Magicalmirror or Kitten!! 12

   

「それで一体どういう事だったのか聞かせてもらおうか」
 空になったお茶漬けどんぶり。
 そう言いながら咥えたキャメルに火を点けた男の眉間には深い縦皺が刻まれていた。
「・・あー・・えー・・・と・・」
 どこからどう話せばいいのか。出来る事ならもう少し落ち着いて考える時間がほしかった等と考え、すぐにそんな事を思ってまた猫になってしまったら一大事だと思い直すと、有栖はとりあえず目の前に出された麦茶を手に取って口にした。


 そう・・・・今から1時間と前少し前。下宿に戻った、有栖達を迎えてくれたのはいつもは早くに眠ってしまう大家だった。
 心配をして、二人(正確には一人と一匹)の帰りを起きて待っていた彼女は、火村に抱えられた有栖を見ると「良かった」とうっすらと涙を浮かべながら自室へと帰っていった。
 そうしてその後、とりあえず風呂だと言う火村に半ば強制的に風呂場に連れて行かれ、シャンプーで洗われてふかふかのタオルで拭かれて・・・それで精一杯だった。
 何しろ飲まず食わずで、おまけに寝る事もほとんど出来ず雨に打たれて歩き続けた身体はとっくに限界がきていたのである。
 タオルで拭かれながらすでにトロトロと眠りの淵をさまよっているような有栖に、火村は笑いながら「飯はどうするんだ?」と聞いてきた。
 食べたい、けれど眠い。そんな声にならない言葉を察したかのように火村は「少し寝てろ。後でキャットフードを持ってきてやるから」と今度は自分の身体を洗うべく風呂場へと戻っていった。
 静かな室内。
 無造作に積み上げられて本と、部屋の中に染み付いたキャメルの香りに本当に戻ってきたのだと小さく溜め息をついて、有栖はフラフラと歩き出すとそのまま寝床用に用意されているバスタオルの中に潜り込んだ。
“・・・・・眠いー・・・”
 とにかく眠い。腹は確かに減っているのだが眠くて仕方がない。
(・・・ああ・・そうや・・起きたらちゃんと話さな)  ユラユラと揺れて浮き沈みするような意識の中で有栖はぼんやりとそんな事を考えた。
 猫になってしまった理由が判ったかもしれない事。そして火村との関係について。火村がそれをどう思っているのかという事。話す事はそれこそ山のようにある。
(・・・・・けど一番はやっぱり・・あれやな・・)
 そう、多分火村が考えていた事を聞き出して、有栖の予想通りなら、とりあえず文句を言ってからそれを告げよう。
(けどそれやったら、やっぱりひらがなカードを買ってきてもらわなあかんかなぁ・・)
 けれど、やはりどう考えても効率が悪い。
(・・・・・キーボードが大きいワープロってあれへんかなぁ・・)
 脳裏に浮かんだ、キーボードを叩く薄茶色の子猫。
 何度も失敗したとはいえ、携帯だってかけられたのだ。やって出来ない事はないだろう。
(・・・・・あ・・・けど・・)
 そう言えば話すに当たって肝心な事を忘れていた。火村は『あの歌』を知っているのだろうか?
(・・・・・うーん・・)
 彼とはおよそ似合わない彼女の歌の雰囲気に有栖は目を閉じたまま口の端で笑った。
 それが本当の限界だった。
 がしかし、その十数分後、有栖は火村によって無理やり起こされた。
「・・おい・・」
「・・・・・ん・・眠いー・・やっぱり飯いらんー・・」
「・・・飯はいいからとにかく服を着ろ」
「・・・服ぅ・・?」
「人間に戻ってる。そのままでいるなら遠慮なく乗っからせてもらうぞ」
「!!!」
 ガバリと起き上がった有栖に火村は溜め息をついた。
「・・・・戻ってる・・・」
 しっかりと目に映る5本の指。
「・・・・・・・いつ?」
「知るか、馬鹿。風呂から戻ってきたらバスタオル一枚で転がっていた」
 呆れたような、けれど安心したようなその言葉に有栖はもう一度目の前の男を見つめて、口を開く。
「・・・・・・・」
 けれど何をどう話せばいいのか。そんな有栖に火村が声を出す。
「変身終了だな。・・・で、飯はどうするんだ?」
「・・・・・・・・・・・食う」
「じゃあ服を着ろ。話はそれからだ」
 クルリと向けられた背中。
 右手に持っていたキャットフードを棚の上に置いて台所に向かう後姿を見つめて、有栖はかけてあっただけのバスタオルを腰に巻きつけると5日ぶりに二本の足で立ち上がった。
 そうしてマンションから火村が持ち込んでいた服を着て、出されたお茶漬けを食べ終え、現在に至っているのである・・・・


 
 
