。
 おそらくそれは彼女が知っていたとは思えないが、室生はどういう経路でかそれを知っていた。
 有栖の知らなかった事と彼女の知らなかった事を室生は知っていたのだ。
 だから彼女が自殺をした時、すでに室生は有栖に近づく算段をしていたに違いない。
 そこにのこのこと電話をかけた有栖はまさに“飛んで火にいる夏の虫”だったのだろう。
 そして、有栖を殺さなかった理由も推測が出来る。
 一つは有栖の人柄だ。
 室生は“講義”の中でどうすれば一番効果的なのかを見ていたのだ。そして有栖が他人の痛みを自分のものとして感じる事の出来る人間だと判断した。 
 尚かつ、火村の有栖への思いにも室生は何かを感じていたのかもしれない。
 だからこそ、有栖を殺さずにああいった形で返した事で火村に対しても含むものがあるのだとアピールをしていたとも考えられる。
 有栖は言わなかったが室生はもしかしたら何かフィールドワークを仄めかすような事を有栖に言った、もしくは妙なところだけ勘がいい人間なので“知らない事”が何なのか考えてフィールドワークに結びつけているかもしれない。
 有栖が今回の事をフィールドと結び始めている事を火村は有栖の瞳の色の中にそれとなく感じていた。
 そしてその事を有栖が火村に伝えなかった訳も想像がつく。
「・・・・っ・」
 猫の爪が手の甲に立てられて小さく落ちた声。
 もう少し物証が固まれば室生は重要参考人として表立って手配をされるだろう。
 その時に有栖は室生が犯しているらしい罪を知る。
 そうしてその背景にある事までも知ろうとするに違いない。仮定は、けれど間違いなく起こるだろう予測と同じだった。
 有栖川有栖という人間はそういう人間なのだ。
 本当の事に辿り着いた時、有栖はどう思うだろうか。
 自分を責めて泣くのだろうか?
「・・・・・・」
 傷つけたくない。
 それだけが願いだ、と火村は思う。
「ニャァ・・」
 すっかり意識の逸れている主人に抗議をするように一つ鳴いて、猫たちはスルリと部屋を出ていってしまった。 それを眺めつつゆっくりと身体を起こして、火村はボサボサになった髪をとりあえずといったように手ぐしで整えて溜め息をつく。
 とにかく有栖は多分言われた言葉の意味を考えているに違いない。もしかすると病院で、あるいは退院の日に火村に声をかけてきたその一瞬後に見せたよ表情が物語っていたように、プレイバックしてしまうのだろうあの夜の記憶と共に持て余しているかもしれない。
「・・・・考えるなよ」
 無理だと判っている事を祈るように口にしてしまうのは人間の習性の一つだ。
 そんな事を思いながら火村は畳の上に転がっていたキャメルにそっと手を伸ばした。


短い回ですが、どうにも前後に繋げられずに・・・
火村の葛藤(笑)