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Greendays 14



 緑の森の中で火村が泣いていた。
 何故泣いているのか訳が知りたくて声を出そうとするけれどどうしても声が出なくて、それならばせめて側に行こうと歩き出そうとするけれどそれすら出来ない。
 深い深い緑の中でただ泣く火村を見ていることしか出来なくて有栖も又、静かに泣いた。
 何も出来ない自分が口惜しくて、切なくて、声を出せ ぬまま泣き続けた・・・
 
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「・・・・っ・」
 ポッカリと目が開いた。
 視界に入った天井に一瞬眉を寄せ、自分の家ではない事を認識して記憶を探る。
 そうして次の瞬間甦ってきた記憶に声を上げて飛び起きようとして、有栖はそのまま布団の上に逆戻りをした。
「・・つぅ・・・・」
 ジワリと目尻に滲んだ涙。
 ギシギシと軋むように痛む身体。
 痛みが引くのを待って、今度は慎重に首を動かしながら有栖は部屋の中を見回した。けれど部屋の主はいない。
「・・・・・・」
 それを確かめて有栖は再び、ゆっくりと息を吐きながら身体を起こした。
 全く痛みがないわけではなかったがそれでもどうにか起きあがると今更ながら自分が布団の上にきちんと服を取り替えて寝かされていた事に気付いて有栖は思わず顔を顰めた。
『嫌や!やめろ!火村!!』
 何度も繰り返した言葉に、けれど長年の友人はそれを聞こうとはしなかった。
 言葉で嬲って、器用な指で追いつめて、そして・・・
「・・・・・っ・・」
 ギリリと唇を噛み締めると腰の辺りがひどく痛む。
 それが口惜しくて、切なくて、有栖は着せられていたパジャマ代わりの服を脱ぎ捨てて自分の服を探した。  けれど目当てのものはなく、しかたなしに枕元に畳まれていた綺麗に洗濯をされている火村の服に着替えた。
 思い返してみればシャツはボタンを幾つか飛ばされてしまったし、ジーンズや下着の方は・・・あまり考えたくない。
 洗濯をされているか、捨てられてしまった可能性もあるだろう。
「最悪や・・・」
 苦々しく呟き、痛みを堪えて階下に下りると大家である老婦人が朝ご飯を食べなさいと声をかけてくれた。
 どうやら火村は出掛けてしまっているらしい。
 思わず卑怯者と怒鳴りたいような、それでいて何処かホッとしている自分に有栖は再び唇を噛む。
『達っちまえよ・・』
 あれはどう考えても暴力だった。
『アリス・・』
 名前を呼びながら、けれど有栖の言葉など火村は聞いてはいなかった。
 だのに・・・。
 ふいに先程見ていた夢が有栖の脳裏に甦り、ついで意識を失う寸前に見た火村の顔と重なる。
「・・・泣きたいのは俺の方や・・あほ・」
 クシャリと顔を歪めて有栖はジワリと熱くなった瞳を慌ててガシガシと手でこすった。
 そうして再び呼ばれた声に俯きながら家主の部屋に入る。
「・・・おはようございます」
 小さな声に振り返った下宿屋の女主人は一瞬だけ間をおいて、次にフワリとひどく柔らかな微笑みを浮かべた。
「まぁまぁ、ひどい顔。せっかくの男前が台無しですよ。 火村さんもえらい顔色してはったけど、有栖川さんも負けてへんわ。二人ともええ年して喧嘩はあきませんよ。 顔を洗って、ちゃんとご飯を食べて、それから話をした方がええわ」
「・・・婆ちゃん・・」
「何があったかよぉ判らしまへんけどな、友達は大事にせな。話せば判る事もようさんありますけど、話さな判らん事とも同じくらいありますよって。なぁ、有栖川さん、年寄りに出来る事はこれ位です。さぁさ、お味噌汁をよそってきましょう」
「・・・・・・」
 にっこりと笑って台所に入ってゆく小柄な背中を見つめながら有栖は再び涙が出そうになってしまった。
 火村がなぜあんな事をしたのか今の有栖には判らなかった。
  あの夜『大丈夫だ』と囁いたその口で、火村は有栖を貶めるような言葉を紡いだ。
 けれどそれでいて、火村の表情は確かに苦しそうだった。途切れて、浮かされた意識の中でも有栖はそれを覚えている。 
 何が彼にそうさせたのか。
 何が彼を苦しめているのか。
 しかも考える材料は他にもある。
 火村はもう何年も気が狂っているのだと言った。
 知らない事が罪になる事が判ると言った。
 そしてお前が知らなかっただけだと囁いた。
 又しても・・・自分の知らなかった事があったのだと有栖は今更の様にそれに気付いて愕然としてしまった。
 確かに怒っている。
 今、目の前にいない男に何故こんな事をしたのだと問いただしたい気持ちもある。
 けれど、でも・・・もしかすると・・・自分はそうする前に考えなければならないことがあるのではないだろうか。
 何よりも、こんな風にされても尚、自分はあの男を突き放せずにいるではないか。
「・・・・自分でも呆れるくらいのお人好しや・・」
「・・・有栖川さん?」
 かけられた声に有栖はハッとしたように顔を上げて次に小さな笑みを浮かべた。
「・・・・すみません・・あの・・今は・・・今すぐ話をしても旨くまとまりそうもないので一度帰って、落ち着いて考えてきます。ちゃんと・・考えます」
 有栖の言葉に彼女は小さく笑って頷いた。そうしてゆっくりと有栖の前に暖かい味噌汁を置く。
「その方が有栖川さんらしいわ。」
「・・・婆ちゃん」
 孫を見守るようにそう言われて有栖は照れた様な笑みを浮かべた。それを見て婆ちゃんこと篠宮時絵は静かに腰を上げて部屋を出てゆく。
 チリンと何処かで風鈴が鳴る。
 それを合図にしたように蝉が勢いよく鳴き始める。
「・・・・・伊達にお前の隣に十何年も居った訳やないんやで?」
 そう・・怒って突き放してしまう事は簡単だった。
 けれど、それが出来るくらいならあの男の隣に立とうとは思わなかった。
 こうするしかないのだと言いながら犯罪者を叩き落とす男を見守ろうとは思わなかった。
 甦る苦しげな火村の顔。
 思い出すように鈍く痛む身体。
 考えなければいけない。
 新たに与えられた課題だと有栖は思った。
 彼女の時の様に知らないまま失ってしまうのだけは嫌だから・・・・。
 
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 遅めの朝食をご馳走になって有栖は昼前に篠宮家を後にした。
 結局婆ちゃんに告げた通り大学には寄らずにそのまま車を自宅に向かって走らせる。 
 そうしてあの日と同じ暑い暑い午後。
 有栖はポストの中に一通の葉書を見つけた。
 
 
 
 『答えが出たようですね。近日中にご褒美を贈ります。楽しみにしていて下さい』
 
 
 
 ワープロ文字の短い文面の下に記された名前に有栖の背中に冷たいものが流れる。
『室生紘征』
 脳裏に甦る柔らかな微笑みに有栖はただそこに立ち竦んでいた。


いよいよラストに向かって・・・・・・・