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Greendays 15


『いやや・・火村・・』
 あの夜と同じ熱い身体。拒絶の言葉を聞きたくなくてわざと貶めるような言葉を口にしながら幾度も唇を塞いだ。
 気を失った有栖の中に欲望を叩きつけてから、瞳を開かない白い顔と無惨な状況の身体に全ての衣服を取り去って、火村は凶行の痕跡を拭った。
 自分自身がした事なのに、それでも有栖の口から二度と顔を見たくないと言う言葉を聞くのが怖くて、一晩中その顔を見つめながら結局置き去りにして逃げた。
 帰ると当たり前のように有栖は居なく、連絡もない。
 馬鹿な事をしたと思う自分と、これで良かったのだと思う自分が火村の中にいた。
 それでもやはりこんな狂った男の側にいて危ない事に巻き込まれる必要は無いのだと無理矢理に結論づけて過ごした3日間。
 確かに狂っているなと薄く嗤って火村はキャメルに火を点ける。途端にカチャリと開いたドア。
「お待たせいたしました。結論から申し上げます。室生の容疑が固まりました。連続殺人の容疑者として指名手配をします」
 太鼓腹にサスペンダーがトレードマークの警部は入ってくるなりそう言って火村を真っ直ぐに見つめた。
「・・・そうですか」
 それに短く答えて火村は白い煙を吐き出す。
 ここまでくれば犯罪学者の出る幕はない。
 後は警察の仕事だ。そう思った火村に船曳は目の前の椅子に腰を下ろしながら言葉を続けた。
「それでですな、報告なんですが、先生からのご指摘の通りに神島悦子は石田とも関わりがありました。石田の逮捕と同時に神島は「こいつにそんな知識はない」というような事を知り合いに漏らしています。そして室生を 探し出し、殺人を犯した友人に毒草の知識を教えた等と脅していたようです。神島の店には数百万の借金がありました。そして居酒屋の件ですが、裏がとれました。奥の座敷で送別会をしていたグループのメンバーが取った写真の中に偶然ですが室生と岡本が写っていました。更に沢田ですが、どうやら石田だけではなく室生にも接触をしていたようでパソコンの中から恐喝に近い内容のものが“M”というイニシャルを使った文面で入っていました。それから、これも以前先生がおっしゃっていた3人の関係という点ですが、こちらは事件に直接的な関わりはないのですが、室生と死んだ皆川有希恵は一時的にですが兄妹であった事が判りました」
「・・・どう言う事ですか?」
 思わず眉を寄せた火村に船曳は持っていた資料をバサバサと捲る。
「えーっと・・これが又ややこしいのですが、室生の母親が3年間ほど内縁関係にあった男との間に生まれたんが皆川有希恵です。ところが室生はこの母親とは実は赤の他人なんですわ。室生はこの女の前の夫から押しつけられた連れ子でして、男が子供を置いて蒸発してしまった為どうする事も出来ずに連れ歩いとったらしいです。
でここからが又よぉ判らんのですが、この母親は室生が8歳の時、つまり有希恵が生まれて2年位で他に男を作ってなぜか有希恵を連れて出てしまうんです。残された室生は義父・・と言っても内縁の夫でしたから全くの赤の他人と暮らし、男が病死をした後はその親戚を転々として中学卒業と同時に独立。高校・大学を経て現在に至っているとまぁ・・調べれば調べる程驚かされました」
「石田とはどういう事で?」
「石田のバイト先です。石田は先生もご存じの通り身寄りのない男で、6歳で母親と死別した後は施設で育っています。室生とは室生自身が以前ウェイターをしていたスナックの向かいにある飲食店で石田がバイトをしていて知り合ったようです。こちらはもう潰れてしまっているのですが、神島悦子も働いていたこのスナックの従業員たちが石田の居った店を何度も訪れていた事は裏がとれています。つまり、ここで神島悦子と石田の接点もあったわけです。石田は自分と同じような境遇の室生を兄のように慕っていたらしい。一方石田と皆川有希恵の方ですが石田という男は驚くほど多くのバイトをしておりまして、二人はコンビニのバイトで知り合うた様です。皆川と室生についてはおそらく石田が仲介をしたんでしょう。ただ皆川が室生を昔、兄だった事のある人間だと気付いていたと言う事実は見あたりません。まぁ母親が有希恵を連れ出したのが彼女が2歳の時ですから無理もないでしょう」
「・・・・弟代わりの人間と妹だった人間か・・」
「やはり仇討ちのつもりだったんでしょうな」
 船曳の言葉に火村は唇に指を寄せた。
 だからと言って殺人を犯していい理由にはならない。
 それに、それだけでは動機として何かが足りない気がした。
 室生は本当に二人の自殺をきっかけに一連の犯罪計画を立てて実行をしたのだろうか?
 まだ会った事も無いその男は、もっと得体の知れない冷酷を隠し持っている気がした。
 大体、なぜあれ程までに植物毒にこだわるのか。
「・・・・・・動機・・か・・・」
 唇に指を当てて思わず漏れ落ちた言葉。
「ああ、それともう一つ。こちらも先生が言われていた事ですが大阪刑務所に・」
「・・・・・・!」
 途端に胸ポケットの中で鳴り出した携帯に火村は小さく船曳に頭を下げてそれを取り出した。
 そうして耳に当てる。
「はい、火村です」
 一瞬の沈黙。
『・・・はじめまして、火村先生』
 耳に響いたその声は確かに初めて聞く声なのに火村にはそれが誰なのかよく分かっていた。
「・・・・室生紘征だな」
 目の前で船曳が驚いたように顔を上げた。
 
