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狂鬼恋歌10

「・・本当にご迷惑をおかけしたようで・・すみません」
 ペコリと頭を下げた美里に続いてその隣で会田創一が小さく会釈をした。更にその横では谷崎航が手の中で煙草のパッケージを弄んでいる。銘柄はマイルドセブン。
「それで警察の方は?」
 江神さんの言葉に会田が小さく口を開く。
「はっきりとは言わなかったけど多分殺されたんやろうと。お陰ですっかり犯人扱いです」
「創・・会田君・!」
「ええやないか。どうせみんな判っとる事や。江神さん・・でしたか。そうですよねぇ?そちらも犯人扱いの一歩手前でしょう?」
 一歩手前という言い方はおかしいが妙に的を獲ている。
「ほんまに・・こう言うたらなんですが、えらい迷惑や。キャンプに来て人捜しの後は殺人の容疑者。滅多に出来ん体験や」
「悪かったな!」
「別にお前の事なんか言うてへんよ、俺は。むしろえらい女と付き合うて災難やったなと言いたい位や」
「てめぇ・・!」
「やめて!・・もう・・創一も谷崎君も、もう止めてよ」
 泣き出す寸前の様に顔を歪めた彼女は、それでも涙は零さずに小さく俯いた。どうやら篠原かなえに端を発した揉め事は仲間内の中に蔓延しているらしい。
「あの後から彼女は姿が見えなくなったんですか?」
 キャビンを銜えながら江神さんが口を開いた。
「バス停の近くで。私達が見たのと貴方がたが彼女を最後に見たのが同じなのかと思ったので」
「あんたも警察の仲間ですか?」
 鼻白んだ谷崎の言葉に江神さんは銜えたそれを指で持つ。
「いえ、そういうわけではありません。先ほど会田さんがおっしゃっていたように私たちも容疑者の一人です。彼女の冥福を祈ると共に、私たちも又この容疑から解放されたい。そう思われませんか?」
「そらそうやけど・・・」
 会田がポツリと半分だけ不貞腐れたような声を出した。
 僅かな沈黙。
「私がかなえを追い駆けたんです」
 それを破ったのは美里だった。
「警察にも言うたけど、もしもここで5人で話をしたら何かおかしい事が見つかるかもしれない。そうでしょう?警察の取り調べは1人ずつやったんやから、思いだせへん事が有ったかもしれへんし・・」
「・・・・警察の鼻をあかせるって?」
 どこか皮肉気な言葉は谷崎。
「それは・・判れへんけど」
「いいだろう。やってみよう。まずは美里がかなえを追い駆けた。それは俺も谷崎も知っとる事や。江神さんたちも見ましたか?」
 会田は気軽に声をかけてきた。
「いや、そこまでは。篠原さんが何かを言うて里の方に歩き出したんわ見えたやけど」
 言いながら視線を向けてきた江神さんに僕はコクリとうなづいて答えた。それは間違いがない。
「そうなんです・・・かなえがどんどんグラウンドの方に歩いて行ってしまって、谷崎君が追い駆けようとしたんやけど・・・まだ女同士の方がいいかと思うて“私が行ってみるから”言うて・・・」
 言いながら美里は思い出すように顔を俯かせた。
「グラウンドの裏手からずっと山に入って行く道があってその辺りで追いついたんです。でも、すごく興奮してて、怒ってて・・・・」

“帰ろうよ、かなえ。谷崎君たちも心配してるよ”
“どうだか。呆れて怒ってるとでもはっきり言えば? ”
“そんなん・・ ”
“いつだってあんたはそう。そうやって人の陰に隠れていい子ぶって、あたしに言わせればあんたの方がよっぽどしたたかで狡いわ”
“かなえ!!”
“帰って報告でもすれば?全然聞く耳も持たないって。ついでにそのまま帰ったとでも言うてくれてもええわよ”

「・・・その後、山道を上りながら話をしたんですけど、何か言えば言うほどイライラして、そのうち自己批判めいた事まで言い出して・・」
 山?では篠原かなえは池とは全く方向の違う山道を上って行ったのか?僕の疑問をよそに美里は話を進めて行く。

