.

.

狂鬼恋歌8

「・・それではお二人は、英都大学の同じクラブの先輩と後輩で同大学文学部の教授、川辺幸一郎氏に頼まれて、書庫整理に来とったいう事ですな?」
「そうです」
「それで、えーっと江神さんでしたか。身分証明のようなものはありますか?」
「・・・・学生証と免許証が」
「おおきに。そちらの・・」
「有栖川です。僕は学生証しかありません」
「構いません。ほんならちょっと見させてもらいます」
 “招かれざる訪問者”はリビングのソファに腰掛けて僕たちの出した学生証を眺めていた。
 彼等は、篠原かなえの事を聞きにきた筈なのだ。だがしかし、内容はどう考えても僕らの取り調べ、もとい人定尋問としか思えない。どうやら−−−考えるのも嫌だが−−−僕たちは容疑者の一人になっているようだった。
 その瞬間−−−−−−。
「・・ほぉ・・江神さんは7年間も在学されとるんですか」
「−−−−−−−!!」
「アリス」
 いきなり飛び込んできた、探るような、どこか嘲りを含んだ声に僕は思わず顔を上げた。その途端江神さんが短く名前を呼んで、ついで“眼鏡”に視線を向ける。
「人にはそれぞれ事情というものがあります。どう思われようと構いませんが、私自身はそれについてここで語るつもりはありません」
 江神さんの言葉に“眼鏡”は鼻白んだ様にして見ていた学生証をテーブルの上に置いた。それを見ながら“初老”はどこか苦笑したような笑みを浮かべて小さく「田島」と恐らく“眼鏡”の名前を呼んで、僕たちへと視線を戻した。
「ああ・・すみませんな。気に障られたのなら謝ります。何分こういう仕事ですので、まぁ、職業病の一つだとでも思うて下さい。えーっと、こちらは法学部2年生の有栖川有栖さん。これはまた珍しいお名前ですな」
「はぁ・・」
 学生証を確かめながらにっこりと笑っての言葉。けれどそれがその表情通りのものではない事を僕は判っていた。いきなりの訪問と取り調べに限りなく近い尋問。とくれば次の台詞は小説の中では使い古されているものだ。
「さて・・・職業病という事でもう一つ。大変申し訳ないのですが、昨日の事を思い出していただきたいのですが」
 ほぉら、きた。予想通りの展開に僕は胸の中で溜め息を落とした。
「人定尋問の次はアリバイですか?」
 僕の言葉に今度は田島と呼ばれた男がムッとした様に顔を上げる。
「何度も繰り返しになりますが、これが仕事ですから。実は篠原さんのご友人方にはもう話を聞いておりまして、それで貴方がたの事が判ったんです」
「じゃあ、彼等が僕たちが怪しいとでも言うたんですか?」
 くってかかるような僕に老刑事はフワリと笑った。
「そうは言うとりません。とりあえず昨日篠原さんが行方不明になる前に接触した人間に片っ端から話を聞いて行く。今の我々に出来るのはそこまでです。いずれ詳しい所見が出れば又違った捜査になるかもしれませんが」
 その瞬間、今まで僕と刑事たちのやりとりを聞いていた江神さんが老刑事に向かって口を開いた。
「すみません、一つ伺うてもええですか?」
「なんでしょう?」
「彼女は殺されたんですか?」
 その質問に刑事たちは一瞬だけチラリと視線を合わせた。
 ついで聞こえた「小宮山警部補」という抑えた声。どうやら老刑事は小宮山といい、警部補という階級らしい。眼鏡が田島で、初老は小宮山。そんな今はどうでもいい事を頭の中に入れていた僕の耳にやがて小宮山警部補の声が聞こえてきた。
「・・・・これは言うてもええでしょう。一応他殺という線で捜査を進めとります」
「もう一つ。彼女が発見された場所は?」
「千丈ガ池です。因みに死因は溺死。が、頭部強打による頭蓋骨損傷が見られました。教えられるのはここまでです。ほんなら今度は改めて私らの方から質問させていただきます。午後3時から8時までの行動を教えて下さい」
「判りました」
 僕たちは嘘偽りなく、それに答えた。3時から8時までという事だったが、遡って12時過ぎに彼女にあった時の事から大江町での買物先。そして乗り遅れては大変と何度も確かめたバスの時間と、童子の里に帰って来た時に榎本美里に会って、篠原かなえがいなくなった事を知った事などを丁寧に、きちんと順序立てて話をした。
 もしもここにモチさんでもいたら「よぉ言えた」とでも誉めてくれたかもしれない。けれど、でも、その詳細な行動も美里と別れた4時半以降を境に話すべき事がなくなった。というか、僕たちは知っていたのだ。仲間の証言など、ないも同然なのだという事を。
「ここに戻ってきたのは4時50分頃で、後はここから出ていません。ずっと本の整理をしていて、夕食を食べたのも9時過ぎ位でしたから。あえて証拠と言われればえらく進んだチェックリスト位です」
 僕の言葉に小宮山は小さく笑ったが、田島は黙ってメモをとっていた。
「という事は、榎本美里さんと会った4時半以降はずっと二人だけだった。という事ですね?」
 確認をするような田島の言葉。
「そうです。何しろ童子の里の方に呆れられる程酔狂な場所に建っている別荘ですから、出るにも戻るにも気合いが必要でして。後はないも同然の“お互いのアリバイを証言する”しかありません」
 それに答える江神さんの隣で僕も又コクリとうなづいた。これ以上は何も話すべき事はない。
「判りました。いや、お手間を取らせました。又何か話をお聞きする事があるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。一応今日お聞きした事は確認を取らせていただきますが、よろしいですかな?」
 ウラを取るというのだ。それは仕方がない。
「結構です」
 答えを聞いて立ち上がった二人の刑事。
 ドアのところまで一緒に行くと、開いたそこから空を見上げて小宮山が眉を潜めた。
「いやぁ、ほんまにきそうやなぁ。風が生温いわ」
 刑事たちの後ろを風がヒュウと唸って吹いて行く。
「今夜から明日にかけて上陸の恐れがある言うてましたからお気を付けて。私も本は好きでしてね、このバイトは羨ましいですわ。ほんなら」
 刑事たちはペコリと頭を下げると細い道を歩き始めた。
 その後ろ姿をしばらくの間見送って、僕たちは再びリビングに戻ってきた。
「・・・誰が彼女を殺したんでしょうか」
「判らん」
 沈黙に耐え切れず口を開いた僕に江神さんが短く答えた。
 再び訪れた沈黙。
「アリス・・」
「はい!」
 呼ばれた名前に慌てて返事をすると何かを考えている様な江神さんの瞳にぶつかる。
「童子の里に行こう」
「え・・・?」
 それは思ってもみない言葉だった。
「嵐が来る前にまともな食事をしてこよう」
「・・・・・・・」
「運が良ければ、彼等と話が出来るかもしれへん」
「判りました」
 刑事たちに遅れる事20分。
 こうして僕たちは嵐の訪れを告げる生温い風が吹く中を何かに動かされる様にして“愛車”を走らせた。


さぁ、殺人事件が起こってしまいました。