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狂鬼恋歌5

「ごちそうさまでした」
パンと手を合わせるとすでに食後の一服を始めている江神さんから小さな笑いが落ちた。
それを目の端で捕らえながら僕は湯のみに手を伸ばしつつ口を開く。
「けど手近な所で食事可能な場所があって良かったですね」
「そうやな。これ位なら出てこようと言う気にもなれる」
用意されていたパンとハムと玉子を使って簡単な朝食を済ませ、キリの良いところまでと引き続きのバイトに励んだ、僕たちは11時半前に、何故か3台もあった人力の“愛車”で川辺邸を出発した。
昨日歩いた熊笹の道も、なるほど愛車を飛ばせば府道まで10分と少しで来てしまう。けれどさすがにこのままバスで30分の町まで行く気はしない。とりあえず、夕べの予定通り酒呑童子の里に近い“山の家 の停留所まで自転車をこいで、僕たちはそこにキャンプ場や、グラウンド等の施設利用者や宿泊者、又、登山者向けに出されている食事がある事を発見したのだった。
「何もない隠れ里もええけど、やっぱりこういう場所も必要やろ?」
「・・・・僕は純粋に“バイト兼宝探し”に来ただけです」
キャビンを薫らせながら江神さんはニヤリと笑った。それにムッとして僕はボソボソと口を開く。
 どうも昨日の会話が江神さんの中ではかなりツボに入っているらしい。
1日6便というバスの時間を調べる為に−−−ここから出るバスの時間は書かれているが、町まで降りて帰ってくるバスがなければ笑い事では済まされない−−−僕たちは目の前の“大江山の家童子荘”を訪ねた。
入ったすぐ脇のフロントらしき所で「大江からこちらに戻るのバスの時間を知りたいのですが」と尋ねた江神さんを眺
めつつ、僕はふとそこにあったパンフレットに目を止めた。
「−−−−−−−−−−−−!」
果たしてそこに書かれていたのは・・。朝食600円・昼食800円・夕食1500円・・・
「こ・これって泊まってない人間も食べられるんですか?」
「は!?」
「アリス?」
「あ・・あの・・えっと・・あの・・」
カァーッと熱くなる顔。
向けられた視線に落ちた、何とも居心地の悪い沈黙を破ったのは、フロントの中にいた白髪混じりの男だった。年の頃は40代後半だろうか、彼は小さく笑いながらコクリとうなづいて口を開いた。
「ええ、勿論。お金さえ払ってもらえたら。ちなみにバーベキューの用意も出来ますよ」
「食事処の確保やな」
幸か不幸か、バスの時間まではまだ少し間がある。
「ほんなら、さっそく昼食を利用させてもらうか」
その言葉に異論がある筈がない。
 そうして僕たちは無事に昼食を腹に収めて、現在に至っているのである。
すでに2本目の煙草の煙が揺れる。
 どこか学食を思い出させるような、というよりもクラブの合宿か林間学校を彷彿させる広い食堂の端で、2本目のそれがあらかた煙になった頃、先刻フロントにいた男がニコニコと笑いながら僕たちに近づいてきた。
「お口に合いましたか?」
「はい、おかげさまで。ごちそうさまでした」
僕の言葉に人の好さげな男はもう一度笑って「いいですか?」と尋ねると向かい側の椅子に腰を下ろした。
「こちらは初めてですか?」
「ええ。色々と施設が整っているのでびっくりしました。こちらの宿泊施設の他にもバンガローやキャンプ場があったり
テニスコートやグラウンド場もあるそうですね」
 短くなったキャビンを灰皿に押しつけて江神さんが言う。それにうんうんとうなづく様にして男は再び口を開いた。
「大江山は星体観察や新緑や紅葉を訪ねるハイキングルートとして結構人気があるんですよ。春夏は鍋塚から鳩が峰の辺り。これからの季節なら鬼嶽稲荷神社から千丈ガ嶽辺りがよろしいでしょう。ただ冬はあかんのですわ。この先のスキー場の方はともかく、この辺は日本海からの季節風がもろに来てみんなしもげてしまうんです。一応バンガローの方は11月までの営業になっておりますけど、10月一杯と考えておった方がええくらいで。ああ・・すみません。一人で喋ってしもうた。えーと、お二方はどちらからですか?」
男の問いに江神さんは「京都です」と短く答えた。
「はぁ・・観光で?」
「いえ、アルバイトです」
「は・・・?」
本日2度目の驚いた顔。それを見ながら江神さんは苦笑に近い笑みを浮かべて言葉を繋げた。
「実はこの近くに別荘を持つ恩師から別荘内の整理を頼まれまして」
「そうやったんですか。車でいらしたんですか?」
「いえ。電車とバスを使いました」
「それは大変だったでしょう。ああ・・それで食料の調達とか食事処がどうとか言うてたんですね?」
男はようやく合点が言ったと言うようにうなづいて次にふと思い当ったように再び口を開いた。
