Magicalmirror or Kitten!! 11

   

『友達も飼えないって言うから学校の近くの公園に、ダンボールの箱にエサを入れて、拾ってくださいって。ごめんなさい、おじさんが飼っている猫だとは思わなかったの』 八百屋経由で家主から教えられた子どもの家に訪ねていくと、すでに八百屋のおかみから事の次第を聞いていたらしく「すみません」と謝る母親の隣で小学3.4年生位の少女は半分泣きながらそう言った。
 それに騒がせて済まなかったと礼を言って、火村は教えられた公園へと向かっていた。
 時間はすでに8時を回り、雨は小降りになっていた。
 夕立は思っていた通り雨を残してしまったが、それでも明日は晴れになるらしい。
 有栖が公園に置き去りにされたのは5時近く。すでに3時間以上が経過している。その間大人しくしている人間、もとい、猫ではない。
 恐らく帰る為に移動をしているに違いない。
 辺りを見回しながら火村は少しだけ足を速めた。
 その途端どこかから聞こえてきた犬の声。
 けれど小さな猫の声が聞こえてくる事はなく、夜に包まれた路上にあの小さな姿も見えない。
「・・・・・・」
 脳裏に浮かぶ薄茶色の小さな身体。
 グッと奥歯を噛み締めるようにして、火村は道の反対側に目を走らせた。
 大丈夫、見つかる。必ず有栖は帰ってくる。
 らしくもなく、何より自分自身に言い聞かせるようにしてそこここの生垣の下や電柱の陰を覗きこみながら20分も歩いただろうか。ようやく辿りついた公園に駆け込むと火村は思わず声を上げた。
「アリス!」
 だが、戻ってくる声は思っていた通りない。
 チッと小さく舌打ちをして、火村は今度はゆっくりと探るように公園の中を見回した。
 駄菓子の袋、空いたペットボトル、クシャクシャのスポーツ紙、砂山の残骸・・・そして・・・。
「・・・・・」
 ベンチの脇に転がった、雨に打たれてひしゃげた段ボール。
 よく見れば『ひろってください』という幼い文字が書かれていて、確かにここに有栖がここに居た事を告げていた。
「アリス!」
 たまらずにもう一度その名を口にして火村は諦めきれないように植え込みの中を覗きこんだ。
 だがやはり小さなその姿を見つける事は出来ず、火村は眉を寄せて溜め息を漏らした。半ば予想していたとはいえ、正直に言えばここに居てくれればと思っていたのだ。
 だが、有栖はやはり有栖だった。
「・・ったく・・この貸しは高いぞ、馬鹿アリス」
 呟くようにそう言って、火村はもう一度溜め息をついて踵を返した。
 とにかくこの雨の中を有栖は火村の元に帰る為に移動をしているのだ。多分、きっと、絶対に・・。
 だから今の自分に出来る事は、来た道以外の道を先ほどのように探しながら帰るしかない。
 見つかるまで。
「・・・・・・」
 振りかえった公園の中にポツンと一本立った電燈。それに照らし出されて白く浮かび上がる細かい雨。
 そうして次の瞬間、剥ぎ取るように視線を前に戻して、火村は傘を持ち直すと今度こそ公園を後にした。
 
 
 ・


 
 


