Magicalmirror or Kitten!! 5

   

“暇や〜・・”
 部屋の中に小さく響くニャーという鳴き声。
 火村の部屋に連れて来られて3日。
 当たり前だが、これといってする事はない。
 けれど相変わらずというか、前回同様というか、元に戻る気配はなく時間だけが過ぎていく。
“考えようとか思うても相変わらずやし、頭だけ使うのがあかんのかと思うて、なら視力使うて本でも見てよと思うてもすぐに眠くなるし・・”
 そうなのだ。前回で判っていた事なのだが、本当に子猫というのはオーバーに言ってしまえば腹が減って食べているか、寝ているかの生活で、起きている・・というよりも起きていられる時間は信じられない程短い。
 いくら、どうしてまたしてもこんな事になったのかを考えようと思っても持続せず、動いていれば起きていられるだろうと性懲りもせずに前回三段までしか下りる事の出来なかった階段下りにも挑戦してみたが、結果は惨敗で、二段目で疲れて寝こけてしまったのは昨日の事だ。
 ならばもういっその事眠くなる前に寝て、寝溜めてしまえ!と思えばこれがまた眠れない。
 コロコロと畳の上を転がりながら、有栖はもう一度ハァと溜め息を漏らした。
 本当に、なぜこんな事になってしまったのだろうか。
 あれから約4ヶ月。別に火村との関係がどうというわけでは勿論なかった。
 あれ以来、そう、要するに【恋人】という関係になってからも自分たちのスタンスは変わらなかった。
 お互いにいい大人であって、好きだと言って、好きだと返せばそれはもう当然の成り行きで、『君が好きだって言うてくれたからやっと気付けた気持ちなんやけど・・。好きやで、火村。これは信じてくれるか?』と言ったその週末には、その時に告げられた火村の「覚悟をしておいてくれ」の言葉の通りの結果になっていた。
 そうして現在に至るまで、しょっちゅうというわけでもないが、お互いの部屋に行き来をして抱き合ったりもしていたのだ。
“・・・確か・・最後にしたのはえーと・・二週間くらい前やったかな・・”
 思い出すのはやはり恥ずかしいが、それでも思いおっ越した記憶の中にこんな事になってしまうような理由は思い当たらない。
 それならばなぜ自分は猫になってしまったのか。
 今回の事は火村の事とは無関係なのだろうか。
 だとしたら一体何が原因だというのだろう。
 まさか火村の言った通り、本当に遺伝子だか細胞だかがおかしくなってしまったのだろうか。そうして今度こそ人間に戻れなくなってしまうのだろうか。
“いや、絶対なんかきっかけがある筈なんや”
 ボソリとそう呟いて有栖は再び記憶を探る。
 だが・・・・。
“あかん・・・マジで判れへん・・”
 くどいようだが本当に、本当に、本当に!火村との関係を後悔はしていないのだ。
 あの時猫にならなければ気付かなかったであろう、あるいはもっともっと気付くのが遅くなってしまっただろう自分自身の気持ち。
 それでもなんでも『抱かれる』という行為さえ、火村だからと思える自分が確かにここにいるのだ。
 他の誰かと…などとは死んでも思えない。
 火村だから、だ。
 けれど、それならばなぜこんな事になっているのか。
 何の不安も、不満も、きっかけもないというのに猫になっているのはなぜなのか。
 考えても考えても判らない。
“せめて猫になってても言葉が話せたらええのに・・”
 この家の飼い猫である3匹の猫たちの言葉も判らない。 火村たちにも言葉が通じない。
“・・・今ごろ何しとるんやろうなぁ・・”
 平日の午後。火村は昨日同様大学に行った。
“また、不機嫌そうな顔で講義をしとるんやろか”
 脳裏に浮かぶ、以前見た事がある、教卓に肘をついて講義をする姿。
 彼の下宿に居て、毎日会っているというのになぜかひどく顔を見たくなって、有栖は自分の思考に照れたように再びコロコロと畳の上を転がった。
“・・アホかほんまに。なに照れとんねん”
 今、人間の姿をしていたら確実に真っ赤になっているだろう顔。思わずそれを子猫の小さな手でパフパフと叩いて有栖はゆっくりと起き上がり餌入れに向かって歩き出す。
“あかん。グチャグチャ考えとったらまた腹が減ったわ”
 自分でもさっき食ったばかりだろうと思うのだが、こればかりは仕方がない。
 皿の上に乗せられたペットフード。それを慣れた様子で口にし、すぐに一杯になってしまった腹にそれ以上食べる事は諦めて、有栖はとりあえず口の回りを舐めはじめた。
 その途端思い出す夕べの記憶。
 夕べ、仕事から帰ってきた助教授は階段の所まで出迎えに出た有栖をヒョイと抱き上げて部屋の中に入った。
 そうして「変わりはなかったようだな」等と言いながら抱き上げたままの顔を見ておかしそうな表情を浮かべたの
だ……。

