片戀3

 もうしばらく会わないと決めた筈なのに、僕は今必死に江神さんを捜していた。
 学生会館、図書館、中庭、文学部棟、その裏手の庭、食堂、行きつけの喫茶店・・・・・。
 けれどどこにもその姿を見つける事が出来ない。
 それはまるで逃げていた自分への仕返しようで、僕はチクリと痛む胸を押さえた。
 偶然会えた日から3日。
 これも又偶然会った織田から僕はとんでもない事を聞いたのだ。
『江神さんな、好きな奴が居るって言うたんやて』
その瞬間ハンマーで頭を思い切り殴られたような気がした。何がどうしてどうなったのか、言葉を失ってしまった僕に『驚きやろう?』問いって織田は『さっきモチから聞いたんや』と補足をしつつ、僕があれ程聞きたくないと思っていたその話の経緯を彼の知る範囲で語ってくれた−−−−−−−−。

「モチの奴が例の女を連れてきたのがあれから2日後でな。流石に部長と二人で会わせるのはどこぞのお見合いババァみたいで嫌やとモチが言うて、ほんならサークルの人間がみんないても構わないって事になったらしくてラウンジの方に来たんや。で、お前が来ぃひんかったから結局部外者は俺だけやってんけど、お互いに挨拶してな、彼女の方も「無理にお願いしてごめんなさい」とか言うて。まぁ、結構可愛らしい感じの子やったな。それで何やかんやとしばらく話をしていったんや。ミステリーもアガサとかポーとかそういうメジャなものは読んでいて、ああ、あと文学部に友達がいるとか言うて江神さんと教授の話をして・・・で、最後に「又来てもいいですか?」って言うて・・・」
 どこまでも続いてしまいそうな話を僕は苦い思いを噛み締めて聞いていた。大雑把な言葉の羅列だけでも判ってしまうその時の上記酔うと雰囲気にやはり居なくて良かったという思いと、反対にどんな風に思われても目の前でガンを飛ばしてやれば良かったという思いが頭の中でグルグルと回る。
「で・・その後2回位顔を出して、部長も適当にあしらってて。でな、言うたらしいんや、昨日。江神さんが一人でいるのを見て『もしも今付き合うている人がいないんやったら付き合うてほしい』って」
「・・・・・・・・・」
 ズキンと痛む胸。
 吐き気がするほどの嫌悪感。
 けれど・・・と僕は思う。
 けれど彼女は勇気がある。彼女は好きだという自分の気持ちから逃げなかった。
「・・・・・・・・・それで・・・その・・・江神さんが・・・・好きな奴が・・って言うたんですか?」
 僕の声は少し震えていたかもしれない。
「え?ああ。モチが今朝彼女本人から聞いたんやから確かやで。「玉砕しちゃった。好きな奴がいるんやって言われてしもうたの。無理言ってゴメンね」悲しそうやけど結構サバサバしてたって。女って凄いな」
 オチはそれか・・・というような織田の言葉に僕は何も言えなかった。
 もしも自分だったらそんな事は言えない。僕は彼女のようには出来ない。
「けどほんまかなぁ?」
「・・え?」
「江神さんの好きな人」
「・・・・・・・・・・・・・」
「あんまりそんな事言うタイプには見えへんけど、ただの方便ってヤツなんかなぁ」
独り言めいた織田の言葉。それにも僕は返す言葉を持たなかった。
 そうして講義が入っているのだという織田と別れて僕はほとんど衝動的と言う勢いで江神さんを捜し始めたのだった−−−−−−−・・・。