「もしかして、恩師と言われたのは、えーっ・・何とかいう大学の先生の?」
「・・・・・多分、そうだと思います」
幾秒かの間をおいての答えに目の前に浮かんだ微笑み。それを見た途端、僕は思わず頭を抱えたくなってしまった。どうやらどこに来ても教授はやっぱり教授らしい。
「この辺りに別荘を建てる方はあまり多くはないので。しかもあそこまで山奥に建てる方も珍しい言うて一時期話の種になったんです。更に中は本だらけやいう噂もあって。まぁ・・こんな田舎ですから話題になると広まるのは早いもんですから。何度かこちらにもお見えになって食事をされたり、博物館の方を熱心にご覧になったりしておりましたよ。あの先生の教え子さんですか」
「・・・・・お世話になってます」
どこか居たたまれない気持ちになって思わず頭を下げた僕に人の好いフロントマンは「とんでもない」と首を横に振った。
「色々楽しいお話も聞かせてもろうてます。こちらこそ宜しくお伝え下さい。それから何かありましたら遠慮なく言うて下さいね。あと食事処ですが、内宮の辺りの山の中にイタリアンレストランがオープンしましたのでよろしければそちらにも寄ってみて下さい。結構評判はよろしいですよ」
「ありがとうございます」
揃ってペコリと頭を下げると男はカタリと椅子から立ち上がって歩き出した。何となく職務質問ならぬ誘導尋問をされた気もしないでもないが、嫌な気はしない。
もっとも教授を知っているという事が僕の気持ちの中にあったからなのかもしれないが。
「そろそろ行くか」
時計を眺めて江神さんはゆっくりと立ち上がった。それに促されるように、学生食堂宜しく食べ終えた食器を返却口に返して外へ出る。
視界に飛び込む赤鬼。それを横目に、僕は明るい・・けれど夏とはどこか違う日差しに目を細めた。
「せっかくやからそのイタリアンレストランっていうのも一度は行ってみたいな」
「はい!」
元気よく返事を返した僕に江神さんはクスクスと笑った。
何だかここに来てから笑われる事が多くないか?
そんな事を思いながら、今はここに居ない2人の先輩たちの「そんなんいつもと同じやろ?」という声が聞こえた気が
して僕は少しだけ歩く足を早めた。
「・・どうせ正直者ですもん」
「正直者には福が来る、か?」
「江神さん・・!」
バス停にはもうバスが扉を開けたまま停まっていた。もっとも出発の時間までにはまだ少し間があるので運転手ら
しき人間は木陰で缶コーヒーを飲みながら知り合いだろう人間たちと談笑をしている。
「もう乗りますか?」
「そうやなぁ・・あと5分程やから・」
「あー!やっぱりここに泊まっとる人やったんやわー!」
「−−−−−−−!?」
江神さんの言葉を遮る様に重なった声に僕は思わず後ろを振り返った。視界に入ったのは見知らぬ女・・否、多分昨日吊橋の辺りですれ違った車の中から手を振っていた彼女だ。
レンタサイクルだろうか、自転車をひくようにしてニコニコと近づいてくるその後ろから顔を見合わせながら後をつい
てくる3人の男女。
「こんにちわ」
「・・・こんにちわ」
言いながらペコリと頭を下げた僕に女はもう一度ニコリと笑った。
「昨日すれ違ったでしょう?覚えてます?」
サラリとストレートの長い髪が揺れる。
「・・・車だったから判らなかったかしら」
どこか媚るような色が見え隠れする瞳。
「吊橋の辺りで?」
江神さんの短い答えに彼女は満足したように小さくうなづいて再び口を開いた。
「良かった。手ぇ振ったの気付いてくれたんやね。ところでどこに泊まってるん?あたしたちはバンガローの方に居ったんやけど、会われへんかったでしょう?」
「ここに宿泊しとるわけやないんで。それより」
“バスが”と続けようとした僕の言葉を勘違いして彼女は「ああ」と声を出すともう一度にっこりと笑って、自転車を停め直した。
「ごめんなさい。自己紹介がまだやったわね。私、篠原かなえ。後ろにいるのが端から谷崎航・会田創一・榎本美里。大学の仲間で大阪から来ました。そちらは?」
いきなりの自己紹介に僕は思わず江神さんに視線を向けてしまった。こんな事になる筈ではなかったのだ。急がなければ貴重なバスが出てしまう。そんな言葉にならない僕の言葉が届いたかの様に江神さんが静かに口を開いた。
「京都から来た、江神と有栖川や。この近くに滞在しとる。悪いけどバスの時間やから」
「あら・・もう帰るの?」
「いや・・」
「それじゃあ、町の方に?」
「・・・そんなところや」
「せやったら、うちらの車に乗っていかへん?」
「かなえ!」
声を上げたのは谷崎と紹介された男だった。
「あら、ええやないの別に。サイクリングも半日やれば十分やわ。何だったら車をお貸しするから一緒にドライブする言うのはどう?それにしてもこの辺に泊まってるって、もしかして別荘とか持っとるの?」
