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Greendays 13


(ふざけるな・・!)
 愛車をあの日と同じように京都に向けて走らせながら有栖はイライラとして胸の中で毒づいた。
 知った事実にいたたまれない気持ちを抱えたまま有栖が向かったのは天王寺署の千種警部の元だった。
 どこまでが所轄の方に伝わっているのかは判らなかったが、森下たちは今頃てんてこ舞いで話の出来る可能性は低いと判断したのだ。
 更に火村から有栖に対して何らかの箝口令が引かれている可能性もある。
 学生時代から時々火村はこんな風に有栖を何かから切り離してしまうような所があった。おそらく余計なものに振り回されないようにという配慮をしているのだろうと言うことは長年の付き合いで判る。
 けれど有栖は火村と同じ年の男であって決して守られるべき対象ではない。一度それとなくそんな事を言ったら「まず自己管理が出来るようになってからものを言え」と言われぐぅの音も出なかった。
 火村は本人が口にするほど薄情でも、冷たくも、まして人間嫌いでもない。一度自分の懐に中に入れてしまえば驚くほど細やかにその面倒を見る男だ。学生時代から変わることなく側にいる有栖を大切な友人と思ってくれている事は判っている。
 だがしかし、それと同じように有栖もまた火村を大切に思っているのだという事を火村は判ろうとしない。
 それは何度も味わってきた有栖の挫折感だった。
 だからこそ今回も【あの男】の事が告げられなかったのだ。
 けれど、でも・・・
「・・・一人だけ蚊帳の外なんて許される事やないで」
 辺りの風景はすでに有栖が見慣れたものになっていた。
 すでに大学にはいないという裏はとっている。
「あほんだら・・!」
 ウィンカーを出しながら思わず漏れ落ちた何処か傷ついたような声。
 有栖が千種警部に確かめたのは二つの事だった。
 一つは、有栖についている刑事はいつまでこういったままなのか。
 これはどうでもいい事だったが見舞いの礼と共に話のきっかけにはなった。 
 そしてもう一つは連続毒殺の容疑がかかっている室生の手配をかけないのか-------------…。

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「え・・・?」
 訝しげな表情を浮かべた千種に有栖は少しだけ拗ねた様な顔をして言葉を続けた。
「厚かましい事言うてすみません。せやけどあいつが中途半端にだけ教えるから余計気になって。俺は毒やなくて変なクスリだけやったけど」
「いえいえ。一歩間違えれば大変な事になってましたよ」
 千種の言葉に有栖は慎重に言葉を紡ぐ。
「だったらやっぱりあいつの言う通り室生が捕まるまではこのままなんでしょうか?実は予定していた取材旅行がありまして、あいつに言うたら諦めろの一言で片付けられてしもうて」
「ははぁ・・そうですなぁ。まぁ、火村先生のお気持ちも判りますのでなんとも。私は有栖川さんを見つけられた時の先生を見ておりますから余計そう感じてしまうんでしょうが。もし出来るようでしたら旅行は伸ばして頂いた方が」
「・・任意同行は可能になったらしいですね」
「ああ、そこまでお聞きですか。詳しい捜査会議はまだなんですが、有栖川さんの事があったのでうちにもその件は伝えがありました」
「・・・そう・・ですか・・」
「有栖川さん?」
「あ、いえ。判りました。千種警部にまで止められたら諦めがつきました。出版社の方と連絡をとって延期して貰います。お忙しい時間に申し訳ありませんでした。それとくれぐれもここに来たことはあいつには黙っていてください。これ以上嫌味を言われたらかないませんので」
 こうして笑って天王寺署を後にして、有栖はそのまま京都に向かったのだった-------------…。

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 釜の底と称されるだけあって京都は日暮れが近づいている時刻でもひどく暑かった。
 今年も猛暑との予報が出ている。
 綺麗に水うちされた道路。見慣れたその家の少し手前で車を止めて、有栖は2階の窓を見る。
 開けたままのそれを確認して歩き出し、カラリと玄関の戸を開けると「どちらさん?」という声が聞こえてきた。
「こんにちわ。ご無沙汰してます。毎日暑いですね」
「あらあらまぁ・・有栖川さん。入院されたって聞きましたけどお身体の具合はもうええの?痩せられたんと違います?」
 心配そうな下宿屋の主人に笑顔で「大丈夫です」を繰り返して有栖は勝手知ったると言うように2階に上がった。そうしてドアの前で一度だけ深呼吸をして「俺や。入るで」とそれを開く。
「・・よぉ、どうしたんだ、先生。夕飯でも食いに来たのか?」
 相変わらず本に埋もれたような部屋の中。
 パソコンから顔を上げてニヤリと笑った友人に有栖はクシャリと顔を歪めた。
 その瞬間火村の眉が小さく寄せられる。
「・・・・室生が手配されるんやってな」
  第一声はそれだった。
「・・・・・・・・まだそこまでいかねぇよ」
 低く答えた火村の言葉に、ついで訪れた沈黙を静かに
破ったのは有栖だった。
「知ってたんやろ?」
「何をだ?」
「とぼけるな!今回の件が石田の事件と関わっていた事も、石田の婚約者が彼女だった事も、室生が連続殺人を犯している事もみんな知っとったんやろ?」
「・・へぇ・・よく調べたじゃねぇか。けどな、俺だって判ったのはお前があいつの所に行ってからの事だぜ?