「どこから話せばいいのか・・」
「安心しろ。どこからでも聞いてやる」
 間髪入れずに返ってきたその言葉に有栖は小さく溜め息を落とした。いくらなんでもそれは彼の優秀な頭脳を使っても無理だろう。
 だが、目の前の表情は譲る気はないと語っている。
 もう一度ついた溜め息。そして次の瞬間有栖はおずおずと口を開いた。
「・・・・元はと言えば・・多分、歌なんや」
「歌?」
 案の定、火村の口から訝しげな声が上がった。けれどどこからでも話せと言ったのは火村自身なのだ。そう開き直って有栖は言葉を続ける。
「うん・・・。本当にそれが原因なんかは判れへんねんけど、半月くらい前に聞いた歌が頭の中に残ってて」
「・・・何の歌だよ」
「・・・・・『魔法の鏡』」
「ああ!?」
 火村はついに声を上げた。
「ああ、もう!せやから、俺も半信半疑で何でやろうって色々考えたんや!で、今日・・もう昨日やけど、全く思い出さなかったそれがほんまに理由なんかって思う気持ちもあるんやけど、けど、とにかく、多分、そうやと思う」
「・・・・話が見えねぇぞ」
 だからどこからでも話せる話ではないと言ったではないか。ムッとしたまま短くなったキャメルを灰皿に押しつけてすぐさま新たなキャメルを取り出す火村を眺めながら、有栖はやはり猫になった理由である『歌』からの説明を諦めた。そうして一つ息を吐くと、再び口を開いた。
「・・歌は・・その、ともかくやな。とにかくそれに当たるまで俺も色々考えたんや。ほんまに考えた。なんで、こないな事になったんやろ。自分の気付かんうちに何か思うような事でもあったんやろか」
 ライターを出した火村の手が止まったのを有栖は見た。
「・・・・・俺は、もしかして君との関係に何かを感じていたんやろかとも思った」
「・・・・・・・」
 止まっていた手がゆっくりと動き出し、カチリという小さな音を立てて咥えたキャメルに火を点ける。 「けど、何も浮かばへんねん」
「アリス?」
「いくら考えても、考えても、その何かが思いつかんのや。そりゃそうやろ?後悔もしてない事に猫になってしまうような理由がある筈がないなんや」
「・・・・・・・」
 吸わないまま少しずつ短くなっていくキャメルから細く昇る白い煙。
「けど・・君は疑ったやろ?」
「・・・!」
「俺が何で猫になったのか、色々考えて、もしかしたらって俺の気持ちを疑うた。少なくともそうかもしれんと思った」
「・・・・・・・」
 吸わないまま長くなってしまった灰を灰皿の上に落として、火村はキャメルを口に咥えた。
「別にそれを責めとるわけやないねん。俺かてもしかしたらと自分の気持ちを考えたんやから。せやから、正直に言うたら俺も正直に言う」
 そう言って真っ直ぐに見つめてくる瞳に火村はその表情を少しだけ苦いものに変えるとまだ半分以上も残っているキャメルを灰皿に押しつけて白い煙を吐き出すと、そっと口を開いた。
「疑ったわけじゃない。ただ・・可能性は考えた。今の関係が・・・行為がお前の負担になっているんじゃないか。お前はあの時に俺の感情に引きずられてそう思い込んだんじゃないか。それをお前が気付かないうちに俺はお前を手に入れて、お前は今頃になってその事に気付いたんじゃないか」
「・・・・・・・・」
 やっぱりそんな事を考えていたのか。
 苦々しい表情の割に淡々としたその言葉を聞いて、有栖は小さく顔を歪めて息を吐き出した。
 僅かな沈黙。
 猫になった自分も悪いが、こんな風に考える恋人は一体何なのか。あの時自分は確かにこの男に『好きだ』と、そして『信じてくれるか』と言った筈なのに。
「・・・アホ。いくら何でもあんな事気持ちにひきずられたくらいで出来るか。俺はそこまでお人よしの間抜けやないわ」
「けど、考えたんだろう?」
「・・!」
 けれどその途端返ってきた先刻の仕返しのような問いに、有栖は自分達がひどく子供っぽいやり取りをしているような気がした。けれど、その次の瞬間、もしかしたらこれは必要な事だったのかもしれないと思った。
 あのキスをされた冬に、はじめて猫になりこの男の気持ちに気付き、自分自身の気持ちに気付いたように、今回のこれもお互いの気持ちを確かめる上で大切な事だったのかもしれない。
 勿論それはただのこじつけなのかもしれないけれど。
 それでも、多分、きっと、絶対に、自分達に『魔法の鏡』はいらないのだ。
 一つ吸って、吐いた息。
 先ほどの有栖と同じように真っ直ぐに向けられる火村の眼差しを受け止めて、有栖は答えを出した。
「考えた。けど、考えても考えても違うって思った。後悔なんてこれっぽちもしてへんて思って、思って、思った!・・・なぁ、火村。俺は君が思うとる以上に君の事が好きなんやと思うで?」
 目の前の仏頂面が驚いたような表情に変わるのが何だかおかしくて、楽しいと有栖は思った。
「君が正直に言うたから俺も言うけど、ほんまに好きやなかったら、あんなん・・ようせんわ」
 そうしてその驚きの表情が更に甘い微笑みに変わるのが、今度はひどくこそばゆく感じる。
「・・・・君、ものすごくアホな顔しとるで・・」
「熱烈な愛の告白に浸ってるんだ」
「!ふざけるな、何が愛の告白や!」
 赤い顔でガーッと怒鳴る有栖を火村は素早く抱き寄せた。
「それ以外の何だっていうんだ?」
「言うてろ、アホゥ・・」
 そっと触れた唇。
 熱くなる顔。
「・・・・でも、ほんまにそうやなかったら魔法の鏡よりも猫の方がいいなんて考えないもんな・・」
 そう、まして、今何をしているのかと思った後にそんな鏡を見たら会いたくなるとか、やっぱりそれなら猫になって一緒にいた方がいいなどとは、いくら酔っていたとはいえ好きでなければ思わない。
「・・アリス?」
(・・ほんまに俺、こいつの事が好きやったんやなぁ・・)
 言われている意味が判らない。そんな火村に有栖はフワリと笑った。
 そして・・・。
「なぁ・・」
「ああ?」
「・・・・しよか?」
「!!」
 耳元で囁いた声。
 一瞬遅れて火村がニヤリと笑い、。そうしてその次の瞬間、有栖は畳の上に押し倒されていたのだった。 


変身終了!