「“死んだ方がええと思うてるんでしょう!?”そんな事まで言い始めました。私どうしたらええのか判らなくて、誰もそんな事思ってないから気持ちが落ち着いたら戻って来て欲しい言うてその道を降りたんです。降りたらグラウンドのフェンスの辺りで二人が待っててくれました」
「榎本が降りてきて、かなえがそんな調子やて聞いて、今これで俺が行っても同じやろうって思った。元々気性の激しい所があったし、そこまでにはならなくても言い出したらきかんから、熱りが冷める迄様子見て、小一時間経っても戻って来いひんようやったらその時に改めて迎えに行こう言うて一度バンガローの方に戻ったんや。ここで待ってて降りて来た所を見られたら又つむじが曲がるかもしれへんし」
 美里の言葉を谷崎が受けた。それを間違いはないという様に会田がコクリとうなづいた。
「その時間が何時位やったか思い出せますか?」
 これは江神さん。少しだけ考える様にして会田が口を開いた。
「どこまで行ったんやろう思うて途中で時計見た時が1時5分過ぎやったから・・・その後煙草を吸ってるうちに美里が降りてきたんやから・・10分位か?」
「せやな」
 会田と谷崎が確認するように視線を合わせた。それを見ながら江神さんは「それで?」と話を進めた。
「え?ああ・・それでバンガローに戻って、どうするかって
話をして」
「どうするかとは?」
「いや・・かなえがこんなやし、予報で台風が近づいて来とるって、ああ、これは内宮の辺りにあった定食屋のテレビで見たんやけど。それで今日の宿泊をキャンセルして帰るかみたいな。な?」
「ああ」
 今度は谷崎の問いに会田がうなづく。そこに美里が割って入った。
「バンガローに戻った時は1時半を回っていました。どれ位したら迎えに行こう思うて見ましたから・・」
「それで結局いつ迎えに行く事にしたんですか?」
「2時を少し回った位です。グラウンドの辺りまで又一緒に行って、今度は谷崎君が見てくるって・・」
「かなえが上って行った道を20分位歩いて、でも全然姿が見えんからあいつどこまで行ったんやろうって。その内分かれ道になって、その時やっとこの道はずっと千丈ガ嶽の方まで続いとるんやて思い当って、こりゃ一人や無理やと引き返したんや」
「その間はずっとお二人はグラウンドの所で?」
「・・ええ。グラウンドの近辺と広場の辺りをウロウロしてましたけど」
「谷崎があかんわ言うて戻ってきたのは2時50分位です。それで今度は3人で美里がかなえと別れた所まで行って、その先の分岐点の所で女性を一人で行かせるわけにはいかんいう話になって結局その分岐点で俺と美里が脇道言うか中央の休憩所の駐車場に行く舗装道路の方に出て、登らずに下って千丈ガ原へ出ました。で、美里はそのままバンガローの方に俺は鬼嶽稲荷の方に抜けてそこから引き返すいうルートを取りました。谷崎はそのまま鍋塚林道まで行って鳩が峰を経由して鬼嶽稲荷神社までの道を行きました」
「じゃあ・・谷崎さんが一番歩かれたんですか」
 先ほど江神さんが持ってきたアバウトな地図を見ながら僕は思わず茫然としてしまった。遊歩道を上り、ぶつかった鍋塚林道を下りながら鳩が峰へ抜け、更に大江山の千丈ガ嶽へ出て鬼嶽稲荷へと続く。もちろんそこから又バンガローにかえってこなくてはならないのだ。
「3時間強のいい運動やったな」
 言葉と裏腹に谷崎の表情は渋い。それはそうだろう。いくら自分の彼女の為とは言え、この散歩道はかなりなものがある。
「ロッジの辺りで榎本さんと会うたんはそこからの帰りやったんですね」
「・・・はい。バンガローから吊橋に出て、渓流沿いにロッジの方に上がって行きましたから」
 それが4時半近く。確かに時間的におかしい所はない。
「バンガロー戻ったら美里が居らんかったんで、俺はそのまま童子荘の方に行ってそこで美里を見つけたんが5時過ぎ。バンガローに戻って、谷崎が帰ってきたんが・・6時過ぎ」
「・・もしも気に触ったら謝ります。どうしてその時点で警察にでも、管理事務所にでも届けなかったんですか?」
 確か先ほどの小出氏の話では連絡がきたのは8時前と言っていた。だとすれば、2時間弱、少なくとも1時間半以上のロスタイムがある。
 僕の言葉に3人は三様の苦い表情を浮かべた。
 訪れた沈黙。やがて一番苦り切った顔をしていた谷崎が渋々といったように口を開いた。
「・・まさかこないな事になるとは思わんかったんや。かなえは元々ああいう性格やし、もしかしたら俺たちが判らんうちに街まで降りとるかもしれんて。携帯も鳴らしたんやけど電源が切られとるし。貴重品の入ったバックは持ち歩いてたけど、他の荷物の入ったバックはバンガローに置いてあるしこのまま帰る事はないやろう。帰るにしても何か連絡を寄越すやろうて・・」
 けれど彼女は戻ってこなかった。否、戻れなかった。
 再び重い沈黙が落ちた。そして。
「時間の確認にはなったけど、警察の鼻をあかす事は出来なさそうやな」
 会田の疲れを含んだ皮肉気な言葉でその場はお開きという事になった。ガタガタと椅子を動かす音がする。
「美里?」
 その声にふと視線を向けると他の二人と違ってまだ椅子に腰かけたまま、半ば放心状態のようになった榎本美里の姿が見えた。
「おい・・大丈夫か?」
 気づかわしげに声をかける会田を横目に谷崎がクルリと踵を返して出て行く。
「・・ごめんなさい・・大丈夫・・・」
 言いながら立ち上がった彼女の顔はお世辞にもそうとは言えない顔色だった。
「結構降ってきたな」
 江神さんの言葉に残り3つの視線が窓の外に注がれた。
 はっきりと線の見える雨が空から落ちている。おそらくこれからが本降りになるのだろう。
「・・・鬼が・・」
「え・・?」
 背中から聞こえてきた小さな言葉に僕は思わず後ろを振り返った。
「鬼のせいよ・・・鬼がかなえを殺してしもうたんやわ」
 クシャリと歪められた顔が細い白い指で覆われた。そうして次の瞬間、小さな嗚咽の漏れ始めたその身体を、会田が何かから庇う様に抱き寄せて連れて行くのを僕はただ黙って見つめていた。
“鬼がかなえを・・・”
 たった今聞いたばかりの美里の言葉が耳の奥に甦る。
“鬼が・・・”
「アリス」
「!!はい!」
 名前を呼ばれて慌てて振り返った僕に江神さんが苦笑を浮かべた。
「食事が出来とるそうや。これ以上ひどくならんうちに戻らんと遭難や」
「・・あ・・はい・・そうですね」
 降り出した雨が激しさを増して行く。配膳口まで行くとホカホカと湯気の立つハンバーグ定食のようなものがトレーに乗せられていた。それがひどく暖かくて、嬉しくて、厨房の中で手を上げた中年の男性−−きっと彼が教授の飲み仲間なのだろう−−に軽く頭を下げて歩き出すと、僕は重たい灰色の雲が渦を巻くような空をもう一度見つめた。


推理事件っぽくなってきたでしょうか?