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Greendays 7


 10日ほど雨が降り続くと、今度は梅雨はどこに行ったのかと言いたくなるような晴天がもう4日も続いていた。
 〈中休み〉にしては長すぎるそれに、今頃は気象庁も梅雨明け宣言をいつにすればいいのか悩んでいるのだろうか等と埒もない事を考えながら火村は短くなったキャメルを灰皿に押しつけ、続いて新たなそれを箱から取り出して銜えた。
 窓の外は蝉の声が聞こえないのが不思議な程夏色の空が広がっている。京都と言う土地柄、夏と言う季節は忍耐を試される季節だ。何しろ『釜の底』等という嬉しくもない修飾語を戴いてしまう所なのだから、その暑さは半端ではない。それがもうすぐそこまで近づいてきている。思わず見てしまったカレンダーはもう何日か前から7月に変わっている。
 うんざりしたような面もちで火村は手元の資料に視線を落とした。
 船曳に呼ばれて大阪に出向いてから一週間が経っていた。その間に入った連絡は一度。新たな事件が起こった時だけだ。
 西区に住む弁護士の大和田知哉(48)が毒殺されたのだ。死因はストリキニーネによる中毒死。数日前から風邪っぽいと言って飲んでいた薬の中にストリキニーネを入れたカプセルが混入されていたらしい。市販されているその薬に、いつ、どこで、誰が、どうやって、毒薬入りのそれとすり替えたのか捜査をしていると言うことだった。
 ただ今回のそれは今までのものとは違い植物を使っているわけではなく植物から抽出されたとはいえ、薬の形状をしている為、以前の事件とは違うものなのではないかという見方もされているらしい。
 続く毒殺事件。関連性はあるのか!?等と新聞でもテレビでもそれはどこか面白おかしく、まるで一般大衆の興味を煽るように報じられている。
 同じ大阪に住む有栖はそのニュースを知っているのだろうか。それとも、そんな事すら知り得ないような世情と隔離した生活を送っているのだろうか。
「・・・事実は小説よりも奇なりだぜ?」
 有栖とはあのカンタレラの話をしてから会ってはいない。特に何がと言うわけでは勿論ない。
 ただ何となく、一週間前に大阪を訪れた時その足が行き慣れたマンションに向かなかったのはその時の事件が有栖が今調べている筈の薬物・・というか、有毒植物を使ったものだからだったのかもしれない。
 おそらく有栖はその話を興味深げに聞くだろう。
 もしかしたらあの時、船曳言ったように自分がそれまでに仕入れていた知識を語って聞かせたかもしれない。
 けれど、どうしてかは判らないのだが、コンタクトを取ったら十中八九出てくるだろう有栖をこの件に関わらせたくなかったのだ。い。
 それがどこから来る感情なのかは火村自身にも判らなかったのだけれど・・。
「又・・試してみたいとか言われたら殴りたくなったからかもな・・」
 そう小さく独りごちて、火村は半月以上も連絡を取っていない友人の顔を思い浮かべながら小さく笑った。
 もともと日本は毒殺事件が少ない国だった。
 それが近年増え続ける傾向にあるのは様々な毒物が入手しやすくなったからではないかと言われている。それに伴うように増え続ける毒物等に関する書籍や情報。
 船曳が言っていた専門的な知識も、その気になればごく普通の人間が知り得る機会は山のようにある。
「・・・・・・」
 ユラユラと揺れる紫煙。
 有栖の顔を振り払うとその代わりのように、火村の頭の中に事件の概要が浮かんできた。
 スズラン。ドクゼリ。福寿草。ストリキニーネ。
 飲み屋。マスコミ。会社員。弁護士。
 4つの事件は関連性があるのか。
 何によって繋がっているのか。
 もしもその事件が全て繋がっているのだとすればなぜ最後のそれだけが『薬』の形を取っているのだろうか。
「・・・!」
 その瞬間コンコンという小さなノックの音が聞こえてきた。
 間をあけず、答える前に開かれたドア。
「よぉ、先生。元気やったか?」
「アリス」
 入ってきたのは今し方何をしているのだろうかと考えていた友人だった。
 相変わらずのその様子に知らず知らずのうちに火村の身体から張りつめていた何かが抜けてゆく。