 雨が小雨になるのを見計らって有栖は公園を出た。
 夕立の、まさにバケツを引っくり返したようなひどい降りには閉口したが、ある意味それは有栖にとってラッキーな事でもあったのだ。
 ようするに人通りがいっきに少なくなったからである。
 すっかり暗くなった道をとりあえず真っ直ぐに、有栖は緩い坂を下り始めた。
 先刻の激しい雨で濡れた毛を乾かす事も出来ないまま今もこうして小雨の中を歩いている自分は、見る事は出来ないが、おそらく小さな身体は更に小さく、そしてみすぼらしい姿になっているに違いない。
 しかも濡れた地面の上はひどく冷たく、人間の時も雨の道を裸足で歩く等という経験はした事がないので比較にはならないが、何とも心もとのない気がした。
“・・・・道・・あっとるんやろか・・”
 ボソリとそう呟いて有栖はせめてどこかに手がかりでもないかと少し先の電柱を見上げた。
 が、滲んだような街灯の灯りばかりが妙に眩しくて、その光の中に映し出された雨粒が思いがけずに顔に当たり、有栖は渋々と歩き始めた。
(・・・腹減ったなぁ・・・)
 最後に口にしたものはあの少女達がくれたミルクだけだ。ダンボールの中に入れてくれた方は抜け出す時に全て零してしまった。
(・・・・・火村、もう帰ってきとるやろな・・)
 もしかしたら今ごろ探してくれているかもしれない。
『・・なぁ、チビすけ。あいつは生きているよな?・・俺に会いたくないならそれでもいいんだ・・・・それでいいんだ・・・だから・・アリス・・』
 あの時のようにひどくひどく心配しているだろうか。
 そうして探しながら、先刻有栖が考えたように、有栖が猫になってしまったわけを自分との関係のせいかもしれないと思いつめてしまうだろうか。
『・・・アリス』
 何としても帰らなければいけない。
『お前の声を忘れちまいそうだぜ?』
 本当に忘れられないうちに早く彼の元に帰って言わなければいけない。
“・・うわ・・”
 バシャリと跳ね上がった水飛沫。小さな水溜りも今の有栖にとっては池のように思える。
 少しだけ遠回りをして、それを避けると、見えてきた4つ角に有栖はキョロキョロと辺りを見まわした。
 どうにも見覚えはない。
 夜だから・・という事もあるし、見つめる視点がひどく低い事もあって、見覚え以前に全く知らない町のように思えてしまう。朝がくればまた少しは違うと思うのだが、日が昇ってしまえばその分人通りも多くなり、この姿で移動するのは難しくなる。
 だからなんとしても今夜中に辿りつかなければならないのだ。
“・・・とりあえず、もう一つ真っ直ぐ行ってみるか”
 そう呟いて有栖は再び歩き出した。
 京都の街は基本的に碁盤の目のようになっている。よほどどうにもならなければ一角毎に曲がっては進み、見覚えのある景色を探す事にしよう。
“・・・っ・・”
 そう考えた途端どこかから聞こえてきた犬の鳴き声に思わずビクリと身体を震わせて、有栖は次の瞬間、やはり気持ちも猫になっているのかもしれないと小さく笑いを漏らしてしまった。そう・・今の自分の姿で犬に追い駆けられたら大変な事になってしまう。おそらく野良猫とだって同じようなものだろう。
 人間も、犬も、今の自分と同じ猫も。 
(なんだか回り中敵だらけやん・・)
 だがしかし、危険はそれだけではないのだ。
“!!”
 溜め息をついて歩き出した途端、低く唸るように聞こえてきたタイヤの音。驚いて振り向くと視界の中に狭い路地をゆっくりと曲がってくる車が入った。
“!!!”
 ジャリジャリと耳障りな音を立てて通りすぎていく車を塀に縋りつくようにしてやり過ごし有栖は今度こそ大きな大きな溜め息をついた。
“・・・ほんまに今夜中に帰れるんやろか・・・”
 ついつい漏れ落ちた弱気な言葉。
 それでも歩かなければ辿り着かないのだと足を出すと、またしても犬の声が聞こえてくる。
“・・・どうせ聞こえるなら火村の声にしてくれたらええのに”
 小雨は細かい霧のような雨に変わっていた。この分だと今夜中に上がるに違いない。
 再び見えてきた分かれ道。
“・・・・・・”
 全ての元凶なのかもしれないが、今、本当に魔法の鏡があったらいいのにと有栖は思った。
 懲りもせず・・と思われるかもしれないがそれでももしもそれがあったとしたら、恐らく自分を探し回っているだろう男を見る事が出来る。そうして、見るだけではなくそのそばに何としても走って行くのに・・。
“・・アホか・・。そんなん考えてるから猫になるんや”
 自嘲気味に呟いて有栖は辿り着いた十字路で足を止めた。
