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狂鬼恋歌7

 木々の間から覗く空は今にも雨が振り出しそうに重たげな濃い灰色をしていた。
 3日目の朝の目覚めは正直に言って最悪だった。
 どんなものとは思い出せない、けれど確かに僕はその眠りの中でいくつもの夢を見た。そしてそれは決して気持ちのよい夢ではなく、記憶をかけらを無理やりに集めると行方不明の彼女・篠原かなえや、絵本の中で見たような鬼、そして推理研の紅一点・有馬麻里亜も出てきた気がする。
「・・・・・・・・」
 パサリと手の中から落ちた一覧表。
 10時過ぎ位からとりかかったそれは、昼を過ぎてもほとんど進まず、僕は無意識の内に溜め息をついて床に落ちたその紙を拾い上げた。続け様に漏れ落ちた2度目の溜め息。
 昨日は盛んにさえずっていた鳥たちも今日はどこかに姿を潜めてしまった様で、時折思い出した様に響く甲高い鳴き声がひどく耳に触る。
「アリス?」
「!・・・ああ・・すみません」
 無意識のうちに止まっていた手。かけられた江神さんの声に慌てて作業を始めた僕の耳にやがて困ったような小さな溜め息が聞こえてきた。
「気になるんか?」
「・・いえ・・・・・・・は・い・・」
 一度否定して、オズオズと肯定すると目の前で零れた限りなく苦笑に近い微笑み。その途端駆け抜けた“罪悪感”に僕は思わず顔を俯かせた。
「すみません・・」
「謝ることはあれへんよ。たとえ一度だけでも会うた人間が居なくなったんや。気にするなって言う方が・」
「いえ・・違うんです」
「アリス?」
 言葉を遮る様にして口を開いた僕に江神さんはいぶかしげな表情を浮かべた。それに僕はどう言ったらいいのか少しだけ考える様にして、結局まとまらない思考のまま話し出す。
「確かに・・彼女が居なくなったのは気になる・・けど・それだけやなくて、よう判れへんのやけど・・昨日から・・嫌な予感みたいなものがあって・・・でもそれは彼女が消える前からで・・・」
「・・・・・・・・・」
 僕の言葉を江神さんは黙って聞いていた。真っ直に見つめてくるその瞳に励まされる様にして僕はまとまりのない思考を拾い集めて言葉を紡ぐ。
「彼女に会うて・・正直嫌な気分にもなって・・バスに乗り込んだとき振り返った時に見た彼女の後ろ姿を見た時にも感じたんですけど・・・・すみません・・うまく言えません」
「構わん。続けてみるんや。それで?」
「・・・それで・・・・どんどん嫌な気持ちになって・・」
 僕は自分の中の記憶を掘り起こす事に専念した。
 そう。確かにあの時に、僕は何かを感じたのだ。それは彼女が江神さんの後ろに回ったという、どこか独占欲めいた感情だけではなくて・・。
「・・・・・山を見て・・」
「アリス?」
「鬼が棲んでいたという山は、綺麗に整備され、色々な人間がやってくるようになって・・でも・・・」
 それは誰の何を見て思ったのだろう?
 自分の思考でありながら、うまく辿り着けない苛立ちに僕は小さく唇を噛んだ。
「・・・・・っ・・」
 グルグルと回る記憶。
 あの時に、僕は何を・・見たのだろう?はっきりと知覚をする前に“感覚”という名の海に沈み込みんでしまった“何か”。その時の不快感と不安感は僕の中で“嫌な予感”というあまりにも漠然をしたものになってしまっていた。
(・・追われた鬼はどこに行ったんやろう・・?)
