Magicalmirror or Kitten!! 4

   

「先生!」
 立ち入り禁止のテープ向こう側。手を上げながら現場に合わない笑みを浮かべたのは、大阪府警捜査第一課の若手刑事、森下だった。
「お待ちしておりました。こちらです」
 言葉に促されるように中へと進みながら、火村はいつも黒い手袋をはめる。
「被害者の遺体はすでに運び出されています」
 言いながら森下はエレベーターのボタンを押し、すぐにやってきたそれに乗り込んだ。
 押された6の数字。ゆっくりと上がっていくエレベーターの小さな箱。
「被害者は梶本晶。42才。会社員です」
 その狭い空間の中で、森下は恐らく上司に言いつかって来たのであろう説明を始めた・・・。
 
 
 
 

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「・・それでは、とりあえずその事が判り次第またご連絡をするという事で」
「ええ、よろしくお願いします」
 太鼓腹にサスペンダーがトレードマークの男、先刻の森下刑事の上司である船曳警部の言葉に火村はそう言って頭を下げた。
 まだ解剖の結果が出ないのではっきりとした事は言えないのだが、別居生活を送っている妻の証言で被害者が軽い躁うつ病の気があり、薬を飲んでいたらしい事が判ったのだ。
「・・・・しかし、通勤時間が2時間以上かかってしまうからといって会社の近くに部屋を借りると言うのもどうなんでしょうなぁ」
 部屋を出て来た時と同じようにエレベーターに乗り込みながら船曳は溜め息をつきながらそう言った。
 被害者は5年前に郊外に一戸建を購入したのだ。だがしかし、40を過ぎ不況不況と言われるさなか大きなプロジェクトが決まり、自宅にほとんど帰る事が出来なくなってしまったと言う。
 近くのビジネスホテルに寝泊りする事も増え、身体を心配した妻がいっそ近くのアパートかマンションを借りるのはどうかと提案したらしい。勿論金銭的にもビジネスホテルとはいえホテル住まいをされるよりその方が安かったというのもあったと知らせを聞いて駆け付けてきた彼女はどこか呆然とした表情で語った。
 ガタンと軽い振動を立てて1階に辿り着いたエレベーター。ついで開いたドアから二人はゆっくりと降りる。
「会社の近くに【書斎】を持つと言うのはサラリーマンの夢だそうですよ」
「夢ですか?・・まあ・・ある意味そうなのかもしれませんが、働いてせっかく手に入れたマイホームに住まずにこんな小さな部屋に一人で住む言うのが本当に夢なんでしょうかね」
 船曳の言葉に火村は「そうですね」と口にして胸ポケットの中からキャメルを取り出した。
 カチリと点けられた火。
 警察公認で路上駐車をさせてもらった車に近づくと、船曳がハッとしたように口を開いた。
「先生は今日はどちらに?」
 問い掛けられたその言葉に、某マンションがすでに別宅扱いになっているらしい事がおかしくて火村は思わず小さな笑いを浮かべてしまった。
「京都の方に帰ります。作家先生は自業自得でどこかのホテルにカンヅメになりに行きましたから、しばらくは戻ってこられないでしょう」
 勿論嘘である。本人は目の前に停めてある車のシートの上で、置いてきた餌を食べているか、待ちくたびれて眠っているかしている筈である。
「ああ、それで今日はいらっしゃらなかったのですか。大阪の方にいらしているとお聞きしたのに御一緒でなかったからどうされたのかと思っておったのです」
「それではどうも有難うございました。有栖川さんにもよろしくお伝え下さい」
「ええ」
 そう答えて火村はカチャリとドアを開けた。
 その途端予想通りシートの上で丸くなっていた小さな身体がピクリと動く。
“火村!”
「・・おや?猫ですか?」
“あ・船曳警部”
 そうして火村の顔の向こうに見えた、見覚えのある顔に思わず声をあげる。
「まだ小さいですな、どうされたんですか?」
「ええ、それが」
「班長!」
 だがそれを口にしようとした火村の声は若い刑事の呼び声にかき消される。
「何や!」
 駆け寄ってきたのは火村を現場まで案内した後、所轄の刑事達と一緒に近隣の聞き込みにあたっていた森下だった。
「火村先生、ご苦労様でした」
「何か有力な情報でも出ましたか?」
 火村の言葉に「いえ・・」と苦い笑いを零した刑事は上司に向き直って口を開く。 
「同じマンション内、及び近隣の聴き込みで不審な人物の情報は出ませんでした。職場関係の聴き込みも一通り終わったと連絡が入りました」