 やはりここにも見覚えがない。
“・・根本的に方向が間違うてるんやろか?”
 いくら公園から学校に、更にまた違う公園にと移動をしてきたとはいえ、自転車で移動したわけではなく子どもの足で移動したのだ。しかも、小学校というのは確か学区というものがあって、どう考えてもそんなに遠くに来ている訳がない。
“どこかに町内の地図でもあったらええねんけど”
 ブツブツと呟いて有栖はとりあえず角に立っている電柱を、先ほどの失敗を生かして光の角度を考えながら見上げた。けれどどうにも書かれている文字がよく見えない。
“どないしよ・・”
 言いながら振り返った道。勿論今更戻るわけにはいかないし、戻れる筈もない。いっそチマチマと曲がっていないで真っ直ぐに歩いて、歩いて、突き当たった大通りで場所を確認した方が早いかもしれない。
 だが大通りに行けば人通りも増えるだろう。
 どちらがいいのか。どうすればいいのか。
“!!”
 しかしそれを決める前に今度は足音が聞こえてきて、有栖はビクリと身体を震わせてしまった。
 振り返れば確かに一角向こうの辺りに傘を差した人影が見える気がする。ピンと耳を立てたまま、とにかくどこかに身を隠そうと有栖は慌てて回りを見回した。
 また捨て猫や迷い猫に間違われて拾われてしまったり、酔っ払いに絡まれでもしたらそれこそ帰るどころの騒ぎではなくなってしまう。
“・・・・隠れなあかん”
 そうしている間にも間違いなく近づいてくる足音に全身の毛を立てるようにして緊張をしながら、有栖は近くの生垣の下に身体を隠した。少しだけカサカサという音がしてしまったが、霧雨とは言え、まだ雨が降っているというのにわざわざこんな薄暗がりの生垣の下を覗きこんでいく人間はまずいない筈だ。
“・・・・・”
 ドクンドクンと早まる鼓動。
 とにかく早く行きすぎてほしい。
 けれど有栖の願いを嘲笑うかのように足音は生垣の少し手前の辺りでピタリと止まった。
“・・・・・”
 もしかしてこの家の住人だったのだろうか。よりによって自分はこの人間の家の生垣に隠れてしまったのだろうか。 
(・・・早くどっか行ってくれ〜〜〜!!)
 小さく小さく、これでもかと言うほど身体を丸めて有栖は息を殺した。
 耳のすぐそばに心臓があるようなそんな気がする程大きく響く鼓動。
 けれどその次の瞬間。
「・・・・アリス?」
“!!!”
 聞こえてきた声。
(・・・な・・んで?)
 どうして後ろにいる人間は自分の名前を知っているのだろう。
 チクチクとするヒイラギの葉の下、判っている筈の答えを、うまく繋がらない思考回路で考えているともう一度声が聞こえてきた。
「・・・おい、アリスだろう?・・ったく手間をかけさせやがって」
 溜め息をつきながらそっと伸ばされた手が、濡れて、泥で汚れた有栖の身体を生垣の下から包み込むようにして抱き上げる。
“・・・・・・”
「なんだよ、ずいぶん大人しいじゃないか。どこか怪我でもしてるのか?」
“・・・・・・・火村?”
 目の前にいてもなお信じられないと言うようにそっと名前を呼ぶと、訝しげだった表情がフワリと笑顔に変わった。
「今は名前を呼ばれた気がするしたな。おい、だんだん俺も猫語が判ってきたみたいだぜ」
 見慣れた笑みと聞き慣れた口調。そうして次の瞬間、やはり何も答えられなかった有栖の身体を火村は胸に抱き込んだ。
“・・・・・”
「・・・びしょ濡れだな」
“・・・・っ・・!”
 なぜかその瞬間、ジワリと涙が滲んだ。
 伝わってくるぬくもりが暖かくて、優しくて、本当に思っていた通り探していてくれたのだと、同じように濡れてしまっているワイシャツにしがみつく。
 雨に濡れても残っているキャメルの香り。
“・・・ほんまに・・火村や・・”
 呟きと同時に今度こそ涙が落ちた。それは一つ零れるとポロポロと際限なく落ち始め、火村は再び笑みを浮かべて立ち上がるとゆっくりと歩き出した。
「何泣いてんだよ?全く・・玄関先から小学生に誘拐なんかされやがって」
“・・・誘拐やないわ・・。捨て猫と間違われたんや”
「婆ちゃんも心配しているぞ」
“・・・・・うん・・”
 グズグズと鼻を啜ると頭上で火村が笑ったのが判った。
 やがて見えてきた見覚えのある路地。
 ようやく雨の止んだ空の下、火村は傘をたたんで、もう一度クスリと笑った。
「猫の泣き顔を2度も見たのはきっと俺だけだな、アリス」
“・・・・勝手に言うてろ、アホゥ・・”
 こうして有栖は日付変更線の変わる一歩手前で火村の下宿に帰りついたのだった・・・・。


再会〜〜〜〜〜!