Platonicじゃいられない

 すっかり慣れ親しんだ6畳間。
 本とレコードとCDでほとんど占拠された様なそこは僕にとって大好きな場所の一つだ。
 江神さんのバイトのない日に来て一緒の時間を過ごす。
 それは僕の中でそろそろ習慣の様になりつつあった。
 そして・・
「アリス、そろそろ時間やぞ」
「・・・・・・」
 この言葉も、だ。
 一緒に居ながら僕達は結構それぞれの事をしている事が多い。大抵は自分達の読みたい本を読んでいるが、江神さんがレポートを書いていたり、反対に僕が書いていたりという事もある。なら何で一緒いるんだ!?と思われるかもしれないが、それは・・・一緒居たいからで・・
 つまりは・・半月より少し前、というより約1ケ月近く前に好きだとお互い気持ちを伝えた仲だったりする。
 あれから何度かキスをした。
 不覚にも江神さんの膝枕で一晩眠りこけるという大胆不敵な事もした。
 が・・・しかし。
 あれ以来この下宿に泊まった記憶はない。
 恥ずかしすぎるというか、何というか・・“何でこないな事言わなあかんねん!?”と大阪弁になってしまうが・・・そういう事、だ。
 好きだと気付いて告げたその後は何となく気恥ずかしくて、けれどやっぱり一緒に居たくて、何日かぶりに訪れた下宿で始めは目一杯ギクシャクしてしまったのだ。
 けれど「結構トリックの効いた話やったぞ」と出された本を読み始めたらいつの間にか日はとっぷり暮れていて、恐縮しつつ夕食を食べて、読んだ本の感想を夢中で話して、話しを聞いて・・・そうして江神さんはその日、初めてその言葉を口にしたのだ。
“アリス、そろそろ時間やぞ”
“えっ?”
“電車、無くなる ”
“あっ!ほんまや!”
 その時はただただそんな時間になっていた事にびっくりしてしまって、僕はあまりにも鈍臭いのだが全く気が付かなかったのだ。その言葉にどんな意味があるのか。
“すみません!こんな時間まで・・”
 ワタワタと荷物をまとめて借りるべく本を小脇に挟む。
 そうしてドアのところまで行って。
“あの・・ほんまにすみませんでした”
“・・いや。又な”
“はい”
 コクンとうなづいた途端フワリと浮かんだ優しい微笑み。
“送って行こか?”
“そんな大丈夫です!”
 言いながらブンブンと首を横に振ると又微笑みが返ってくる。
“江神さん・・?”
“・・・・おやすみ”
“・・・あ・・”
 近づいてきた顔に思わず小さな声を上げて僕は慌てて瞳を閉じた。まだ数える程しか交わしていない口付けに早
鐘の様に鳴る鼓動。
“・・・・おやすみ、アリス”
 ゆっくりと離れた唇と繰り返された言葉に僕は赤い顔で“おやすみなさい”と同じ言葉を繰り返すだけで精一杯だった。
 そうして約1ケ月−−−−。
 流石に僕にも判って気始めていた。
 もしかして、やっぱり、きっと・・・選択権は僕に与えられているのだと。
(・・・うぅぅ・・恥ずかしすぎる・・)
 別にこの先に進む事が嫌な訳ではない。緩く抱き締められるのも、優しい口付けを交わすのも・・平気・・どころか好きだと思う。
 が・・・しかし、それとこれとは天と地ほどの差があるのだ!!・・・と言っても実は今一つ何をするのか(されるのか )よく判らないという“恐怖心”が僕の中に子泣きじじぃの様にへばりついていて江神さんから出されるそれに未だにGOサインを出せずにいるだけなのだ
 けれど。
(・・・いっそ押し切ってもろうた方が楽や・・)
 そうすればきっと自分は嫌だとは言わない・・・・筈である。でも・・だけど・・・。
(・・やっぱ・・恐いんやもん・・)
 行為もそうだが、そうした事でどうなってしまうのかが恐い。
「・・アリス?」
「あ・・はい・・」
 あまりにも不自然すぎた長い沈黙に江神さんが眉間に皴を寄せた。それに気付いて僕は慌てて言葉を繋ぐ。
「あの・・これ借りてええですか?」
「構わんよ」
 先ほどまで読んでいた本を軽く持ち上げると笑ってうなづく顔。それに少しだけホッとして、何故か少しだけ切なくなって、僕はゆっくりと立ち上がった。それと同時に江神さんも立ち上がる。
「・・今度の火曜な、急なバイトが入ったんや」
「えっ・・?」
「すまん」
「・・いえ・・」
 短い言葉のやりとり。
 バイトが入ったと言う事は今度の火曜は二人で一緒にいる事は出来ない、という事だ。
「・・・でも江神さん。バイト入れ過ぎやないですか?身体壊したら元も子もありませんよ」
「心配してくれるんか?」
「そんなん!」
 聞こえてきた僅かに笑いを含んだ様な言葉に僕は思わずムキになって声を上げていた。
 重なる視線。
「・・・そんなん・・当り前でしょう・・?」
 フイと視線を外しても伝わってくる微笑んでいる優しい雰囲気。
「アリス」
「・・・はい」
 トクンと一つ鼓動が鳴った。
 ゆっくりと視線を戻して、真っ直に見つめてくるその瞳と向かい合う。
「・・・・っ・・」
 何か言いたくて、けれど言葉にならなくて僅かに開いて閉じた口に江神さんが微笑う。そして・・・。
「好きや」
 重なった唇に震えた身体。けれどそれを隠したくてその背中にしがみつく様に手を回す。
「・・・・っ・・」
 離れた唇から零れ落ちた吐息。
「・・・江神さん・・」
 ドクンドクンと鼓動が早くなる。
 恐くないと言えばやっぱり嘘になると僕は思った。
 そう、今だって叫び出してしまいたい程わけが判らなくて、切なくて、もどかしいのだ。
「・・・・江神さん・・」
 再び繰り返した名前。けれど、でも、どうしてもその後が続かない。
 いつもより長めの沈黙の後でやがて終わりを告げる言葉が聞こえてきた。
「・・・・おやすみ、アリス」
「・・・・・・おやすみなさい」
 そうして僕はやっぱりその日も、本当に言いたい言葉を言えなかったのだ。


タイトル通り、Platonicの続きです。あの後・・・・。こんな風になっていたのねと(;^^)ヘ..