ちなみに現時点でも室生の容疑は確定はしていない」
「・・・・けど、判ってた。少なくとも病院にいた時は石田と彼女の関係は判っていた」
「だから何だってぇんだ、アリス。お前にそれを教える義務がどこにある?」
「火村!」
「大体入院しているような奴の神経を高ぶらせるような事を告げていいなんていう医者がいるか?」
「けど・・!」
 後の言葉を繋げられず口惜しげに俯いた有栖を見つめながら火村はパソコンの電源を落とした。
 再び訪れた沈黙。
 先程よりも幾分長いそれを破ったのはまたもや有栖だった。
「・・・俺は・・・」
「・・・・」
「俺は彼女に毒草の話をした」
「・・・・」
「俺は、彼女に毒草の話をもっと聞こうとした」
「・・幸か不幸か実現はしなかったがな」
「俺は!」
「アリス。何が言いたいんだ?」
 ひどく冷めた火村の視線。それを真っ正面から睨みつけながら、有栖は再び口を開く。
「・・・・室生が石田に毒草の知識を教えたんか?」
 いきなり飛んだ話題に、けれど火村は驚きはしなかった。
「・・警察もそう考えたが、結局二人とも否定し立証出来なかった。石田の部屋から出てきた本にその知識が載っていたからな」
 淡々とそう言ってキャメルを銜えて火を点けた火村の横顔を有栖は黙って見つめていた。
「・・・・知らなかった事が罪になる。俺は、彼女がどんな気持ちで水仙の花の話をしたのか分からなかった」
「・・・・・・・」
「それをひどく楽しそうに聞いて、それ以上の話を聞かせて欲しいとねだった自分が許せへん・・・」
「終わった事だ」
 言い捨てるような火村の言葉。
 こちらを見ようともしない火村の横顔に、何だかお互いにこんな事ばかりをしているなと思いながら有栖は抱えていた疑問をぶつけた。
 そう・・・それが今日ここまで来た理由だ。
 それが一番悲しくて、一番腹が立ったから今自分はここにいるのだ。
 一つ吐いた息。
 動かない横顔。
「・・なんで・・何で側に置いてくれへんのや」
「アリス?」
 突然の言葉は火村を振り向かせる事に成功した。
 向けられた眼差しに有栖は更に言葉を繋ぐ。
「どうして一人で行こうとするん?」
「・・・・・」
「石田の事件は二人で一緒に行った事件や。それがベースになって今回の事件が起こってるって何で何も言わずに蚊帳の外に置こうとするんや!彼女の事もひどい事したって思う。判らなかっただけじゃ済まされん事もあるって思う。でも・・」
「・・・・・」
「こんなんは嫌や。隣に居たい。どんな風に言われたかて君が俺の事を思ってくれるように、俺かて」
「うるさい・・」
「火村?」
 有栖は最後まで言葉を続ける事が出来なかった。
「何言うて」
「うるさい。そんな事を言いに来たのか?それならとっとと帰れよ」
「そんな事って・・そんな言い方はないやろ!」
「そんな事だからそんな事だと言ったんだ。くだらないセンチメンタルに浸りたいなら余所でやってくれ」 「・・・火村」
「お前の言っている事はそれ以外の何ものでもない。彼女の事に対してもただの戯れ言だ。そうだろう?知らなかった事に対してはどうにもしようがない。それを動機にする事自体が間違っている。ただの逆恨みだ。大体仮に知っていたらお前はどうするつもりだったんだ?お前が彼女と出会ったのは紛れもない偶然だ。途中で彼女が石田の婚約者だと判って“すみません。俺も捜査に協力していました”とでも詫びるのか?」
「・・・・・俺は別にそんな事言うてへん!」
「じゃあ何だってぇんだ!」
 売り言葉に買い言葉。上げられた声の大きさにビクリと身体を震わせた有栖を見て、次の瞬間火村の顔に暗い嗤いが浮かんだ。
「言えよ、アリス。それだったら何が言いたくてお前はここに来たんだ?」
「・・・・火村」
「俺と目が合うのを嫌がっていたのにわざわざ来たんだ。
