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Greendays 9


 鳴り響く電話の音とどこかピリピリとした空気が流れる室内。   
 そこからパッと飛び出してきた若い刑事は、上司に言いつけられていたのだろう、火村の姿を見つけると小さく手を挙げて別室へと案内をした。
「今班長たちが参りますので少々お待ち下さい。それまでに今現在で判っている情報をお伝えします」
 アルマーニのスーツをトレードマークにしている捜査一課の森下は言いながらバラバラと手帳を捲った。
「まず、先程ご連絡を入れた通り室生が石田と皆川有希恵のお骨を預けていたのは東大阪市高井田西にある相眞寺という寺で、確かに1時過ぎに有栖川さんらしい男と二人で訪れている事の確認が取れています。火村先生からご指摘のあった二人の交通手段ですが、相眞寺は専用の駐車場のない小さな寺でして、車を使っているのかどうかは定かではありません。一応有栖川さんのご自宅も伺いましたが、帰られている様子はなく、車も地下駐車場に止めてあったと言うことです」
「その後の予定のようなことは言っていなかったのですか?」
「住職は特に何も聞いていないと言うことでした。二人の足取りについては引き続き捜索中で、有栖川さんのご自宅付近には捜査員を張らせています。京都府警への協力については今警部が上のものと相談をしているところです」
 森下はそう言って一度言葉を切った。その目の前で表情を変えずにキャメルを取り出した火村も又、それが現時点では難しい事を感じていた。
「・・次に第一の事件の被害者である神島ですが、室生自身と接点があることが判りました。室生が学生時代にウェイターとしてバイトをしていた店のホステスをしていたのが神島悦子です。その他の詳しい事はまだ判っていませんが、事件の数日前に神島が妙に機嫌が良かったことは幾つかの証言が取れています。そして三番目の岡本ですが、石田との関わりが浮かんできました。石田の働いていた工場の親会社が岡本の勤め先です。まぁよくある話なんですが、子会社の切り捨てですね。岡本は当時の担当者の上司になります。ちなみにその担当は石田自身が殺害をしています」
 森下の言葉に火村はもう一度石田の事件を思い起こしていた。
 それは先程森下が言った通りよくある話が引き金になった事件だった。
 石田篤志という男は小さな下請け工場で働いていた。 しかし不況によって親会社からの受注ストップされてしまう。身寄りのない石田の親代わりにもなっていた雇い主は幾度も金融機関や親会社に足を運ぶがうまくいかずに工場は不渡りを出して閉鎖。しかも保険金も思ったようには出ず、家族は夜逃げ同然で行方も知れず、石田には恩を返す意味で借り入れの保証人となった分の借金が残された。
 石田はその後工場の担当者であった男と、親代わりの人間に不渡りを出させた知人を殺害し、取り立てに来ていた金融業者の殺害に失敗をしている。
 殺害に薬物が使用されていた事と、その使用方法がそう言った方面にかなり知識のある者の犯行として捜査が進められていたのだが、それとは対照的とも言える、何かのレシピを真似たような、それでいて不自然にバタバタとした印象を受ける現場から火村が助言をして石田が逮捕されたのだ。その時に同行していた有栖自身も「何かの小説の現場を再現をしとるみたいや」と漏らしてそれに一役買った。
「あの・・火村先生?」
 黙り込んでしまった火村に森下はおずおずと言ったように声をかけた。
 それに「ああ」と生返事をしてから火村は湯作りと口を開いた。
「石田と皆川と室生の関係はどういうものなのでしょうね」
「・・は?」
 持っていたキャメルにようやく火を点けて白い煙を吐き出した火村の質問に森下は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「あ・・の・・」
「“友人”という事で今まで見逃してしまっていましたが、どういうきっかけでこの3人は“友人”になったんでしょう?」
「・・・・・・」
「・・・小さな下請け工場で働く人間とガーデンデザイナーとして働く女性。そして大学で教鞭をとる者。このうち2人は遺骨を引き取る身寄りもないらしい。何だか不思議な気がするのは私だけでしょうか?」
 上げられた視線に森下は急に厳しい表情を浮かべた。
「班長に報告して調べます」
「お願いします」
「すぐに戻ります」
 ペコリと一礼して飛び出すように部屋から出て行った若い刑事の後ろ姿を見ながら、火村は今自分自身が言った事と森下から告げられた事を頭の中で反芻する。
 過去の室生と接点のあった女。
 石田の犯した事件と関わりのあった男。
 そして先程告げられた皆川と接点のあった弁護士。
 室生がこの事件に関わっている事はほぼ間違いが無いように思えてきた。
 けれどまだ今ひとつ動機が見えてこない。
 そして有栖を連れ去ったのは何の為なのか。
 有栖が火村のフィールドに同行していた事を知っての事なのか。
それならばなぜ火村自身がそのターゲットにならなかったのか。
『毒物なんてぇのは驚くほど身近にあるもんなんやなぁ』 あの時引っかかった有栖の言葉が思い出される。
 そう。『毒』を持った人間がこんなにも近くにまで来ていたというのに判らなかった。そうして、そのまま目の前で行かせてしまった。
 もう幾度も繰り返した後悔の念に、火村は小さく唇を噛み締めた。
 もしも有栖がすでに見慣れてしまったような写真の
被害者たちのようになってしまったら自分は・・・。
『したら9時過ぎに』
 チラリと視線を走らせた腕時計は7時に近い時刻を指していた。
 約束をした時間はにはまだあったが、有栖が室生と訪れたらしい寺を出て消息を絶ってからすでに5時間以上が経過をしていた。外はすでに残照に藍が滲み始めている。もうすぐ夜が訪れる。
「・・・アリス」
 無事でいてくれという言葉を胸の中で祈るように呟いて火村は短くなったキャメルを灰皿に押しつけた。