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Greendays 3


「・・・・という事で先生のご助言通りに物証が出ました。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。無理なお願いをして」
「とんでもない。それで犯人が挙がったんですからな。感謝しております。今後も宜しくお願いします」
「こちらこそ」
 ペコリと頭を下げた、太鼓腹にサスペンダーという味のある出立ちの男。それに同じように頭を下げて、火村は目の前の調書にもう一度視線を移した。
 手にしているそれは半月前に火村自身がフィールドワークと称して現場に出向き、関わった事件のそれだった。
 この“フィールドワーク”を火村はもう何年も続けていた。そうして今回のこれのように、何件もの犯人検挙に貢献をしてきたのだ。勿論がそれが公にされることはなかったし、これからもその予定はない。
 警察も、何より火村自身がそれを望んでいるのだ。
 パラリと捲られた書類。
 その音に太鼓腹の持ち主である、大阪府警捜査一課の船曳警部は目の前に置かれた湯飲みを手にして窓の外に視線を移すとゆっくりと口を開いた。
「それにしても、ほんまによぉ、降りますなぁ」
「・・ああ、そうですね」
「梅雨と判っていてもこう毎日毎日降り続けられるとうんざりですな」
「確かに。脳味噌にまでカビが生えそうですね」
「ほぉ・・火村先生でもそんな事を思われるのですか?」
「先週いきなりやってきた推理小説家が言ってました」
 言いながらニヤリと笑った火村に、船曳は小さく笑みを浮かべた。
「はは・・それは又。そういえば、このところ有栖川先生とはお会いしておりませんが、お変わりなく?」
「ええ。いっそ嫌味なほど変わってませんね。せめてもう少し生産性を高めるとか、そう言う変化をしてもいいとは思うんですがね」
 そう言って火村は「失礼」とキャメルを取り出して火を点ける。ユラリと立ち上る紫煙。
「これは手厳しいですな。お身体を壊さない程度に頑張って下さいとお伝え下さい」
「判りました。今度のフィールドに参加出来るように頑張れとハッパをかけておきますよ」
 笑いながらの火村の言葉に船曳も又笑って湯飲みのお茶をすすった。そして、次の瞬間。船曳は「そうや」と何かを思いだしたように手帳を取り出した。
「警部?」
「ああ、すみません。一応お耳に入れておこうと思いまして。えーっと・・石田篤志を覚えておられますか?」
「・・・・石田・・」
「昨年毒物による連続殺人で火村先生が関わられた男です。」
「・・ああ。確か刑が確定したと聞いたのですが」
「ええ、そうです。有罪判決が下りて、大阪刑務所に移されたのですが・・・先月の頭に自殺をしました」
「自殺?」
「ええ・・・運動場の隅に生えていた毒草、と言っても普通の人間から見ればただの雑草なんですが、監視の隙を見て口にしたそうです。石田はこちらが思っていた以上に植物に詳しかったようで・・何て言ったか・・確か・・ああ、これや。ムラサキケマン。ケシ科の自生植物でその辺の空き地や道端にでも咲いている小さい花やそうです。これが見かけの割に毒性の強いアルカロイドを含んでいて、食べると呼吸麻痺を引き起こすらしいです」
「・・・・」
「近頃は獄中者の人権を守る会だの何だのと民間団体やら、弁護士会やらが色々やかましくて、どこから聞きつけたのか石田の事を自殺に追い込むような何かがあったんやないかって色々騒いどるらしいですわ」
 禿げ上がった頭を撫でるようにして、船曳は苦い色を滲ませながらそう言った。
「拘置所の方は面会もまだ規制が緩やかですが、刑務所の方はそういうわけにもいきませんからな。ヤツの唯一の身寄りとも言える婚約者の女性が弁護士などを通して色々と面会の申請をしてやっと通った矢先の事らしいです」
「そうですか・・」
「いや、いきなりこんな話になってお手間を取らせました。調書の方はこのままご覧になっていただいて構いませんのでお帰りの際に声をかけて下さい」
