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Greendays 16


『さすがよくお分かりになりましたね』
 電話の向こうで室生は小さく笑っているようだった。
「どうして私の所に電話を?」
 火村の問いに室生は「一度お話をしてみたいと思っていたからです」と言った。
「なぜ殺したんだ?石田と皆川有希恵の仇うちのつもりなのか?」
 今度のいささかストレート過ぎる問いには少しだけ沈黙があった。
 けれどその問いにも室生は驚くほど素直に答えを寄越した。
『・・・色々調べられた様ですね。さすが日本の警察っていう事でしょうか?それやったら私と有希恵の関係も判っていらっしゃるんですね。でも先生、その動機はセンチメンタル過ぎると思われませんでしたか?』
「・・・そうだな。例え君が有希恵を愛していたとしても動機としてはいささかチープだ」
 火村のどこか揶揄る様な言葉に、室生は再び小さく笑う。
『そうですね。それやったら三流のメロドラマにもなりませんね。確かに仰る通り私は有希恵を愛していましたよ。唯一の肉親という気持ちでね。そして私を兄のように慕ってくる篤志も大事だった。幸せになって欲しいと思いましたよ、二人とも』
 再び訪れた沈黙。
 今度のそれを破ったのは火村だった。
「そう。そんなセンチメンタルなものじゃない。君は試したかっただけだった。効き目をね。石田が捕まるとは思っていなかった」
 突然の言葉に目の前で船曳が訝しげな顔をした。
 それを目の端で捕らえつつ火村は更に言葉を続けた。
「石田は君を兄のように慕っていた。石田が勤めている工場が人手に渡り、荒れてしまった彼に君はこんな事を言ったのかもしれない。“あんな奴殺してやりたい”又は“死んでしまえばいい”宥めながら話を聞いて君はそれとなく、そう・・・まるで物語のように毒や毒薬の話を持ちかけた。そうして頭の中だけで我慢しろよと笑って背中を押してやった。石田の家にあった本は君がその時に見せてやったものと同じものだね?比較的大きな書店なら手に入る本だ。その中の割合手に入りやすい毒草や毒薬について語っておいた。うまくいけば事故としてかたづけられてしまう。今回君自身が行った様に。そして、石田は実行し、君は知りたかった効き目が判った。大事な実証例だ」
『・・・・・助教授というのは想像力が逞しくないとなれないのかもしれないですね。それとも近くに想像力を生業としているご友人がいらっしゃるからですか?』
 室生の問いに火村は答える気は無かった。室生自身も答えを望んでいたわけではなく、3度目の沈黙が訪れる。
「有希恵は君が事件に絡んで居ることを神島悦子から聞かされた。違うかな?」
『さぁ・・・どうでしょう』
「大和田の件でただでさえショックを受けていた所にそれを聞かされて、ついで石田の死を知った。勿論君は彼女を殺してしまうつもりはなかった。でも彼女は死んだ。石田と同じように君から聞いていた毒草で死ぬことで彼女はある意味君に一矢を報いたかった。石田も自分も殺されたのも同然だとね。事実塀の中の人間を自殺させるのはそれ程難しい事じゃない。石田に有希恵がした事を教えてやればいいだけだ。中にいる人間を使ってね」
 そこでいったん言葉を切って火村は目の前の船曳を見た。うなずきながら示された書面には確かに室生が以前働いていたスナックの同僚が石田と同じ第四区にいるという事実が記されてる。つまり、その男は石田の顔も知っている。石田の婚約者である女が面会の権利を掴む為に行ったそれを知らされた男はやっかみ半分で石田にそれを伝えたのだろう。
「石田は死んだ。彼女も死んだ。舞台は整った。こうして君の歪んだ復讐劇が幕を開けるわけだ。勿論二人の為だけではない。何しろ君自身が脅されているんだ。自分自身の為にも、そして君が殺してしまった二人の為にも」
『妄想はそれくらいでよろしいですか?』
 きっぱりと声も変えずにそう言って室生はもう一度嗤いを漏らした。
 途端に火村の胸の中に何かが引っかかる。
『昨日、有栖川さんにお約束していたものを贈らせてもらいました』
「・・・何をした」
 低く唸るように火村の声に室生は又笑う。
『彼は優しい人ですね』
「・・・・・・」
『ご自分が何をしたのかきちんと考えられた。だから欲しがっていたものを差し上げました』