他に言いたい事があるなら一応聞いてやるぜ」
「・・・・・・」
 ヒクリと顔を引きつらせた有栖はふいと視線を外してしまった。
 途端に火村の口から小さな嗤いが漏れ落ちた。
「もう帰れ。それだけ判っているなら俺に聞く事はないだろう?」
 それは完全な拒絶だった。
 火村は自分をこれ以上踏み込ませるつもりはない。
 有栖の胸の中に馴染みになりつつある挫折感が広がった。自分の言葉は火村には届かない。
 クシャリと有栖の顔が歪んだ。
「・・・俺はお前にとって何なんやろな・・」
「・・・・・・」
「お前の側に居る事は迷惑でしかないんか?」
「・・・・・・」
 言うつもりのない言葉だった。
 けれど零れ落ちてしまった言葉だった。
 情けなくて、やるせなくて、悲しくて頬を涙が伝って流れ落ちた。
 そしてその瞬間。
「!!」
 力任せに引き寄せられて有栖はバランスを大きく崩した。何が起こったのか判らずに数秒。更に抱きしめられているのだと気付くまでに又何秒かかかった。
「・・ひ・むら?」
「ふざけるな・・」
「何言うて・」
「何も判ってないくせに・・」
「おい、何・・」
 ガッチリと抱きしめられた身体に有栖は驚いて、次に居心地悪げにもぞもぞと身体を動かした。
「・・・・おい・・火村・・その・・悪かった変な事言うて。せやから手を放せって。なぁ・・・」
 抱きしめられたまま有栖は火村のシャツを少しだけ引っ張った。けれど相手はピクリとも動かない。
「・・怒ってるんか?なぁってば・・」
「・・・・・・」
 離れない身体に小さくついた息。
 どうもいけない。
 こんな事をしていると妙な気持ちになって来る。
『・・・大丈夫だ。俺だけだ』
 それはあの夜、譫言のように幾度も繰り返された言葉だった。
 その記憶が無くなったわけでは勿論無い。
 だからこそ何となく気まずくてついつい先程火村自身にも指摘されたように視線を逸らしてしまうようになってしまったのだ。 
 それなのにこんな風にされたら否が応でもあの日の記憶を思い起こされてどうして良いのか判らなくなってしまうではないか。大体ここに怒って来たのは自分の方なのだ。なのにしがみつかれて謝っているというのはどうしてなのだろう。
「・・・俺も悪かった。けど言うべき事は言ってくれ。それからな・・・この間は・・・た・助けてくれてありがとう。別に君に含むもんがあったわけやなくて、あの
・・・わ・・忘れてくれな・・」
 しどろもどろの有栖の言葉。
 赤い顔でそう言う有栖にけれど次の瞬間火村は再び暗い嗤いを浮かべて顔を上げた。
「忘れてくれ?・・・忘れられるわけないだろう?」
「・・・火村・・・?」
 夕日が部屋の中を赤く染め始める。
「知らない事も罪になる。ああ、確かにそう言う事もあるかもしれないとお前を見ているとそう思うよ」
「!何言うて・おい!放せ!!」
「嫌だね」
「・・・火・・村・・・・」
 それは一瞬の出来事だった。
 ピシャンと小さな音を立てて唇に触れた温かな感触。
 それが目の前の友人の舌だったのだと有栖が認識する前に火村は叫び出しそうな有栖の唇を己の唇で塞いでしまった。
 数瞬遅れて暴れ出す身体。
「な・・何・・何すんねん!!!気でも違うたんか!」
「ああ、そうかもしれないな。でもそんなのはもう何年も前からの事だけどな」
 言いながら火村は抱きしめていた身体を畳の上に押し倒してしまった。
「火村!!」
 途端に悲鳴じみた有栖の声が上がる。
 それに薄く嗤って火村は耳許に唇を寄せた。
「・・忘れられる筈ない。お前もそうだろう?」
「何・・言うてん・・おい、冗談は止めろ。こういう冗談は好きやない・・火村!」
 半ばパニックを起こしながらも有栖は自分の上に伸ししかってくる身体を引き離そうと必死になっていた。
「火村!嫌や!!火村!!」