 船曳の言葉に火村は小さく会釈をして手の中の資料に目を落とした。
 パタンと閉じたドア。
「・・自殺か・・・・」
 けれど、目の前の文字はすでに内容のあるものとして頭の中には入ってこず、火村は今し方聞いたばかりの言葉を口に乗せて溜め息を漏らす。
 それはつい最近聞いた単語だった。
 知らず知らずに漏れ落ちた2度目の溜め息。
 そのわけは自殺をしてしまった犯罪者への憤りなのか
それともついつい思い出してしまった友人の悲しそうな顔の為なのか火村には判らなかった。
  
 
 
 
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「はいはい、今開けるって・・あれ?火村?」
 インターフォンを押すと相手を確かめる事なく、しかもチェーンすら掛けていなかった事がありありと判ってしまう勢いで開かれたドアに、火村は思わず眉を寄せてしまった。
「お前、いつも言ってるだろう?不用心だからチェーンくらいちゃんと掛けておけ。それから相手を確かめてから開けろ」
 言いながら玄関に入って靴を脱ぐと、部屋の住人は「来た途端やかましいな」等とぶつぶつ言う。
「アリス」
「判った。判りました。今度からちゃんとどちら様ですか?って聞いてやるから怒るなって。けど、ほんまにどないしたんや?フィールドワークに呼ばれたんか?」
 パタパタとスリッパの音を立ててリビングに入る有栖の後を歩きながら、火村は緩んでいたネクタイを更に緩めて「そんなところだ」と言った。
「ふーん・・・声掛けてくれたら良かったのに」
「事件じゃねぇよ。前のフィールドの調書を見せて貰ったんだ」
 ドカリとソファに腰を下ろして、胸ポケットのキャメルを探る。
「あ、灰皿こっちや」
 出されたそれを無言で受け取り、銜えたそれに火を点ける。そうして次の瞬間吐き出した白い煙に火村は向かい側に腰掛けた有栖を見た。
「何だ?」
「何だはこっちの台詞や。もうええわ。なぁ、飯は?」
「食ってない」
「そりゃええタイミングで来たなぁ、今日はカレーを作ったんや。自分で言うのも何なんやけど、なかなかの出来なんやで。食べるやろ?」
 そう言って有栖はソファから立ち上がった。
 学生時代からの長い付き合いである。
 こんな風な火村が何があったか、素直に言い出す筈がないし無理矢理聞き出す事はもっと難しい
 それは嫌と言うほど判っている。
「今日はなぁ、ルーを変えてみたんや」
 キッチンの方からそう言うと「どうせ新発売とか言う文字にでも惑わされたんだろう」とからかうような声が聞こえてきた。
「何事も試してみな、いいか悪いか判らんやないか」
「飽くなき探求心が推理小説家の魂・・てやつか?」
「・・・食う気がないんやな?」
「いいや、是非ご相伴させていただきますよ。味見は済んでいるんだろう?」
「・・ほんまに口の悪い男やな。ほら、残さず食えよ」
 ムッとしたような表情で差し出された皿を火村はニヤリと笑って受け取った。
 そうして再び向かい側のソファに腰掛けた有栖の目の前でパクリとそれを口に入れる。その途端。
「な?旨いやろ」
 尋ねてきた顔は誉め言葉を待っている子供のそれだった。胸の中に広がる柔らかくて、温かな思い。
「・・・・熱くて判らん」
「もう食わんでええ」
「冗談だ。うまい。お前にしちゃ上出来だな」
「一言余計や!」
「怒るなよ、誉めてるだろう?」
「怒らせる様な事を次々に言うからやろ。ったく・・・」
 言いながら再び立ち上がって有栖はキッチンに向かうと缶ビールを手に戻ってきた。
「おい・・俺の分は?」
「カレーを残さず食ったらな」
 プシュッと軽い音を立てて開けられたプルトップ。
 ゴクリとビールを流し込む有栖に、火村は「小学生の給食かよ」と呟いて自棄になったように口に運ぶ。
「味わって食えよ」
「うるさい。ほら、とっととビールを寄越せよ」 
「有り難みのないヤツ」
「お前にだけはその台詞は言われたくないな」
「やかましい!ビールは冷蔵庫や。自分で持ってこい」
 有栖の言葉に火村は「客にさせるか」と口にして腰を上げると、3本のビールを手にして戻ってきた。
