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Greendays 8


「それでこのドラッグですが・・どうされました?有栖川さん?」
 耳に届く声が何だかひどく遠い様な感じがした。
「え・・・あ・・すみ・ません・・」
「お顔の色が良くないですね」
「そ・・んな・ことは」
 言いながらも身体がしびれるような感覚にうまく回らない口とクラリとする頭。
 大体空調の効いたこの部屋でじっとりと汗が滲んでくること自体がおかしいと、有栖は小さく眉を寄せた。
 それを見て室生が「大丈夫ですか?水でも持ってきましょうか?」と目の前のソファから立ち上がる。
 夕陽丘のマンション。
 有栖が室生と一緒に自分の部屋にいるのは、単なる成り行きというよりも有栖自身の思いつきだった。
 火村と別れて愛車の「青い鳥」を走らせていた有栖の元に再び室生からの電話が入ったのだ…
 
“すみません。たびたび申し訳ありません室生です。実は研究室の方が都合で使えなくなりまして、こちらに来ていただいておいて申し訳ないのですが、先に寺の方に行ってそれから何処か場所を見つけてお話をすると言うことで構いませんでしょうか?”
「はぁ・・それは構いませんけど、向こうの方に行ってどこか話をするところがあるんですか?」
“特には・・。まぁ、寺の本堂をお借りするか、どこか適当な店に入るか・・”  
「それやったらうちに来ませんか?今は締め切り前やないからそんなにひどい状況にもなってませんし、それにほら、お寺の方も遠くないし」
“よろしいんですか?”
「室生さんさえそれでよろしければ」
 笑ってそう言った有栖の耳におそらく柔らかな微笑みを浮かべているのだろう室生の声が響く。
“では、お伺いさせていただきます”  
 