 唇が頬に、首筋に、そして唇に落とされて情けなくも身体が震え出す。
「ほんまに・・嫌や!!やめ・・っ!火村!!!」
 引きずり出されたシャツ。
 引きちぎられるようにして飛んだボタン。
 背中を、胸を滑る手。
 そうして次の瞬間、身体をまさぐる指がそこに辿り着いた時、有栖は子供のように泣き出してしまった。
「や・!・何で・・こないな事すんねん・・」
「・・・・・」
「・・っ・・そんなに・・迷惑やったんか・・」
 火村にとっては見当違いも甚だしい事を言いながら有栖は涙を流していた。
 それが彼らしくて、けれど腹立たしくて、火村は一瞬だけ止めていた指を再び動かし始める。
「っ・火村!!」
「・・・言っただろう?もう何年も前から気が狂っているんだって。もう黙れよ」
「・・あ・・っ・・や・止めろ・」
「・・・・・」
「嫌や!火村!・・っく・・あぁ・嫌・」
「嫌じゃなくて“いい”の間違いだろう?」
 すでに勃ち上がりかけていた自身を言葉とともに指で嬲られて有栖の顔に朱が上る。
「・・・お前が知らなかっただけだ」
「あ・や・・あぁ・」
 苦しげに寄せられた眉と対照的に赤く染まったその顔はひどくアンバランスで扇情的だと火村は思った。
「・・・アリス・・」
「・・・ん・・やめ・・火村・・」
 あの日と同じ拒絶の言葉を口にしながら流されそうな意識を必死につなぎ止めている泣き顔が愛おしくて、全てを壊して滅茶苦茶にしてしまいたくなる。
「いやや・・おねが・・火村!・あ・離せ・・っ・」
「・・・いいぜ。達っちまえよ」
「い・嫌や・!」
「恥ずかしがる必要はないだろ?お前の達く顔なんてもう何度も見てるんだから」
「!この・あほんだら!離せ!!変態!!」
「その変態に触られてよがっているのはお前だぜ?ほらもうこんなだ。我慢するなよ」
「あ・あ・あ・・・いゃ・・」
 いつの間にか膝の辺りまで下げられてしまったジーンズと下着が有栖の動きを封じていた。
 すっかり勃ち上がってしまった自身を更に煽られて有栖の口から否定とも嬌声ともとれる声が漏れ落ちる。
「ん・・やめ・・あ・・やぁ・・」
「・・・アリス・・」
「・は・・・」
「アリス・・」
 耳を打つ声に有栖はもう何が何だか判らなくなり始めていた。これはあの夜の続きなのか。それとも思い出しては赤くなったり自己嫌悪をしてしまったりを繰り返していた自分が見せた、有栖自身も気付かなかった欲望の現れなのか。それすらが判らない。
「・・あぁぁぁっ!」
 爆発しそうな自身を口に含まれて思わず上げられた甲高い声にヒクリと喉が鳴る。
 こんな事は知らない。あの夜にこんな事はされなかった。
「い・や・・め・・ぁん・・ひ・・」
 ピチャピチャと言う音が立てられているそのわけとそれに伴う苦しい程の快感に有栖は泣いた。
「・・・も・・や・っふ・」
 熱くて、苦しくて、悲しくて、口惜しくて、全ての感情が身体の中で渦を巻く、そんな時間の果てに大きく開かれた足に声すら上げられなかったその次の瞬間。
「・・な・・に・?・・・ひ・いぁぁぁぁぁぁぁ!!」 突然襲ってきた痛み、と言うよりも熱さと身体を引き裂かれるような衝撃に有栖は大きく目を見開いて獣じみた咆吼を上げていた。
 もっともその大半は慌ててその口を塞いでしまった火村の手の中に押し込められてしまったのだけれど。
「・・・っ・・痛い・許し・・・あぁぁぁ」
「・・・アリス」
「・・・かんにん・・し・・てぇぇ・・・」
 揺さぶられる身体と襲う痛みに何がどうなっているのか判らない。
 ただ苦しくて、このまま死んでしまうと有栖は霞始めた意識の中で思った。
 そして・・・・微かに開いた瞳の中になぜか泣き出してしまいそうな火村の顔を捕らえて・・・・。
「・・・・・んで・・?・・」
「・・・・・きだ・・」
有栖は完全に意識を手放した。


ははははは・・・・何も言うまい。