「・・アリス、一時休憩や。コーヒーでも淹たるからそれを飲んで仕事に戻ろう」
「すみません・・」
「謝る事やないって言うてるやろ?それより夕べ面白いもんを発見したんや。今やっとる棚が終わったら褒美として見せたるからな」
「・・お・・もしろいもの?」
「ここに来た目的は何だったんや?」
「−−−−−!!何ですか?何を見つけたんですか!?」
「何やろなぁ・・」
 クスクスと笑いながらキッチンに向かって歩き出した彼を僕はまるで子供の様に追い駆けた。
「江神さん!いけずな事言わんで教えて下さい!」
「さてな、褒美はやっぱり先に教えたらつまらんやろ?」
「も・・物が判っていた方がやる気も倍増するってもんですよ!気になったら効率が悪くなるやないですか」
「そら、今日中に見られるように頑張るしかないな」
「・・・・江神さーん・・」
 ポットに入れておいた湯をインスタントのそれを入れたカップの中に注いだだけで、フワリといい香りがキッチンの中にたち込める。
 戻ってきたいつものペース。
 笑いながらコトリとテーブルの上に置かれたカップを手に取って、僕はふと窓の外を見た。
「・・・・ほんまに台風が近づいてきとるようですね」
 朝、起きた時よりも更に黒く、重くなった雲。
「懐中電灯の用意はだけはバッチリやけどな」
「そうですね」
 クスリと笑った僕に江神さんはもう一度小さく笑ってコーヒーに口をつけた。そして。
「ラジオをつけておくか・・」
「直撃の予報やったらやっぱり避難した方がええんでしょうか?」
「警報が出されるようならな」
 訪れた沈黙。その中で僕はもう一度外を見た。
 木々が揺れている。確かに台風が・・・夏と同じ様に嵐が近づいてきているのだ。まだ記憶に新しい夏の嵐−−−−−−−・・・
「−−−!?」
 その瞬間、僕はふと風の音以外の『人為的』な音を聞いた気がした。いぶかしげに眉を寄せて振り向くと「聞こえたか?」と問いかけるような江神さんの瞳をぶつかる。
「・・誰でしょう?」
 言ったそばから聞こえてきたノック。確かに、誰かが、この家を訪ねて来ているのだ。ドクンと鼓動が跳ねる。もしかしたら・・・・。
 歩き始めたのは江神さんの後を慌てて追う様に僕は玄関に向かう。ドクンドクンと早まる鼓動。
 彼女かもしれない。否、もしかしたらあの人間たちの誰かがやっぱり見つかったから心配をかけて悪かったと言いにきたのかもしれない。
 頭の中で僕はひどく意識的に良い方へ良い方へと予想を立てていた。まるでそうしなければいけない、そうしないと何かが崩れてしまうとでも言うように。
 トントンと言う3度目のノックと共に低い男の声が「川辺さん」と呼んだ。それを聞きながらガチャリと錠を外して江神さんが小さくドアを開く。
「どなたでしょう?」
「川辺さんの別荘を訪れている学生さんは貴方ですか?」
 問いかけに対して返ってきた問いかけ。江神さんの背中の後ろからドアの隙間を覗き込むようにして見えた人影は初老の男と、少し神経質そうな雰囲気の眼鏡をかけた男の二人組だった。
「・・そうですが。何か?」
「恐れ入ります。警察のものですが、ちょっとお話を聞かせていただけますか」
 言葉は問いかけのそれなのに、少しも問いかけていない声を聞きながら、僕の胸の中に黒い何かが広がった。嫌な・・・嫌な予感が・・・現実になって動き始めている。
「どういう事ですか?」
 ドアを開きながら江神さんが3度目の質問をした。それにお決まりの様に黒い手帳を見せていた男はどこか慇懃な態度で口を開いた。
「酒呑童子の里の方に泊まっておった女性が昨日から行方不明になっとりまして。今朝散歩に出ていたロッジの宿泊者によって遺体で発見されたんです」
「一応面識があるいう事で話を聞きたいんですが、少しええですか?」
 言葉を継いだ初老の刑事。
 振り返った江神さんを見ながら僕は小さくコクンとうなづいた。



さあ、事件です。二人はどうなるのか。