 プシュッと音を立てて開けられたビール。
 一口飲んでテーブルの上に置くと、お約束とでも言うようにキャメルに指が伸ばされる。
 取り出された煙草。
「・・・なぁ」
「ああ?」
 向けられた視線とキャメルを口に銜えたままでの短い返事に有栖は一瞬だけ迷うような色を浮かべて、口を開いた。
「どんな事件やったんや?」
「強盗殺人」
「・・・ふーん・・」
 カチリと点けられた火に、立ちのぼる白い煙。
 シンと静かになってしまった部屋の中でユラユラと揺れるそれを眺めながら、有栖は再びゆっくりと口を開く。
「今なぁ・・って言うかちょっと前からなんやけど、今度の新作で使おうかと薬物関係の事調べとるん」
 言いながら傾けられたアルミ缶。
 どうやら沈黙の間に話題が転換したらしい。
 あまりのらしさに胸の中で小さく笑いながら火村も又ビールを口にした。
 それを見つめて有栖は言葉を繋げる。
「・・・でな、これがなかなかうまくいかんねん」
「薬物ってぇと麻薬関係か?有栖川先生はハードボイルドに転向希望って事か」
「アホ。誰がハードボイルドや。薬物かて色々あるやろ? まぁ確かに警察関係に聞きに行こうかなぁ思うた事もあったんやけど、所謂コカインとか、LSDみたいな非合法のものだけやなくて、合法のものも知りたくてな」
「好奇心旺盛な事で」
「研究熱心と言ってくれ」
 ゴクリとビールを飲み干して、有栖は火村の持ってきたビールに手を伸ばした。
「おい、俺が持ってきたビールだぞ」
「買うたのは、俺や」
「・・・ったく・・好奇心でも研究心でもいいけど間違っても自分で試そうとは思うなよ」
「当たり前や!俺かてまだ人間やめる気はないわ」
「そりゃ結構」
 肩を竦めるようにそう言って、火村も又、手にしていたビールを飲み干すと新たなそれを開く。
 部屋の中に響く渇いた小さな音。
 そうして次の瞬間、有栖は何かを思い出したようにゆっくりと口を開いた。
「ああ・・・でもあれだけはちょっと試してみたい気もする・・かな?」
「何だ?バイアグラか?お前そんなものに頼らなきゃまずいのか?」
「!人を勝手に枯れさすなっ!って何言わすねん!!」
「怒るなよ、心配してやったんじゃねぇか」
「いらん心配や!ったく・・」
「そりゃ悪かったな。それで研究心旺盛な有栖川先生は何を試してみたいんですか?」
「・・言わない。言うたら絶対馬鹿にされる」
 チビリとビールを舐めるように飲みながらの有栖の言葉に火村は軽く眉を上げた。
「馬鹿にされるようなものなのか?」
「・・・・・」
「おい、教えろよ。気になって眠れないだろう?」
 フワリフワリと紫煙が揺れる。
「勝手に不眠症になってろ」
「ケチくさいヤツだな」
「うるさい。君が馬鹿にするからやろ」
「馬鹿にしてないだろう?まだ」
「・・・絶対に言わない」
 言った途端今度は横を向いてしまった有栖に火村は小さく笑って、短くなったキャメルを灰皿の上に押しつけた。
「どんなことを言っても馬鹿にしない。約束する。案外俺が手に入れられるものかもしれないぜ?大学なんてぇのはある種のマニアの集まりだからな」
「・・・・それは多分・・無理やと思う」
「アリス?」
 帰ってきた答えに訝しげな顔を浮かべた火村を横目で見ながら有栖は降参と言ったような溜め息を漏らした。
 そして・・・
「・・・・ロミオとジュリエットの中に毒薬が出てくるやろ?」
「ああ?」
「ああ、えっとジュリエットが飲む方。牧師がくれる仮死状態になるヤツ」
「・・・・カンタレラってヤツか?」
「そう。それ!そのカンタレラってほんまにあるもんとちゃうよなぁ・・」
「・・・・まさかとは思うがそれを試してみたいのか?」
「うん。あれだけは純粋な好奇心でちょっとだけ試してもいいかなぁと思う」
「それで見事に生き返って周りを驚かせるのか?悪趣味だな」
 約束をしたからなのか、驚きも、馬鹿にもしない、けれどどこか暗い響きを持つ火村の言葉に有栖は慌てて言葉を繋げた。
「ちゃうって!別に周りが知らなくてもいいんや。驚かせるつもりもないし。まして死にたいわけでもない。ただそんな薬があるんやったらちょっと楽しいかなぁってそれだけ」