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「お前、相変わらず毛繕いがなってねぇな。口の回りがベタベタじゃねぇか」
 言われて有栖は思わずムッとした(ような・・)顔をして口を開いた。
“そんなんうまく出来るか。俺は猫歴は通算で9日なんやからな!”
 だがしかし、そんな抗議の言葉が伝わるわけもなく、火村は何やらグルグルと不機嫌そうに唸る有栖を畳の上に下ろしてキッチンに向かった。そうしてタオルのようなものを手にして再び有栖の身体を抱き上げて座り込む。
「大人しくしていろよ」
 言うが早いか顔の上に置かれたタオル。
“な・・なんや!?・・!・・っぷ!火村!”
「だから暴れるなよ。・・ったく、タオルで口の回りを拭いてもらう猫なんてぇのは、きっと世界中でお前だけだな」
“・・や・・かま・・し・・う・・死ぬ・・死ぬって・・苦しいってば!!”
「ひでーな、拭いてもとれないぜ?ガベガベだ」
“うが〜〜〜!!!”
「どうやって食ったらこんなになるんだよ」
 呆れたような口調の割に火村はどこか楽しげに有栖の口の回りどころか顔中をワシワシと拭き、やがて「よし」と濡れタオルを放した。
「綺麗になったぜ?」
 ニヤリと笑った顔。
 前の時にもやられたが、どうにも慣れるものではない。
“・・・・俺は死ぬかと思うたわ・・・”
 ボソリと零れた声。
 けれどその次の瞬間。
「あーあ・・痛いと思ったらやってくれたじゃねぇか」
“え・・?”
 聞こえてきたその声に有栖は驚いて、まだ濡れて毛がペタリとしたままの顔を上げた。
“・・・あ・・”
 途端に視界に入った手の甲につけられた鮮やかなミミズ腫れ。
「だから暴れるなって言っただろうが」
“ご・・ごめん”
 赤く走る一本の線はひどく痛々しく映った。
 子猫の爪とはいえ、痛いものは痛いに違いない。いくら苦しかったと言っても自分の為に口を拭いてくれたというのに元気に引っ掻いてしまった。
 さすがに罪悪感が湧いてきて、有栖は一瞬だけ考えるとその傷をペロリと舐めた。
「!!!おい」
“・・・・うるさい、なんか言ったら殺す”
 物騒極まりない言葉も勿論火村には伝わらなかった。
「・・・・なんか、前回と違って元を知っているだけにおかしな気分になるな」
“!!!なるな、アホ!!!”
「!痛てーな!!噛むんじゃねぇ!馬鹿アリス!!!」
 そんな火村の怒鳴り声を聞きながら、有栖は熱くなってしまった顔を隠すように(もっとも猫の表情がどれほど表に出るのかは謎だが)寝床用に用意されたバスタオルを入れた箱の中に入り込んだのだった……。

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“・・・あかん、ほんまに余計な事を思い出してしもうたわ”
 呟くようにそう言って、有栖は再びコロリと畳の上に横になる。
“あいつがアホな事言うから・・”
 人間の時と比べてひどく高い位置にある窓から差し込む西日。このところ雨ばかりでハッキリしない天気が続いていたのだが、今日は昼過ぎから止んで今はすっかり上がったらしい。
 聞こえてくる外を歩く人の声。
 自転車の音。
 懐かしい豆腐屋のラッパ。
 モモだろうか、猫の声もする。
 穏やかな、穏やかな、日暮れ間近。
 少しずつ赤く染まっていく部屋の中で、グルリと回って元に戻ってきたように、有栖はもう一度だけなぜ・・と考えてみた。
 なぜ、再び猫になってしまったのだろう。
 なにがきっかけだったのだろう。
 前回同様、それが火村に関係しているならば自分は何がしたかったのだろうか。
“自分の事やのに判れへんなんてアホすぎや・・”
 呟きは、今の姿と同じくひどく頼りなくて、有栖は本に囲まれたような部屋の真ん中で小さく小さく身体を丸めて眠りに落ちた。
 


ほんとは猫のアリスの世話を焼くシーンををもっと書きたかったんだけど収拾がつかなくなったの〜(T_T)