片戀

 ふと気付くとその人の姿を目で探している自分に気付く。
 視界の中にいるとフワリと胸の辺りが暖かくなって少しでも長くいたいと思う。
 笑ってくれれば嬉しいし、うまく話が出来なかった時は淋しい。
 そして何よりも「またな」と背中を向けられる時は、ひどく、ひどく切なくなる。
 こんな気持ちを何と呼ぶのか。
 一生懸命に考えて引き当てた答えに驚いて、もう一度、二度、三度・・・・・考えて、考えて、考えて出した答えは、けれどやっぱり最初のそれと変わりがなかった。

  この気持ちは、恋だ。

  僕、有栖川有栖は、7つ年上の先輩、江神二郎に恋をしていた−−−−−−・・・


 京都のど真ん中。
 御所の目の前にある僕等の学舎、英都大学。
 その学生会館の2階にあるラウンジに僕は急いでいた。
 部室を持たない僕たち推理小説研究会は、このラウンジの一番奥のベランダに面したテーブルに集まる事が多い。
 今日も今日とでトントンと階段を駆け上がり目指す場所に視線を向けるとはたしてそこにはすでに3人の先輩達が座っていた。
 経済学部2回生の望月周平と同学部同学年の織田光次郎。そして文学部4回生の江神二郎。
 紙コップのコーヒーを目の前に望月が何かを言っているその姿は珍しい物ではなく、むしろありふれた光景だった。
 今日は何を話しているのだろうか。そんな気持ちで近づいた僕の耳にいきなり飛び込んできた言葉。
「お願いしますよー、会うだけでいいんです」
「!?」
「俺の顔を立てると思って」
 いったい何の話なのか。何となく胸の中に湧き上がる嫌な気持ちを抑えつつ僕はペコリと頭を下げて3人のテーブルに近づいた。
「こんにちわ。いったい何の話ですか?」
「ああ、アリスか。講義は終わったんか?」
 まず口を開いたのは空のコップを手の中で弄んでいた織田だった。
「ええ、後は午後のラストに入っているんですけど」
 いいながら僕は空いていた席に腰を下ろした。それを見計らうようにして目の前の望月が再び口を開いた。
「江神さーん・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
 フワリと揺れる紫煙。
「何の・・・・話ですか?」
 繰り返した僕の問いに、けれど答えたのは又しても織田だった。
「モチの奴がな、やっかいな頼まれ事をしてきたんや」
「頼まれ事?」
 僕の言葉に望月がひどく情けない表情を浮かべて顔を向けた。
「ノートを借りたんや」
「は?ノートですか?江神さんから?」
「アホ。文学部の部長からノートを借りてどないするんや」
「はぁ・・・・・」
 それならば誰から、何のノートを借りたのか。その答えはすぐに望月本人の口から出た。
「ほとんど同じ講義を取っているヤツ・・ああいや・・女性やねんけど、その子にノートを借りたんや。貸してくれるって言うから」
「女性って・・・モチさんの友達ですか?」
「友達って言うよりも顔見知り程度やな。必修科目やったから誰かに借りようと思うたらどいつもこいつもまともにとってへんねん。俺は毎週毎週きちんきちんと出てたんやで。たまたま先週用事があって出られんかったからその回だけノートを貸してくれって言うそれが出来ひんのや!!」
 横に座る織田をキッと睨みつけて望月は視線を戻した。
「そしたらそのやりとりを聞いていた彼女が貸してやる言うてくれたんや。で、礼を言うて借りたら後からとんでもないおまけが付いてきた」
「・・・・・・・・・・・・・・お金とか?」
「・・・・まだその方がマシや・・・・・」
 それではいったい何なのだろう?
 頭の中でグルグルと回り始めた思考に「こればっかりは思いつかん答えや」と溜め息をついて望月はガックリと肩を落とした。
「・・・紹介して欲しいって言われたんや」
「紹介?・・・・・・何の?」
「何のって・・・・・」
 落ちた沈黙。
 僕の胸の中に先程感じた嫌な気持ちが再びジワリと湧き上がってきた。
 隣に座った江神さんは何も言わないまま、ただキャビンをふかしている。
「・・・せやから・・・“ノートを貸した代わりって言うたら何やけど紹介して欲しい人が居るの。望月君がその人と学生会館で話をしているのを何度か見かけて、ちょっと話がしてみたいなぁって。勿論紹介してくれるだけでええから”」
