Magicalmirror or Kitten!! 2

   

“ハァ・・やっと落ち着いた・・・”
 出されたキャットフード(どうやら途中で買い込んできたらしい)を食べ終えて、そう言うと有栖は目の前のソファに腰掛けて不機嫌極まりない表情を浮かべてキャメルをふかしている男を見上げた。
 すでにテーブルの上の灰皿には何本もの吸い殻が入っている。この部屋の主である有栖は滅多に煙草を吸わない。 ましてキャメルの様なキツイ煙草は年に数回程目の前の男から貰う程度だ。ようするに積み上げられたその吸い殻は全て火村がここに来てから吸ったものである。
“・・・・あの・・”
 小さく声を出した有栖に火村は吸いかけのキャメルを灰皿に押しつけて白い煙を吐き出した。
 そうして、ヘビに睨まれた蛙のように身動きが出来なくなっている有栖、もとい現時点では有栖である筈の子猫を見てゆっくりと口を開いた。
「さてと・・・空腹で倒れそうになっていた腹もどうやらいっぱいになったようだし、話して貰おうか。何でまたこんな事になっているんだ?」
 子猫を前に凄んでも格好がつかない事この上ないが、それでも何でも元は有栖なのだ。前回、当たり前だがその子猫が有栖だとは思わずに余計な事まで話してしまった経験のある火村は、今の有栖に人間の言葉が喋れないと判っていながらもそう切り出した。
“・・・それが全然判れへんねん。朝・・ちゅうか昼近くなって起きたらこうなっとたんや”
「全然判らねぇよ!普通に喋れ!」
“喋れるくらいならとっくの昔にそうしとるわ!!”
 フーと思わず毛を逆立てての鳴き声に火村ははぁ…と言う溜め息をついてガクリと肩を落とした。
「・・・本当に、アリスなんだな?」
“そうや!”
 答えても火村には、勿論当の有栖本人にも「ニャー」としか聞こえない。
「その辺に隠れていて猫と話をしている俺を眺めている訳じゃ・・・ねぇな」
 話は聞いて、自分でも一応は納得していたのだが、やはり目の前で見るとまた理性のようなものが働くのだろう。 眉間に皺を寄せながらのその言葉に“それ程暇やないわ!”と怒鳴ると火村は諦めたようにもう一度溜め息を落とした。
「・・・・・判ったよ。言葉は判らないけど・・・」
 そうしてもう何本目か判らないキャメルを取り出して火を点ける。
 ユラリと立ちのぼる白い煙。
 その様子を見つめながら有栖はぼんやりと昨日の記憶を辿りはじめた。
 そう・・本当に特別“何か”があったわけではないのだ。 前回の時のように猫になりたいなどと思った事も、まして、逃避してしまいたくなるような出来事があったわけでもない。
 夕べはナイターを見ていて、その後(タイガースが勝ったので)酔っていたと言うのに妙にやる気が出てきたので機嫌よく原稿に向かい、タイガースの快進撃のごとく筆が進んだため、ベッドに入ったのは3時過ぎだった。
 その間トイレに立ったついでに1時頃コーヒーを飲んだだけで、思い当たるような事は何一つない。
 ベッドに入った後、一体何時に猫になったのかは知らないが、とにかく朝、もとい昼近くなって目が覚めたらこうなっていて、その後は思い出すのも辛い。
 とにかく有栖はこの時ほど寝室のドアをキチンと閉め切っていなかった自分を誉めたいと思った事はなかった。
 そうでなければ寝室を出る事もままならなかったし、リビングのローテーブルの上に置きっぱなしだった携帯を見つける事も出来なかった。
 何しろ猫というものは自分でドアノブを回して部屋を出る事も、水道一つ捻る事も出来ない。冷蔵庫を開けて食べ物を取り出すなんて夢のまた夢である。
 とにかく何かを口にしたのは午前1時のコーヒーが最後である。これは前回で身に染みて判っている“小腹の空く子猫”にとってはまさに死活問題だった。
 だが、しかし、けれども、天は有栖を見放さなかった。
 前回の事があり、幸か不幸か火村は有栖が子猫になった過去を知っていたし、有栖も又、子猫仕様の手足の使い方を覚えていた。
 かくして『またか・・またなのか!!』『一体どないしたらええねん!!』というパニックの後、有栖は火村を呼び出すべく最終手段に出た。
 寝室を出て、ソファを経由してローテーブルの上によじ登り、置いてあった携帯電話のキーをフカフカとして押しにくい事この上ない手で押して火村に電話をかけたのだ。
