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狂鬼恋歌1

たれか聞くらん暮の声
霞の翼 雲の帯
煙の衣 露の袖
つかれてなやむあらそひを
闇のかなたに投げ入れて
夜の使いの蝙蝠の
飛ぶ間も声のをやみなく
こゝに影あり迷あり
こゝに夢あり眠あり
こゝに闇あり休息あり
こゝに永きあり遠きあり
こゝに死ありとうたひつゝ
草木にいこひ野にあゆみ
かなたに落つる日とゝもに
色なき闇にぞ暮ぞ隠るゝ

(島崎藤村 若菜集−−二つの声・暮−−より)


「・・・なんやほんまに山奥って言う感じになってきましたねぇ・・」
 窓の外を見つめたままの、どこか独白めいた色を含んだ言葉。それにチラリと顔を上げただけで、目の前の席に座っている同行者は、読んでいた文庫本へと視線を戻した。
 京都駅から約2時間。JR山陰本線で福知山駅に出て、そこから更にこの北近畿タンゴ鉄道宮福線に乗り換えた。
 車窓から見える国道175号線。同じく国道と列車と沿うようにして流れる由良川。そしてその向こうに霞んで見えるのが目的地。
(・・・ほんまに同じ京都府とは思えんわ・・)
 しみじみとそう思いながら、僕、英都大学法学部2回生の有栖川有栖は小さく溜め息を落とした。その途端、今度こそ上げられた顔。
「どないしたんや?飽きたんか?」
 柔らかな声と向けられた微笑みに僕は慌てて顔を前に戻した。
「いえ・・あの・・・何だか鬼が出る言われたんも納得出来るなぁ思うて・・」
 なぜかしどろもどろになる言葉。それがおかしかったらしくて彼はクスクスと笑いを漏らす。
「江神さん・・・」
「ああ・・すまん。そうやな・・」
 そう言いながら、同じく英都大学文学部4回生の“江神さん”こと江神二郎はパタリと文庫本を閉じると胸ポケットの中からキャビンを取り出して口に銜えながらゆっくりと視線を窓の外に向けた。
 なぜ、どうして、京都の真ん中、御所の目の前にある大学に通う僕等が9月も終わりかけたこの時期に、丹後で列車に揺られているのか。
 話は長い夏休みが明けてまもなくの、今から丁度1週間程前に遡る−−−−−−−−−・・・。

