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狂鬼恋歌6

 念には念をとバスの時間を確かめて、大江の駅周辺でとりあえず幾つかの食材を手に入れ、ついでにビールと酒とつまみ、更に懐中電灯を購入して、僕たちは酒呑童子の里に戻ってきた。
ゆっくりと傾きかけてきはじめた日は、それでもまだ夕日の赤いそれとは違い、疲れたような白っぽい光で 赤や黄色に色付き始めた山々を照らす。
 停留所の辺りには先ほどの4人組は居なかった。もっともあれからゆうに4時間という時間が経過しているのだ。まだここに居たとしたら、それはそれでかなりすごい事である。
「買い出しの遅れを取り戻さんとな」
江神さんの言葉に僕は小さく笑って「そうですね」とうなづいた。自転車を留めさせてもらっていたのは童子の家の裏手である。重い荷物を抱えながらゆっくりと歩き、荷台にくくりつけると鍵を外してそっと動かす。同時にグラリと揺れた車体にサドルを持つ手に力がこもった。
「大丈夫か?」
「はい」
 動き出した2台の自転車。バランスをとりながら跨ってペダルを漕ぎ出したその瞬間。
「・・・アリス」
「はい?」
「さっきの・・」
「え?」
 下り出した緩やかな坂の舗装道路の向こう。江神さんの視線を追うように顔を向けたその先に、僕は先ほどの4人組の一人を発見した。
「・・・榎本さん・・でしたっけ?」
「何や様子がおかしいな」
 近づいてくる僕たちに −−−といっても彼女が僕たちの進行方向にいるのだから仕方がないのだ。まさか姿を見つけたからと言って回れ右をするわけには行かない−−−彼女は小さく「あ・・」と声を上げてペコリと頭を下げた。
それを見ながら僕も又ペコリと頭を下げる。
「・・・・あの」
「はい?」
 何かを迷うようにしながらも、すれ違う寸前で声をかけてきたのは彼女−−榎本美里−−の方だった。
 慌ててブレーキをかけて、僕たちは道の途中で止まる。
「どうかしたんですか?」
 隣で江神さんが口を開いた。それを聞いて美里は又、迷っている様な表情を浮かべた。そして。
「かなえを・・・あの・・先ほど一緒に居たかなえを見ませんでしたでしょうか?」
「・・・・どういう事ですか?」
 江神さんの問いかけに彼女は一瞬だけ辛そうな顔をすると今度は迷わず言葉を繋げた。
「いないんです」
「いないって・・・あの後からですか?」
 確かバスに乗り込んだ時、篠原かなえは他の3人と言い合って一人で歩き出していた。
僕の質問が判ったのか美里は小さくコクリとうなづいた。
「あの後、怒ってどこかに行ってしまったんですけど、まだ戻ってこないんです。それで今手分けをして捜しているんですけど・・・」
 どこまでも人騒がせな人間だ。我壗もここまでくれば立派かもしれない。
「そのうち帰ってくるんやないですか?」
 思わず冷たくなってしまった言葉に美里はどこか途方に暮れたような表情を浮かべた。
「私たちもそう思ってたんです。けど、もうすぐ暮れてきますし・・・」
「案外バツが悪くて戻れないのかもしれませんよ」
 江神さんの言葉に美里は微かに首を横に振った。
「・・そういう感じやないから・・・」
 さもありなん。思わず胸の中で納得してしまった僕に彼女は俯きかけていた顔を上げて再び口を開いた。
「お二人の別荘の事が気になっていたようだから、もしかしたらと思うたんです」
「!!」
「・・ご覧の通り町まで買い出しに行っていたのでこれから帰るところです。もし途中で見かけたら皆さんが心配して捜していた事を伝えますよ」
「・・・・・よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げ、そのまま童子荘の方へと歩き始めた彼女の背中を僕は黙って見つめていた。
「行くで」
「・・はい」
 再び漕ぎ出した自転車は何故か先ほどよりもペダルが重く感じた。胸の中に甦る、昼間感じていた言葉にはうまく出来ないドロドロとしたような“何か”が再び胸の中に込み上げてきて僕は思わず眉を寄せる。
「−−−−−−嫌な予感がするな」
 江神さんの声がした。それは先ほど僕自身も感じた事だった。振り返れば傾き始めた日に照らされた鬼の棲む山。
 嫌な・・・嫌な感じがする。
「途中で彼女に会えるといいですね」
 あれ程会いたくないと思っていたのに、僕の口からはそんな言葉が零れ出していた。
 もうすぐ・・・もうすぐ昨日見たあの赤い、紅い、時が訪れる。異形のものたちが足音を忍ばせてやってくる。
「・・そうやな」
 脇道に入った途端、荷台でガシャンと何かが音を立てた。割れるようなものは日本酒位だっただろうか?そんな他合いのない事を考えていないと押し潰されそうな気持ちを抱えたまま僕はひたすらペダルを漕ぎ続けた。

 −−−−−−結局、僕たちは彼女に会う事がないまま、川辺邸へと戻ってきた。

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さて彼女はどこに…