 そうして、チャレンジする事十数回。ようやくかかって聞こえてきた声に有栖は叫んだ。
 『・・・はい』
 『ニャー!!!!(火村ー!!!!)』
 『・・・・・・・』
 『ニャーニャーニャーーー!!(頼むから切らんといて くれー!俺、また猫になってん!!)』
 『・・アリス・・猫と遊んでるなら切るぞ』
 『ニャ〜〜〜!!ニャーニャー(ちゃうねん!猫やなく て・・いや猫やねんけど、猫は俺やねん!火村ー!)』
 『・・・とにかく俺は忙しい。切るからな』
 『ニャ・ニャ〜!ニャーニャーニャ〜〜〜!(待って! ほんまに待ってくれ!マジで死ぬ。水道も捻られへんね ん!頼むから、頼むから助けてくれ〜〜!!)』
 『アリス・・・・お前・・まさか・・』
 『ニャーーー!!(多分今考えている事がビンゴや、火 村!!)』
 『・・・・あと一限残ってる。それまで待て』
 『ニャー・・(待たれへん・・餓死したら祟ってやる)』
 その言葉が奇跡的に判ったのか、火村はそれから1時間ほどで大阪・夕陽丘にやってきたのだった。
“火村・・・?”
 黙り込んでしまったままの恋人に怖ず怖ずと声をかけると、火村は長くなった灰をそろそろいっぱいになりそうな灰皿の上に落としながら白い煙を吐き出して床の上の有栖に視線を向けた。
 そうしてもう一度、今度は小さな溜め息を落とすとヒョイとその身体を膝の上に抱き上げる。
“!・うわ・・なんや?”
「暴れるな、馬鹿」
“・・・そんなん言うたかて・・何や落ち着かんわ・・”
 いくら猫になっていても膝の上で、しかも背中を撫でられると言うのはどうにも身の置き所がないというか、どうしていいのか判らない。まして、今回は火村が猫になっているのが有栖だと判っているから余計にそう感じてしまうのかもしれない。
「・・・本当に紛れもなく・・猫だよな・・」
“・・・・・・”
 しみじみとそう言われても困る、と有栖は思った。
「今回俺は寝込みを襲ってキスをした覚えはないぜ?」
“!!・・そんなん・・”
 そう・・前回猫になってしまったきっかけはまさしくそれだった。もっとも今となってはキスどころかそれ以上の事まで何度もしているのだから、それこそ【そんな事】でである。
 どう答えたらいいのか。しかし答えようにもそれ以前に火村には「ニャー」としか聞こえないのだからどうにも仕様がない。
「一度細胞の検査でも受けてみるか?アリス」
“!いやや!!そんなんモルモット扱いされて終いには切り刻まれる事間違いなしやで!!”
 ピンと耳を立てて膝の上でニャーニャーと喚く有栖に火村は吹き出すように笑い出した。
「言葉は判らないけど段々何を言っているのか判るような気になってくるな」
“言うてろ・・アホ”
 フンと拗ねたように身体を丸めてしまった有栖に火村は再びクスリと笑った。 
 訪れた2度目の沈黙。
 火村はそれ以上からかうのをやめたようで、有栖を膝の上に乗せたまま、灰皿の上で灰になってしまった吸いかけのキャメルを押し潰すし、ついで新たなキャメルを取り出して火を点けた。
 フワリと鼻を擽る特有のキツイ香り。
「・・・・アリス?」
“・・・・・・”
「なんだよ、腹がいっぱいになったら今度は昼寝か?」
“・・・・・・”
 どこか呆れたような、けれどひどく優しげなその声を聞きながら有栖は本気でウトウトとしはじめていた。
「・・まぁ・・子猫じゃ仕方ねぇか・・・」
 呟くようにそう言ってゆっくりと背中を撫でる大きな手。
 膝の上が居心地が悪いなどと思っていたのは最初だけですでにこんなに落ち着ける場所になっている事が我ながら現金だなと有栖は思った。
「・・・・ったく・・」
 溜め息混じりの小さな声。
 考えなければいけない事があるのは判っている。
 何故また猫になってしまったのか。
 前回のように〈気になっていた事が解ける事〉が人間に戻るキーワードになるのだとしたら、全く理由の思いつかない今回は元に戻る事が出来ないのではないかと言う不安も感じてはいた。けれど、どうにも睡魔に勝てず意識が沈んでゆく。
(ごめんな、火村・・。起きたらちゃんと考えるから)
 トロトロと溶けるように崩れていく意識。その中で静かな、そしてどこか切なげな火村の声が聞こえた。
「・・・勘ぐるだろうが・・・馬鹿アリス・・」
 けれど、その言葉の意味を考える前に有栖の意識は完全に闇の中に落ちた。


相変わらず火村グルグル・・・