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Greendays 17


「コーヒー」
「ああ・・・・」
 短い言葉のやりとり。
 あの夜以来初めて訪れたこの部屋で火村は出されたコーヒーに口を付けると、ついでゆっくりとキャメルを取り出した。
 それは有栖にとってひどく見慣れた動作で、それでいてなぜかよそよそしさを感じさせた。
 きっかけを掴めないまま流れる時間。
 口を開きかけては閉じてしまう。
 そんな動作を繰り返しながら有栖はあの時と同じように決して自分の方を見ようとはしない火村の横顔にクシャリと小さく顔を歪めた。
 自分も同じ事を目の前の男にしていたのだと今更ながらに思う。
「・・・あのな・・」
 ようやく口から漏れ落ちた声。
 けれど運悪くそれは火村の携帯の呼び出し音に重なった。灰皿に吸いかけのキャメルを押しつけて火村はそれを取り出す。
「はい・・・はい・・・判りました。ええ・・・ありがとうございます」
 ピッと小さな音を立てて切れた電話。
 話のきっかけにしようと口を開きかけた有栖に火村は何の躊躇もなく言葉を紡ぐ。
「船曳警部からだ。室生が捕まった」
「!!・・・・・・そう・・か」
 それはいっそあっけないほどの結末だった。
 幾人もの人間を死に追いやった男はその罪を裁かれるべく捕らえた。
 もう聞くことの無いだろう室生の講義。
『薬というのは使い方次第で毒にもなるものです。多少物騒に言い換えれば、毒にも薬にもならないようなものは何の効果もない』
 何故かふいにその言葉を思い出して有栖は小さく顔を歪める。
「・・・じゃあな。俺はこれから警察の方に顔を出して帰る。室生が捕まったからと言って注意を怠るなよ」
 顔を真っ直ぐに見ることもせずに投げられた言葉に有栖は慌てて顔を上げた。
「何で・・」
「・・・何がだ?」
「何でこのまま帰れるんや?言う事があるやろ?他にもっと・・言う事が・・!」
 半分腰を浮かした有栖の言葉に、火村は一瞬だけ後ろを振り返り「何もない」とだけ言って再び玄関に向かって歩き出した。その後ろ姿に有栖は口を開く。
「火村!!」 
 上げられた声は有栖自身が驚く程大きなものだった。
 再び立ち止まった身体。
「・・・・・・お前が・・聞きたい言葉は持ち合わせていない」
 その瞬間、顔は見えないけれどなぜか有栖は火村の表情が判る気がした。
 おそらく彼はあの日と同じ表情をしている。
 有栖を傷つけたあの日。
 火村も又傷ついていたのだとなぜだか素直にそう思えた。
「・・・・違う・・言う事ちゃうわ・・俺が言わなあかん事や・・・頼むから座ってくれ」
 深呼吸をするように大きく息をついて有栖は静かにそう言った。それに少しだけ間をおいて火村がソファに戻ってくる。
 重なる視線。
 ひどく久しぶりに合わせた眼差しに有栖はそこから目を離さずにゆっくりと話し始めた。
「・・・・あれから・・考えたんや。眠れなくなる位考えた。何で君があんな事をしたのか。気が狂っているって言うのはどう言う事なのか。俺は何を知らなかったのか。そして・・何が君を苦しめていたのか」
「アリス」
「・・・頼むから聞いてくれ」
 どこかイライラとした様に名前を口にした火村に有栖はそのまま言葉を続けた。
「考えて、考えて・・考えて・・それでも判れへんねん
どうしても答えが見つからない。それが悲しくて、辛くて・・なぁ・・火村・・俺は何を知らんかったんや?知らん事が多すぎて、何が俺の罪なのかそれすら判らん」
「・・・・・・・・お前のせいじゃない。お前が気に病む事はない。それは俺の・・」
 言い淀んでそのまま視線を逸らしてしまった火村に有栖は泣き笑いのような表情を浮かべた。
 そうして再び口を開いた。
「・・あの時からな・・・違う。そうやなくて・・その前の時から時々思い出す。忘れたいと思うのに、こんなのおかしいと思うのに記憶を辿っている事がある」
 いきなり変わった話題。
 けれど火村にはそれが何を差している事なのか判りすぎるほど判っていた。
「・・・・俺はおかしい・・」
「・・アリス」
「おかしくて、浅ましい」
「・・・・何を言って・・」
「知らないうちに人を傷つけている。こんなに側にいたのに何も気づけない。それやのに嫌だと思いながら、おかしいと思いながら何度も何度も思い出して・・・こんな・・」
 ポロリと有栖の頬を涙が伝った。
「こんなん・・・嫌や・・こんな俺は・・いらない・・」
 幾つも幾つも透明の滴が流れて落ちる。
 有栖の理論はメチャメチャだった。
 人を傷つけたくないのだと言う。