「欲しがっていたもの・・・?」
 繰り返すようにそう言った火村の脳裏にいつかの有栖の声が甦る。
“あれだけは純粋な好奇心で試してみたい”
「・・・・馬鹿な・・あれは・・」
 空想上の毒薬だ。そんなものは存在はしない。
『お分かりになられたんですか?そうですね。確かに真実のそれは判りませんが似たようなものは処方できる。深く深く眠ってしまうもの。本当に息が止まってしまうもの。私にとってはどちらでも良いのですが』
 ガタンと椅子から立ち上がった火村が見えているかのように室生はクスクスと笑う。
『2錠送りました。ただ量によって効き目が違うことを伝えそびれてしまいまして。“眠る”には1錠で良いんです。2錠一度に飲まれると後から言ったようになってしまうんです』
「!!!」
『さようなら。火村先生』
 プツリと切られた電話を握りしめて火村は急いで有栖に毒薬が送られていることを船曳に伝えた。
 それを聞いてすぐさま船曳が内線を握る。
 その様子を目の端で捕らえて火村は部屋を飛び出す。
 あの日と何もかもが似ていた。
 有栖の行方が判らなくなった日。あの日もこうしてここから飛び出して有栖のマンションに向かった。
 そうしてそこで薬を飲まされて倒れている有栖を見つけたのだ。
 脳裏に甦る記憶。あんな事はごめんだった。
 あんな有栖は二度と見たくない。
 まして今度の毒は【カンタレラ】だ。
 府警の入り口に森下が車を回していた。それに飛び乗って有栖のマンションにノンストップで向かう。 「先に天王寺署の者が向かっています。おそらくどこかでこの騒ぎを見ているだろう室生に対して緊急配備が引かれるようです」
 何も言わない火村に森下が再びおずおずと口を開いた。
「・・・・・あの・・有栖川さんに何が・・」
「・・・恐ろしくよく眠れる眠り薬を貰ったんですよ」
 それを昨日のうちに有栖が警察に届けなかったのは自分の責任でもあると火村はギリリと拳を握りしめた。
 知らなかったと有栖を責める権利はない。
 言わなかったのは自分自身だ。
 何も言わず、友人の顔をして騙していた。その方がよほど大きな罪だ。
 もしも有栖が昨日のうちにそれを飲んでいたら・・。
 ゾクリと火村の身体を冷たい何かが走り抜ける。
「・・・・・頼む・・から・・」
 生きてさえいてくれれば何も望まないから。
 彼が自分を軽蔑し、二度とその姿を見せるなと言うならばその通りにしてもいい。だから。
 無神論者だと公言して憚らないというのに何かに縋るようにそう祈って火村は車を降りた途端マンションに駆け込んだ。そうしてエレベーターが下りてくるのさえ待ちきれず奥にある階段を一気に7階まで駆け上る。
 切れる息。
 流れる汗。
 最後の段を登って、廊下を右に曲がって、そしてその
次の瞬間・・・・
「はい・・・すみませんでし・・・・火村?」
 有栖はドアを開いたまま、先に駆けつけたのであろう千種警部たちに何やら頭を下げていた。
 そうして全力疾走に近い勢いで走ってきた火村を見つけてその名を口にした。
「・・・・・・ばかやろう・・」
 それは、おそらく有栖が初めて見る火村の表情だった。
 聞こえてきた言葉は有栖にとって理不尽極まりないものだったが、驚きと、切なさと、そして奇妙な嬉しさに有栖は黙って火村を見つめる。
 僅かな沈黙。
「火村先生!あ、有栖川さんもご無事だったんですね?」
 後から上がってきた森下の声に火村は有栖に向かって口を開いた。
「カンタレラを寄越せ」
「・・・・・ちょっと待ってて。今持ってくる」
 数瞬後、有栖は小さな透明のガラス瓶に入った2つの薬を火村に手渡した。
 それはそのまま森下に渡され、おそらく科研に持ち込まれるのだろう。
 辺りに室生が潜んでいる可能性があるので十分気を付けてほしいという言葉を残して去ってゆく刑事たち。
 その後ろ姿を見送って有栖は同じく背を向けようとしている男を呼び止めた。
「・・・茶くらい飲んでいけるやろ?」
 二度目の沈黙。
 そうして次の瞬間、有栖は本日二度目の“初めて見る火村の表情”に出会う。
 彼は、情けなさと絶望とをない交ぜにしたようなひどく自嘲的な顔をしていた。


こういうところが有栖の強さで、火村の弱さであるとも思っているのですがいかがなものでしょう。