「・・・・・・・・・・・」
 多分それがその彼女自身の言葉なのだろう。その言葉を受けるように織田が続けて口を開いた。
「でな、こいついきなりここに連れてきて友人の××ですって言う。それはちょっと不味いんやないかって言うたんや」
「せやかてしゃあないやん。紹介するだけでええって言うんやから」
「だから、それが江神さんに迷惑になるんやって。紹介するだけでええって事は後は自分でモーションかけるからほっといてくれってそういう事やろ?とにかく断ってこい。大体そんな女紹介するなんてお前サイテーやで」
「別に俺は江神さんにその子と付き合うてくれって頼んだわけやない」
「当たり前や!」
「そないな事言うたかて、大体お前等がちゃんとノートを取っておいたらこんな事にはなんかったんや」
「自分の軽率さを人のせいにするな」
 突然始まった経済学部コンビの言い合いに、けれど僕はそれどころではない状態に陥っていた。
 今、望月はなんて言ったのだろうか?
 紹介して欲しい?
 江神さんを?
 と言う事は、どこかの、誰かが、江神さんに好意を抱いている????
「−−−−−−−−−!!」
 瞬間ドクンと鳴った鼓動。
「・・・・江神さん・・・?」
 怖ず怖ずと声を出して顔を向けた僕にようやく振り向いてくれた顔は何だかひどく困ったような、どこか複雑そうな表情を浮かべていた。
「あ・・・の・・・・」
 小さく開いた口。けれどそれ以上何を言っていいのか判らなくなってしまった僕に江神さんは短くなったキャビンを灰皿に押しつけて白い煙を吐き出した。
「他の人間に迷惑や。モチ、信長、ええ加減にせい」
 その言葉に二人はピタリと言い合いを止めた。
 途端に訪れた気まずい沈黙と、次いで聞こえてきた呆れたような溜め息。そして・・・・。
「アリス」
「あ・・はい!」
「この前言うてた本、手に入ったから都合のいい時に声をかけてくれ」
「は・・・い」
 突然の話題転換に肩すかしを食らったような気がしたのは僕だけではなかったようだった。
 目の前に座る経済学部コンビの眉が小さく寄せられるのを僕は目の端で捉えて再び江神さんを見る。
 途端に聞こえてきた2度目の溜め息。
「あ・・・の・・」
「会うだけな」
「え・・・」
「会って、名乗ってよろしくって言うたらそれで終わりや。それでええんやな?」
「!!!!」
「あ・ありがとうございます!!!」
 涙を零さんばかりの表情で頭を下げた望月に江神さんが小さく苦笑した。
「全く・・・・・どこがどう気に入られたんやろな」
 ポツリと零れたその言葉に僕は自分の胸がギリギリと痛み出すのを感じていた。
「ほんなら俺はこれでバイトに行くから」
 ガタリと立ち上がった江神さんに望月はもう一度ペコリと頭を下げて「すみませんでした」と口にした。
 それにフワリと浮かぶ見慣れた微笑み。
「じゃあ、またな」
 向けられた背中。
「・・はぁ・・・ほんまに良かった。いきなり連れてきたら二度と部長の顔を拝めんとこやった」
「当たり前や、頼まれてもいないのに女の紹介をするなんて」
「紹介したくてするんやない!!」
 再び始まった二人のやりとりに今度はひどく頭が痛み出して僕は思わず椅子から立ち上がった。
「・・帰ります」
「え?アリス?今来たばっかりやないか」
「でも帰ります」
「・・せやけど、午後の講義はどないするんや?」
「帰る。帰ります」
 怒鳴るようにそう口にして、思わず目の前の望月を睨みつけてしまってから、僕は慌ててその視線を外してペコリと頭を下げた。
「・・お先に失礼します」
「お・・・おぅ・・・」
「気ぃつけてな・・・・」
 その言葉をすでに背中で聞きながら、ツンと痛む鼻の奥と、ジワリと熱くなる瞼を騙すようにして僕はラウンジを飛び出して、階段を駆け下り、そのまま外に飛び出す。
「・・・最悪や・・・」
 午後の日差しがひどく目に痛い。
 広がる苦い思いに眉を顰めてザカザカと足早に駅に向かって歩き始めた僕は、その頃望月が「何や俺・・睨まれた気がするんやけど・・」と茫然としたように呟いていた事など知る由もなかった。


 えーっと・・・2周年記念の時にかいた話です。
江神さんが何だか若い??