「おい、いい加減にしろよな」
ついでムッとした様に口を開いたのは会田と紹介された男で、その横でウェーブヘアーの小柄な女−−榎本美里−−がオロオロとしている。
「何よ、見知らぬ人と交流を深めるのも旅の醍醐味でしょ?ねぇ、えーと・・江神さん・・と有栖川さん。もし良かったらその後、一緒にバーベキューでもして・・」
ニッコリと笑うその顔に僕は何だかムカムカとしたものが胸の奥に湧き上がるのを感じていた。
多分世間一般的には彼女−−−篠原かなえは“美人”と呼ばれる部類に入る女なのだろう。けれど、でも、この態度は我壗を通り越して傲慢としか言い様がない。
「いや、ご厚意は有り難いんやけど、バイトで来とる身やから買い出しが終わったらすぐに仕事に戻らんとあかんのや。ほんならこれで。行くで、アリス」
「あ・はい。失礼します」
「じゃあ!じゃあ、仕事の終わる時間にそっちに遊びに行ってもいいかしら?。別荘の方におじゃましてバーベキューをするのでもええし」
「・・・・・っ・!」
無意識の内にか−−−あるいは意図的にか−−−後ろを向いて歩き出した僕の手に、白い細い指が掛けられた。その瞬間・・・
「かなえ!いい加減にしろ!」
「うるさいわね。一々怒鳴らないでよ。大体こんな何にもない所、半日もいたら飽きちゃうに決まってるやないの!」
「鬼の里なんて面白い言うたんわ。どこのどいつや!?」
「そっちが勝手に盛り上がってただけでしょ?」
「・・こ・・の・・!」
「きゃあ!」
振り上げられた手にわざとらしく思える仕草で、彼女は僕の手を離すと、スルリと江神さんの後ろに回り込んだ。途端にドクンと一つ鼓動が鳴る。
「止めて!止めてよ、二人とも!ごめんなさい。あの・・本当に・・バスが出そうやから」
「・・・ああ。別荘言うても他人の家やし、バイトの身分やから勝手に呼ばれへんのや」
江神さんの言葉に、けれどうなづいたのは篠原かなえではなく榎本美里だった。それを見て、篠原がフイとそっぽを向く。
「いい子ぶって・・」
「篠原!」
「やめて!」
会田の声に榎本は泣き出しそうに顔を歪めた。どうやらデバカメの予想をすると、会田と榎本。谷崎と篠原という組み合わせらしい。
後方でバスがこもった警笛を鳴らした。出発の時間なのだ。
「・・アリス」
「はい・・・」
ひどくひどく重い沈黙から僕はクルリと背を向けて走り出した。そうしてすでに締まっていた扉を開けてもらってバス
ヘと乗り込む。
視線を向けるとまだ何か揉めているらしく、怒ったようにして道を歩き出した篠原かなえの姿が見えた。
「・・・・・痴話喧嘩に巻き込まれたって感じですかねぇ」
 僕の言葉に江神さんはらしくもない苦笑を浮かべて「それ以前って感じやな」と辛口の批評を下した。
緩やかに山の中を下って行くバス。
吊橋を過ぎて“鬼の飛び石”のある二瀬川渓流を眺めながら僕は何となく胸につかえるザラザラとした気持ちに思わず舌打ちをしたくなった。こんな風に思うのはおかしいが、出来れば彼等と、否、彼女とは会いたくない。けれど次の瞬間そんな風に思ってしまった自分が嫌で、僕は思わず眉間に皴を寄せた。
「アリス?」
「・・・はい」
「気にするんやない」
「はい・・」
舗装された道をバスは静かに走る。秋特有の青く、高い空。
鬼の棲んでいた山はひどく綺麗で、便利になって、色々な人間たちが訪れる様になった。けれど・・・でも・・・
「・・・・・・っ・・」
チクリと何故か胸が痛む。それは何かの予感めいて、僕はそっと瞳を伏せる。
「雲が早いな」
「・・え・・・?」
「沖縄の先に台風が来とるって今朝のラジオで言うてた」
教授の別荘にはテレビがない。あるのはひどく年代物のラジオだけだ。それはいかにもあの初老の教授らしいと僕は思った。
「こっちに来るのかもしれへんな」
江神さんの言葉に僕は俯きかけていた顔を上げた。
「それなら・・・それならしっかりと買い込まなあかんですね。ついでに懐中電灯とかも買うてきますか?あそこで何か
あったら遭難以外の何物でもないですからね」
「・・そうやな」
言いながらフワリと浮かんだいつもの微笑みに、僕は何故か泣き出したいような気持ちになってしまった。他合いのないやりとりがひどく嬉しくて、優しい。
「あとは何を買うかな。カレーの材料でも買うてくるか?それ位なら作れるやろ?」
クシャリと髪を掻き回す長い指に小さく笑って「任せて下さい」と言いながら、僕はもうすっかり見えなくなってしまったそこをもう一度だけチラリと振り返った。

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オリキャラが出てまいりました。さて、どんな事件が起こるのでしょうか??