お気に召すまま

 賭けというものは当たり前だが勝つものと負けるものが居るわけで。
 それでもって大抵勝った者は何かしらの利益を受け、負けた者は何かしらの損またはリスクを負う。
 そうなる事が始めから判っていて尚、賭けをするのは自分が勝者になれると確信していたりするからの事であって・・・・。
「ゴチャゴチャと往生際が悪いぞ、アリス」
 ソファにふんぞり返るようにしてキャメルを燻らせながら人の悪い笑いを浮かべてそう言ったのは英都大学社会学部助教授の火村英生だった。
 その火村にたった今「アリス」と呼ばれたのはこの家の主、推理小説作家の有栖川有栖である。
「・・・・何で負けるんや」
「さぁな」
「君が呪いでもかけたんや」
「おいおい、人の事を黒魔術師みたいに言うなよ」
「出なきゃおかしいやろ?6対1やで?7回裏で6対1!普通だったら負けないやろう!?」
「勝負は時の運。野球は9回裏まで判らないっていつも誰かさんが言ってる事じゃねぇか」
 その言葉にグッと喉を詰まらせて有栖はフイと顔を背けた。
 ようするにプロ野球のナイターである。
 有栖が応援する阪神タイガースは今期まさに破竹の勢いで勝ち進んでおり、現在セリーグ1位になっていた。
 もう何度聞いたか判らない『今年は違う!』『きっとやってくれる』『絶対に優勝や!!』の台詞にうんざりとなっていた火村は久々に訪れた大阪・夕陽丘のマンションで、恋人をナイター中継にものの見事に奪われた。言いたくはないがまともに会ったのは半月ぶりである。
 ところがインターフォンを押しても出てこない。
 おかしいと思いながら以前渡された合い鍵で入れば家主はソファの所でテレビにかぶりついていた。
 しかも「なんだ居るなら」と言った途端「黙っといてくれ!」である。
 2アウトで3塁に走者の居る4回表、阪神攻撃中の事だった。
 一瞬このまま帰ってやろうかとも思ったが、そうするにはせっかく空けた明日の休日が無駄になる。
 だから火村は勝手知ったる・・・でシャワーを浴び、出てきた時にホームランだと騒いでいる恋人に缶ビールを出してきて自分も飲んで、そうして7回裏。相手の攻撃が終わり6対1ですっかり本日の勝利を確信している有栖に言ったのだ。

『いいのか?そんなに楽観的に勝ったなんて思っていると落とし穴があるかもしれないぜ?』
『何やと!?嫌なヤツやな。でもまぁ、今年のタイガースは今までのタイガースとは違うんや。寛大な心でその暴言を許したる』
『へぇ・・・・・。確かその台詞は数年前にも聞いた気がするけどな』
『やかましい!一々突っかかって。6対1やで?負ける筈がないやろ?』
『ふーん・・・。じゃあ賭けるか?』
『賭け?』
『ああ、今日の試合。このまま阪神が勝ったらお前の好きな事を聞いてやるよ。でも万が一負けたら俺の言う事を聞く。どうだ?』
『その賭けのった!』
 結果は8回で6対3に詰め寄られた阪神が9回表でまさかの満塁ホームランをくらい逆転サヨナラゲームとなった。