「どうしたんだ、いきなり。夜行性の推理小説家が活動する時間とは思えないけどな」
「失礼な奴やな。人のことを狸かモモンガみたいに言うんやないわ」
「どういう例えだよ」 
「たまたま思いついたんがそれだっただけや。けどな別に俺はいつもそう言う生活を送っているわけやないで。実はこの所2回ほどこっちの方にまで勉強しに来とるんや。寄ろうかとも思ったんやけど雨も降ってたしな」
 理由にならないような理由を付け加えて、どこか威張った子供のようにそう言う有栖に、火村は一瞬だけ眉を寄せ、キャメルを灰皿に押しつけるとフゥッと煙を吐き出した。
「勉強ねぇ・・図書館なら大阪にだってあるだろう?」
「あのなぁ!!どうして君はそう一々引っかかる物言いをするんや。そうやなくて、前にも言うたやろ?薬物関係の事を調べたいって」
「・・ああ」
「それを教えてくれる人が見つかって。えーっと・・話せばちょっと長くなるんやけど」
「短く話せよ、作家だろう?」
 火村の言葉に有栖はムッとして口を開いた。
「室生さんが教えてくれるって申し出てくれた」
「・・・・・・・それはいくら何でもはしょりすぎだとは思わねぇか?」
「君がそうしろって言うたんやないか」
「ガキ」
「何やて!?」
「ああ、判ったよ。室生ってぇと例の自殺した女の友人って奴か?そう言えばお前線香上げに行ったのか?」
 立て続けの火村の質問に、有栖は少しだけ驚いた様な表情を浮かべた。 
「よぉ覚えとるやないか。行った。でなその時に室生さんから彼女が生前話を聞かせてくれないかって彼にコンタクトを取っておいてくれた事を聞かされて、彼女と彼女の婚約者の線香上げをしてくれた礼や言うて、引き受けてくれたんや」
 結局全てを話す形になった有栖に、けれど火村は訝しげに顔を顰めた。
「・・・おい・・その彼女は婚約者を亡くしてたのか?」「うん。それがどうもその彼が亡くなったのもそんなに前の事やないみたいでな。お骨が一緒に並べられとったし位牌も真新しいもんやったから。よぉ聞かれへんけどどうも彼女の自殺の原因もその辺りにあるらしいんや」
「・・・へぇ」
 まるで自分の事のように辛い表情をする有栖を見つめながら火村は机の上に置いたままの箱から新しいキャメルを取り出した。
「ところで・・その室生ってぇのはそんなに薬に詳しいのか?」
 カチリと点けられた火。
「というより専門家なんや」
「専門家?」
「××大の薬学部の助手で講義も受け持っとる」
「・・・・・」
「でな、1回目がミステリーを絡めた毒草関係の話でこの間がその続きと、大麻だのLSDだのの非合法のドラッグについて。なぁなぁ、火村。LSDって大麦についたバッカク菌っていうのの研究してて偶然発見されたって知っとったか?」
「・・ああ」
「何や知ってたんか。あ、それやったらオモトは?ほら君んとこにもあるやろ?前にモモが倒したヤツ。あれな根の部分に何て言うたかな・・うーんと・・ああ思い出せへん!けどえらい毒があるんやて。その他にも彼岸花とか、あの可愛らしい花・・前に貰ったことがある・・スイトピー!あれも有毒植物や聞いた時はほんまにびっくりしたわ」
「・・・ほぉ・・それじゃ今度の有栖川先生の新作ではスイトピーで殺人事件が起こるってわけか」
「アホぬかせ!!そんなん片桐さんからOKが出る筈ないやん。それはただの雑学や雑学!大体スイトピーには人を殺せる程の毒はないねん。とにかく今日もこれから研究室の方を訪ねるん。で、その後に彼女の月命日に当たるんで一緒に線香上げをする事になっとるんや」
「・・・ふーん」
 気のない返事を返す火村に有栖は座っていたソファからゆっくりと腰を上げた。
「アリス?」
「コーヒー勝手に入れるけど君も飲むか?」
「・・ああ」
 短い答えに用意される二つのカップ。
「けど、ほんまに毒物なんてぇのは驚くほど身近にあるもんなんやなぁ」
 カチャカチャという小さな音と共に聞こえてくる有栖の声。
「俺もよぉ知らんかってんけど何や植物を使った殺人事件が続いとるんやって?関わってるのか?」
「・・・・・・ああ」
 どうやら“講義”の前にここに寄ったのはそう言う事だったのか。
 真っ直ぐに見つめてくる瞳から火村はそっと視線を剥がした。