「そうか。したら解剖の結果待ちで捜査会議やな。場所を移すか」
「判りました」 
 ペコリと頭を下げて森下はもう一度火村の方に向き直った。そうして「失礼します」と頭を下げたその途端、森下の視線がふと車内で止まる。
「・・・先生、猫を飼われるんですか?」
「いえ、預かり物です」
「へぇ・・可愛い。まだ1ヶ月・・2ヶ月・・くらいですか?そう言えば前にもこの位の子猫を連れていらした事がありましたよね。似てる・・けど同じなわけないし」
 思わず覗き込む森下に有栖は再び口を開いた。
“あ、今度は森下さんや。”
「うわ・・可愛い」
“相変わらず大変やねぇ、森下さん。ご苦労さま”
「鳴いてる、ほんまに可愛い」
“事件は解決したん?・・って言うても判れへんけど”
「お腹が空いとるんですかね」
「森下!いつまでグズグズしとるんや!!」
「うわわわ・・はい!すみません!」
“あららら・・怒られてしもうた。御免な森下さん。警部もそない怒らんといて・・”
 慌てて猫語でそう言う有栖を火村の手がヒョイとその襟首を掴んで持ち上げた。
“ぎえ〜〜やめんか、火村!”
「こら、アリス。静かにしていろって言っただろう」
“!!”
「・・・え・・アリス・・て・・言うんですか?この猫」
 その言葉に行きかけていた森下と船曳の顔がヒクリと引き攣った。
「ええ、小説家が懲りもせずに預かった子猫を、頼むから原稿が終わるまで暫く預かってくれなんて言うんでね。嫌がらせにお前の名前で呼んでやるって言ったんですよ。あいつが戻って来る頃には『アリス』と呼ばないと応えなくなっているんじゃないですか?」
 しれっとそんな事を口にする火村に二人は引き攣らせていた顔にどこかホッとしたような笑いを浮かべて再び口を開いた。
「なんや、そうやったんですか。ビックリしましたよ。先生も人が悪い。けどええんですか?そんな事をして。本当の名前はなんて言うんですか?」
「さぁ、ちゃんと言っていかないあいつが悪いんです。なぁ、アリス」
“・・・・火村ぁ・・人が何も言えんと思うて勝手なことを・・・”
 全くのでっち上げをペラペラと口にする火村に有栖は思わず低い唸り声を上げた。
「けど、アリスか・・。有栖川さんには悪いですけど合うてるちゅうか、可愛いですよね。な、『アリス』」
 言いながら伸ばされた指がそっと顎に触れて動く。
“・・・っ・わぁ・!くすぐったい!” 
 途端にピクリと震えた身体。
「森下!!」
「行きます!すぐに行きます!それでは先生失礼します!」 言うが早いか今度こそ凄い勢いで走って行く若い刑事の後姿を見送って火村は助手席の上に有栖を戻すと船曳に頭を下げて車に乗り込んだ。
「ではお疲れ様でした。有栖川さんにもよろしく」
「有難うございました。失礼します」
 かけられたエンジン。
 走り出した車。
「・・・ったく・・むやみに触らせてるんじゃねぇよ」
“!さわ・・誰がやアホゥ!大体君がある事ない事言うてるからやないか!”
「ニャーニャー鳴いて愛想を振り撒きやがって・・」
“・・愛想って・・俺は会話を試みとったんや!”
「何を言ってるのか判らねぇな」
“・・・ムカツク・・”
 ボソリと漏れ落ちた声。その途端信号で止まったらしい車に、有栖はギアの上に置かれていた手ををガブリと噛んだ。
「!!!アリス!!」
“フン!”
「・・・くそ・・覚えてろよ」
 どこか不機嫌そうにそう言って火村は再び車を走らせ始めた。
 訪れる沈黙。
 黙ったままハンドルを握る火村の横顔を、同じく黙って眺めていた有栖は、やがて浮かんだ考えにそっと口を開いた。
 “・・・・・なぁ”
「・・・・・・・」
“先刻(さっき)のってもしかしてやきもちなんか?”
 言いながら微かに顔が熱い気がすると有栖は思う。
 ずるいと言われてしまうかもしれないが、こんな照れくさい言葉でも今ならばスルリと口にできてしまう。
 そうして、もしもきちんと伝わっていたら、先ほど噛みついてしまった手を猫らしくペロリと舐めてみようか。
“なぁってば、ほんまにやきもちやったんか?”
 だが、しかし、けれども。
「ああ?なんだ?腹が減ってきたのか?もう少しで着くから我慢しろよ」
“・・・・・・・”
「なんだよ、トイレとかか?」
“・・・・ちゃうわ、アホ”
 会話は成立する筈もなく、有栖はふてくされたように再び助手席で身体を丸めた。
 
 
 
 


やきもちに決まってるってばさ。。。