「馬鹿」             
「!やっぱり馬鹿にした!」
「呆れたんだ。お前推理小説作家なんだからもう少し考えてからものを言え。大体周りにも知らせなかったら本当に仮死状態になっているのか、ただグーグー眠りこけているのか自分じゃ判断できないだろうが」
「あ、そうか。でも知らされた人間も仮死状態になっているヤツを目の前にして息を吹き返すのを待っているってぇのも嫌やろうなぁ」
 ポツリと落ちた言葉。それを聞きながら火村は限りなく苦笑に近い笑みを浮かべて新たなキャメルを取り出した。
「まぁ、その薬が見つかったら呼んでくれ。実験中の張り紙でもつけておいてやるさ。勿論顔には太マジックで髭を・」
「いらんわ!アホ!!ああ、もうやめやめ!やっぱり君に話した俺が間違いだった。ほんまにロマンを解さない男やなぁ」
「毒薬がロマンだとは知らなかったな」
「うるさい!あーあ・・ビールもないし・・。なぁ、後何本くらい入ってた?」
「さぁな。お前のうちの冷蔵庫だろう?覚えておけ」
「・・・取り出したのは君やん・・」
 ブツブツと言いながら立ち上がってキッチンに向かう有栖の後ろ姿を眺めながら火村は銜えたキャメルに火を点けた。
 胸の中にもやもやとしている言いようのない感情。
「・・・ふざけるな・・馬鹿・・」
 それに思わずイライラとして口を開くと向こうから素っ頓狂な声が「えー?何か言うたかぁ?」と聞こえてくる。
「言ってねぇよ。ビールはあったのか?」
「ああ。あった。あと3本やから、俺が2本で、君は1本な。・・・あ、そうや、思い出した。電話がかかってきたんや」
「主語がねぇよ」
「室生さん」
「はぁ?」
 テーブルの上に3本並べるように置かれた缶ビール。
 並べたそれを満足げに見つめて有栖はソファに腰を下ろした。
「ほら、こないだ電話をするって言ってたやろ?かかってきてん」
「いつの“この間の話”だ」 
「君の下宿行った時」
 そんな事も判らないのかと言ったような有栖の眼差しに火村はキャメルをふかしながら記憶の糸を探った。
 そう言えば自殺をした彼女の友人が線香を上げて欲しいと言っていたと聞いた気がする。その友人が室生と言う名前なのだろう。
「・・線香上げはいつ行く事になったんだ?」
「3日後」
「・・・・・」
 返ってきた答えで火村は自分の推理が正しかった事を自ら証明した。
 そうして次の瞬間脳裏を寄切る、先刻聞いたばかりの話。
 自殺をした獄中者。
 そして・・・自殺をした女。
「火村?」
 船曳の話を聞いた時、確かに有栖の事を思い出して何となく足を向けてしまったが、その続報を聞くことになるとは思っていなかった。
「・・・感傷的なのはガラじゃないんだけどな」
「・・・・?・・おい、火村、もう酔ったんか?」
 呟きはどうやら有栖の所までは届かなかったらしい。漏れ落ちた二度目の苦い微笑み。そして。
「何でもない。シャワー借りるぜ?」
 灰皿に押しつけられた途端強くなるキャメルの独特の香り。半分ほどの長さのそれと立ち上がった火村の横顔を見つめて有栖は思わず口を開いていた。
「・・ええけど。大丈夫か?」
 何に対してそう言っているのかはおそらく有栖自身にも判っていなかっただろう。
 けれど、多分、胸の奥のどこかで何かを感じたのだろう短い問い掛けに一瞬だけ小さな笑みを浮かべると、火村は「カンタレラを試したいと思う誰かさんよりはよっぽどしっかりしているぜ」といつもの笑みを浮かべた。
「さっさと入って来い!!」
 投げられたクッション。
 片手で軽く受け止めて。
 そうしてふと脳裏に浮かんだ、瞳を閉じた青い顔の有栖の想像に、歪んだ顔を隠す様にそれを投げ返すと火村は今度こそ振り返らずに風呂場に向かって歩き出した。


カンタレラニついては色々調べました。実際ははっきりしないものなのですが。ずいぶん前に話題になったハルシオンでしたっけ??あれ?連続強姦事件で使われた薬。あれも似たクスリとして上げられていたような。
さて、これからどうなっていくのでしょう。