「まだ何も判っていない段階だ」
「ふーん・・」
 訪れた沈黙。
 そして、再び動かされた手が火村の前にそっとカップを置いた。
「・・・お前の言う通り、毒は驚くほど身近にあるもんだって思い知らされているよ」
「うん」
 自分で口にした言葉に何故か小さな引っかかりを感じながらそのわけが判らずに火村は出されたカップに手を伸ばした。
「・・なぁ」
「うん?」
「その室生って奴の話を俺も一度聞いてみたいな」
「なんや、一体どないしたんや?」
「いや、別に。有栖川先生の言う純粋な好奇心ってヤツだ」
「・・・何か腹立つ。まぁ、ええか。んーっと・・あったあったこれが名刺」
「何だよ。お前がアポを取ってくれるんじゃねぇのか」「せやって俺かて半分押しかけて話をして貰ってるようなもんやし。まぁ、一応話はしてみるけど・・」
「役に立たねぇな」
「うるさい!」
 差し出された名刺には確かに××大の名前と薬学部の助手という肩書きがあった。
 名前は室生紘征。
「・・・・火村?」
 その瞬間記憶の隅を何かが掠めた。
「・・・なぁ・・アリス。その死んだ彼女と婚約者の名前は?」
「何や藪から棒に。婚約者の名前は判らんけど、彼女の名前は」
「!!」
 その途端タイミング良く鳴り響いた携帯電話に火村はビクンと身体を震わせた。
「はい、有栖川です。あ、はい。それでは今からお伺いします。はい、宜しくお願いします」
 ピッと切れた電話。
「室生さんからやった。早めに仕事が片づいたからどうぞって。ほんなら今からちょっと行って来るわ。帰りは寺の方に行くから戻るようになるんで、又今度寄せて貰う」
「アリス!」
 立ち上がってドアに向かう有栖に火村は思わず声を上げてしまった。
「な・何やねん」
「・・いや・・・その・・彼女の名前は?」
 言葉にならない嫌な予感のようなものが火村の胸の中に押し寄せる。
 このまま行かせてはいけない。
 そんな根拠のない考えに、らしくもないと笑えない程の何かが胸を占めていく。
「変なヤツやな。えっと・・皆川・・皆川有希恵やったと思うけどどうかしたんか?」
「・・・皆川・・有希恵・・」
 それは記憶の中に引っかかっているようにも、全く覚えのないようにも思える名前だった。
「・・ほんなら行くで。ほんまに変やで自分。今晩電話するわ。何時頃ならうちに居る?」
「・・・・9時位には」
「したら9時過ぎに」
 パタンと閉じたドア。去ってゆく足音。
「・・・クソッ・!」
 イライラとしたままそう口にして、火村はドカリと椅子に座り直した。
 室生紘征と皆川有希恵。確かにどこかで関わった名前のような気がした。少なくとも室生紘征の名前には見覚えがある。聞いたのではない。見たのだ。
 自分は一体それをどこで見たのだろう。
 学会誌の類ではないことは確かだと思う。。
 畑違いの分野の学会誌を見るほど薬学関係の興味はなかったし、ましてそれを自分の所に持ち込むような知人もいない。
「・・・・薬学部・・・」
 知らず知らずに指が唇をなぞっていた。
 イライラとする気持ちと裏腹にどこか研ぎ澄ますように冴えていく思考。
 おそらく、何かが間に入るのだ。
 先日船曳にも言ったように、第三者か、或いは何かの事柄が自分と会った事もない筈の二人を結びつける接点になる。
 それは一種の勘のようなものだった。
 けれどただの勘で済ませるには強すぎる思いだと火村は思った。
 何かが入れば、何かが介入すれば、一本の線になる。
 二つの名前を自分と結びつける、誰か・・何か・・・。
 そして、それはおそらく何らかの事件に関係している筈だ。
 その名前“見た”と言う記憶が正しければ、事件に関する新聞、雑誌、調書の可能性が高い。
 そうだとすれば・・・・
「・・・!!」
 その瞬間、火村はハッとしたように顔を上げた。
 もしかすると毒による殺人は警察が思っているよりももっと前から始まっていたのかもしれない。
 携帯を取り出して火村は登録されているうちの一件のナンバーを押した。
 耳に響く呼び出し音。
 イライラとする気持ち。
『はい。大阪府警捜査一課です』
「いつもお世話になっております、火村です。申し訳ありませんが船曳班の」