「さてと、じゃあ何をして貰うかな」
「・・・・・・・た・高いものは勘弁してくれ」
「バーカ。お前の懐具合は判ってるさ。勿論そんな無茶な事は言わない」
 『俺は優しいから』と嘯く男に有栖は胸の中で『優しいなら賭けをチャラにしてくれ』と呟いていた。何と言っても勝てると思っていたゲームで応援していたチームがサヨナラ負けをしたのだ。賭けに負けた事を抜かしてもやはりそれなりにショックなのだ。
「それじやあ、まぁ無難に相手でもして貰うかな」
「相手って・・」
「そりゃあ決まっているだろう?なんて言っても2週間ぶりであったってぇのに誰かさんはナイターに夢中ときた。その意趣返しだ。勿論普通じゃつまらないよな。賭けに勝ったご褒美なんだから」
 ニヤニヤと笑いながらキャメルに火を点けた火村に有栖はもの凄い勢いで顔を顰めた。
「・・・・・普通じゃないのって何や。嫌やで俺はおかしな事は」
「別におかしな事なんかじゃないさ。生憎こんな予定はなかったから何もないし」
「・・・・・・・・・・・・・」
 それでは予定をしていたら何を用意されたというのだろう。
 恐い考えにヒクリと顔を引きつらせて有栖は座っていたソファの上で身を縮こませた。
 それを見て火村が少しだけ眉を寄せる。
「おい、何引いてんだよ」
「君が引くような事言うからやろ」
「まだ何にも言ってねぇだろ」
「言った・・・って言うか言われた気がした」
「そりゃ又想像力豊かだな。じゃあお前の頭の中にあるプランを出せよ。それにしようぜ?」
「い・・・いやや」
「へぇ、そんなに嫌な事のか。ますます気になるな」
「ち・ちゃう!!別に・・君が普通やないとか何もないとか言うから」
「何だよ、何か道具が欲しかったのか?」
「欲しくない!!!いらん。絶対にいらんからな!!!」
 ブンブンと首を横に振る有栖に「今度買ってきてやるよ」とこれまた嬉しそうに口にして火村はフワリと白い煙を吐き出してね灰皿の上に長くなった灰をトンと落とした。
「で・・・とりあえず今日はそんなもんはないから、誰かさんのリクエストも交えて普通に・・・」
「・・・・・・」
 ほっとついた息。けれど勿論それで済まされるわけはないのだ。
「俺の言う通りにするって言うのはどうだ?」
「・・・は・・・?」
 言われた言葉が理解できない。
「言う通り・・・」
「そう。言われた通りにする。お前に拒否権はない」
「!い、嫌や!!」
 ようやくどういう意味のものなのか、それでいいと言ったらどうなってしまうのか想像が出来て有栖はブンブンと首を横に振った。
 大体普段の時にでも有栖にとってはとんでもないと思うことを言うこの男がここぞとばかりに何を要求してくるのか。恐ろしすぎる。
「絶対嫌や!俺はまだ死にとうない!」
「・・・・・・・・・随分また過大な評価をしてくれてるみたいじゃねぇか」
 ヒクリと引きつるように、それでも笑いを浮かべている火村を見て有栖はソファの上を又ジリリと平行移動して又少し向かい側から距離を取る。
「どんなにジリジリ引いても無駄だ。賭けに乗ったのはお前で、賭けに負けたのもお前なんだから」
「・・・・でも嫌や・・・」
 フルフルと首を横に振る有栖に火村はキャメルを灰皿の上に押しつけた。
「あのなぁ・・そんなに無茶するつもりはないけどあんまり煽ると容赦ないぞ」
「でも・・でも・・嫌や・・・」
 訪れた沈黙。涙目で訴える有栖に負けたのはやはりここぞと言う時に恋人に弱い火村だった。
「わかった、じゃあこうしよう。俺の言う通りじゃなくてお前の言う通りにする。それならいいだろう?」
「俺の?」
「そう。それならお前がどんな事を想像してくれたのか知らないが、そんな目に遭う事はない」
「・・・・・・・・・・」
「まぁそのうちにどんな想像をしたのかはぜひ聞かせて貰いたいがな」
「・・・遠慮しておく」
「それで、どうするんだ?」
 言いながら火村は真っ直ぐに有栖の顔を見つめた。
「えっと・・・・」
「俺の言う通りにするのか、お前の言う通りにするのか」
「・・・・・・・・・・俺の言う通りで「今回はなし」とか」
 ははっと力無い笑いを浮かべながらの有栖の言葉に火村は「却下」とにべもなく言った。
「早くしないとこのまま寝室に連れ込むぞ」
「・・・・・じゃあ・・・俺の言う通りで」
「わかった」
 勿論この後、有栖は自分の選択を死ぬほど後悔する事になる。



ははは・・・どこがすっごい裏って・・・。続き出来ましたけど見てみます?