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Greendays 5


「お呼び立てをして申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ遅くなって申し訳ありません」
「では早速ですがこちらをご覧になって下さい」
 言いながら机の上に並べられた写真。
 そして、その横に添えられた調書。
「10日前のものです」
 それは何の変哲もない〈死体〉の写真だった。
 おそらく服毒死だろう。吐いた後があり、顔のむくみもひどい。
「・・何の毒ですか?」
「スズランです」
「・・・は・・?」
 滅多にない火村の表情に、けれど大阪府警捜査一課の船曳は動じることなく言葉を続けた。
「これが手にしていたと思われるコップです。そして違うコップに生けられているスズランの花」
 確かに写真の中には見覚えのある小さな白い花を付けたそれが被害者が手にしていたらしいコップと同じようなコップに生けられている。
「我々もこないな事になるまではよぉ知りませんでしたがスズランの花というのは、えー・・ここに・・・コンバラトキシン・コンバラトキソール・コンバロサイド等の心臓に作用する毒を含んでおるんやそうです」
 調書の棒読みと言った船曳の言葉を火村は黙って聞いていた。
「所轄の調査では被害者が誤って口にしてしまった、もしくは生け変えた後そのコップを置きっぱなしにしてその事を忘れて飲んでしまった可能性があると言うことで事故という扱いになりました。そして、こちらが4日前です。ドクゼリという植物を先生はご存じですか?」
「いいえ」
 短い火村の答えに船曳は「名前の通りセリの仲間・・というか親戚らしいんですが」と言葉を繋いで禿げ上がった頭を一撫でした。
「ドクゼリ言うんわ池や沼地に生える大型の植物で、茎は1m以上にも伸びるんやそうです。これが又夏になると小さな・・・えーっと・・そうそう、レースの様な白い花を咲かせるそうで、まぁ、その外見とは裏腹にシクトキシンという、植物にしては珍しいアルコール成分の神経毒を持っていて、痙攣、意識障害、そして最後には窒息死させるというオマケまでつけてくれる。春先の方は親戚のセリの方とは見分けがつかんと言うことで毎年何件かはそう言った事故があるそうなんですけど、今回はその根っこをワサビと間違えて食べてしまったらしくて・・」
「・・・・その植物はこの辺りでも簡単に手に入るようなものなんですか?」
 火村の質問に船曳は少し苦い表情を浮かべて再び口を開いた。
「勿論、山間部の沼のあるような所に行けばないこともないという事でしたが、被害者は特に山歩きやハイキングが趣味なわけでも、又、知り合いにそう言った趣味があってドクゼリの根を【ワサビ】と思って 土産に持ってくるような人間も居らんと言うのです。もっともこのヤマも始めは事故として処理されたんですが・・・」
「又、あったんですね?」
 言いながら火村は取り出したキャメルに火を点けた。
 ただの事故であれば自分がここに呼ばれる筈はないのだ。ユラリと立ち上る紫煙。その向こうから船曳が3つ目の写真を取り出した。
「一昨日病院に運ばれ、死亡しました。以前から心臓の方を患っていたと言うことです」
「食べたものは?」
「福寿草です」
「・・・福寿草?」
 出てきた聞き覚えのある植物名に火村は小さく眉間に皺を寄せた。
「ええ。私も“めでたい花”というイメージがあったもんで正直これを聞かされた時には驚かされました。それでその福寿草なんですが、心臓に作用するアセボトキシンという強心配糖体の他に20以上もの物質が知られております。ところがどういう訳か時々福寿草の根を煎じて飲むと心臓の病に効くという話が出るらしく、過去にもこれに似たケースが幾つもあるんやそうです。その為今回も被害者がそれを聞きかじって実践したと思われておったのです」
「ところが違ったんですね?」
「直接的にはそう言うことです。ただそれを被害者に聞かせて更に福寿草の鉢を送りつけた人物がいることが判りまして。しかもその送り人の住所も名前も出鱈目だったと言うことで、事件性が出てきたと言う次第です」
「その、被害者に福寿草の情報を教えた人物、もしくは送りつけた人物というのは?」
「今のところ手がかりはありません。家族のものに居酒屋で良いことを聞いたと言っておったそうですから被害者の足取りを辿って目撃者を見つけるところから始めています。送られた鉢を見て、喜んで言われた通り天日干しにして煎じて飲んだら4時間後には命が無くなっていた。薬として飲んだのに皮肉なことですわ」
 船曳の言葉に火村はキャメルを深く吸って灰皿に押しつけた。吐き出された白い煙。
「それで警察はこの事件が関連性のあるものとして考えているのですか?」
「そこなんですが、火村先生はどうお考えですか?」
「・・これまでお聞きした限りでは手持ちの札が少なくて何とも言えない状況ですね。被害者たちに面識や、共通した何かがあるのですか?」
「いえ、職種もバラバラで、これまで調べた時点では関連性はありません。ですが、さすがにこう続くと私も毒草についてやたら詳しくなってきた気がしましてな。犯人は植物に関して、いえ、毒草に関してかなり詳しい知識を持っていると考えられる。ああ、言い忘れましたが一つ目の事件ではその後、花の生けられた水がミネラルウォーターであることが判明しました。ふつう花の水に市販のミネラルウォーターを使うというのは」
