「は…なんやて?」
「…いや…その…」
居酒屋から落ち着いた雰囲気のバーに場所を移して有栖は目の前の友人の話に思わず言葉を失ってしまった。
「…驚く…よな…やっぱり…すまん」
久しぶりに会った友人はすまなそうな情けなさそうな顔をして小さく俯いてしまった。それを見て有栖は慌てて口を開く。
「いや…すまん。驚いたには驚いたけど、別にそれでどうこうは思わんよ」
「有栖川…」
「ほんまに…うん…好きなのに変わりはないやん」
「…うん。こんな話、誰にも出来なくて、こんな久しぶりにあったお前に話すなんてどうかと思うたんやけどお前ならちゃんと
聞いてくれそうな気がして…すまなかったな」「いや。その…聞くだけで役に立つかどうかは判らんけどな」
有栖の言葉に男は小さく笑って水割りの入ったグラスを傾けた。
男は有栖の高校時代の友人だった。明るくて誰にでも好かれる、クラスの中でも中心にいるような男だった。
同じクラスになったのは2年と3年。確か生徒会の役員も行っていたように思う。特に親友と言うわけではなかったが、それ
でもよく話はした方だと思う。お互いの共通点がミステリー好きと言う事で何の新刊が出たと言っては話題に上らせていた。卒業間近だっただろうか、有栖の顔を見て「もう読んだか?」と声をかけてきた彼とひとしきりその話をした後、有栖はいつ
かこんな話が書けたらいいなと夢のような事を言った。まだその時には明確に作家になりたい等とは考えていなかった。
けれど口から零れ落ちたその言葉に「頑張れよ」と言ったのもこの男だ。だから卒業後全くすれ違っていても、こんな風に話
をしようという事になったのかもしれない。もっともその内容がこういうものだとは思ってもみなかったが。「…優しいな、有栖川は」
「西尾?」
「突然会って、飲みに付き合ってくれて、こんな話を聞かされても驚いただけで済ませてくれる」
「おい、酔っとるんか?」
「いや…ああ、でも少し酔っているのかもしれないな」
「…西尾」
「忘れてくれな。誰かに話したかっただけなんや。こんなん誰にも話されへんから。何でも話してええって言うてくれたからちょ
っと肩から力が抜けただけや」まるで自分自身に言い聞かせているような西尾の言葉に有栖は何かを言いかけて結局目の前のグラスに手を伸ばした。
確かに今現在の西尾を知っている者にこんな話は出来ないだろう。卒業をして全く交流のなかった有栖だからこそ彼自身がつけて
いた『戒め』が外れたのだろう。喉の奥をチリリと焼けるような熱と苦みを残して落ちてゆく濃いめの水割り。
西尾の話は恋愛問題だった。
しかもその相手は男だ。
ふいに脳裏に浮かぶ火村の顔。それを振り払うようにして小さな丸テーブルの上にグラスを置く。
「…それで…その…西尾はどうしたいんや?」
「どうって?」
「…相手は別れたいって言うとるんか?」
「…どうしたらええか聞かれただけや」
「それで?」
「俺に何が言えるんや?自分で考えて好きにしたらええって言うた」
「相手は?」
「そうかって」
再び落ちた沈黙。空になったグラスをしばらく手の中で弄ぶようにして西尾はゆっくりと口を開いた。
「……元々無理な話やったんや。男同士なんてリスクが大きいだけで何の保証もないもんなぁ」
「……」
西尾の言う『保証』というのはおそらく『結婚』の事を意味しているのだろう。有栖は自分の胸が少しだけ痛んだような気が
した。「で、それでええんか?」
「…有栖川?」
「相手が「そうか」って言うてこのまま別れる事になって、自分の知らない所で、知らない相手と結婚して、それでええんやな?」
「……じゃあ、どないせぇっちゅうや!」
いきなり上がった声に小さな店内の視線が端のテーブルに一斉に注がれた。カウンターの中からもバーテンが眉を寄せてこちら
を見ている。その視線に「すまん」と声を出した西尾の肩越しにペコリと頭を下げて有栖は目の前の男の肩をポンポンと叩いた。
「こっちも悪かった。何やお前の話聞いてたら身につまされてきて…」
「有栖川?」
俯き加減のまま、目だけを上に向けて問い掛けてくる同級生に有栖は一瞬だけ考えるようにして次の瞬間ほぉと小さく息をついた。
「……俺も、付き合うてる奴がいる」
「……え…?」
「好きだって言われて、好きだって応えた」
「…有栖川…何を…」
「お前の話は他人事の様な気がしない。俺の言っている意味判るか?」
驚いたように見開かれた瞳が信じられないと語りながら有栖を映していた。その瞳に小さく肩を竦めるようにして微笑って見せて
有栖は小さく口を開いた。「なぁ…これはあくまでも俺の推測なんやけど、どうしたらいいか相談してきたって事はお前にやめろって言って欲しかったからや
ないのかなぁ。なんや話聞いとったらちょっとそんな気がした」「…有栖川?」
「こんなんほんまは試すようで好きやないけど、言うててほしい気持ちも判る気がする。それなのに肝心なお前に好きにしろって言
われたら相当ショックや。俺なら今頃そんなには好かれてなかったのかもしれへんとか、自分の独り相撲だったんかとか、今のお前
以上にへこんどるな」「…ほ…ほんまなんか…?その…付き合うてるって言うの」
西尾のまだ半分信じられないというような問いに有栖は再び笑みを浮かべた。
「そんなん嘘言うてどうなるよ。お前がカミングアウトしたから俺もカミングアウトしたんやで?」「信じられへん…」
「やかましい、こっちだってそう思ったわ」
訪れた沈黙。
そして次の瞬間、有栖と西尾は二人同時に吹き出した。
「……ああ…まさかこんな所でこんな展開になるとは思わなかった」
「アホ、俺かて同じや」
しばらく止まらない笑いの中で、西尾はカウンターの中に向かって「同じの」と水割りを注文した。
「おい…」
「ああ、平気や。なんやおかしくて、気が軽くなった」
ほどなくして運ばれてきた水割り。ウェイターが行ってしまうと有栖はそっと切り出した。
「とにかく、別れるにしても別れないにしてももう一度話してみろよ」
「……ああ」
「俺は自分がどうしたいのか言わないで相手に決めろっていうのは卑怯だと思う。重荷になるかならないかは相手が決める事でそれは
思いやりでも何でもない。ただの欺瞞や」「…きついな」
クシャリと顔を歪めた西尾に有栖は「正直者って言うてくれ」と返した。
「まぁ…失恋したら一緒に酒を飲んで話を聞いてくれる相手がいるってだけでも心強いやろ?」
「…ああ…ああそうだな」
「でも、俺もそうなったらお前と同じ事考えるかもしれへんな」
「有栖川?」
カランとグラスの中で氷が音を立てる。
「相手の為にならんとか、邪魔になるとか考えるかもしれん」
有栖の言葉に西尾は少しだけ考えるようにして持っていたグラスをテーブルに置いた。
「………なぁ、一つだけ同類と言う事で聞いていいか?」
「何や?」
「…お前…その…タチやなくてネコなんか?」
「は…?」
「いや…話を聞いてて…その…何となく俺とは逆かなって…そんな気が…いや…あの」
何度目かの沈黙が二人の間に落ちた。
「あー…立ち入った事を聞いて…」
「…西尾」
「…何や」
「…それって何?」
「!?」
数秒後、真っ赤な顔をしてスツールを倒した有栖は再び店内の注目の的となった。
えっとアリスって妙なところで知識欠落している感じしません?
区切りが悪くて短くてすみません。