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「バイトをする気はないか?」
 相も変わらぬ学生会館の2階。
 夏の間に一人減ってしまった部員に、けれど彼女の傷が癒るのを待つ以外どうする事も出来ず、僕たち英都大学推理小説研究会のメンバーは−−と言っても4人なのだが−−ラウンジの堅い椅子に腰掛けながらコーヒーをすすっていた。そこに、思い出したという様に江神さんが口を開く。
「・・・バイトですか?何や又えらい突然ですね」
 銀縁眼鏡を押し上げつつそう言ったのは経済学部3回生の望月周平。
「江神さんのバイトってやっぱり肉体労働系ですか?」
 続いてさすがコンビの片割れとでも言う様に同じく経済学部3回生の織田光次郎が望月の後を受ける。
「いや、今回はちょっと違う」
 二人の言葉を意に解さずという様子で、江神さんはキャビンを取り出すとそれにカチリと火を点けた。ついでゆっくりと吐き出された白い煙。
「どんなバイトなんですか?」
 適材適所。役割分担。そんな単語が頭を寄切りつつ口を開いた僕に、江神さんは銜えていたキャビンをトンと灰皿に当てて3人の後輩たちを見ながらニヤリと笑った。
「書庫の整理。と言うても別に大がかりな本の移動をするわけやない。まぁ、多少入れ替えたりするのはあるやろうけど大体はキチンと収まっているらしい。どの棚にどんな物が収まっているかという把握と書籍のチェック。買ったはいいが自宅にあるのか、そっちにあるのか、研究室に埋もれているのか判らなくなってしもうたんやと」
 言葉を区切って再び銜えられたキャビン。
 訪れた僅かな沈黙。やがて望月がいぶかしげな顔をして口を開いた。
「・・・自宅とかそっちとか研究室とかって・・それどこからのバイトなんです?」
 ゆらゆらと揺れる紫煙。
 もっともな疑問にコクリとうなづいた残り二人を見て江神さんは「ああ」と小さく笑った。
「川辺教授。民族学とか、社会学とか、純文学もあれば日本や中国の古文書や中世ヨーロッパの原書もある、そうや」
「・・・・川辺教授って前に研究室の整理を手伝った」
 そう・・確か1年程前にもそんな事を言って研究室の書庫の整理を手伝った・・ような気がする。僕の言葉に江神さんは「その川辺教授や」と笑った。
「何や、何や、研究室はどうにかなったけど自分のところの書庫は・・って・・あれ?確かさっき自宅にあるのか、そっちにあるのか、研究室にあるのか判らんって・・・江神さん一体どこの書庫整理を頼まれてきたんです?」
 織田の言葉を聞きながら江神さんは短くなったキャビンを灰皿に押しつけた。そして。
「大江山」
「・・・・・へ?」
「川辺教授の別荘。というか、家ごと書庫と言った状況らしいがな」
「呆れた・・!完璧な私用スペースの整理を学生に押しつける気か、あのおやじ」
「せやから、バイトなんやろ?研究室での成果の認められてのお声がかりや。交通費、食事代は全額支給。川辺教授は日文化史学が専門やけど、民族学や地域史学、哲学・理論学の方まで精通しとるから蔵書も幅広いで。ちなみに結構なミステリーマニアでもある」
「えっ!!!」
3人同音の短い声にクスリと漏れた笑い。
「まさか研究室の方にそいつを置くわけにはいかんやろうし少なくとも1年前には見あたらなかった。自宅も家が潰れると文句を言われて別宅を購入した位やから、あまり研究とは関係のない物を多くは置けない。せやから俺としてはそこに結構な宝があると踏んでいるんだがな」
「・・・・・・宝・・・」
 ミステリーマニアの宝。
 単純すぎると笑わば笑え。猫に鰹節。ミステリーマニアに幻の絶版本があるかもしれないという誘惑。
空になったコーヒーカップを手の中で弄びながら江神さんはフワリといつもの微笑みを浮かべると言葉を繋ぐ。
「“むかし丹後の大江山、鬼ども多くこもりいて・・ ”の伝説の地やからな。宝探しにはちょうどええやろ?」
 かくして後期講義開始直後からの4泊5日も何のその。
 “鬼退治”ならぬ“賃金労働付き宝探し”が決まったのだった−−−−−−−−・・・。