『あ、火村先生ですか?森下です』
 電話に出たのは顔見知りの若い刑事だった。それだけでも時間の短縮になると火村は急いたように言葉を繋いだ。
「森下刑事。すみませんが、大至急調べて戴きたい事があります。もしかすると、今回のヤマに関係しているかもしれません」
 そう言うと年若い刑事は緊張した様子で「判りました」告げた。そうしてどうやら近くにいた上司を呼び寄せたらしく、すぐさま低めの声が火村の耳に聞こえてきた。
『お電話を変わりました。鮫山です。どうぞおっしゃって下さい』
「それでは一つ目に、先月・・いえ、その前の月に獄中で自殺をした石田篤志の交友関係を調べて、判る範囲内で知らせて下さい・・・というよりもその中に室生紘征と言う人物と皆川有希恵と言う人物がいないかどうか。それだけで結構です。そしてもう一つ。先日殺された弁護士の大和田が石田の弁護に携わったかどうか。又は石田が関わった弁護士と大和田に何らか繋がりがなかったか。そして最後に3名の被害者たちが石田篤志・皆川有希恵・室生紘征のいずれかと接触がなかったか」
『・・・判りました。とりあえず石田の交友関係は調書を見ればすぐに判ると思いますので折り返しご連絡を差し上げます。携帯の方でよろしいですか?』
「結構です。宜しくお願いします」
 慌ただしく切れた電話。
 何を最優先にすればいいのか、短い電話の中で鮫山警部補は感じ取ってくれたらしい。
 手の中に握った有栖が置いていった室生の名刺。
 これが吉と出るか、はたまた何も関係がないのか。
「・・・・・アリス・・」
 思わず名前を呟いて、火村はバサバサと机の上の荷物をまとめ始めた。
 そうしてそのまま部屋を出るべくドアに向かって歩き始める。
 その途端鳴り出した携帯。
「はい、火村です」
『鮫山です』
 驚くほどのスピードでかかってきた電話を火村は素早く耳に押し当てた。
『石田の交友関係ですが、室生紘征・皆川有希恵ともありました。まず皆川ですが石田の婚約者と言うことで今回大阪刑務所の方にも申請をして面会が許可されていた人物です。室生の方ですが、石田の友人です。毒薬の知識を石田に与えた人物として一度取り調べを受けておりますが、石田自身も室生自身もそれを否定して結局罪には問われていません。ところでどうされましたか?』
「・・・室生が有栖川と接触をしています」
『有栖川さんと?』
「偶然かもしれませんが時期的に石田の婚約者である皆川有希恵が自殺をした後からというのも気になります。室生は薬学部の助手です。有栖の話を聞いた限りではかなり植物に詳しい」
『すぐに室生のことを調べます』
 間髪入れない鮫山の答えに火村は「お願いします」と告げてチラリと腕時計を見た。
 有栖がここを出て行ってからすでに20分以上が経過している。
 今日は車で来たのか、せめてそれだけでも聞いておくべきだったと胸の中で舌打ちをして、火村は言葉を続けた。
「私はこのまま室生の大学に行ってみます。京都の大学にみなさんが訪ねて来るのはまずいでしょう。ああ、それから室生が石田と皆川の遺骨を預けている寺を探していただけますか?有栖川の言い方だとどうも寺は大阪の方にあるらしい」
『判りました。当たってみます。それでは何かありましたらすぐに私か森下の携帯の方にお願いします。ナンバーは・・』
 告げられた番号を手近なメモに書き留めて、火村は研究室を飛び出した。
 そしてそのまま有栖の携帯にかける。
 けれどそれは有栖自身がそうしたのか、留守番伝言サービスに繋がるだけで用をなさない。
 思わず舌打ちをして、火村は更に歩調を早めると駐車場に停めてあったベンツのドアを開けた。
 ムッとする熱い空気。
 構わず乗り込んでエンジンをかけながら、今度は器用に名刺に載せられている研究室の電話番号を押す。
 1コール、2コール・・・・
 もしかしてこの名刺に書かれている事は偽の情報なのではないか。
 耳の奥に響くコール音を聞きつつ、ベンツを動かしながら火村は再び舌打ちをしたくなった。その途端。
『はい。××大学薬学部〇〇研究室・宮田です』
 ようやく聞こえてきたその声は少しだけうんざりとしたような響きを持っていた。
 よくもこんなに鳴らしたものだと思われているのかもしれないけれど、今はそんな事はどうでもいい。