 勿論捜してどうするという事は何も考えていなかった。
 ただ無性に顔が見たかったのだ。
『好きな奴が居るんや』
 人づてに聞いた言葉が江神さん自身の声になって頭の中に響く。
 本当なのだろうか?本当に・・・・そうなのだろうか。
 そうしたら僕はどうすればいいのだろう。
“好きです”
 それは元々言えない・・・言う気のない言葉だった。でも、だけど、誰かを好きだという彼をこの言葉を抱えたまま見つめてゆくのは辛い。
 一体それは誰なのか。
 江神さんは自分の気持ちをその人間に伝えるつもりはないのだろうか。
 それとももう伝えているのだろうか。
 いつか・・・そう、いつか・・好きな人を歩く江神さんを見る日が来るのだろうか。そうしたら最優先はその人間のものになり、そのうち今のこの状態のように僕は、顔を見て、声を聞いて、側にいる事が叶わなくなってしまうのだろうか。
「・・嫌や・・・」
 でも・・・・
「言えへん」
 言った後で彼女と同じ言葉を聞かされたらきっと狂ってしまう。
「・・・江神さん・・・」
 小走りになっていた足を止めて僕は上がっていた息を整えた。
 額にじっとりと滲む汗。
 行きつけの喫茶店から再び大学へと戻る途中視界の端に学生会館が見えて、とりあえずもう一度そこに顔を出してみようと僕は方向を変えて歩き出した。
 けれど快感が近づくにつれ本当に会ってどうしようというのかという気持ちがむくむくと込み上げてきた。
 ずっと彼を見つめてきた。
 この気持ちに気付く前も、気付いてからも、そしてこれからも見つめ続けていたいのだ。
 だから「好きだ」とは言えないと思った。けれど好きだと言わなくても江神さんの瞳は自分ではない誰かに向けられている。それでも僕は彼が好きで、だけど他の誰かを好きな彼を見つめているのは辛いと思って・・
「・・・・・なんか・・もう・・・・滅茶苦茶や・・・・」
 堂々巡りの思考に小さく首を振った途端ポタリと滴が地面に落ちた。
「!?」
 そうしてそれは一つ落ちるとパタパタと続けて落ち始める。
 奇妙に熱い自分の目にそれが涙なのだと気付いて僕はクシャリと顔を歪める。
 会いたい、会いたい、会いたい・・・・・・
 頭の中で回る思い。
 けれど会っても何一つ出来ない自分がここにいる。
 彼に思いを打ち明ける事も、本当に好きな人がいるのかと問い掛ける事も何も出来ない。
 ただこんな風に泣いて嫌だと駄々をこねている事しか出来ない。
「・・・・・・・・」
 クラリと目眩がした。
 あまりにも子供で、身勝手で、みっともなくて、浅ましいと思った。
 どうしてこんな事になってしまったのだろう。
 ただ僕は彼の隣にいたかっただけなのに、そうしてあの微笑みを向けて貰えれば良かった筈だったのに。
「・・・・ふ・・・・」
 好きだなんて気付かなければ良かった。
 そうすれば彼が誰を好きになっても気にならなかった。
 でもそう思う側から好きだと気付かなければ本当に気にならなかっただろうかと僕の中で僕が問う。本当に僕は・・・・・・・・
「アリス!」
 声と同時にいきなりグイッと手を引かれて僕はヨロヨロと2.3歩よろけて何かに当たった。
 そうして次の瞬間、当たったそれが僕の身体をしっかりと支えるのが判った。
「アリス!?判るか?具合が悪いんか?どないしたんや?」
「・・・・・え・・・がみさん・・・」 
 必死に捜して、会いたくて会いたくて、そして会うのが恐かった人がそこに居た。
「そうや。判るか?気分が悪いんか?どないしたんや?」
 立て続けの質問に僕は小さく顔を歪めて彼の顔をから視線を外す。それに江神さんも又眉間に小さく皺を寄せた。
「どこかに座ろう。歩けるか?おぶって行くか?」
 引き寄せられたままひどく間近でそう問い掛けられて僕は小さく首を横に振った。
「アリス?」
 名前を呼んで覗き込まれた顔。
 こんなみっともない顔を見ないで欲しい。そんな気持ちで身体を捻ると支えてくれた手に一瞬だけ抱きしめられた・・気がした。
「・・江神さ・・・」
「・・・・タクシーを拾うから下宿に行こう。流石にお前の家までは送って行かれへんからな」
「・・・平気です」
「なら、おぶって行くのと、肩を貸すのとどっちがいい?」
 すでに下宿に行く事が前提になっているその問い掛けに、僕はどうすればいいのか何一つ答えを持たないまま「タクシーにしてください」と小さく口を開いていた。


はぁ・・・。ようやく“承”が終わったって言う感じかな。次回は一気に・・・・(;^^)ヘ..