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Greendays 6


 「薬というものは使い方次第で毒にもなるものです。多少物騒に言い換えれば、毒にも薬にもならないようなものは何の効果もない」
 まさしく梅雨と言ったような重い灰色の空から落ちる雨が窓に当たって流れ落ちてゆく。
 けれどジメジメとした暑さはなく、寒すぎる事もなくよく効いた空調の部屋で有栖は目の前で語られる話に耳を傾けていた。
 その部屋は研究室であると言う事を忘れてしまうほど整然としていた。
 デスクの上に数冊置かれている本はあるものの、他はものは壁に沿って置かれている何本もの本棚にきちんと納められている。資料もファイリングされているらしくこれも又きちんとラベリングをされた太いファイルが幾つも並んでいる。
 助教授である友人も、学生時代の恩師も、その他の知り合いである教授・助教授という“先生方”の研究室はどれもこれもが『雑然』と言う言葉がぴったりとくる代物だった。
 本当にこれで何がどこにあるのか判っているのだろうか?と言う疑問を過去に一度だけ友人に投げかけた事があるのだが、その時返ってきた言葉が「当たり前だ」だったのでついつい研究者の部屋というのはそう言うものなのだ思っていたのだが、どうやらその認識は改めなければならない。
 始めにそんな事を口にした有栖に室生は「それはこの部屋が共同で使われているからですよ」と言って静かに笑った。助教授以上になれば自分専用の部屋が与えられる。そうなれば自然、自分の使いやすいようになる。というその部屋の使用者の一人である室生の言葉に有栖はそう言うものなのかと半分納得して約束通りに連絡をしてくれた室生の“講義”を聞き始めたのだった。
「かの有名な大麻も、今現在では医療薬として見直され新たな研究が行われています。猛毒と言われるジキタリスも然りです。昔の医者の家の庭先にはよくジキタリスの花が植えられていた。ジキタリスは猛毒を含む植物ですが、心臓病の治療薬としても知られていたのです。後・・毒とは少し違ってしまいますが意外性の代表者としてドラッグで有名なコカイン」
「コカイン?」
 思わず声を上げてしまった有栖に室生は小さく笑って言葉を続けた。
「ええ。そのコカインですが、その薬は南米ペルーを原産とするコカの葉から作られるのです。イリーガルドラッグとして名高いそれは実は局所麻酔作用や、鎮痛作用もあるのです。少し話が逸れますがコカ・コーラってご存じですよね?」
「え・ええ」
「“スカッと爽やか、一度飲んだら止められない”等というキャッチフレーズで売り出したかの飲料水は元はと言えばコカの葉とアフリカのコーラナッツを調合したものやったんです。勿論今のコカ・コーラにはコカは含まれていませんがね」
「はぁぁ・・・」
 子供のように感心している有栖に室生は「話を戻しましょう」と言いながら目の前のコーヒーに少しだけ口を付けた。
「さて、こんな風に薬と毒というものは微妙な関係があることはお分かり頂けたでしょうか。それでは、次に一般に毒薬と言われるものですが、ミステリー作家の有栖川さんに馴染みの深いものと言えば・・・ストリキニーネなどはどうでしょう?」
「ああ!知ってます!!」
「色々な小説の中に登場する毒薬ですね。アガサ・クリスティの『あなたの庭はどんな庭』でしたか、苦いストリキニーネをどのように飲ませるかが謎を解くカギでしたよね」
「よぉ知ってますねぇ・・」
「これでも一応講義を受け持つ身ですから」
 ニコリと笑った室生に有栖も又小さく笑う。
 そうして再び始まる“講義”
「そのストリキニーネですが、これはマチンという植物の種子から抽出されます。この親戚筋にストリキノス・トキシフェーラ、別名クラーレノキと言われる南米のインディオたちが矢毒して用いたものがあります。こちらの方は塩化スキサメトニウムという筋肉弛緩剤として今は化学合成されてますが、ストリキニーネは未だにマチンから抽出されているんです。マチンはインドから東南アジアにかけて分布している植物で何故か犬殺しによく使われます」
「犬殺しですか?」
「ええ。ベトナムの犬肉専門店の店にはマチンの種子が山のように積まれているらしいです。日本ではほとんどと言っていいほどお目にかかれないこの植物ですが、事実は小説よりも奇なりで、これを使った殺人事件が数年前にこの大阪と埼玉でも起こっているのです。愛犬家殺人事件。これらはストリキニーネと先程の塩化スキサメトニウムを使った犯罪でした。その他に小説で使われたものは・・ああ、そうだ。先程例を出したアガサ・クリスティは幾つも毒物を使った小説を出していますが、イギリスならではの誰でも手に入る毒薬として有名なものを扱ったのは『ポケットのなかにライ麦を』ですね。どんな植物が使われたか。ご存じですか?」
「えーっと・・・ちょっと待ってください。確か・・・そう・・イチイ!イチイや!そうでしたよね?」
「正解です。イチイの持つタキシンという毒の成分を彼女はマーマレードに混入した。その他ちょっと変わったところでディクスン・カーの『緑のカプセルの謎』では
カーが作中人物に毒殺術の講義をさせていますし、ヴァン・ダインの『カジノ殺人事件』では毒物の名の羅列だけではなく、それが体内に入ってどうなってゆくのか。つまり体内動態にまで触れている」
「読みました!あれはほんまに興味深かったです!」
 まさに“猫に鰹節”状態の有栖に室生は一度コーヒーを口にして再びゆっくりと口を開いた。
「その他史実の中でもアレキサンダー大王が夾竹桃枝を使って肉を焼き、多くの兵士を失った話などが実際にあります。夾竹桃は今でこそフィルターのような役割をして高速道路の生け垣などに使われていますが歴史の中ではたびたびその猛毒性で姿を現し、恐れられてきました。
ミリアム・A ・フォードの「夾竹桃」はそう言った事件を元にした書かれたのだろうとも言われています。実はこの夾竹桃についてもよく考えると恐ろしい事があるんですよ。と言うよりも幾つも過ちを繰り返してきたにもかかわらず人間は植物の本当の恐ろしさを忘れてしまうと言った所でしょうか。もっともそれは夾竹桃だけに限らない事だけれど」
「・・・それってどういう・・」
 歯に衣を着せたような室生の物言いに有栖は思わず小さく眉を寄せた。僅かな沈黙。
「毒を持っているものは案外身近にあるって事ですよ。ああ・・すみません。講義の時間になってしまいました。もしよろしければ又お話する時間を」
「是非!!あー・・えっとご迷惑でなければ」
 付け足された有栖の言葉に室生はクスリと声を立てて笑った。
「迷惑なんかじゃありませんよ。僕としてもこんなにミステリーの話が共有出来る機会はなかなかありませんからね。楽しかったです。又こちらからご連絡を差し上げると言うことで構いませんか?」
「はい。何を置いても飛んできます」
 再び漏れ落ちた笑い。
「・・それでは、又お会いしましょう」
 室生の言葉に有栖は「ありがとうございました」と言いながら座っていたソファから立ち上がった。


毒物を使ったミステリーって本当に結構あるんですよね。
ここにある夾竹桃についてはうまくうんちくを入れられずに付け足しにようになっていますが、私的にはこれが一番身近で怖かった。よく区民プールの生垣代わりに使われていたり、高速道路の横に並木のように植わっていません?この木。
実は夾竹桃は燃えるとものすごい猛毒ガスを出すんですって。そんな木をそこいらに植えとくなって・・・・。