「あまりないことですね」
 サラリとした火村の答えに船曳は一つ大きく頷いた。
「浄水器が付けられとるんです。せやからその水を使うのならまだ納得も出来るんですが花を生ける水にわざわざ輸入されている種類のミネラルウォーターを使う言うんわどうも・・。しかもその水の容器が見あたらんのですわ」
「・・なるほど」
「ただの偶然かもしれません。もしかしたら似たような事が立て続けに重なったと言うだけかもしれません。正直に申し上げて我々の中にもそう考えている者もおります。けれどどの事件もどこかで事故ではなく事件の色を滲ませている。しかもどれもがひどく日常的で、それでいて恐ろしい毒を持つ植物を使っている。実はマスコミの中にもそれを感じているというよりも面白がっているところが出てきましてな。《又事故死か?続く植物による中毒死》などと書き立てられたのが昨日です。現在それぞれ所轄で引き続き捜査をさせております。こちらの方ではこの3つの事件を絡めて考えていこうと決まりました」
 幾分苦い色を滲ませた船曳の言葉を聞きながら火村は広げられた書類と写真にもう一度視線を落とした。
 一人目はスズランを生けた水を飲んだ。被害者は住吉区の自営業者・神島悦子(42)
 二人目はドリゼリの根を【ワサビ】と信じて食べた。被害者は都島区在住のルポライター・沢田正伸(37)
 そして三人目は薬として福寿草の根を煎じて飲んだ。
被害者は豊中市の会社員・岡村宗太郎(56)
 こう見ても接点がありそうにはあまり思えない。
 住吉区にある神島の店に沢田と岡村が訪れてそこに接点があったという事だろうか?
 だがしかし沢田の仕事先は難波にあり、岡村の会社は西中島の辺りだ。住吉区の神島の所を訪れるとしては二人とも以前からの面識がなければ難しいと考えざるおえない。
「とりあえず、被害者の接点を探ってゆくしかないですね。被害者同士に接点がなくとも第三者で繋がっていたりする可能性もありますし。むしろその確率の方が高いかもしれない」
「そうですな」
「もしも無差別殺人、敢えて殺人事件と言わせていただくと、3番目の事件はやや用意周到の気がします。少なくとも犯人は岡村が心臓病だった事を知って近づいている」
「そうなんです。そして、3つ目の犯行をカムフラージュする為に、はじめの2つの事件を起こしたと考えるのもおかしい。意図と反して返って際だたせてしまって逆効果になっとるのですから。まぁ、もっとも犯人が捜査の攪乱を狙ったのならば、少しは役にも立ったのでしょうが、ともすれば先の二つは事故で見逃されてしまう可能性もありましたからな。3つ目の事件でそう言えばこんな事が等と報告がきたのが現状ですから」
ふぅっと大きな溜め息が漏れる。
 訪れた僅かな沈黙。
「ああ、又降ってきてしまいましたな。今日は車の方で?」
「ええ」
「それは良かった。しかし梅雨とはいえほんまによぉ降りますなぁ・・ああ、これはこの間の時にも言いましたな。年をとってくるとついつい同じ事を言うてしまう。
この間も森下のヤツに『班長それは先程聞きました』等と言われてついつい『いらん事言うてる暇があったら聞き込みでもしてこい!!』と怒鳴ってしまいました」
 互いに小さく浮かんだ笑い。そして。
「とにかく、何か新しい事実が分かりましたら又お知らせします。今のところ所轄とは別にそれぞれの被害者と接点のある人物の中で植物に詳しい者の洗い出しをしておりますが、先日の石田のように意外な人物が知識を持っている事もあるので捜査も難航しそうですわ」
 何度目かの苦い言葉と、突然出てきた名前に火村はふと有栖のことを思い出していた。そういえば彼もそんな事を口にしていた。思わず零れ落ちた小さな笑い。
「火村先生?」
「ああ、すみません。そうですね。どこかの推理小説家も今度の新作に毒物だか薬物だかを使いたいと言って調べるようなことを言ってましたから思わぬ人物がその知識を持っているかもしれませんね」
「・・あんまり脅かさんといて下さい。まぁ、でもそれやったら今回のお話を有栖川さんにしたら、専門的な講義が聴かれたかもしれませんな」
「そうですね。妙な部分でこだわるところがありますから頭が痛くなる程色々な知識を詰め込んでいるんじゃないですか」
「ははは・・ではそのうち是非とお伝え下さい」
 船曳の言葉に火村は「判りました」と言って椅子から立ち上がった。
 灰色の空から落ちる雨の滴。
 有栖も又この空を見ているだろうか。
 それとも今話したように普通であれば物騒極まりないような資料に埋もれているのだろうか。
「それにしてもどうしてこう毒の成分と言うのは舌を噛みそうな名前が多いんでしょうなぁ・・」
 カチャリと開かれたドア。
 その途端溜め息混じりに聞こえてきた、限りなく呟きに近い船曳の言葉に「同感です」と言いながら火村はゆっくりと部屋を出た。


これは本当に色々調べたんです(-_-;)
毒とか、催淫剤のようなものって結構植物を使ったものの方が色々な判例があるんですよ。ちなみにここで上げたものは本当にあった事件のものです。色々ありますよね。