「恐れ入ります。英都大学の火村と申しますが、室生さんはおいででしょうか?」
『・・室生ですか?少々お待ち下さい』
 声は静かなオルゴール音に変わる。
 それを聞きながらベンツは走る。
『お待たせいたしました。本日室生はすでに退出しております』
「・・・・判りました。ありがとうございました」
 切れた電話。
 どうやら名刺は本物で、すでに二人は大学を出てしまっている。或いは有栖の携帯に再び室生が連絡を寄越し大学以外の所に待ち合わせの場所を変えたと言う可能性もある。が、いずれにしろ室生は大学にはいない。それは事実らしい。
「・・・寺に・・現れるだろうか?」
 問題は室生の意図だった。
 有栖を呼び出し、過去2回は本当に“講義”を聴かせていたようだ。だから、何かを実行するつもりだったのならば時間は山のようにあったのだ。
 それなのに、室生は何も行動を起こさなかった。
 もっともそれは有栖に関してだけで、もしかするとこれまで起きた事件に関係があるのかもしれない。
 その手がかりは今、鮫山たちが調べているはずだ。
 「・・・どうするかな・・」
 赤に変わった信号にベンツを止めて、火村はポツリと呟いた。
 とにかくこのまま大学に向かっても仕方がない。かといって室生の関係する寺のあるらしい大阪方面に向かってもそこに到着をするのは自分よりも絶対的に船曳たちの方が早い。
 それに万が一、寺で二人を見つけられなければ事態はもっと複雑になる。
 何しろ事件は大阪府警の管轄で、室生が勤めているのは京都市内なのだ。警察というのは、こういった場合非常に動きが取りづらい所なのだ。
「・・・室生の家に行ってみるか・・」
 京都の大学に勤めているのならば、京都に住んでいる確率が高い。
 大阪府警の刑事たちがこちらに来て捜査をするのは色々と面倒だが、その点火村ならばただ単に“友人を探して家を訪ねてみた”で済む。
「・・となると、室生の住所を大阪府警に聞くのはまずいか・・」
 青に変わった信号に走り出す車の波。
 一瞬だけ思案を巡らせて、火村はそのまま〇〇大学に向かってベンツを走らせた。
 そうして到着するや否や教務課に向かい『英都大学社会学部助教授』の肩書きの入った名刺を取り出すと大至急連絡を取りたい旨を伝え、住所と電話番号を聞き出すことに成功する。
 再び走り出したベンツ。
 室生の住まいは宝ヶ池の少し先、三宅八幡の辺りにあった。勿論そこに有栖がいるという保証はどこにもない。 むしろいない確率の方が大きい様に思えた。けれど、今はとにかく考え付く事をするしかないのだ。
『ほんまに変やで?』
 不意に火村の耳の奥にアリスの声が甦る。
「変なのは何一つ疑わず、よく知りもしない奴にのこのこ付いて行くてめぇの方だ!」
 思わず理不尽極まりない言葉を口にして火村は強引に左にカーブを切った。途端に聞こえるクラクションの音。
 それをきっぱりと無視して火村はギュッと唇を噛み締める。
「・・家にいなかったらあとは何処だ・・?」
 次々に動いてゆく思考。
 室生という男について、火村はあまりにも手がかりとなるカードが持っていなかった。
 その事が火村の気持ちを苛立たせる。
 そして何よりも・・・
『ほんなら行くわ』
 そう、何より有栖を目の前で行かせてしまった。
 その事実が火村の胸を締め付ける。
 何かが引っかかっていながら、何もせずに見送ってしまった己の馬鹿さ加減が許せない。
 もしも・・・・
 もしも有栖に何かがあったら・・。
「・・・・っ・」
 再び有栖の声がした。
『そう、そのカンタレラ!あれだけは純粋な好奇心で試してみたい』
 クシャリと歪んだ火村の顔。
 どうしてこんな時にこんな言葉を・・と言うような事を人間は思い出してしまうのか。
「・・冗談じゃないぜ、アリス」
 低く唸るようにそう言って火村は右手でハンドルを握りながらもう片方の手で胸ポケットを探った。
 取り出したキャメル。
 ラクダの絵柄のパッケージの中から少しくたびれたような一本を取り出して口に銜えたその途端・・。
「!!」
 鳴り出した携帯にポロリとシートの上に落ちた煙草をそのままにして火村は鳴り響くそれを耳に押し当てた。