 こうして寺を経由して自宅に室生を連れてきたのが一時間ほど前の事だった。
 それから約束だったドラッグの話を聞いていて・・・身体がおかしくなった。
「有栖川さん、お水です。何かにあたったのかなぁ・・本堂で戴いたお菓子は私も食べましたしねぇ。医者に行かれますか?」
「いえ・・そんな大げさな・・大丈夫です」
 心配げな室生に有栖は首を横に振る。
「そうですか?・・腹痛ですか?」
「・・・いえ・・そういうのとは・・」
「気持ちが悪いとかは?」
「そういうのともちゃう・・こう・・身体が痺れるような感じで・・」
「痺れる?・・
「・・それと・・なんや考えがうまく・・」
「・・・そうですか・・暑さ負けかもしれませんね。急に暑くなったから。そうや、暑気あたりのクスリがあるのでそれでも飲まれますか?」
 言いながら鞄の中から取り出された薬。
 白いカプセルのそれを2つ有栖に手渡すと室生は穏やかな微笑みを浮かべた。
「色々連れ回してしまったせいかもしれません。私は今日はこれで帰りますので薬を飲んだら休んでください」
「え・・でもそれは」
「構いませんよ。お話は又いつでも出来ますし、それに夏風邪を馬鹿にしたらいけません。早いうちにちゃんと休むのが一番ですから」
「・・なんや室生さんはお医者様みたいやなぁ」
「昔はね、そちらの道も考えたことがあるんですよ」
「・・へぇ・・でも似合うと思う。室生さんが医者やったら・・私もこんなには医者嫌いになってないと・・思うなぁ」
 フワリと笑った有栖に室生はもう一度ニコリと笑って薬を飲むように有栖に勧めた。
 そして、注いできた水で有栖が薬を飲むのを確かめて又小さく笑う。
「いかがですか?」
「・・え?」
「多分痺れはすぐに取れると思いますよ」
「・・・そんなに早く効く薬なんですか?」
 カプセルなのにというような有栖の問いに室生は笑みを浮かべたまま何処か楽しげに口を開いた。
「というよりも、痺れる方はそれ程多くの量ではありませんでしたから。勿論非合法のものではありませんよ。もっとも日本ではまだ認可の下りていない類の神経剤ですが」
「・・・室生・さん・?」
 何を言われているのか、判らないと言ったような有栖に室生は更に言葉を続ける。
「有栖川さんも推理小説作家なんやから、もう少し気を付けないと。コーヒーおいしかったでしょう?」
「コーヒー・・?」
「そう」
 短く答えて、室生はじっとりと額に汗を浮かべている有栖を見つめて薄く嗤った。
 ジワリと有栖の胸の中に何か得体の知れないものが広がっていく。
「・・本当はね、有栖川さんが試してみたいって言うてたカンタレラを飲ませてあげたかったんですけどね、生憎調合が今ひとつ判らなかったんです。せやから眠り薬の方にしようかとも思ったんですけど、それはちょっと今回の意図と違ってしまうし有栖川さん植物の方に興味がおありのようやからちょっと変わったものにしてみました」
「・・変わった・・・」
 クスクスと笑う室生に有栖は背中をつぅーっと冷たいものが流れていくのを感じていた。
 一体目の前にいるこの男は誰なのだろう?
 室生の顔をした全く違う人間なのではないか。
 そんな気にさせられて有栖はヒクリと顔を引きつらせた。
「どうしてこんな事をされるのかって顔をしていますね。でもそれは貴方自身が考えなければならない。あいつについても、彼女についても・・・貴方が何をしたのか。そしてあの男が・・・・」
「・・あの・・男・・?」
 無感情を装うような室生の言葉に唯一の引っかかりを感じて有栖は思わず言葉を繰り返した。 
 それに室生は銀縁眼鏡の奥で小さな笑みを浮かべる。
「そう。それが大きなヒントです。だから貴方を殺してしまうわけにはいかない。ほら・・・もうそろそろ効いてきましたか?」
「・・・・え・・」
「痺れはなくなった代わりに少し身体が熱くなってきたでしょう?同じようなカプセルでも溶ける時間が違うものを使うたから」
「・・・・・」
「古今東西媚薬と言われるものは色々とありますがその中でも医学的にも効果が認められているのがヨヒンベという木の樹皮から作る様々な製品です。今回はそれを塩酸塩の形で精製したヨヒンビンを使いました。勿論有栖川さんにはそれだけではなく私が特別にブレンドさせて貰いました。イボガの根皮や以前お話ししたストリキニーネも入っているんですよ。でも安心してください。毒として作用するような量ではありませんから。その他にもペモリンという中枢神経刺激薬など色々とね・・」
「・・・・媚薬・・・・なんで・・」
 先程とは又違う、ねっとりとするような汗が全身から噴き出してくるような感覚に有栖は室生を見つめた。
「言うたでしょう?死んでしまっては困るんです。そして何も考えずに眠ってしまうのもつまらない。ある意味苦しんで貰わないと意味がないんです。貴方にも、あの男にも。多分ね、考える時間は結構あると思います。ゆっくり、しっかり考えてください。知らなかったと言う事も罪になるのだと私は思います。」
 判決を下すようにそう告げて、室生は有栖の腕を取ると鞄の中から取り出した布製の紐で後ろ手に緩く拘束してその身体を座っていたソファの上に転がした。
「さて、それではこれで私は帰ります。後もう少ししたら貴方の地獄が始まります。冷房は消していきますね。その方がセッティングとして効果的なので。心配しなくても適当な時点で助けがくるでしょうからそれまでの間に答えを探してください。貴方が正しい答えを見つけられたら後日ご褒美を贈りますよ。ああ、そうそう今回服用したヨヒンビンはLSDと同じサイケデリックスの様な知覚変化を伴う意識拡張作用があるので面白い夢も見られるかもしれませんよ」
 楽しげにそう告げて室生はドアに向かって歩き出した。
 ピッとエアコンが切れる音がする。
 ウィンと軽い唸りを上げて止まった途端、部屋の温度が上がってゆく気がしてソファの上で小さく身じろいだ有栖の耳に室生の「さようなら」という小さな声が聞こえた・・・・。


ああ・・ついに・・・(笑)
出てきたお薬は勿論本当にあるものですが、中々手には入りにくいとか。飲んでみたいとも思いませんが・・・