 知らない事は嫌なのだと言う。
 そして凶行の記憶を思い出すのが嫌で、それらが全て出来ない自分はいらないと言うのだ。
 火村の顔がクシャリと歪んだ。
「・・・いらないなら・・寄越せよ」
「・・火村・・?」
「いらないなら全部寄越せ。俺が貰ってやる」
「何言うて・・・・」
「お前が好きだ」
「!!」
「これがお前が知らなくて、俺が隠していた事だ。知らない事が罪になるなら、隠していた事も又罪になる。そうだろう?アリス」
 苦しげに歪んだままの火村の顔を有栖はただ黙って見つめていた。
「あの夜、誰にも触れさせたくなかった。だから大丈夫だと繰り返して騙すように触れた。そしてあの日、何も知らずに・・俺の汚らしい欲望を知らずに隣に居たいと言うお前を、迷惑なのかと尋ねるお前を滅茶苦茶にしてやりたくなった。これが答えだ、アリス。さぁ、これで判っただろう?俺がお前に言うんじゃない。お前が俺に言うんだ」
 死刑を宣告される罪人の顔で火村は有栖を見つめる。
 言うはずのない言葉だった。
 けれど罪はいつでも暴かれなければならないのだ。
 全てを見せなければ終わりは来ない。
「・・・・・・何・・を?」
「アリス?」
「何を言うたらええ?・・・・お前こそ俺から何を聞きたいんや?・・・お前の望む言葉を俺は持ってへんよ」
 先程の火村の言葉を真似た有栖の瞳から再び涙が溢れ出した。
「二度と顔を見せるな。もう二度と会わない。そんな言葉が聞きたかったんか?そんなんよぉ言われへんで」
「アリス・・」
「・・・なぁ・・・」
「・・・・・・・」
「もう一度言って」
「・・・え・・」
「もう一度言え。そしたら聞きたい言葉を言うてやる」 真っ直ぐに見つめてくる有栖の瞳。
 その瞳の中に映る自分は何て情けなくて滑稽なのだろうと火村は思った。
「火村・・」
「・・・・・好きだ」
「・・・・・・」
「お前が、好きだ。アリス」
 火村からの最後の言葉。
 そして・・・・。
「・・・俺も好きやで。君の隣を誰にも譲りたくないと思う。そんなん知らんかったやろ・・・?」
 微かに笑みを浮かべて、決して瞳を逸らさない有栖の
最後の言葉になる筈だったそれに火村は瞳を見開いて。
「なぁ・・知らんかったやろ?」
 次の瞬間きつく、きつく、今にも泣き出しそうに笑う
その身体を抱きしめた・・・。
 
 
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 もう二度と触れない、触れられる筈のないぬくもりだった。
 騙すように触れて、壊すように引き裂いたその身体を火村は確かめるように手で、指で、唇で辿る。
「・・・っ・・や・・」
 パサリとシーツを打つ髪。
 小さく振られた赤い顔。
「やぁ・・・・あぁ・・」
 一度達った身体はひどく熱く、敏感になっていた。
 すでに幾つかの朱を散らす胸の、そこに色づく突起にに唇を寄せると有栖の眉が切なげに寄せられる。
 それを見つめながら火村はもう一方のそれを指でつまんでしまった。
 途端に上がる引きつった様な高い声を聞いて更にそれを責める。
「・・・・あ・も・・・それ・・や・・くるし・・」
「・・・感じすぎる?」
「あ・あほ!・・っ・ん・あぁ・め・」
 せわしない息と上がる声の甘さに火村はクスリと笑って別の場所へと愛撫の手を移動させた。
 胸から脇腹へ、脇腹から腰へ、腰からすでに形を変え始めているそこに手が、指が、そして唇が動いてゆく。
「やぁぁぁっ・・!」
 ねっとりとした感覚に自身を包まれて有栖は首を横に振った。それに合わせてシーツに髪が当たってパサパサと音がする。
「あ・う・・ん・・ぁ・は・・だめ・・」
「・・達っていいよ」
「や・・こん・っ・あぁ・」
「大丈夫だ。アリス。達っちまいな」
「そんな・・・・いゃ・・」
「アリス・・」
「あ・あ・あ・・」
 声が高く、短くなっていた。
 ガクガクと震え出す身体。
 二度目の限界が近い。けれど有栖は耐えるように唇を噛み締めた。
「・・・どうした?」
 見上げるようにしてそう尋ねると、今ひとつ焦点の合わなくなっているような赤い顔が小さく火村を睨んできた。 
「・・・・こんなん・・・嫌や・・・」
「・・アリス・・?」
「・・・こんな風に・・一人だけ追いつめられるようなのは好きやない・・」
「・・・・・・・」
 戸惑ったような表情を浮かべた火村に有栖は赤い顔を更に赤くしておずおずと火村の背中に腕を回した。
「アリス?」
「・・・・・ええから」
「・・・・・・」
「・・この前みたいにしてええから・・」
 消え入りそうな声は、けれど確かに火村の耳に届いた。「・・・・無理するな」