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 フワリと立ち昇る白い煙がどこからか入る風で揺れて消えて行く山合いをガタンガタンとリズムを刻んで走る列車。
「・・昔やったらほんまに都の外れも外れ、確かに鬼が居ても何が居てもおかしないわなぁ・・。しかも都にちょっかいをかけて逃げ込むには丁度ええし」
 視線を窓の外に向けたままの江神さんの言葉を聞きながら僕は少しずつ、少しずつ近づいてくる伝説の山々をただ黙って見つめていた。
 9月も終わりの山々は紅葉が始まり、気の早いナナカマドの木の鮮やかな赤がところどころで瞳に飛び込んでくる。
 もう少しすれば並ぶ様にして流れる由良川も分かれ、その本流は舞鶴へと通じる。僕たちが行くのはその支流・宮川の奥、目の前で深い緑に被われて、雲に霞んで見えている御伽草子の鬼伝説で名高い大江山だ。
「江神さんは大江山に来た事はありますか?」
「ない」
 僕の問いに江神さんは短く答えた。
「・・・そうですよねぇ・・・」
 日本文学史を専門とする教授の趣味でもあるのか、それでも大江山に別荘というのは中々に珍しいと思う。
 近頃では酒呑童子の里として鬼にまつわる様々な観光スポットや、施設などが出来て、トレッキングやハイキングコースとしても観光客を呼んでいるらしく、又付近には小さなスキー場もあるが、別荘を建ててしまう人間はそうは居ないだろう。それも書庫が目的とあれば尚の事だ。普通、使う本を整理する目的の場所ならば、職場から便の良い場所を考えるのが常識だ。同じ京都府と言われても−−大江町の方々には申し訳ないが−−そうだとはあまり認めたくない気持ちにもなってしまう。
(・・・・日本も広い思うんわこういう時やな・・)
 訳の判らぬ納得をして僕は再び視線を進行方向に向けた。そしてふと思いついた事を口にする。
「そう言えば、このまま真っ直に行くと宮津なんですよね」
「・・・・・ああ、そうやな」
「どうせならそっちに建てれば良かったのに。魚も旨いし」
「・・・・そうやな」
 ガタンガタンという音と同じに伝わってくる振動。『公庄』と放送が入り、揺るやかにホームに滑り込み止まった列車からパラパラと数人の乗客が降りた。
先刻の由良川はこの先『大江』から2つに分かれる。
僕たちも又そこで降りて、今度は町営のバスに乗り換えるのだ。
 ドアが締まって再び動き出した列車に、僕はキョロキョロと路線案内図を探して立ち上がり、それを目で追った。
「次でええんですよね?そこから今度はバスで約30分」
「更にそれから歩いて20分やったかな」
「んー・・まだ先はありますけど、ようやく先が見えてきましたね」
 言いながら振り返ってにっこりと笑うと江神さんも又フワリと笑った。重なる視線。
 その途端、なぜか熱くなる頬に僕は慌てて視線を外すと早口に言葉を紡いだ。
「モチさん達も来られれば良かったですねぇ」
 思い出すのは此の世の終わりのような、又は全ての不幸を受けてしまったかのような二人の顔。
 日程を聞いて、何かが思い当った様にバサバサと手帳を広げて、叫んで、固まるまでおよそ1分。
“ゼミがあるぅ・・何でやぁぁぁっ!!”
“あのくそオヤジ何で休み中にそのバイトを言わんのや!”
“大体ゼミがこんな時に後期課題の説明なんて・・!!”
“うう・・・休んだら・・・あかんやろなぁ・・ ”
“うわぁぁぁぁっ!”
 ものの見事な連係プレー。落ち込みもコンビでナイスな二人から、僕は次の瞬間、手を取られて真剣な眼差しで『お願い』をされたのだ。曰く“何としても宝を見つけて、借りてくれ!!”と・・・。
「何や、アリス。そないモチ達が恋しいんか?」
「−−−−−−−−!」
 ニヤリと笑っての江神さんの問いかけに僕は思わず弾かれた様に顔を上げた。
「ち・・違いますよ!別に・・僕は・・・そんなん・・え・江神さん!からかってますね!?」
 俯いた顔。ついで小さく震え出した肩に僕はようやくその意図に気付いて目の前の先輩を睨みつけた。
「別にからかったわけやないで。ほんまに思うた事を尋いただけや」
 尚更悪いです。
「・・・・もうええです」
 ぷいとそっぽを向いた顔は多分、きっと赤くなっているのだろう。それを見つめて江神さんはひどく優しい微笑みを浮かべながら口を開いた。
「怒るんやない。俺はこの状況に結構感謝しとるんやで?」
「!!!」
クスクスと耳をくすぐる笑い声。
「気張って宝を見つけような、アリス」
何がどこまで本気なのか。
 赤い顔を更に赤くして「はい」と返事を返しながら、僕は胸の中で小さな溜め息をついた。
4泊5日の宝探しは始まったばかりである。

 やがて列車は『大江』に到着した−−−−−−−−。

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学生編の長編です。鬼伝説はいつか使ってみたかった題材の一つでした。また長い話になりますがお付き合いくださいませ。