「火村です」
『船曳です』
 短いやりとり。大阪府警捜査一課の船曳警部はそのまま『有栖川先生が事件に巻き込まれているとか』と言葉を続けた。
「まだ判りませんがその可能性もあります。少なくとも室生と一緒にいるのは確かです」
『・・石田の事件は確か有栖川先生もご一緒でしたな』
「ええ。室生がそれを知っているかどうかは判りませんが、同行していました。もっとも有栖川自身は室生が石田の友人であることを知りません」
 目の前の赤信号に火村はゆっくりと車を止めた。
『・・まず先程先生からお話のあった点でいくつか判った事がありますのでお話しします。よろしいですか?』
「どうぞ」
『それでは始めに石田の弁護士ですが、大和田ではなく金山という国選です。但し彼は以前大和田の事務所で働いていたことがあります。そして今回、皆川有希恵の面会の申告に対して手を貸していたのが大和田本人です』
 横断歩道の信号が点滅を始める。
 わらわらと急ぎ出す歩行者たちを視界に入れながら火村は黙って報告を聞いていた。
『次に他の3人の被害者についてですが、2人目の被害者である沢田は、石田のかなりプライベートな部分までの記事を書き立てたルポライターです。但し沢田は石田のことに限らずそう言った記事が多く、今回の捜査の中でも「いつか殺られると思った」等の証言が多い男でして、石田の件が絡んでいるのかどうかははっきりしません。他の二人については引き続き調べを進めております』
 青信号に変わった信号に動き出す車の波。
 同じようにベンツを走り出させて火村は短く言葉を紡ぐ。
「寺の方は?」
『今のところまだ掴めておりません。ただ室生の本籍が高井田なのでその辺りやないかとあたっています』
「・・・・・」
 思っていた以上に寺の割り出しは時間がかかりそうだった。
『先生もこちらの方に来られますか?』
「いえ。とりあえず今、室生が現在住んでいるアパートに向かっています。こちらにいる公算は少ないと思いますが、万が一と言うこともありますので念の為。もう間もなく到着します」
 言いながら見た電柱の番地は目的地が近いことを火村に伝えていた。
『・・・・判りました。現段階では京都府警の方に協力を要請するのは出来ませんので、宜しくお願いします。但し、くれぐれも用心なさって下さい』
 幾分苦々しい色を滲ませた船曳の言葉を聞きながら
思わず浮かんだ限りなく苦笑に近い笑み。
「とにかく何かあったらお知らせします。私だけでしたら部屋に入ったとしても不法侵入で済みますし」
『・・先生』
「勿論そんな事が無いように私も願ってますよ」
『・・また何か判りましたらご連絡いたします』
 プツリと切れた電話を胸ポケットにしまって火村はゆっくりと路肩に車を寄せた。
 どうやらこの辺りから細い道を入っていかなければならないらしい。知っている場所ならばいざ知らず、ベンツに乗ったまま探すのは難しいだろう。
 外に出た途端照りつける“夏”としか言いようのない日差し。
 その梅雨とは名ばかりの青い空を一瞬だけ忌々しげに睨みつけて火村はアスファルトの道を歩き始めた。
 
 
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 そうして十数分後。
 火村の予想は見事に当たる。
 開かないドア。
 インターフォンを鳴らしても人の気配の感じられない部屋の前で、孫の子守りをしているらしい老婦人が柔らかな微笑みを浮かべながらこう言ったのだ。
「室生さんやったらお留守ですよ。いつも遅うに帰られますから」
「・・・今日も遅くなられるのでしょうか?」
「さぁ・・。ああ、そう言えば今朝出掛けにお会いした時に、お友達の四十九日や言うてはりましたけど」
「・・・・そうですか」
 「お約束をしてはったんですか?」という老女の声に苦々しく「いいえ」と返しながら、火村はもう一度青く眩しい空見上げた。
 
 
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 一つ目の糸がプツリと切れた・・・


うまく切れるところがなくて、一気に・・・。
長い回になりました。アクティブな助教授(笑)