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 「話せば判る事と話さな判らん事か・・・」
 ワープロを前に有栖はボソリと独り言を呟いていた。
 それは3日前火村の下宿先の主人・篠宮時絵が有栖に言ったものだった。
 怒りと、やるせなさと、そして新たな課題を抱えたまま有栖はマンションに戻ってきた。
 そしてそこで室生の葉書を見つけたのだ。
 【ご褒美】
 確かにあの時にも室生はそう言っていた。
 『正しい答えが判ったら後日ご褒美を贈ります』
 それがこれなのだろうか。
 昨日宅配便で届いた小さな薬瓶を有栖はじっと見つめた。
 透明のその瓶の中にはあの日と同じようなカプセルが2つ入っていた。
 そして添えられていた短い手紙。
 “何もかも忘れたくなってしまった貴方へ。
  何も考えられなくなってしまった貴方へ。
  特製のカンタレラです”
 本来【カンタレラ】は毒薬使いとして悪名の高いイタリア・ボルジア家が生み出した毒薬とされていて、その製造方法は今もって謎とされている。ヒキガエルの肺から抽出するとか豚の内臓に亜砒酸を加えて作るのだとかいかにもうさんくさい。しかもその毒は遅効性でもあり即効性でもあり望みのままに一日で殺す事も一年がかりで殺す事もはたまたシェークスピアが用いたように死んだようにして数時間後に息を吹き返らせる事も可能だったとある。
 書かれていたその短い文面はまさしく有栖の思いだった。
 帰ってきてから3日。有栖は必死に考えた。
 何が火村にあんな事をさせたのか。
 何が彼を苦しめているのか。
 何故気が狂っていると言ったのか。
 自分は何を知らなかったのか。
「・・・・考えたら知らん事だらけや・・」
 学生時代からずっと隣にいた親友。
 それでも彼のテリトリーに入れない事もあった。
 最たるものが例の“人を殺したいと思った”という事と幾度聞いたか判らない悪夢、おそらく悪夢なのだろうを見て上げられる悲鳴。
 いつか何かを語ってくれると、例えそれが叶わなくてもいいのだとさえ思っていた。けれどそれだけではなくこうして改めて考えてみれば自分は何て火村英生と言う人間を知らずに過ごしてきたのかを思い知らされる。
 ただ十数年間、彼の隣に“友人”という名だけで居たそれだけだとさえ思えてしまう。
「・・・・・っ・」
 本当に狂っているからそうしたのか。
 ならば、もう何年も前から狂っていたという火村の言葉をそのままそれに当てはめるならば彼はずっとそんな事をしたかったのか。
 その事を有栖が知らなかったと怒っているのか。
「・・・ちがう・・そうやない・・」
 それだとあの苦しげな顔が判らない。
 ずっとそうしたかったのならば、あんな表情はしない。 あんな風に苦しげで、悲しげで、まるで捨てられた子供の様な顔をなぜしたのか。
 そして・・・・。
『アリス・・・』
 嫌だという声を聞こうともしなかったのに、なぜあんな風に、まるで溺れる者が何かに縋り付くように有栖の名前を呼んだのか。
 考えれば考えるほど判らなくなって、考えれば考えるほど苦しくなる。
 そして、思い出したくないと思うほどその記憶はあの夜の記憶と重なり合うようにして更に有栖を悩ませた。
「・・・ほんまに・・どうかしとるわ・・」
 自嘲的に呟いて有栖は再び小瓶の薬に視線を移した。
 本当にこれは【カンタレラ】なのだろうか。
 ただの毒薬ではなくて、数時間をおいて覚醒するかもしれないあの薬なのだろうか。
 『何もかも忘れたくなってしまった貴方へ
  何も考えられなくなってしまった貴方へ』
 その文面はひどく有栖を誘惑した。
 考えて、考えて、眠る事も出来なくなってしまった。
 眠ろうとすると、その浅い意識の中に彼女が出てきたり、室生が出てきたり、火村が出てきたりする。
 そして苦しげに泣いている彼に手を差し伸べた途端有栖はその腕の中に抱き込まれてしまうのだ。
 だから眠れない。
 あの指が、唇が、吐息が、まるでそうなる事を望んでいるかのように思い出されるのがたまらない。
 もっともそれは時間が経つに連れ、起きていてもあまり変わらなくなってきて有栖は自分の神経が限界に近づいてきている事を感じていた。
 だから・・・この薬を飲めばそんな事から全て解放されるのではないかとさえ思ってしまう。
 勿論、死んでしまいたいわけではなかった。
 ただあの時火村が有栖から逃げたように有栖も又逃げてしまいたくなっているのだ。
 何も考えず、死んだように眠ってしまえば起きた時に全てが夢になってはしないだろうか。
 そんな都合のいい事を考えて有栖は再び苦い嗤いを零す。
「・・・なぁ・・ほんまに君は何をしたかったんや?」 一行も進んでいないワープロ画面に向かって有栖はポツリと呟いた。
「・・俺に何を知ってほしかったんや?」
『アリス・・』
 再びひどく切ない火村の声が聞こえる。
 途端にクシャリと歪んだ顔。
「・・・・室生はこれを飲んで彼女に謝罪しろって言うつもりで送ってきたんやろか・・」
 白い、小さな、何の変哲もない2つの薬。
 有栖が知らないうちに彼女に対して犯した罪。
 そして、火村に対しても有栖は『知らなかった』という罪を犯していたのだ。
「・・・・俺は・・」
『知らなかったという事も罪になると・・・』
「・・・・・俺は・・どないしたらええ?」
 誰も答えをくれないその部屋に低く響いた有栖の声。
 それに重なるようにしてどこかでパトカーのサイレンが聞こえる。
「火村・・・」
 ふいに浮かんだ顔にポツリとその名前を口にして有栖はもう一度白いクスリの入った小瓶を見つめた。


有栖の元に届いた『カンタレラ』。さあどうなる?