 この間の行為が有栖にどんな負担を与えたか火村は判っていた。
 意識を失った身体を綺麗に清めながら自分のやったことに愕然としたのを覚えている。
「・・っ・・俺が・・いいって言うてるんやから・・」
「・・・俺が嫌なんだ」
「火村・・!」 
 耳たぶをねぶられ、同時に弾けそうなそれを手で扱かれて有栖は声を詰まらせた。けれど。
「嫌や・・ちゃんと・・あぁ・・」
「ちゃんと、してるだろう?」
「ちゃう!・・っあ・ん・!」
 ビクビクと身体が震える。勃ち上がったそこから先走りの滴が零れる。
「もっと・・」
「アリス?」
「・・・もっとや。言うたやろ?おかしくなったって。お前のせいや。お前がおかしくした。せやから・・」
「・・・・・・馬鹿野郎」
「それやなかったら君の友人なんてやってられへん」
 苦しげにそれでも笑ってそう言う有栖に火村はもう一度「馬鹿」と言って後ろへと手を伸ばした。
 途端にビクリと震える身体。
 強姦としか呼べないようなあの行為に二人ともショックを受けているのは事実だった。
 けれどそれでも必死で強ばる身体を宥める有栖が愛しくて火村はひどく優しい口づけをそこかしこに繰り返す。 
「ん・・あぅ・・ん・」
「・・きついか?」
「へ・・き・・・っく・・」
「・・足・・開けよ・・」
「ん・・あ・・はぁぁ・・」
「・・・アリス・・」
「・・だいじょ・・・ぶ・・」
 指が中で動く感触がひどくリアルで、時々チリリと焼けるような何かが身体を走り抜ける。
「あ・・は・・やぁ・・!」
 増やされて、広げられて、馴らされる感覚に目眩がする。
「・・・いいか?」
「・・・・・・・ええよ」
 抜かれた指にヒクリと震えた身体。
 代わりにあてがわれた熱に有栖の表情に微かな怯えが走った。
「・・アリス」
「・・・やっぱりやめるとか言うたら二度と口を聞かんからな」
「・・・・・・・・馬鹿、この状態で言えるか」
「あ・・!」
 押しつけられた高ぶりに有栖は小さく声を上げた。
 そうして次の瞬間真っ赤になった顔で火村を睨みつける。僅かな沈黙。
「・・・苦しかったら言え」
「・・火村?」
「もう・・・傷つけたくない」
「・・・あほ」
 返した短い答え。
 それを合図にしたように火村の熱が入ってきた。
「ひ・ぃ・・あぁぁぁっ!!」
「・・アリ・・ス・」
「あ・あ・ぅん・っ・・い・」
「・・・大丈夫か」
「・・ま・もう・・あ・って・・」
「・・・・・・・」
「・・・へ・・き・・ゆっくり・・きて・・」
「・・・っ・・」 
 更に奥に進んでゆくそれに有栖の口から小さな悲鳴にも似た声が落ちる。
 身体から吹き出す汗。
 苦痛に歪む顔。
「・・・・・動いて・・ええよ」
 ヒクリと喉を鳴らして有栖は火村に腕を伸ばした。その腕をとって軽く口づけて、火村は小さく腰を揺する。
「ああぁっ!!」
 途端に上がった嬌声。
 苦痛と快感の入り交じったようなその声を聞きながら火村は更に腰を打つ。
「・・・は・あぁぁ・ひむ・・あぁ・んっ・」
「・・・・・アリス」
「・・ん・ん・い・ぁあ・・!」
 切りもなく漏れ落ちる声。
 自分のものではない様なその声を聞きながら、有栖はまるで色とりどりのペンキをぶちまけたような無数の色がぐるぐると回る頭の中で、浮かんでは消える記憶の断片を見ていた。
 学生時代の火村が居た。
 大学院に入った彼と、サラリーマンになった自分も居た。
作家になった自分に「おめでとう」と声をかける彼も居た。
 そして、事件の現場に立つ彼が居た。
「い・あぁぁ・・あ・ふ・・ん・・ひ・む・・・ひむら」 いつだって彼は隣にいた。
 有栖がそうしたいと思っていたと同じように当たり前のように火村はそこに居た。
「・・火村・・火村・・ひ・あぁ!」
 縋るように伸ばした指に絡んだ指。
「大丈夫だ」
 あの夜と同じ声で同じ言葉が返ってきて有栖の顔にふわりと小さな笑みが浮かんだ。途端に火村の腕が有栖の身体をかき抱く。
「あ・あ・あ・」
「達けよ・・」
 ポロポロと情けないほど止めどなく流れ落ちる涙。
 ガクガクと震える身体。
 赤や青や黄色・・様々な色でハレーションを起こしていた意識はやがて緑一色染まった。そしてその中で一瞬だけ彼女が笑って、あの日に見た火村が見えた。
 彼は泣いていた。
 ただ泣いていた。
 そして有栖は走り出す。
 あの日にはどうしても動かせなかった足で走って、走って彼の隣に辿り着く。
 そして・・・・。
「アリス・・・・」
「・・・・やっと・・来れた・・」
 深い緑の中で泣いていた火村を抱きしめて有栖は熱を解き放つとゆっくりと意識を手放した。


ようやく・・・・まとまる二人。